序章 4
それからまた月日は経つ。
アリスティアは相変わらず態度を改める気配も見せず、アルフレッドを始めとする殿方たちと交友を深めている。令嬢たちの顰蹙を買うところも変わらず、膨れ上がる嫉妬や羨望からの悪意はアリスティアに向いていた。
だがマリアベルももはや変わらない彼らに注意するだけの気力もなく、ただただ静かに事態を静観するだけに留めた。
そんな変わり映えのしない日々を続けたあくる日のことだ。
「アルフレッド様がどこにもいらっしゃらない?」
不可解なことを尋ねられたマリアベルは恐縮して身を縮める使用人に問い返した。
「はい……陛下がお呼びなのですが、会場のどこを探しても見つからず……クロフォード侯爵令嬢様ならば何かご存知ではないかと思い伺った次第です」
可哀想なくらいに恐縮する使用人の言葉にマリアベルは自分の顎に手を当てて視線を落とす。
今、この王国では謝肉祭という大きな祭典の真っ只中だ。
年に一度、日々の糧に感謝をするこの祭典にはこの王城にもたくさんの客人を招いて豪勢にこの日を祝っている。
故に王太子という立場のアルフレッドは主催者側として客人をもてなす大切な役割がある。その役目を放棄してどこかに行方をくらませるなど考えたくはないが、
「……ケイネスも見当たりませんか?」
「実はクロフォード侯爵令嬢様にお声がけする前にフロテッド様をお探ししたのですが、生憎あの方も見つからず……」
「…………テレーズ男爵令嬢のところはお探ししましたか?」
マリアベルがそう問えば、使用人はハッとした。
礼儀のなっていない彼女はこの接待の場に出せず、この会場にはいない。
「今すぐテレーズ男爵令嬢のところへ人をやってください。殿下はそこにいらっしゃるやもしれません」
「い、今すぐに確認いたします」
「よろしくお願いいたします」
真っ青になって駆けていった使用人の背中を見送って、マリアベルは小さくため息をつくと不在のアルフレッドのフォローをするために国王の元へと急いだ。
広いホールといえど、この国の主の姿はすぐに見つけられた。
「国王陛下、ご機嫌麗しゅう。クロフォード侯爵家が娘、マリアベル参上しました」
「おお、マリアベルか」
カーテシーで挨拶をすれば、国王はすぐに応えてくれた。
彼の隣にはひとりの若い偉丈夫が立っていた。
煤竹色の髪を後ろに撫でつけた精悍な男だ。
背が高く肩幅もしっかりとした体格のため、それだけでどことなく威圧感があるのに襟元に毛皮をあしらった豪奢なマントを羽織っているために彼の体は余計に大きく見える。体格差があまりにあって、隣に並んだ国王がまるで枯れ木のように見えてしまう。
澄んだ海色の目つきは鋭くて隙がない。
突然現れた小娘を値踏みするように見据える瞳に、マリアベルは知れず緊張に唾を飲み込んだ。
「ちょうど良かった。レオーネ皇帝、こちらはマリアベル・クロフォード。クロフォード侯爵家の娘で王太子妃になるものだ」
「レオーネ皇帝陛下、お目にかかれて光栄でございます」
国王の紹介にマリアベルは偉丈夫へと淑女の挨拶をした。
レオーネ皇帝。隣国のヘリアンティス皇国の王。
マリアベルが幼い頃にかの国の王は斃れ、そのためにしばらく王位を巡って内乱があった。
彼はその内乱で第一王位継承権を持つ兄を退けて、齢十二という若さで王位を勝ち取ったのだという。
故にまだ若い王ではあるが、彼の手腕は隣国のエステリアス王国まで伝え聞こえてくる。
と、その時レオーネの傍らに寄り添っていた女性が彼にそっと耳打ちをした。
如何にも皇帝という風体のレオーネの前では女官が何かと間違いそうになる地味な風貌の女性であったが、身に纏う落ち着いた色合いの衣装はヘリアンティス皇国の皇妃のみに許されたものだった。
レオーネは皇妃の耳打ちに少しだけ眉を寄せたが、皇妃が申し訳なさそうに上目遣いをするのを見ると彼はやれやれとため息をついた。
「マリアベル嬢」
レオーネが口を開く。
威厳ある声に思わず背筋が伸びる。
「すまないが皇妃の相手をしてやってくれないか。どうにも退屈をしているらしい」
「はい、ぜひにお相手させていただきます」
おそらく先ほど国王が言っていた「ちょうど良かった」という言葉もこの役割をする誰かを求めてのものだったのだろう。
マリアベルが二つ返事で了承すれば、皇妃はホッとしたように笑んだ。
・ ・ ・ ・ ・
「わあ、素敵な景色! ここ、一度見てみたかったの!」
この街を一望できるこの城のバルコニーからの眺望を見てみたい、という皇妃の求めに応じてそのバルコニーへと案内した。
白亜の王宮を囲む王都もまた白塗りの壁と青い屋根で統一され、日差しを受けると煌めくような美しさがある。
青空とのコントラストも相まって清廉とした雰囲気に満ちた王都は今、謝肉祭で賑わっていていつもとは違う活気に満ち満ちていた。
「すごいわ、生で見るとこんなに感動があるなんて。涙が出そう」
「皇妃様」
欄干から身を乗り出さんばかりにはしゃぐ皇妃へ彼女付きの使用人が嗜めるように声をかける。
皇妃の歳はマリアベルより一回り近くは上だったはずだが、興奮に頬を薔薇色に染めた彼女はまるで童女のようだった。
「はっ……ごめんなさいね。つい興奮してみっともないところを見せてしまって」
「いいえ、そんなに喜んでいただけるなんて光栄です。我が国を気に入っていただけましたか?」
「はい、すごく美しくて感動しました。ありがとう、マリアベルさん。私のわがままを聞いてくださって」
皇女のはにかむ笑顔はそよ風に吹かれたタンポポのような素朴さがあって、見ていると心が和んだ。
この皇妃は元々は王宮で働く身分の低い女官だったと聞いている。
それがとある事件の折にレオーネの目に留まり、あっという間に妃に迎えたとのことだ。
それまで一切の女性を寄せつけず政務ばかりに邁進していたというレオーネも彼女のこういうところを気に入ったのだろうか。
そんなことを考えながら彼女を見ているとついアリスティアのことを思い出してしまう。
境遇こそ少し違えど、本来なら決して手の届かないところから王族の寵愛を受けたもの。
「マリアベルさん、私と話していて大丈夫ですか? 楽しいと思ってくださってますか?」
と、失礼と思いながらも彼女と目の前の皇妃を重ねて見ていた時、皇妃が心配そうに声をかけてきた。
彼女の気遣いにマリアベルはハッとして頷く。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。笑顔が苦手なものでこのような顔ですが、わたくしも皇妃様とお話させていただくのはとても楽しいです。皇妃様こそこんなわたくしとお話していて楽しめていらっしゃるでしょうか?」
「笑顔が苦手なのはうちの陛下も同じですから、そんなに気にしないでください。それより……その、何て言ったらいいかな。私、ほら、元が女官だからマリアベルさんは話していて不快に思ってませんか? 少し噂で小耳に挟んだのですが、少し境遇が似ていると申しますか……そうなってしまった場合の未来を突きつけられてる思いをされてないかと……」
「そんな……とんでもございません」
そこまで言われてマリアベルは彼女が何を気遣ってくれているのか気がついて、慌てて首を振った。
同時に少しでも目の前の皇妃とアリスティアを重ねてしまったことを恥じた。境遇こそ似ているかもしれないが、彼女はアリスティアとは似ても似つかないというのに。
「いらぬ気遣いをさせてしまい申し訳ありません、皇妃様」
「いえいえ、マリアベルさんが不快じゃなかったらいいんです」
マリアベルの謝罪に皇妃は手を振って応える。
それから彼女は少し悩むような表情をした後にこう口を開いた。
「……もし不快でなかったなら、その方のことについて聞いてもよろしいですか? とうに失われてしまった魔法を扱う少女が現れたと我が国も沸き立っておりまして、私も気になっていたんです」
「そうでしたか……彼女の存在は国を超えて騒がせているのですね」
問う皇妃にマリアベルはそう頷いた。
そうして自分の知る限りのことをアリスティアのことを彼女に聞かせる。
できる限り自分の主観は省き、客観的な事実だけを語ることを注意深く心がけた。そうでもしないとすぐに自分の中にある悪意がアリスティアを貶めそうになったからだ。
「……なるほど」
マリアベルの話を聞いて、皇妃が鷹揚に頷いた。
「……マリアベルさんはもしかしなくても、ものすごく良い子ですね?」
「……え?」
「お話を聞いててそう思ったんです。自分の婚約者とあまりに親密な女性のことなら悪く言ってもおかしくないのに、悪く聞こえないようにすごく配慮してお話していたでしょう?」
皇妃の言葉にマリアベルはなんと答えて良いかわからずに押し黙る。
アリスティアの話をしてそう評価されるとは思ってもいなかった。
「ごめんなさい、彼女のことをあなたに聞くなんて無配慮が過ぎました。他の話題にしましょう」
「あ、いえ……」
皇妃の気遣いに戸惑って彼女をじっと見つめると、皇妃はすでに顎に手を当てて他の話題について考え込んでいた。
「……皇妃様、ここは日差しが暑いでしょう。そろそろ飲み物などいかがでしょうか? エステリアス王国は気候が穏やかなので果物が美味しく実るんです。ぜひ召し上がっていただきたい果物ジュースがあるのですが」
「え、本当? じゃあそれをいただきに参りましょう。楽しみだわ」
「お口に合うとよいのですが」
そうしてマリアベルは皇女と共にバルコニーを後にする。
「……マリアベルさん」
と、その時ふと皇女がぽつりと呟くようにマリアベルのことを呼んだ。
皇女をエスコートしていたマリアベルは何事かと振り返れば、彼女はそれを口にするかしまいかを悩むような顔をした後、やがて首を横に振って笑顔を向けた。
「……いえ、貴女が優しく素敵な人だと知れて良かったです」
「お褒めいただき光栄です」
皇妃の言葉にマリアベルは淑女の礼で応えた。
・ ・ ・ ・ ・
そうしてアルフレッド不在でもなんとか謝肉祭をつつがなく終えたその日の夜のことだ。
自宅へと戻って明日のスケジュールを確認していたマリアベルの元に王宮の兵が火急の参内の令を持ってきた。
彼らのまるで罪人を扱うような姿勢には疑問を感じたが、マリアベルはすぐさま身支度を整えて彼らに応じた。
そうして登城したマリアベルを待ち受けていたのは、
「……見損なったぞ、マリアベル・クロフォード」
静かな怒りをたたえた冷たい瞳をしたアルフレッドだった。
アルフレッドだけではない。
アルフレッドの隣のヴォルテールも怒りを滲ませた形相でマリアベルを睨みつけ、彼とは反対側に立つケイネスも感情を表に出さないように固い表情を浮かべている。
「……何のことでしょうか」
「とぼけないでください!」
彼らに睨まれる心当たりがなくて問い返せば、ヴォルテールが怒りに任せてテーブルを叩いた。
「もう調べはついているんです、貴女がならずものを雇いアリスティアを襲わせようとしたことは!」
「心当たりはございませんが」
ヴォルテールの言葉にマリアベルは軽く眉をひそめた。
今日の昼下がり頃、祭りで賑わう街中でひと騒動があったことだけは聞いている。だがどういう騒動かだったまではまだ噂にのぼっていない。
マリアベルは侯爵家のものとはいえ一令嬢。警備兵でないのだから噂以上のことは何ひとつ知らないのだ。
「まずは何があって、どうしてそういう考えに至ったのか伺ってもよろしいでしょうか?」
「本日の午後二時から三時ごろのことだ」
マリアベルの淡々とした質問にカッとして口を開いたヴォルテールより先んじてケイネスが口を開く。
静かだがよく通る彼の声にタイミングを逸されたヴォルテールが奥歯を噛み締めて言葉を飲み込むのを横目に、マリアベルはケイネスの説明を聞く。
「謝肉祭で賑わう街中でアリスティア・テレーズ男爵令嬢がならずものに誘拐されるという事件が起きた。幸い彼女はすぐに救出されて大事には至らなかったものの、一歩間違えば令嬢として……女性としての尊厳を奪われるやもしれない事態だった」
「なるほど、それは一大事ですね」
世間を騒がせている月の愛し子の誘拐事件。それだけでもインパクトは大きいが、それよりも王室として憂慮するのはおそらくらその場にアルフレッドがいて、その目の前で誘拐事件が起こったことだろう。
王太子が、そしてその護衛が側にいながらなんたる失態。ましてやほんの少し彼らの意図が変わっていれば王太子殺害事件になっていたやもしれない。
だからこそ世間が騒ぎ出す前にこの事件の決着をつけるべく急いでいるわけだ。
「では何故わたくしは疑われているのでしょう?」
「……ケイティという使用人を覚えているか」
「クロフォード侯爵家に仕えている、わたくし付きの侍女でしたね。昨日から姿を見ておりませんが」
「彼女は今朝方用水路に浮かんでいるのが発見された」
ケイネスの言葉にマリアベルは小さく息を呑んだ。
クロフォード侯爵家の使用人は入れ替わりが激しい。女主人である継母が少しでも気に食わなければすぐに解雇してしまうからだ。だからケイティの姿が見えなくても不審には思わなかった。
てっきりマリアベルの預かり知らぬところで些細な粗相を咎められてその場で追い出されたのだと思っていたのに、まさかそんなことになっていたなんて。
「テレーズ男爵誘拐事件の捜査で彼女がならずものにテレーズ男爵令嬢を襲う依頼をしたことがわかっている。発見当時は事故か自殺か判別つかなかったが……その件を鑑みるとケイティは口封じのために殺害された可能性が極めて高い」
「……なるほど、それならわたくしが疑われるのは道理ですね」
「やったことを認めるのか」
納得して頷いたマリアベルをアルフレッドが重々しく口を開く。
自分を鋭く睨みつける目を真っ直ぐと見返してマリアベルは静かに口を開いた。
「わたくしはやっておりません。ですが潔白を証明することもできません」
まるで他人事のように言葉が出てくる。
聞いた限り、決定的な証拠はない。だが状況はマリアベルを指し示している。
そしてマリアベルはそれに反論するだけのものを持っていない。
おそらく時間をかければあるいは打開策が見つかるかもしれない。けれどもこの事件は先も述べたように解決を急がれている。
なればもう王室はこの事件をマリアベルが犯人と決め打ちし、よほどの証拠が見つからない限りはこれ以上の調査をすることはないだろう。
マリアベルはそこまで考えて、さらに続けた。
「もはやこの事件、わたくしが声高に潔白を叫んだところでわたくしに下される沙汰は変わらないのでしょう? でしたらわたくしはもう下がらせていただきます。おそらくあの家を出ることになるでしょうから、荷物を纏めなくてはなりません」
「いい加減にしろよ。何で貴女はそんなに冷静なんだ」
今まで怒りに肩を震わせていたヴォルテールが低く唸りを上げた。
怒りの滲む声は実に剣呑だ。
「状況をわかってるのか? 貴女は今誘拐事件の首謀者だって疑いをかけられてる! それを釈明するわけでもなく、他人事のように……頭おかしいんじゃないのか!? それとも……観念して受け入れているだけなのか!?」
「……………それではアルフレッド様、御前を失礼いたします」
そうしてマリアベルは立ち上がると三人に向かって優雅に一礼をしてこの部屋を後にしようとする。
ヴォルテールが「待て!」と喚いたがケイネスに止められている。
そんな様子を尻目に、マリアベルは部屋を出る直前にアルフレッドをちらりと盗み見た。
彼はじっと正面だけを睨みつけて、マリアベルを振り返ろうとはしなかった。
こちらを見ることのない不機嫌な横顔にちくりと胸を痛ませて、マリアベルはこの部屋を出た。
みっともなく取り乱せばよかったのだろうか。
やってないと声高に叫んで縋りつけばよかったのだろうか。
本当はきっとそうするべきだったのだろう。
けれども長い間の侯爵令嬢として培った経験が、王太子妃として叩き込まれた教育がマリアベルを縛りつけていた。
こういう時に決して見苦しく取り乱すことは許されず、たとえ自身に疵をつけても王室の益になることを選び従わねばならない。
と、暗い気持ちで部屋の外へと出た時、ふと視線を感じて振り返った。
「……マリアベルさん……」
見ればそこに騎士団期待の新人と魔導院の若き天才を侍らせるように立ったアリスティアの姿がある。
彼女は怯えながらも自分を必死に奮い立たせてこの場に立っている、といった表情でマリアベルを見つめていた。
「どうして……どうしてこんなひどいことをしたんですか?」
アリスティアの問いかけにマリアベルは沈黙を返す。
「こんなことをしても何にもならないのに……貴女が不幸になるだけなのに」
うっすらと涙を浮かべて告げるアリスティアをマリアベルはただ無感情のままに眺める。
騎士と天才は自らを陥れようとした容疑者のために綺麗な涙を流すアリスティアに魅せられて言葉もなく彼女を見つめていた。
とんだ茶番の道化に仕立て上げられたものだ。
おそらく先ほどの場に彼女を同席させなかったのはアルフレッドたちの配慮だ。
容疑者を逆上させないため。被害者をこれ以上怯えさせないため。様々な思惑はあるだろうが、間違いなくマリアベルとアリスティアのためを慮った措置を台無しにして、彼女が男を伴って現れたのは間違いなくマリアベルに見せつけるためなのだろう。
お前は負けたのだ、と。
これが容疑者を逆上させるだけの行為と気が回らないだけの女がしでかした無神経な行動と思えなくもないが、それでもマリアベルは彼女の行動はわざとなのだろうという妙な確信があった。
マリアベルはうんざりとアリスティアを見た後、無言のまま彼女へと背を向けた。
マリアベルの心はひどく冷えて、もうすっかりと疲れてしまった。
マリアベルが立ち去るまで、アリスティアはずっと茶番の涙をし続けていた。




