ヒロインとスクラップ
『警告。ロックオン感知』
ヘッドセット越しに響く軍規格の警告音が、鼓膜を突き抜け脳髄を叩く。
視界を埋め尽くすアラートの赤。
コンマ数秒前まで真正面にいた敵影は、いまや全周囲モニターのどこにも映っていない。
「——チッ、後ろ?」
島津頼子は、汗ばんだ手で操縦桿を叩き込んだ。
彼女が駆る高機動機『ウィンドスレイヤー』は、ペダルを踏み込む足の動きに呼応し急旋回する。
だが遅い。そこにはもう何もいない。アラートは未だ鳴り止まない。
「動きが止まらない……何なのコイツ!」
スロットルレバーを押し込む左手が、疑似反動で痺れる。音声チャットから、味方の悲鳴が飛び込んでくる。
『おい嘘だろ、敵の増援「NOA」だ!』
『NOAだって!? オンライン不動のチャンプが、なんでこんなローカル戦にいるんだよ!?』
絶望に染まる通信に、頼子は奥歯を噛みしめた。
「……舐めるな、私だって!」
アラートは続く。被弾はもう避けられない。だが、ただで墜ちる気はない。
頼子の左手が、レバーを最奥まで押し込んだ。同時に機体を揺さぶる被弾の衝撃。視界の端で、敵機のマーカーが浮かび上がる。
「捉えた、そこだ!」
被弾ログに構うことなく、そのまま推力全開。
狙うは敵機が切り返す一瞬。タイミングは完璧だった。
しかし――敵の機体は、まるで重力を無視したかのような挙動で、逆にこちらに突っ込んできた。最後に視界を埋めたのは、ギラリと光る銃剣だった。
「なっ——!?」
途端、視界がノイズに覆われる。
『敗北:致命的損傷』
モニターに表示された無機質な文字列に、黒髪の少女——頼子は呆然と息を吐く。
プシュー、と油圧音と共に筐体のハッチが開き、ゲームセンターの喧騒が戻ってきた。
軍の主力兵器【A.M.H(Advanced Maneuver Harness)】。
通称【天羽衣】。
そのパイロットの育成と啓発のため、一般に開放された軍公認のシミュレータ・ゲームは、今日も多くのプレイヤーで賑わっている。
だがその賑いも、今の頼子には遠い。彼女はリザルト画面を睨みつけ、バン! と筐体を叩き、外に出た。
「ありえない、いまの機動は何!? あんな動きどうやって……!」
ふと、隣の筐体に目が止まる。ちょうどハッチが開き、中から一人の、上背のある少年が出てきたからだ。
ボサボサの髪。気だるげだが凶悪な四白眼。手には飲み残しの缶コーヒー。少年はそれを一気に飲み干し、ノールックでゴミ箱に投げ入れた。そしてあくびを噛み殺しながら通路を歩き去っていく。
開けっ放しのハッチから、筐体内部のメインモニターが視界に入った。そこには『戦果筆頭:NOA』の文字とともに信じ難いスコアの羅列。
「あいつがNOA!?」
頼子は慌てて後を追った。だがその背中はすでに人混みの向こうに埋もれてしまっていた。
落胆してゲームセンターに戻ると、空いたままのハッチから再びモニターの表示に目がいく。映し出されていたのは、プレイ中一度もまともに捉えられなかった機体。
「……は?」
頼子の表情が凍りつく。それは旧式の低性能機「ファストウィンド」だった。出力も運動性能も、頼子の「ウィンドスレイヤー」の半分程度しかない。
「——ッ、ふざけないでよ……!」
頼子は拳を握りしめ、モニターを睨みつけていた。
◇
半年後、皇暦二六五二年。桜が舞う四月。
ここは横須賀学園基地。
全国八つの学園基地の頂点。最も高い倍率を突破してきた学徒たちが集う講堂で、新年度の入学式が執り行われていた。
「諸君らは選ばれた。人類を守る盾となり、敵を穿つ矛となるために――」
壇上で淀みなく演説するのは、学徒会長の皆木結弦。その言葉に【機動科】新入生一同は背筋を伸ばした。
島津頼子も例外ではない。人類の宿敵【エネミー】を撃滅する。そのためにここに来た。
ところが頼子の視線は壇上ではなく、隣の列――【整備科】の最後尾に釘付けだった。そこに「彼」を見つけたからだ。ボサボサの髪に四白眼、特徴的な凶相で背の高い少年。
間違いない。NOAだ。
(まさか同学年だったなんてね)
運命、という言葉が脳裏にチラつく。
「ふわぁ……」
そんな強烈な視線に晒されながらも、彼は大あくびをしていた。いや、それどころか配布された式次第で紙飛行機を折っていた。
(入学式の最中に何て事してるの……!)
ハラハラと見守る頼子をよそに、紙飛行機はすぐに解体され、鶴に生まれ変わった。見事な手際だった。しかしその後、さらに兜に折り直されたところで、見回りの教官に拳骨のうえ没収された。紙の兜は何ら防御力を発揮しなかったらしい。
そうこうしているうちに式は終わった。頼子は待ちかねたように人波をかき分け、NOAに詰め寄った。
ちらりと胸元の名札を確認し読み上げる。
「初めまして、瀬田紀彰くん。私の自己紹介は必要?」
自販機でコーヒーを買おうとしていたNOA——紀彰は、いかにも面倒くさそうに振り向いた。
「いいや。機動試験過去最高得点のスーパーエースさまが何の用だ?」
「単刀直入に聞くわ、NOA。どうしてあなたが整備科にいるの?」
紀彰は軽く目を細めた。頼子にとっては十分な反応だ。
「誰かと間違ってないか?」
「誤魔化さないで」
頼子は断じた。この顔を忘れるはずがない。缶コーヒーの銘柄まで一緒だ。
「もう一度聞くわ、NOA。オンラインの不動のチャンプが、どうして機動科じゃないの?」
頼子の瞳には純粋な怒りと焦燥があった。追い続けてきた目標、エネミーを撃滅できるはずの天才が、いつの間にか舞台を降りている。こんな馬鹿な話はない。
対する紀彰は、プシュ、と缶のプルタブを開けて、平然と言い放つ。
「厳正な審査の結果だろ。おれには適性がなかった。文句があるなら学園側に言えよ」
「あなたに適性がない? そんなわけないじゃない!」
食い下がろうとする頼子を制したのは、涼やかな声だった。
「探したよ島津くん。ちょっといいかな」
学徒会長の皆木結弦だ。その一瞬の隙を見逃さず、紀彰は「じゃあな」と雑踏の中へ消えた。
「ちょっと……!」
「いまのは……友達かい?」
皆木の問いに、頼子は紀彰が消えた方角を睨みつけたまま答えた。
「いいえ。ライバルです」
◇
オイルと鉄の匂いがする実習室で、長身の女性教官が教壇に上がった。
「ようこそ、残りカス諸君」
整備科一年甲組担任教官、羽柴実は、開口一番そう言い放った。ざわつく教室内。だが羽柴の冷徹な視線が一巡すると、その場は凍りついたように静まり返った。
「まず諸君らがなぜここにいるか説明しておこう。機動科や【砲兵科】でないのは、霊力兵器に供給する【霊力】が足りなかったからだ。【戦術科】でないのは思考力が足りないから、【歩兵科】でないのは体力もないからだ」
羽柴教官の冷淡な声が実習室の隅々まで響き渡る。
「まさしく役立たずの残りカスというわけだ。だがそのおかげで、これから三年間は皇国臣民の血税で食っていけるぞ。まずはその幸運に感謝したまえ」
ギシリ、と椅子の軋む音が散発する。それきり、昼休みのチャイムが鳴るまで、実習室内で学徒の声はなかった。
場所は変わって食堂だ。ふたりの整備科学徒が向かい合っている。
「役立たず、っていうがよ」
山盛りの定食を頬張りながら、紀彰は言った。
「機動科やら砲兵科やらに回されたら、下手すりゃ初年度から前線送りなんだろ? 平和でいいと思うがな、整備科」
「ぼくらの世代はどうせ長生きできないからね。環境汚染やらホルモン異常やらで」
向かいに座る少年、桐生ヒカルが穏やかに笑う。色素の抜けた白い肌と髪、その紫色の瞳。そして整った美貌。人目を引く要素に事欠かない。
「どうせなら華々しく戦って……ってのはあるんじゃない?」
「そんなもんかねえ」
紀彰は興味なさそうに肉を飲み込む。
「なんだおまえ、食欲ないのか?」
「そういうわけじゃないんだけど……人が多いと落ち着かなくて」
「こんなガラガラなのにか?」
紀彰は大げさに両手を広げた。
賑わう学食の一角で、ふたりの周囲だけがぽっかりと空いている。さながら緩衝地帯だ。集まるのは好奇の視線だけで、席は埋まらない。
不意にヒカルは吹き出した。
「……うん。紀彰って不思議だね」
「何が?」
「〝人間プラント計画〟のことは知ってるよね?」
「一時期騒がれてたからな。ワイドショーなんてそれ一色だったし」
「ぼくがその実験体だっていうのは?」
「きのう寮で話してたろ。さすがに忘れねえって」
ヒカルは満面の笑みを浮かべた。儚さと無邪気さが混ざったような、不思議な輝きがある。
「うん、やっぱり変わってるね」
「おまえほどじゃないと思うけどな」
「まあ見た目はね。それよりさ――」
カツン、とローファーが床を叩いた。
「ご一緒してもいい?」
ふたりの会話を遮ったのは、ピリッとした機動科の制服――島津頼子だ。両手を後手に組み、直立不動で紀彰を見下ろしている。
「ぼくは構わないけど、紀彰は?」
「おれは嫌だね」
拒絶を無視するように、頼子はヒカルに向かって丁寧にお辞儀をした。
「機動科一年の島津頼子です。あなたは?」
「過去最高得点!」
ヒカルは弾かれたように立ち上がり、目を輝かせて手を差し出した。
「整備科一年甲組の桐生ヒカルです。よろしくね、島津さん!」
「え、ええ……」
その勢いに押されつつ握手を交わす頼子。
「紀彰、島津さんと友だちなの? 羨ましいな」
「違う。こいつとは今日が初対面」
「初対面? 私はあなたを一日だって忘れたことない」
平行線の会話に、ヒカルはおずおずと手を挙げた。
「えーと……ぼくってお邪魔?」
席を動こうとしたヒカルの腕を、紀彰がガシッと掴む。
「邪魔じゃない。必要だ。ここにいろ」
「う、うん」
顔を赤らめて座り直すヒカル。頼子は構わず紀彰の隣に腰を下ろした。
「入学試験の結果を調べたわ」
そして一枚の紙切れを取り出す。
「【霊力】測定不可のため機動試験を省略。ありえない。どんな手を使って誤魔化したの?」
「言いがかりは――」
「やめて、島津さん」
ヒカルの声色が急に低くなった。
「入学試験で不正? 重罪だ」
紫の瞳が一瞬だけ周囲に向く。
「……そんな噂が立ったら、紀彰はどうなると思う? ここは人目が多すぎるよ」
周囲の視線が集まる。頼子はわずかに目を泳がせた。
「ごめんなさい、私、そういうつもりじゃ……」
項垂れる頼子と、表情の消えたヒカル。ふたりを見比べ、紀彰は大きくため息を吐いた。
「説明してやるからついてこい。ここは目立つ」
◇
校舎裏。コントラストの強い日陰の中。
紀彰は無言でシャツの胸元をはだけた。
そこには、心臓の上を走る、醜く焼け焦げたような巨大な傷跡があった。そしてその中央――。
「――ッ」
頼子が息を飲む。
「ちょっとした事故でな。心臓が半分機械になってて、霊力機器に繋げない。霊力測定不可ってのはそういうことだ」
影を境に、世界が切り離されたように音が消えた。ヒカルも頼子も、呼吸すら殺して固まっている。
しばらくして、紀彰は沈黙を破るように付け加えた。
「おれは壊れたバッテリーだ。実機に乗れない身体なんだよ、乗りたくてもな」
壊れたバッテリー。霊力兵器に動力を供給できない。そして耐慣性システムの保護を得られない。
つまり【天羽衣《AMH》】では戦えない。絶対に。
「そんな……あなたほどのパイロットが」
「運命ってやつだな。そういうことだから諦め……」
ボタンを留め直しつつ、項垂れる頼子の顔色を見て、紀彰はぎょっとした。血の気が失せた、この世の終わりでも見たような顔をしていたからだ。
「ま、まあ、シミュレータの相手ならいくらでもしてやるよ。暇な時なら」
その声が届いたかどうかは分からない。頼子は震える拳を握りしめ、顔を上げた。
「あなたにできないら私が、あなたの分まで戦う。見てて」
それだけ言い残し、彼女は颯爽と去っていった。その背中は、先程よりも強く……いや、硬質に見えた。まるで、強く叩けば壊れそうな――。
ゴンッ!!
「んぐっ、いったぁ!」
角の向こうから、何かを強打したような音と、くぐもった悲鳴が聞こえてきた。
「あの子、大丈夫かな」
「聞かなかったことにしてやれ」
紀彰は呆れたように肩をすくめ、ヒカルを見やった。いつの間にか、憂いを帯びた紫の瞳がまっすぐこちらを見つめていた。
「紀彰は?」
紀彰は一瞬だけ息を呑み、それから笑って返した。
「気にすんな。人生いろいろあるもんだ」
ひどく爽やかな笑みだった。だからヒカルも笑みを返した。
「そっか」
とても可憐で、ごく乾いた笑みだった。
◇
放課後。紀彰は指導室に呼び出されていた。
「入れ」
重厚な扉を開けると、羽柴教官がモニターを見つめていた。画面には、破壊された市街地と、単機で暴れまわる機動兵器の映像が流れている。
『奴らを……止めろ……誰か……!』
モニターから、ノイズ混じりの絶叫が漏れる。聞き覚えがある。血まみれの手で紀彰に操縦桿を託したパイロットの声。
紀彰は目を伏せた。心臓が悲鳴を上げ、全身を焼かれるような痛みが走った。それでも操縦桿を握り続けた感触は、まだ手に残っている。
「民間人の少年が正規の手順を省略して旧式の訓練機を起動。未確認の高機動型エネミー3体を単独で撃滅」
羽柴は報告書を読み上げると、視線を移し、冷やかに紀彰を見据えた。
「驚異的な戦果だ。あの叢雲凪咲でもやるまいよ」
ふと、羽柴の視線が落ちた。紀彰の胸元、おそらく服に隠された傷跡へと。
「そのせいで入学前にスクラップとは……本当にバカなことをしたな」
「恐縮です。お陰様で伝説の英雄よりは長生きできます」
「口の減らんやつだ。まあ、わが軍は逼迫している。貴様のようなスクラップでも遊ばせておくわけにはいかん」
羽柴は立ち上がり、顎で奥の扉をしゃくった。
「ついてこい。貴様に見せたいものがある」
地下深く、特秘格納庫。
冷たい空気が支配する空間の中央に、巨大な医療用カプセルのようなポッドが鎮座していた。
紀彰はそれを見てしまったことを、ひどく後悔した。
中に一人の少女が眠っていたからだ。色素の薄い髪、整った顔立ち。その容姿はクラスメートにして寮の同室、桐生ヒカルと瓜二つだった。
「あれは【コードΦ】。人間プラント計画の唯一の成功例だ」
紀彰は舌打ちを飲み込み、視線をポッドの背後に移した。
「……それで、あのAMHは何です?」
それは灰色の巨塊だった。いくつもの照明が、その機体の全容を照らし出す。
分厚い装甲は継ぎ目だらけで、まるで無計画に継ぎ足した違法建築だ。塗装は灰色一色。紀彰の記憶にあるどの機体にも当てはまらない。
「特別機【VX―04ファントム】。あれ――コードΦにしか動かせん代物だよ」
紀彰はかすれた声で問う。
「おれに何をしろと?」
「コードΦの霊力は規格外だが、操縦技術が素人同然だ。貴様が鍛えろ、使い物になるまでな。単位の融通はしてやる」
「嫌だと言ったら?」
「構わんよ」
羽柴は事もなげに言った。
「あれが無様に死ぬだけだ」
紀彰の視線が、ポッドの中の少女と、記憶の中のヒカルの笑顔を行き来する。
胸の奥が疼く。喉が灼けるほど渇く。
それでも今。
このスクラップの身体で、守れるものがあるというなら。
紀彰は顔を歪め、吐き捨てるように言った。
「やりますよ。クソッタレが」
羽柴の頬がつり上がった。この女が初めて見せる笑顔。それはあまりに自然で、ゆえにとても凶々しかった。




