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GRAY_GHOST  作者: 竜王零式
3/8

仮想空域の支配者




 ポッドの液面が下がり、白く短い髪が透明な肌に張り付いていく。プシュー。減圧音とともに強化ガラスが開く。嗅ぎ慣れない薬品の匂いが鼻をつく。

 長いまつ毛がほのかに揺れ、まぶたが開く。ぱちりとしたアメジストの瞳が、焦点のないまま虚空を切り取る。

 息が詰まるほど硬質な輝き。それが自分に向けられる一歩手前で、紀彰はさっと視線をそらした。

 ポッドの中の少女――【コードΦ(ファイ)】は、ゆっくりと上半身を起こした。

「……誰?」

 紀彰は舌打ちを堪えた。忌々しいことに声まで同じだ。

 ひとつ深呼吸してから、紀彰は告げた。

「あー。瀬田紀彰だ。今日からおまえの教官をやることになった」

 コードΦは無表情に、かたわらの羽柴実に視線を移す。

「聞いたとおりだ。これからはその少年がおまえの上官だ、コードΦ」

「ミノリはお役御免?」

「違うな、出世というやつだ」

「ふーん。おめでと」

 少女は興味なさげに淡々と応じ、ポッドから起き上がって紀彰の正面に立った。

「少年に見えない」

「大きなお世話だ。フケ顔で悪かったな」

「違う、背丈がおっきいから」

 コードΦは精一杯背伸びをしながら、己の頭頂から手のひらをスライドさせた。どうやら、背丈はヒカルのほうがやや上らしい。

「遊んでないで早く着替えろ、コードΦ。訓練の時間だ」

 羽柴が苛立たしげに告げると、コードΦは紀彰の制服の袖をつまんで言った。

「わたしの上官はこの人」

「……は?」

「ミノリの心拍は不快。波形が乱れてるから」

 コードΦは平然と言い放ち、紀彰を見上げた。

「その点、ノリアキはいい。心音が一定で落ち着く……死んだ魚みたい」

「死んだ魚は心臓止まってるだろ……」

 紀彰が呆れてツッコミを入れると、コードΦはわずかに口角を上げた。どうやら、冗談を言う知能スペックはあるらしい。

「……準備してくれコードΦ。まずはシミュレータで、おまえの腕前を見たい」

 コードΦはびしっと敬礼した。

「イエス、サー。コードΦはこれからシミュレータの準備をします」

 更衣室だろうか。奥に引っ込んでいく少女の背を見つめつつ、紀彰はため息を吐いた。

「大丈夫なんですか、あれ?」

「大丈夫じゃないから貴様に頼んでいる。くれぐれもよろしく頼むぞ」

 羽柴は吐き捨てた。紀彰は引きつった笑みを返すしかなかった。

 軍の筐体は、一般のものより一回り――いや、三回りは大きかった。体感機構に凝った作りなのだろう。

 乗り込んだコードΦが、監視モニターの中で手際よく起動シーケンスを踏んでいく。

「準備できたよ、ノリアキ!」

 元気の良い通信が入る。電子マニュアルを確認しつつ、紀彰は言った。

「NGだ、コードΦ。【給霊接続パワーリンク】の確認手順をすっ飛ばすな、最初からやり直せ」

「シミュレータだから給霊接続パワーリンクは必要ない」

「省略がクセになるのが問題なんだ。実機でやったら胸が裂けるぞ」

「……ほんとに?」

「ほんとだ、二度と経験したくない。やり直せ、コードΦ」

 ごくり、とコードΦは喉を鳴らした。

「……イエス、サー。コードΦは起動シーケンスをやり直します」


   ◇


 ターゲット補助システムが作動するよリも早く、頼子はトリガーを引き絞っていた。

 ズドン!!  爆音。視界を埋める閃光。

 全周囲モニターの中で、敵機が火球へと変わる。

『戦闘終了。勝者:島津頼子』

 無機質なアナウンスが響くのと同時、ギャラリーからどよめきが爆発した。

「マジかよ、あの葛城さんが手も足も出ないなんて……」

「おい見たか今の反応。本当に新入生かよあれ」

 外野の喧騒を遮断するように、頼子は深く息を吐き出した。

「参ったな。まさか一本取られるとは」

 対戦相手の筐体から出てきたのは、機動科三年のエース葛城だ。学内ランキング三位の実力者が、苦笑いを浮かべて頭をかいている。

「動きに迷いがない。教本通りの機動操作マニューバを、極限の速度で叩き込まれた気分だ」

「ありがとうございました」

 島津頼子は短く礼をし、汗を拭った。

 確かに勝った。それも上級生のトップランカー相手に被弾ゼロでの勝利。

 だが頼子の表情は晴れない。

(……遅い)

 握りしめた拳を見る。

(反応が全然遅い。彼なら、今の局面でもっと鋭く踏み込めたはず)

「物足りないって面だな、島津」

 やや呆れたように葛城。頼子は上級生の大男を見上げ、こう返した。

「私はもっと強くならないといけないんです」

 葛城は一瞬、険しい表情を作った。だがそれはすぐに解け、人の良い笑顔に変わる。

「まあ気持ちはわかるが、おまえは十分強いし、実機訓練もまだなんだ。あれこれ悩むのはそれからでも遅くない」

(そうじゃない)

 悩みなどない。たどり着くべき場所は決まっている。ただそれが、途方もなく遠い。

 言葉にならないもどかしさを呑み込み、頼子は告げた。

「葛城先輩。もう一本お願いします」

「……いいだろう、上級生の意地ってもんを見せてやる」

 頼子は一礼し、ふたたび筐体に滑り込んだ。


   ◇


『目標全消失。任務達成、各種数値正常オールグリーン

 電子音声が鳴り響くと同時に、シミュレータの画面に「作戦目標達成」の文字が踊った。敵機五体に対し、被弾ゼロ。タイムも学内レコードに迫る好成績だ。

「……ふう。これでいい?」

 通信機から、退屈そうなコードΦの声が聞こえてくる。モニターの中で、彼女の操る機体は、教本のような待機姿勢をとっていた。

「悪くない。いや、上出来だ」

 紀彰はコンソールに表示されたデータを指で弾いた。

「基本操作、索敵手順、出力配分……すべてが完璧だ。無駄がなさすぎるくらいだ」

『当然。わたしは過去の全エースパイロットの戦闘データを学習してる』

 モニターの向こうで、コードΦが得意げに胸を張った。

 紀彰は素早に感心していた。反応速度、判断力、どれをとっても新人離れしている。これなら、今すぐにでも前線に出せるレベルだろう。

「基本は出来てますね。しかも完成されてる。教官なんて必要ないんじゃありませんか?」

 紀彰が振り返ると、羽柴教官は腕を組んだまま、冷ややかな視線をモニターに向けていた。

「……いや。ここからだ」

 羽柴が身を乗り出し、外部コンソールの設定変更のキーを叩く。

「え?」

 画面上の警告灯が一斉に赤く染まった。

『警告。出力レベル規定外。現在300%』

「いきなり出力300%? そんなに上げて大丈夫なんですか」

 羽柴は鼻で笑い飛ばした。

「これでもまだヌルいくらいだ。こいつがファントムで全力を出せば、500%は下回らん」

 その時、通信機からコードΦの悲鳴にも似た声が響いた。

『……出力制御がきかない! 勝手に上がる……!』

「無駄だコードΦ、今こちらで固定した。敵配置、【スパロー級】、数は二十。……見せてみろ、おまえの本当の性能を」

 羽柴が無慈悲に告げる。シミュレータ内の空間に、無数のエネミーが出現した。

「くっ……! 数が増えたって、やることは同じ……!」

 コードΦが操縦桿を倒す。だが――。

『きゃあっ!?』

 画面の中の機体は、コードΦが操縦桿を戻すよりも早く、猛烈な速度で跳ねた。狙いは敵機だったはずだ。だが、機体は敵を通り越し、はるか後方のビルに激突して自壊した。

『速すぎる、目が追いつかない!』

 紀彰は舌打ちした。

「目で追うな、予測しろ! 先読みして動かせ!」

『先読みなんて無理、そもそも思い通りに動かない!』

 そこからは、惨劇だった。

 出力300%の機体は、コードΦの操作を「過剰な入力」として拾ってしまう。旋回しようとすればコマのように回転。前に出ようとすれば瞬間的に加速し、止める間もなく壁に突き刺さる。

 先程までの華麗なダンスは見る影もない。まるで暴れ馬に振り回される子供のようだった。

『止まらない……! わたしの言うことを聞けえええッ!』

 ドゴォォォォン……!  本日五度目の爆散。

『任務失敗』の文字が、赤く点滅する。

「……ご覧の有様だ」

 羽柴がつまらなそうに肩をすくめた。筐体の中からは、体感機構による乗り物酔いとショックでぐったりしたコードΦの呻き声が聞こえる。

「コードΦのスペックは最強だ。だが、それはあくまで理論値だ。やつの技能は通常の機動兵器のレベルで最適化されすぎている」

「……なるほど、よくわかりました」

 紀彰は、画面の中で燻る機体の残骸を見つめた。

「一般の優良ドライバーをF1チャンプに仕立てるのが、おれの仕事ですか」

「理解が早くて助かる。期限は一ヶ月だ。それを過ぎれば――」

 羽柴はいったん言葉を止め、自嘲するかのごとく首を振った。

「いや、何でもない。とにかく頼んだぞ」

 羽柴はそう言い残し、足音高く部屋を出ていった。残されたのは、沈黙するシミュレータ室と、筐体から這い出してきたコードΦの、青ざめた顔だけだった。

「……うぇ、気持ち悪い……」

「最初の威勢はどこへいった」

「うるさい……あんな出力じゃ無理。機体が全然思い通りに動いてくれない」

 紀彰は差し出した手を引っ込め、ため息混じりに頭をかいた。

「思い通りに動かないから機械っていうんだ。でも操作が的確ならちゃんと答えてくれる。精進だな」

「それなら、あなたがやってみるといい」

 恨めしそうな目で、コードΦ。なかなかどうして。表情豊かな少女だ。紀彰は思わず笑った。

「ああ、そうだな。言葉で説明するのは難しい」

 無造作にコードΦの横を通り過ぎ、開いたままのコクピットに足をかけた。

「……え?」

「どいてろ。百聞は一見にしかずだ」

 紀彰は慣れた手付きでシートに滑り込み、ハッチを閉じた。久しぶりの感触。だが、体は配置を忘れていない。

「設定変更。機体出力、500%」

 紀彰がインカム越しに告げると、外にいるコードΦが目を見開いた。

「……正気? 300でも制御不能だったのに、500なんて自殺行為」

「黙って見てろ。敵機設定、最大数。ランダム出現」

 紀彰はコンソールのキーを叩き、スタート・シーケンスを強引に叩き込んだ。

『作戦行動開始』

 電子音声が告げるのと同時、全周囲モニターが戦場へと切り替わる。目の前には、空を埋め尽くすエネミーの群れ。

(懐かしいな、この「軽さ」)

 出力500%。

 ジェネレータが唸り、コクピットが振動する。だが紀彰にとってこれは『暴れ馬』ではない。もっと無茶な出力の改造機を動かしたこともあるし、やり合ったこともある。

「――行くぞ」

 瞬間。

 コードΦの視界から、紀彰の機体が消えた。

「えっ……!?」

 違う、消えたのではない。速すぎるのだ。初速からトップスピードへの到達時間がゼロに近い。まるで映像のフレームを「中抜き」したかのような挙動。

 ドォォォォォン!!

 初動の衝撃波が響いた時には、すでに敵機が三機、火の玉に変わっていた。

「な、なに……これ……?」

 絶句。

 モニターの機体は加速という概念を置き去りにし、戦場を跳弾ちょうだんのように跳ね回る。

 旋回というにはあまりに鋭角。制動というにはあまりに暴力的。

「八、九、十……え? 十五?」

 カウントが追いつかない。閃光が奔るたびに、エネミーがゴミのように墜ちていく。それは戦闘ではなく蹂躙じゅうりんだった。

 ――いや。何かもっと別の、圧倒的な物理現象とでも呼ぶべきもの。

『目標全消失。任務達成、各種数値正常オールグリーン

 アナウンスとともにスコアに表示された時間レコードは『00:28.55』。

 二十九秒。

 最大数――およそ五十機の敵をわずか三十秒以内に殲滅。被弾はゼロ。

 速度がどうとか出力がどうとかいう問題じゃない。まさしく怪物の所業だった。

 プシュー、と減圧音が響き、ハッチが開く。中から出てきた紀彰は、軽く首を鳴らした。

「ま、こんなもんだ。言葉で説明するより早かったろ?」

 紀彰は事もなげに言うと、缶コーヒーのプルタブを開けた。

「……」

 コードΦは言葉を失っていた。ポカンと口を開け、信じられないものを見る目で紀彰を見つめている。データベースの検索結果が、エラーを吐き続けているような顔だ。

「…………バグ」

「あん?」

「バグってる……人間じゃない……死んだ魚じゃなくて、深海魚モンスター……」

 コードΦはふらふらと後ずさり、へたり込んだ。

「あんなの……教本に載ってない……」

 その呟きを聞いて、紀彰は肩をすくめた。

「当たり前だ、教本通りじゃランクマッチで勝てん」

 元王者はコーヒーを一気に飲み干し、空き缶をゴミ箱に投げ入れた。

「おまえの課題はそこだ、コードΦ。お手本通りの手順にこだわり過ぎる。いいか、戦闘ってのは思い通りにならなくて当然だ。そのたびに止まってちゃ話にならない」

「じゃあどうすればいいの?」

 紀彰はニヤリと笑った。

「それをこれからみっちり叩き込んでやる。さあ、立てよコードΦ。休憩時間は終わりだ。せめてさっきのミッションはクリアしてみせろ。それまでは帰れんと思え」

「……わたしの住まいはここだけど」

 がくり、と紀彰の肩が落ちた。

「そう言えばそうだった……つまりおれが帰れないってことじゃ……」

「ぷっ」

 コードΦは吹き出し、紀彰の肩をばしばし叩きながらこういう。

「許可する。わたしがノリアキを追い抜いたあとも、ずっとここにいていい」

 不意に目が合ってしまった。あのアメジスト色と。

 そこにあったのはヒカルと同じ、活き活きとした笑顔だ。冷たい人型兵器などではなく、温かな血の通った人間。そんなことは最初からわかっていた。

 紀彰はふと笑った。

「名前はないのか? コードΦ、とかじゃなくて」

「……ないけど?」

「そのままじゃ呼びづらい。アカリ、って呼んでいいか」

 しん、としたハンガー内で、それはとてもハッキリと耳に届く。

「……アカリ。なんでその名前?」

「明かりが必要だろ。ここは少し暗いからな」

「ふぅん」

 アカリはくるりと背を向け、小さく頷いて、もう一度だけ言い直す。

「……アカリ」

 その時だった。

『緊急警報。敵性反応接近中』

 けたたましいサイレンがハンガーに叩きつけられ、照明が赤に染まった。

 白い少女はただ戸惑い。

 少年は険しい顔で、灰色の機体を見上げていた。


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