一つの事件の顛末と③
清治は雪面から空を見上げた。8階建てのビルが目の前にある。いや、正確にはかろうじて割れていないだけの廃ビルにしか見えない建物を見上げている。空を覆うように地面から突き出ている高層建築物が立ち並ぶ光景はもはやこの辺りでしか見れない。この辺りに来るといつでも清治は押しつぶされそうな圧迫感を覚えるのだった。
良く見知った場所であり、同時に知らない場所だった。境界の外、旧市街の名で知られた街はかつての市民生活圏。清治にとっては旧本を探す場所としてよく来るが故に、このあたりのうさんくささも身をもって知っている。需要のないものはいつでもニッチな市場を形成するものだ。ネットを使うか、商店に行くかの2択を迫られる。
美的感覚、機能性、外観がデータベースによって最適化され、一定の統一感がある現代の建物とは異なり、無骨にコンクリートの死骸が乱立する区画。
散々な足の引っ張り合いの末に進んでいた時代に取り残されないよう躍起になる与党によって大々的に推し進められた国家主導プロジェクト『第・二・五・次・最・適・化・都・市・構・想・に・関・す・る・計・画・案・』通称、025プロジェクトによって再開発が進む中で、取り残された街は日本のいたるところに存在する。古来の観光地を別にして、過去の遺物は清算されつつあった。
行政からしたら邪魔以外の何物でもないはずだが、せめてもの情けか旧来のライフラインはそのままになっていた。電気、水道、ガス、ネットワーク。データベース以外の全てが今は取り残された者が必死になって守っている。潰す価値さえないと判断されたのだ。一般的な市民の生活圏の外側に位置することから、今では純粋に境界外、あるいは外と呼ばれている。人間が宙を求めて高く建物を積み上げていく時代は終わった。そんなことをしなくても今は遙かにスペースを有効活用できる方法があるのだから。
広さを求めるならデータベースに部屋を借りればいい。高さを求めるならデータベースで見れば良い。家の外見は均一でいい。あまり重要では無い。より狭くより広くより深い世界を手に入れた人々はそれらを気にしなくなった。いずれは出歩く者さえ居なくなるのかもしれない。
ビルの中ほどから下部にかけてが沈みつつある太陽の光を浴びている。ビルがかつてのあるべき姿を今でも保っていたならば、ガラスを張った無数にある窓が隠れている光の元を映し出し、きらびやかで目には優しくない光を周りに分け与えたことだろう。窓という窓はほとんど汚れているか割れており、不気味な赤肌のコンクリートを黒いしみが覆っているように見える。ときおり聞こえてくる不吉なうめき声のような音は寒風がこれらの穴を使って歌を歌っているからだった。最上階近くで誰かこちらを見ているような気がして目を凝らしたが、あきらめて視線を戻した。
。
これが清治の住む田舎だ。人が居なくなったからだけではなく、人の手が入らなくなった排気された街を合わせ持つ場所。
「本気でここなんですか? いや、逆にそれらしいといえばそうなんですが、なんというか……」
この町全部を知っているわけではない。だが、前にこのあたりを歩いたときはここよりもましな建物をいくつか目にした。わざわざこんなところを選ぶ理由が分からない。
「寂れている?」先導するように清治の半歩先を歩きつつ、はっきりと先輩が言った。
「――ええ、ずいぶんと寂れてますね。もう少しまともなビルも残っていたと想いますが。露骨すぎますね。余計なのが寄ってきそうだ」
「それ含めてわざとだろ。隠す隠さねえはあっても基本的に襤褸ビルだ。小奇麗にしなけりゃ目立ちにくいし、擬態もできる。逆に拠点がオフィス街に堂々とあったらオレはおどろきだね」
「それは面白そうだ。貴重な参考意見として私から上に言っておくよ」
「それはどうも」
肩越しに交わされる会話。清治の眉間にしわが寄った。不快感からと言うより困惑故にだ。
「……というかもう寄ってきていますね。警備員とか居ないんですか?」
「まさかオレらのことか? ひでえぜ楠。だいたいお前が最初からごまかさなきゃオレだってここまでしねえよ。しかしお前に旧本より優先するもんがあるとはなあ。どんなつながりなんだか」
揶揄まじりの同意する声が続く。
「本当にね。見たこと無いよこんな楠君は。しかも校内でも有名な先輩連れてるし、仲よさそうだし。遠坂、あたしのほっぺたつねって」
「自分でやれよ。どうせ後でセクハラだなんだ言うだろうが」
「あたりまえでしょ」
清治は立ち止まった。背後にいた人間へと身体を180度転身し、声の主である二人を見据えた。声の主の正体が見える。制服を着用した一組の男女だ。二人とも冬物の上着を着込んでいてそのシルエットは体格以上に膨れている。また、非常に残念なことに見覚えがよくあった。
清治の視線を受けても、男の方はいつも通り鋭い目つきで不遜な態度を崩さない。女の方はといえば、どこか所在なさげに視線をさまよわせていた。
何のことはない。ただの同級生だった。同級生がこの場に、こんなところに着いてきていた。店からである。何度か振り切り、いつの間にやらまた着いてきていると言うことを繰り返し、今に至る。それらの行為は鬼ごっこのように両者の、いや清治だけの体力と精神を削っていった。
先輩は何も言わなかった。道中何度か視線で彼らをどうするかと聞いたものの、どういうわけか先輩はこの未許可の同行者を止める気は無いようでただ首を横に振るだけだった。そうこうしている間に目的地に着き、仕方なく清治は口を開いた。これ以上は無視を決め込んでもどうにかなるものでもない
「遠坂、一ノ瀬」
「やっと喋る気になったか。なんだ」「何? 楠君」
待っていたとばかりに話しかけてくる両者を手で制す。
「帰れ。そこまで馬鹿じゃ無いだろう。お前達のことだ、話も聞いていたんじゃ無いか。遊び半分で着いてくるところじゃない」
清治の忠告を聞くと両者は正反対の反応を見せた。
一人は芽生え始めたおびえを隠すかのように引きつった笑みを浮かべ顔をそらし、もう一人は鼻で笑った。当然ながら、話を聞き入れそうに無いふてぶてしさを出したのは遠坂である。どちらが他方をそそのかしたのかは明らかだった。
「せっかく暇つぶしに来てんのに帰れはねえだろ。引き際は分かってるから心配すんな」
ひらひらと軽く手を振る遠坂には余裕が感じられる。
遠坂は情報通である。どこで情報を仕入れてくるのかまるで見当がつかないような情報も握っていることも過去にあった。自身も動き回ってルール破りすれすれの行動を繰り返しているのを何度か見ている。思えば火事の件も誰より先に詳細を知っていた。おおかたこのような場所は慣れているのだろう。
「普段通りデータベースで遊んでいればいいんじゃないか。よっぽどそっちの方が遠坂の好みだろうに。そもそも人には忠告しておいて自分は首を突っ込むのか」
「良い物ばっかり喰ってると必ず飽きが来るもんだ。たまには塩っ気の効いたもんが食べたいときだってあるだろ。ちょっとした危険は人生のスパイスだ。あと、お前に注意したのは親切心だ。金を取る気はねえから安心しろ」
「一ノ瀬まで巻き込むことは無いだろう」
「なんせ楠の面白いところが見れるかもしれないんだぜ。別に強制なんかしてねえよ」
「一ノ瀬」
「はいい」
一ノ瀬は固まったまま返事をした。
「まさか一ノ瀬までそんな理由じゃ無いだろうな。そうだとしたら」
「そうだとしたら?」
「こいつと同類だと見なす」
「一緒にしないで、と言いたいところだけど……。ほんとに反省してます。だからそんな怖い目を向けないで楠君」
「反省しているならいい。後は言わなくても分かるよな」
「うん。遠坂を連れて帰るよ。ちょっと間違えたかも。あたしは流石にちょっと怖い、かな」
「それが正常だ。俺だってそうだ。まだ学生なんだからな。一ノ瀬、遠坂を見ろ」
清治は遠坂を指さした。
「うん」
「これが異常者だ。こうはなるなよ」
「うん」
「こいつら」
「遠坂が聞かないんだよ。アホのくせに」
「乗り気だったくせに何を言ってんだ。楠お前だまされるなよ。明らかにこいつ面白がってたぞ」
「そりゃあ、普段の生活が全く見えない楠君のプライベートは面白そうって、……いや何でもないよ。遠坂、こらあ」
飛びかかるように遠坂へと向かう姿は誰が見ても、じゃれているようにしか見えない。
当人達の意思はどうあれ、外から見る分には存外お似合いかもしれないと清治は場違いな感想を抱いた。現実逃避かもしれない。
「いいんですか。いくら何でもこいつらを巻き込むのは気が引けるんですが」
清治はそっと歩いて、少し離れて黙ったままの先輩に問いかける。先輩はどこかまぶしそうな目をしていたが、やがて視線を清治に向けた。
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