第3章 第2話 (秘密) (前編)
ギルドへと向かったリョウを待ち受けていたのは、この世界を覆う陰謀の影と、上層部からの破格の提案でした。
しかし、その冷徹な計算と徹底した無関心の裏で、リョウはついに『隠された真の意図』を露わにします。周囲のすべてを『道具』として利用し、彼が目指す本当の目的とは――?
第3章・第2話「秘密(前編)」を、どうぞお楽しみください!
リョウは周囲の撒き散らされた灰の痕跡を意にも介さず、村の通りを確かな足取りで進んでいった。やがて、その視線の先にギルドの重厚な佇まいが現れる。建物は完全な状態を保っていた。昨夜の凄惨な激闘も、この領域にまで影響を及ぼすことはなかったのだ。彼のすぐ後ろでは、パンドラとオロバスが寸分の狂いもない完璧な同調で歩んでいた。視線をまっすぐ前方に向け、完璧な沈黙を保つその姿は、まさに二人の従者そのものであった。
重い扉を押し開くと、メインホール特有の喧噪が彼らを迎え入れた。しかし今回の空気は、怪しい噂話によって重く凝り固まっている。冒険者たちはテーブルを囲んで群がり、外縁部で起きた事件の囁き声が空間を満たしていた。
冒険者1:「……昨夜、村で何が起きたか聞いたか?」
冒険者2:「ああ、二人の呪われたガキがあの巨大な化け物をたった二人で片付けたって話だろ……」
リョウは彼らに視線すら向けなかった。氷のように冷ややかな無関心を決め込み、テーブルの合間を通り抜けて受付へと直進する。カウンターの奥には、彼も見覚えのある頭の光った髭面の男が詰めていた。リョウは辿り着くなり、持ち前の素っ気ない口調で切り出した。
リョウ:「おはようございます。王都への行き方を知りに来ました」
受付は一瞬だけ彼を凝視し、その存在感を呑み込んだ。言葉を発することなくカウンターの下へ手を伸ばすと、一巻の粗末な羊皮紙を取り出した。姿勢を正すと、その紙を青年の前へと滑らせる。
受付:「ここに地図があります。お役に立つでしょう」
リョウ:「ありがとうございます」
リョウが手を伸ばしてそれを受け取ろうとしたその時、男の視線が鋭く分析的な色を帯びた。
受付:「あなたと、もう一人の少年……村を解放したのは、あなた方ですね?」
リョウは受付の言葉に含まれた重みを即座に解読した。表情一つ変えず、計算された冷淡さを保ち続ける。
リョウ:「それに何か問題でも?」
男はすぐには答えなかった。背後へ振り向くと、棚に置かれていた重厚な物体を取り出し、金属音を響かせて木製カウンターの上に置いた。それは小さな革の袋だった。リョウは僅かに紐を解き、中身を覗き込む。
リョウ:(銀貨か……)
受付:「銀貨20枚です。これが村を救ったことに対する正式な報酬となります」
リョウは金属の輝きを見つめ、頭の中で素早く計算を巡らせた。
リョウ:(およそ1,000ドル相当か……)
彼は視線を上げ、小さく頷いてみせた。
リョウ:「なるほど……感謝します」
リョウは袋を手に取り、それ以上の無駄を省くべく身を翻そうとした。しかし、受付の男の声がそれを引き留めた。その声調は、より重々しく密やかなものへと変化していた。
受付:「少々お待ちいただけますか」
リョウの心中に、かすかな疑問の火花が散った。彼はゆっくりと踵を返し、職員の厳格な眼光と向き合う。
受付:「どうぞ、こちらへ」
頭の光った男はカウンターの左側から抜け出し、奥の執務室へと続く補強された木製ドアへと進んだ。鍵で鍵穴を解錠すると、リョウとその後ろに立つ二人の静かな従者を横目で見やる。
受付:「ついてきてください」
リョウはためらうことなく足を踏み出し、パンドラとオロバスがそのすぐ後ろを追う。メインホールの喧噪を完全に遮断する静まり返った狭い廊下を進み、ひとつの管理室の前で足を止めた。受付はドアを開け、丁寧な仕草で室内を示した。
受付:「お入りください」
敷居を跨ぐと同時に、リョウは周囲の環境を観察した。そこは交信や交渉のために整えられた部屋であり、中央の重厚なローテーブルを挟んで、二つの革張りソファが向かい合わせに配置されていた。
受付:「お掛けください」
リョウがリラックスした様子で一方のソファに腰を下ろすと、男も対面のソファに同じように座った。空間の空気が一変する。安っぽい礼儀の仮面は剥がれ落ち、この呼び出しの真の目的が姿を現した。受付は膝の上に肘を置き、手を組むと、冷徹な政治的策謀を込めた言葉で本題へと切り込んだ。
受付:「皮肉な話ですが……我々はあなたに、ギルド上層部から直接発行された正式な任務を引き受けていただきたいのです」
リョウは無表情を保ったまま、男の視線を受け止めた。
リョウ:「それで、どんな任務だ?」
受付:「あなたとお友だちに、ある特定の都市へ向かっていただきたい。その村が裏から悪魔によって支配されていたのか……そして、より深刻な問題として、王国全体が同様の侵食を受けているのではないかを調査してほしいのです」
その単語を耳にした瞬間、リョウの顔 にかすかな違和感と困惑の陰が差した。
リョウ:「悪魔……?」
受付は頷き、その声を周囲に届かないほど低く落とした。
受付:「我々の歴史と地政学的な記録が示す限り、悪魔が人間の世界に立ち入ることはできません。理由は単純な地理的要因です。この世界は『魔界』と『人間界』という明確に分けられた二つの大陸で構成されており、その間には凶暴な魔物が巣食う大海原が存在します。彼らがこちらへ渡ってくる手段など存在しないはずなのです。しかし、外縁部を襲撃した存在の性質を考慮すれば、我々は慎重にならざるを得ない。あの村を支配していたものが単なる野良の魔物だったのか……それとも本物の悪魔だったのか、徹底的に調査したいのです」
リョウは黙って情報を呑み込み、その政治的な波及効果を分析してから、自分たちに求められている役割を問いただした。
リョウ:「それで、俺たちに何をさせたい?」
受付:「ギルドの庇護と機密の下で、その都市へ潜入し調査を行っていただきたい。あなたの役割は我々の『目』となり、現地で起きるすべての情報を送ること。純粋な諜報活動、それだけです。見返りとして、ギルドは報酬を支払います……あなたが望むだけの金額を」
それは破格の提案であり、大陸中のいかなる冒険者をも惑わせる白紙小切手であった。しかし、リョウの眉一つ動かなかった。その提示も、彼の優先順位を揺るがすことはない。計算された冷静さをもって、彼は冷ややかにソファから立ち上がった。
リョウ:「断る」
彼は身を翻し、退出用のドアに向かって歩き始めた。受付は取り乱しはしなかったものの、焦りを隠せない声で彼の理性に訴えかけようとした。
受付:「待ってください……考え直してください。この事態の影響は、我々全員に及ぶのです!」
リョウはドアノブの手前で足を止めた。振り返りはしなかったが、その言葉には、すでに計画を極限まで研ぎ澄ませた者の決意と揺るぎない重みが宿っていた。
リョウ:「引き受けない。危険を恐れているからでも、身を案じているからでもない……ただ俺には俺自身の目的があり、ギルドの問題でそれを遅らせるつもりはないだけだ」
リョウはドアノブを回して扉を開け、廊下の光を室内に引き込んだ。敷居を跨ぐ直前、彼は男を完全に打ちのめす圧倒的な論理を孕んだ最後の一言を放った。
リョウ:「そこまでその都市に潜入したいなら……自分たちでやればいい」
リョウは部屋を出て、静かにドアを閉めた。
執事室の内部では、受付の男が自室のシートで完全に硬直していた。閉ざされた木製ドアの木目をただ見つめている。正面の空虚な空間を凝視しながら、青年のあまりに断定的で理にかなった拒絶を呑み込み、ついに胸の底から重く深い挫折のため息を吐き出した。
受付:「……ハァァァッ……」
一方、屋外ではリョウが傲然とした確かな足取りで廊下を進んでいた。メインホールへと戻ると、自身に向けられる好奇の視線を完全に無視してテーブルの立ち並ぶエリアを通り抜け、大きな入口の扉を押し開けて外へと踏み出した。二人の従者を従え、陽光の下へとその姿を消していく。
三人で村の通りを静かに歩んでいたその時、パンドラが沈黙を破り、リョウへと問いかけた。
パンドラ:「我が主……ここに留まるおつもりはないのでしょう? 正直にお聞かせください、あなたの真の目的は何なのですか?」
オロバスがすぐさま割り込み、主の思考回路を予見して悦びの笑みを浮かべた。
オロバス:「我が主のことだ、元いた場所へお戻りになりたいのであろう?」
リョウは振り返りもせず、視線をまっすぐ前方に固定したまま、冷徹極まりない声で答えた。
リョウ:「俺の唯一にして真の目的は、地球へ戻ることだ」
パンドラ:「すでに計画はお持ちなのですね、我が主?」
リョウ:「お前たちなら、答えは分かっているはずだ」
その言葉を口にしながら、リョウは己の内面へと深く沈み込んでいった。
リョウ:(そして、俺自身も答えを知っている。俺が経験し、行ってきたすべては、最初から計画していた通りに過ぎない)
彼の脳内で、盤上の駒が時系列順に整列し始める。
リョウ:(まずは論理的な手段だ。この世界の言語とルールを徹底的に叩き込んだ)
屋敷の中に閉じこもり、周囲のあらゆるテキストとパターンを分析していた日々が思い返される。
リョウ:(地球に戻るのが容易でないことくらい分かっていた。だからこそヴィクターに狩りへ同行させてほしいと頼んだのだ。あれは気まぐれなどではない。強くなり、本来の力を取り戻すための最善手だと知っていたからだ)
森の中での狩りの日々、ヴィクターやサムと共にイノシシを追跡し仕留めた光景が記憶の底をよぎる。
リョウ:(次に、彼らから完全に離れる必要があった。姿形が変わったことは、手間を大きく省いてくれたよ。ヴィクターが俺を別人と勘違いして屋敷から追い出したのは、事を複雑にせずにあの場を去るための最高の引き金となった)
追い出されたまさにその瞬間を反芻する。他人にとっては災難に見える出来事も、彼にとっては計算通りの解放であった。
そして、彼の思考は旅の同行者へと向けられる。
リョウ:(最初からお前を連れて行くつもりはなかったんだ、サム。最初は置いていくつもりだった。だが、お前が俺にとって極めて都合の良い存在であることに気づいた……これほど有用な『道具』を捨て去る奴がどこにいる? 特に、お前の真のポテンシャル――内に秘めた膨大な魔量を目にした時はな。あれを見た瞬間、お前を利用できると確信した。その絶大な力を手中に収めれば、地球へ戻るために利用できる)
肩を並べて戦った数々の瞬間が投影される。サムの全身から溢れ出していた凄まじい魔力の奔流を、鮮明に思い出していた。
リョウ:(だからこそ、お前をもっと強くする必要がある。成長させ、成熟させ、その力を極限まで搾り取るために。ヴィクターに今見つかるわけにはいかない。この世界の知識を蓄えながら、サムを確実に強くしていくだけだ)
森の中でヴィクターを引き寄せるために、わざとサムを気絶させた冷酷な瞬間。自らの緻密な誘導の下で繰り広げられた数々の戦闘。彼の真の意図がもつ、絶対的で容赦のない本性が浮かび上がる。
静寂がグループの進行を支配し続ける中、パンドラは前方に視線を向けたまま、持ち前の な洞察力をもって新たな質問を投げかけた。
パンドラ:「我が主……正直にお答えください。ギルドへ向かわれたのは、最初から報酬があることを見越していたからですね?」
リョウは足を止めることなく、前を見つめたまま無感情に返した。
リョウ:「タダで手に入るものなど、この世にはない」
その返答を聞き、オロバスは主のブレない本質に深い満足感を覚え、笑みを深めた。
オロバス:「相変わらず合理的でいらっしゃる、我が主」
リョウは答える労力すら割かず、歩みを進めた。従者たちもそれ以上は語らず、主の沈黙を尊重した。しかし、その無表情な面 の裏側で、リョウの精神は冷徹なまでの明晰さで稼働していた。
リョウ:(人生のすべてにはコストが存在する。心から行われたとされる行為でさえ、不可避的に相手へ『借り』を感じさせるのだ。俺が何か動く以上、相応の見返りを求めるのは当然のこと。だが、どれほど魅惑的な条件を提示されようと、俺の最優先目標の邪魔になるのなら決して乗ることはない。この世界のすべては『対価』で回っている)
ポケットの中に手を突っこみながら、この世界へ足を踏み入れた瞬間から打ち立てていた自らの真の目的を、再び胸中で燃え上がらせる。
リョウ:(あの忌々しい一族を滅ぼすためなら、途中で何人利用しようが、何人殺そうが、見殺しにしようが捨て置こうが知ったことではない。たとえ……目的を果たす唯一の手段であるならば、友であろうと周囲の人間であろうと操作し、支配し尽くすまでだ)
黒髪の青年は、傷ついた村の建物の間を堂々と進んでいく。顎を上げ、その瞳には凍てつくような冷気――これまでのどんな輝きよりも深く、計算高く、暗い闇が宿っていた。




