第3章 第1話「公国 」(前編)
いつもお読みいただきありがとうございます。本日より第3章が開幕いたします。
絶望の淵に囚われたリョウ。燃え盛る村の暗闇から現れたのは、異彩を放つ二つの影でした。
圧倒的な存在感を放つ彼らの目的とは――。
新たな展開を迎える第3章を、どうぞお楽しみください。
家々の木材を、恐ろしい速度で炎が貪り尽くしていく。夜の凍てつく空気は完全に霧散し、村を飲み込む猛火の息苦しい熱気がそれに取って代わっていた。しかし、リョウにとって、その熱さは存在しないも同然であった。
彼の内に確かに存在するのは、増悪していく冷気だけであった。足元から頭頂へ向かって、その凍てつく感覚は容赦なく侵食を進めていく。胸に穿たれた巨大な風穴から生命が漏れ出すにつれ、全身が凍りついていくようだった。
その傍らで、サムは完全に心を折られていた。嗚咽と絶望の悲鳴を止められず、震える手でリョウの頭を抱え、生者の世界に彼を繋ぎ止めようと無駄な足掻きを続けている。
サム:「いやだぁっ、リョウ! 頼むから行かないでくれ! 息をしてくれ! 息をするんだ……!!」
リョウの視界は斑に霞んでいた。火災の光は歪んだ斑点となり、友の声は耳鳴りの向こうから遠く届く木霊のようだった。残された意識の最後の糸を手繰り寄せ、リョウは自らの状態を冷静に分析した。
リョウ:(あり得ない……肺も、脊椎も破壊されている。息を吸うことも、動くことすらできない……)
思考は弱々しく、重く、深く沈み込んでいった。
精神体として傍らに膝をついていたリラは、無力感に苛まれ、前髪を垂らして顔を覆った。耐えがたい悲痛さを纏いながら、その存在はゆっくりと立ち上がった。訪れる結末を悟り、致命的な現実を受け入れた彼女は、尊敬と痛み、そして罪悪感を込めて深々と一礼した。
リラ:「申し訳ございません、我が主……お役に立てず……」
己の壊れた体に抗うように、リョウは血に濡れた唇を僅かに震わせ、かすかな声で最後の言葉を紡いだ。
リョウ:「リ……リラ……」
その瞬間、大気が急変した。リョウの体を麻痺させていた死の冷気だけではない。神秘的で密度の濃い絶望の寒気がその場全体を支配し、火災の熱気すらも押し殺していった。
地面に落ちたリョウの影が異常に歪み、二つに分かれて延伸していく。その暗闇から、静かに立ち上る濃密な黒煙と共に、二つの肉体を持ったシルエットが現れた。
右側から、最初の姿が具現化した。洗練されたメイド服に身を包んだ女性であった。深みのある黒髪を高い位置でポニーテールに結び、切り揃えられた前髪と横髪がその顔立ちを完璧に縁取っている。輝く純紅の瞳は、二十五歳ほどの若い女性の容姿を思わせた。頭部からは、先端が上を向いた見事な羊の角が二本生え伸びている。髪の漆黒には及ばないものの、重厚な闇を湛えていた。その立ち姿は寸分の乱れもなく、冷徹な威厳を放っている。
同時に、左側には第二の影が現れた。華奢な体躯の男性であった。白い手袋と完璧に結ばれたネクタイを着用し、寸分の隙もないタキシードを纏っている。黒い短髪に同じく紅の瞳を宿していたが、女性とは異なり、その眼光には目の前の惨状に対する奇妙な歓喜と魅了が浮かんでいた。額からは、短く左右対称な二本の牛の角が生えている。こちらも二十五歳ほどの容姿であった。
二つの存在は、燃え盛る村の混乱の中にありながら、彫像のように静立し、圧倒的な気品を漂わせていた。周囲の火の海を完全に無視し、ただリョウだけに視線を注いでいる。
男は洗練された動作で片膝をつき、地上の主人へ深く頭を下げた。
執事:「リョウ様……総司令官殿」
一方、女性は膝を折らなかった。静かな歩調でサムの隣へ歩み寄る。涙に濡れた顔を上げたサムは、突如現れた異形の存在に怯え、混乱の声を上げた。
サム:「あ……お前たちは一体……!?」
女性は視線を落とし、その冷ややかな表情をほんの一瞬だけ柔らかくした。優雅でありながらも威圧的な声で告げる。
メイド:「リョウ様に近付くのをお許しいただけますか? 私が治療いたします」
絶望の淵にあったサムは、疑問を挟むことなくその場を譲り、友の体をそっと手放した。
女性は躊躇いなくその場所に腰を下ろし、リョウの頭を自らの膝の上に優しく乗せた。
精神体のまま硬直していたリラに対し、女性は紅い瞳を向け、穏やかに言った。
メイド:「心配いりません。彼なら大丈夫です」
リラ:「え……?」
己の存在を認識し、言葉をかけられたことにリラは息をのんだ。
リラ:「は……はい」
安堵したように、リラの姿は空気中に溶けて消えた。
女性は再びリョウを見下ろした。彼女が親愛を込めて親指で頬を撫でたその瞬間、リョウの胸の傷口が激しい気泡と密度を増した蒸気を吹き上げた。臓器や肉を覆っていた血液が沸騰し、再生のエネルギーが起動する。
肉体の繊維、砕けた脊椎の欠片、皮膚の層が緩やかに再構築され、胸の深淵を埋めていく。
頭を下げていた男は、至高の忠誠を込めて口を開いた。
執事:「我が主……どうかこの場は、私めにお任せを」
男は一連の動作で立ち上がり、タキシードの皺を伸ばした。危険な悦びを瞳に宿し、巨大な白蛇が猛威を振るう方向へ歩みを進める。
その背中を見つめる瀕死のリョウの脳裏に、不意に遠い記憶の断片が閃光となって駆け抜けた。羊の角を持つ女性が幼子を抱き、タキシードの男がそれを満足げに見守る光景――その記憶は一瞬で暗闇へと消え去った。
男は怪物の前に立ち塞がった。白蛇は威嚇のシノ音を立て、地響きと共に問い質す。
白蛇:「貴様は何者だ!? 名を名乗れ! 答えろ!」
執事:「名を尋ねられても困りますな。それは謎なのですから」
白蛇:「フン、どうでもいい……今夜殺す数多のゴミの一人に過ぎん!」
蛇は顎を外し、膨大な火炎の奔流を解き放った。地表を溶かすほどの熱量に対し、男は一歩も退かず、右手の手袋を掲げた。その掌心に、極小の純黒の球体が現れる。
直後、火炎は球体へ吸い込まれるように収束し、一瞬にして消滅した。男は退屈そうにネクタイを整える。
執事:「……今のものは何です? 温まりもしませんでしたが」
白蛇:「身の程知らずの不遜者が!」
激怒した蛇が喰らいつこうと突進する。遠くでリョウが指先を向けた瞬間、蛇の尾が漆黒の炎に包まれた。
白蛇:「グアアアッ!? 再びあの呪わしい炎か!」
執事:「不始末をお許しください。主の手を煩わせるなど、臣下として最大の不覚。……終わらせましょう」
男が足を踏み出すと同時に、蛇は再び襲い掛かった。男はミリ単位の動作でそれをかわし、手刀を一閃させる。怪物の胴体は寸分の狂いもなく二つに切断された。
白蛇:「貴様……叩き潰してやる……!」
苦紛れに喰らいつこうとする蛇の顎へ、男の昇龍拳が叩き込まれる。巨躯は空へ吹き飛び、深く生い茂る森の奥へと落とされた。
静寂の中、森が激しく揺れた。現れたのは、肉体を捨て去ろうとする醜悪な姿であった。
白蛇:「焼き尽くしてやる……! 『ガン・ズカイ』!!」
ケンゾウ:「……ガン……ズカイ……!?」
執事:「ほう。新しいお力ですか」
蛇の鱗が内側から燃え上がり、筋肉も臓器も純粋な火炎へと変貌していく。肉体を失い、露出した頭蓋骨と脊髄だけがプラズマの炎を繋ぎ止めていた。その熱波だけで周囲の樹木が瞬時に灰へと変わる。
白蛇:「どうだ!? 肉体がなければ、貴様の物理攻撃など届かん!! ハハハハハ!」
皆様、おはようございます!
素晴らしい一ヶ月を過ごされたことと思います。そして、最高の8月1日をお迎えください!
本日より、いよいよ『デュアルリバース』第3章が開幕いたします。
ここで一つ、皆様に事前にお伝えしておきたいことがございます。
今回リョウの影から現れた新たなキャラクターたちについてですが、実は以前にも作中に登場しております。正確には、女性の方は過去の章で登場しており、男性の方は今回が初登場となります。
決して唐突な展開や、その場のインパクトのためだけに脈絡なく出されたキャラクターではございません。物語を注意深く読んでくださっている方なら、過去の章で顔を隠したままリョウを助けに現れたあの女性の存在に気づいていただけるはずです。
ストーリーの整合性を保ち、唐突な展開だと誤解されないよう、事前にお知らせさせていただきました。
それでは、長くなりましたが本日はこの辺りで!
皆様、良い一日をお過ごしください。また明日お会いしましょう!




