崩壊する聖域(サンクチュアリ)
『緊急警報。敵性反応接近中』
赤く染まる地下格納庫に、けたたましいサイレンが鳴り響いている。
紀彰は通信回線をハックし、地上の様子を観察していた。そこには空を埋め尽くすエネミーの大群。横須賀までは目と鼻の先だ。
「太平洋側から? 伊豆と南房総の防空網を抜いてきたってのか」
紀彰は動揺した。前代未聞だ。だが現実に起こっている。傍受する通信からは「全滅」だの「応答なし」だの不穏な単語ばかりが聞こえてくる。
「駐留してる警備兵だけじゃ焼け石に水だ。たぶん機動科の連中も――」
『総員、第一種戦闘配置。繰り返す、総員――』
「――やっぱり出るか。入学式初日に第一種かよ、クソ!」
思わずデスクを叩く。非常事態のアナウンスが、コンクリートの壁を震わせていた。
「戦闘になるの?」
コードΦ――アカリの声。驚くほど平坦な声だった。だが表情はやはりどこか硬い。
「……なるだろうな。でも安心しろ、きっとおまえの出番は――」
「問題ない」
紀彰の声をさえぎって、アカリは言った。
「もともとミノリに拾われた命。とっくに覚悟はできてる」
やはり淡々と、声だけは淡々とアカリは言った。
だらりと下げたパイロットスーツの指先は、それでもかすかに震えていた。
◇
『これは訓練ではない。繰り返す――』
無機質なアナウンスが、桜の舞う学園の空気を凍りつかせていた。
入学式を終え、新入生歓迎の華やかな空気に包まれていたキャンパスが一変する。
『総員、第一種戦闘配置。繰り返す、総員、第一種戦闘配置。これは訓練ではない。本州南岸ラインに、レベル4のエネミー群を確認――』
「おい、冗談だろ? 今日は入学式だぞ!」
「歓迎イベントのサプライズか何かか?」
「違う、先輩たちが本気で走ってる!」
式典用の制服を着崩した上級生たちが、血相を変えてハンガーへと走っていく。
その波に逆らうように、島津頼子は連絡通路の窓辺に立ち、滑走路を見下ろしていた。
「……入学初日に実戦か」
震えはなかった。むしろ、さっきのシミュレータ戦の興奮がまだ指先に残っていた。入学初日の実力テストで、三年のエース・葛城を破った記憶。
今の自分なら、実戦でも通用するかもしれない。
だがまだ正式な搭乗機体もIDもない頼子では、出撃は叶わない。
ガラスの向こう側で、カタパルトから次々に、上級生の乗る機体が射出されていく。
「頼みます先輩方……でも、すぐに私が追い抜きますから」
頼子は緊張の面持ちで、戦況モニターのあるロビーへと急いだ。
◇
薄明かりの中、羽柴実は通信機に向かっていた。
「あれを出撃させる? 正気ですか」
不快感もあらわな声。通信の向こうからはしゃがれた声が帰ってくる。
『仕方なかろう。横須賀が落ちたら元も子もない』
「一ヶ月というお約束です」
『それは温情だよ、きみ』
また別の声。呆れたような口調だ。
『この状況では四の五の言ってられん。速やかに出撃させたまえ』
再び、しゃがれた声が告げた。最終通牒。
羽柴はギリリと奥歯を噛み締め、握り込んだ右拳に左手を置いた。
「了解しました。【VX―04】、ただちに出撃させます」
羽柴は通信を切り、即座に踵を返した。
◇
ロビーの大型モニターに映し出されたのは、圧倒的な数の暴力だった。
『くそっ、なんだコイツら! どこからこんなに……!』
『散開しろ! 新入生の宿舎に近づけるな!』
通信機から、葛城の焦った声が響く。空を埋め尽くすエネミー――【スパロー級】の群れ。飛行型エネミーの中では最弱とされる存在だが、数が膨大だ。
火力も侮れない。祝砲代わりに絶望をバラまき、恐ろしく正確な連携で友軍機を追い詰めていく。
『うあぁぁぁぁ! だ、駄目だ、シールドが持たな――』
プツン。
一機の味方の識別信号が、ノイズと共に消失した。
今朝、入学式で校歌を歌っていた時には想像もしなかった「死」が、現実となって突きつけられる。
「え……?」
頼子の喉が鳴る。
死んだ? 先輩が?
ついさっき、シミュレータルームで「なかなかやるな」と笑ってくれた人が?
『ひるむな! 防衛ラインを下げるな! 新入生を守れ!』
葛城の絶叫が響く。
頼子の胸を焼けるような恥辱と焦燥が貫いた。
守られる? 私が?
私の方が強いのに!?
◇
地下特秘格納庫。
「出撃準備だ、いそげ」
羽柴の言葉に、紀彰はしばし唖然とした。アカリは平然とドリンクのストローをすすっている。
「……正気ですか? こいつの状態は知ってるでしょう」
「ああ、私は正気だ。どのみちここは保たん、私も貴様も、そいつもな」
「援軍は――」
「軍の主力は日本海側だ、間に合うと思うか」
「だからってロクに調整もないまま――」
「出撃だ、瀬田」
羽柴はもう一度告げた。
「ほかに選択肢はない。急げ、まだ命があるうちに」
紀彰は目を閉じて深呼吸し、それから言った。
「十分……いや五分だけ時間を下さい」
◇
「どうしてですか! 私も出れます!」
整備ハンガーの喧騒の中、頼子は整備班長に噛み付かんばかりの勢いで叫んでいた。まだ真新しい、プレスの効いた制服が煤で汚れるのも構わずに。
「あそこには先輩たちしかいないんでしょう!? 数が足りてないのは見ればわかります! 私を出してください!」
「馬鹿野郎! 入学初日の一年に貸す機体なんぞあるわけねえだろ! お前らのIDカードだって、まだ正規登録も済んでねえんだぞ!」
整備班長が怒鳴り返す。その目は血走っていた。
「だったら今ここで書き換えてください! 私、さっき模擬戦で葛城先輩にも勝ったんです!」
「シミュレータと実戦は違う! 実機訓練もしてないヒヨッ子が出たって邪魔なだけだ、避難シェルターへ行け!」
突き飛ばされ、頼子は尻餅をついた。周りを見渡せば、運び込まれてくる損傷機体。数時間前まで「ようこそ」と笑っていた先輩が、血まみれでストレッチャーに乗せられていく。
(違う……)
頼子は拳を握りしめ、立ち上がった。
(私は守られるためにここに来たんじゃない……戦うためにきたのよ!)
ズゥゥゥゥゥン……!
その時、今までで一番大きな振動が格納庫を襲った。天井から粉塵が、桜の花びらのようにパラパラと落ちてくる。
「な、なんだ!?」
「着弾確認! 第三防衛壁、突破されました!」
悲鳴のようなアナウンス。晴れやかな入学式の日が、人生最後の日となるかもしれない。
「……行かなきゃ」
頼子は走り出した。避難シェルターではない。
さっきまで、入学式の壇上横に展示されていた機体。あれならまだ無傷のはずだ。
「終わらせない。私の学園生活はまだ始まってない!」
歯を食いしばり、頼子は展示機のハンガーに向かって懸命に駆けた。
だが。
「そこまでだ、新入生」
ゲートを潜ろうとした頼子の背に、冷徹な声が浴びせられた。
振り返ると、そこには腕章を巻いた一人の男子生徒が立っていた。学徒会長、皆木結弦である。
「か、会長……」
「避難命令が出ているはずだ。君の居場所はここじゃない」
「でも!」
頼子はゲートの向こう、スポットライトに照らされた蒼碧の機体を指差した。
「先輩たちが死にかけてるのに、あの機体だけ無傷で飾っておくつもりですか!?」
「あれは昨年までわが校に所属していた男の専用機だ。調整がピーキーすぎて、三年のエース連中ですら音を上げたじゃじゃ馬だよ」
「私なら乗れます!」
頼子は皆木の目を真っ直ぐに見据えた。
その瞳に怯えは一切ない。あるのは渇望か。勝利、もしくは戦闘そのものへの。
「今日の模擬戦、私のデータを見てくれたはずです。私ならきっと乗りこなしてみせます!」
皆木はわずかに眉を動かした。
頭上では、爆撃の振動が止むことなく続いている。戦力は壊滅的。予備機もない。このままでは、あと十分で格納庫の隔壁が破られる。
皆木は静かに息を吐き、懐からマスターキーを取り出した。手の中で、金属の冷たさを確かめるように強く握りしめる。
「……確かに、このままではいけない」
ピッと電子音が鳴り、ゲートが開く。
「十分だ。それ以上は機体も君の身体も保たない。それでも行くかい?」
「当然です!」
頼子は制服のスカートを翻し、タラップを駆け上がった。
コクピットに滑り込むと、しん、とした空気が頼子を迎えた。オイルと鉄の臭気が充満する外とは違う、工業製品特有の「新品」の匂い。
「給霊接続、OK。島津頼子、【ナンバーゼロ】、起動!」
火が入る。頼子の霊圧に呼応し機体が振動する。シートから伝わるその感覚が、頼子の五感を研ぎ澄ませていく。
(凄い……これが実機の手応え)
不意に全身がぶるっと震えた。思わず頬が上がる。
その高揚のまま、頼子は通信回線を開いた。
「管制塔、カタパルト接続! 強制射出でお願いします!」
『あなたは……新入生!? 許可できません、そこから降りなさい!』
『出したまえ、責任は私が持つ』
『皆木会長!? ――ああもう、どうなっても知りませんよ!』
ドンッ! 背中を蹴飛ばされたようなGと共に、蒼い流星が大空へと解き放たれた。
「……くそっ、振り切れない!」
上空では、葛城の機体が三機のエネミーに背後を取られていた。回避機動は限界。ロックオンアラートが死の宣告のように鳴り響く。
(終わったか……!)
葛城が目を閉じた、その瞬間。
蒼い閃光が、葛城の機体を掠めて疾走した。
ズドン!!
葛城を狙っていたエネミーが、何が起きたのかもわからぬまま爆散する。
「な……ナンバーゼロだと? 誰が乗ってる!?」
『お待たせしました、先輩!』
通信機から聞こえてきたのは、入学したばかりの少女の明るい声だった。
「島津!? 馬鹿野郎、お前なんでここに!」
『下がっていてください。あとは私が!』
ナンバーゼロが舞う。それは戦闘機動と呼ぶにはあまりに優雅で、あまりに鋭かった。
(来る。〇・二秒後、左斜め下――)
(弾がそこを通る。だから、踏み込む)
敵の弾幕を、紙一重――数センチの間隔ですり抜けていく。
(感じる、肌に刺さる殺気。近寄る気配……後ろにも目がある感じ)
シミュレータの時には感じなかった、奇妙な高揚感。死と隣り合わせのヒリつく重圧。
それが頼子の眠っていた才能を無理やり開花させていた。
ところが。
幸か不幸か、頼子本人はまったく無自覚だった。
(これが実戦? 周りは良く見えるけど……ぜんぜん遅いじゃない)
頼子はペダルを踏み込み、操縦桿を軽く倒す。
スラスターが唸りを上げ、敵の機動をあざ笑うかのように背後へと回り込む。
『バカな……直撃コースだったはずだぞ!?』
『速すぎる、捕捉できない!』
味方の驚嘆が、頼子には遠かった。
(速すぎる……これが?)
スパロー級が必死にアフターバーナーを吹かし、回避行動をとる。だが頼子の目には、それがスローモーションのように見えた。
「……こんなものが?」
ズガガガガッ!
ナンバーゼロのセミオート連弾が、敵のコアを次々に貫いていく。
爆炎の中を突き抜けながら、頼子は吠えた。
「違う、もっと早く動け私! 彼は――NOAの世界はもっと速い!」
撃墜スコアが跳ね上がる。五機、七機、十機……。
いくら相手が最弱のスパロー級といえ、その殲滅速度は異常だった。
『前に出過ぎだ、島津! 下がれ!』
通信回線に葛城の怒号。頼子はようやく味方を振り返った。
みな機体がボロボロで、かろうじて機動しているという状態だ。
「先輩たちは下がっててください! 私が全部片付けますから!」
『馬鹿野郎! 深追いするな、罠だぞ!』
「ご心配なく! このくらいならやれます!」
頼子は通信を切る勢いで叫んだ。
罠だとしても。NOAならきっと――!
ふと口の中に鉄の味がした。
それでも頼子は無理やり頬を釣り上げた。
蒼い機体が向かうのは、味方の援護範囲を飛び出し、敵の大群が待ち受ける戦場のさらに奥深く。
一般に、死地と呼ばれる場所だった。
◇
横須賀学園基地、中央作戦司令室(CIC)。
怒号と警告音が飛び交う喧騒のただ中で、そこだけ空気が凪いでいる場所があった。
「――右翼、第三防衛ライン崩壊。想定より十二秒早いですねぇ」
指揮官席に座っているのは、戦術科三年の燈守芹花。
あどけない童顔に、少し眠そうなタレ目。手元の端末でパズルゲームでもしていそうな「ぽややん」とした雰囲気だが、その口から紡がれる指示は氷のように冷たかった。
「C班は後退。D班を盾にして、その隙にE班が回り込んでください。D班の損耗は無視していいです」
「りょ、了解!」
オペレーターが青ざめた顔で指示を飛ばす。
芹花はふあ、と小さくあくびを噛み殺し、モニターの一点を指差した。
「あれ? この機体……誰が乗ってるんですかぁ?」
「報告! 機動科一年の島津頼子が予備機体で出撃! 命令違反です、直ちに帰投信号を――」
「あ、いいです。そのままで」
芹花は間延びした口調で制止した。
「突出した機体がひとつあれば、敵のヘイトはそっちに向きますから。ほら、見てください」
モニターの中で、頼子の機体が敵陣深くへ切り込んでいく。それに呼応して、防衛ラインを押し込んでいた敵群の一部が、頼子を潰そうと殺到した。
「おかげで本陣の再構築に百二十秒の猶予が生まれました。……うん、オトリにはちょうどいいですね」
芹花は淡々と、勝率計算のパラメータを修正していく。
そこには学徒らを死地へ追いやる罪悪感など、微塵も感じられない。あるのは「使える駒」か「使えない駒」か、それだけ。
「し、しかし、このままでは確実に撃墜されます!」
「そうですねぇ。あそこまで突っ込んだら、生存確率は二%ってところですか」
「報告! 【高機動型D級】三体が島津機に接近! 速度が段違いです!」
芹花はぴくりと眉を動かした。
「あらら。いまので桁が下がっちゃいましたねぇ」
「で、では救援の部隊を――」
「ダメです。救援を出せば、ヘイトが散って本陣が割れます」
「………」
絶句するオペレーターに、芹花はさらに追い打ちをかけるように告げる。
「いま救うのは合理的じゃない。全部隊に通達、今のうちに体勢を立て直して下さぁい」
「は、はい! 全部隊に告ぐ――!」
芹花は頬杖をつき、モニターの向こうで奮戦するナンバーゼロへ、冷ややかな視線を送った。
「せいぜい頑張りなさい、新入生。あなたが稼ぐその数分で、基地の勝率が一%上がりますから」
敗北すれば基地ごと消える。一人の新入生の生死など計算式の端数でしかない。
降って湧いた「使えそうな駒」。使わない理由など、芹花にはなかった。




