アーカイヴ
先輩は申し訳なさそうに頭を振った。視線は渦中の二人へと向かう。
先ほどまで確かにあったなにがしかの感情は周囲の雪と同じく冷えていた。触れれば溶けそうでもある。そこで思い出したように指先が震え、着込んだ服を寄せた。
ここは屋外であった。これ以上の外での長居は良くないだろう。自分よりも着込んでいる先輩にしてみても同じことだ。彼女は困ったというようにこわばった笑みをこぼした。
「来てもらうほか無いね。二人を無事に帰すには奥過ぎる」
清治は真顔で頷いた。そして背後に待つ存在について意識した。
思わず見上げてしまうビルがあった。それは今にも崩れそうな周囲のコンクリートの壁の群れを従え、王のようにその場に君臨している。
周囲よりも二回りほど高く立てられたそのビルこそ、今回の目的地だ。よくある長方形ではなくコロンブスの卵よろしく卵を地面に生やしたような外見は見る者に異物感と好奇心、それと、時間が物質に等しく与える風化によって空虚さを抱かせる。
王衣はひび割れていた。
王を囲い守るようにして並んだ配下達の肩口の隙間からは街の象徴、タワーが見える。ちょうど地平に残る陽が、天高くそびえるかの建物を淡く照らし、その周囲にそれ以上の光を投げかけている。
目の前の廃ビルが王ならばあれは、王権を授ける絶体神だ。それぐらいの隔たりはある。
清治の視界に映るそれは豆粒と言わないまでもずいぶんと小さい。ろくな交通手段の無いここから、今から(おとなしく)帰ったとしても、日々治安の維持に努めている警察に熱いお言葉を頂戴することになるのは明白だ。
だが、先輩の言っているのはもちろんそのことではなかった。
「俺としてはできれば遠慮したいですね。あれであんまり仲が良くないとか言うんですよ。クラスでの彼らのあだ名は『トーマスとジュリー』です。ぴったりでしょう?」
「なるほど。まあ、特定の人にとっては毒にしかならないだろうね」
「誰にとっても毒ですよあれは。知人はインスピレーションが湧くとか言っていましたが、目が血走っていました。ろくなことになりませんよ、自覚の無い夫婦げんかなんて」
視線を再び話題の二人へと向ける。王たる卵の御前で未だ彼らは彼らは小雪のちらつく暮れ時になっても、周りを気にすること無く仲良く喧嘩中の猫とネズミの声が廃ビル群に木霊させている。誰かが止めなければいつまでも続きそうな気配を漂わせている。誰が止めるというのか。ここは外で、周りにいるのは清治と智晶。その役を担うことになるのが何者になるのか。答えは明白だったが、清治はまだ選択からは逃げていたかった。
たっぷり白息を吐き出して口を開くと自分でも思っている以上にうんざりした声で次から次へと懸念事項が溢れてくる。
「他には……、そうですね。明日にはデータベースとついでにネットにもここのことがばらまかれているかもしれません。あれはそういう男です。一ノ瀬は――無害ですが……あの通りです。その、アーカイヴというのはその手のことに耐性がおありで?」
「困ったな。あれが至る所で始まるのならアーカイヴは血を見るだろうよ」
素の返答。思わずと言う感じで寄った眉間のしわに全てが込められていた。清治は苦笑するほかない。
文句を言う奴は彼らと同じ時を過ごしてみるといいのだ。それで耐え切れるのならメダルの一つでも授ける用意が清治にはある。飯の一つもおごってやってもいい。これを否応なしに見せられる哀れな面々――あったことも無い彼らに親近感が湧いた。
「でしょうね。先輩、迷惑をかけます。なんならしかる後につまみ出してくれて構いませんので」
「頼られなくなったら先輩として終わりだとも。どんどん言うといい。種類は問わないよ」
「一つしか歳違いませんよね。いや、そんな茶化した答えがほしいのでは無く」
いつも通りのやりとりに思わず乗りかけて、清治はそっとそのはしごから下りた。
このペースに乗せられてはまた煙に巻かれてしまう。
清治が見てきた先輩は基本、迷うことが無い人種だ。読む本をあれもこれもと書棚から出す清治に対し、仕方なくではあるものの、さっと暇つぶしのための本を選ぶ。その先輩が困り顔で思案している姿は珍しい。先輩のことだ、いつもを考えるなら彼らが着いてきた辺りでどうするかを考え終えているはずだ。結論が出ていて、実行に移さない。移していない。
口に出さないまでも、邪魔なはずだ。アーカイヴに関係ない人間を連れて行くなど、不要なこと。清治が今ここに居ることは自分で決めたことだ。そこは眠れぬ一晩の内に割り切っている。だが、つきつめるならば遠因は先輩にもある、といえなくもない。道中もどこかで割り切れずにそれを気にしている節があった。
しかし、あいつらに関していえば。素直に頭を下げようとして止められる。
「私がそんな冷たい人間に見えるとしたらそれは私の努力不足なのだろうね」
清治の内心を見透かしたようにぽつりとこぼした。
「清治」
ぱこんと軽く頭を叩かれる。
「君がそんなことをしたら、私だって謝らなきゃならない。アレを止めてきてくれないか。もう中に入ろう。眺めているのは楽しいけど直に日も沈む。私は守衛に話をしてくる。頼んだよ」
「……はい、そうしましょう。いい加減寒いですから」
なおも動きの鈍い清治を見て先輩が言葉を付け加えた。
「元々君を連れてくることを伝えてないんだ。形式の上では君も彼らと同じお客さんだ。一人二人増えてもさほど変わらない。せいぜいが無用のリスクを増やしたとなじられるぐらいだろうよ。それなら安い物だ。そもそも振り切れなかった私にも責任はある。だからこんなところ<外縁部>でこんな話になっているんだ」
返事を聞かず先輩は足早に離れていった。
彼女が連れて行くしか無いといった理由はただ単に遠いからではない。
外の街の成り立ちは言ってしまえば昔の繁華街と同じだ。光があれば影ができる。浄化された水では住めず、濁って底が見えない沢のような隠れ家を求めた人々がいた。
彼らは次々と集まっては裏の街を形成していった。空気の対流に近いかもしれない。最初こそ清治も恐る恐る外へと繰り出していたが、むしろ街よりも居心地の良さを覚えるくらいに彼らは愉快で気の良い人たちばかりしか見ない。
果たして商売になるのかどうかは今でも疑問を抱かずには居られないが、通常の販売店では姿を消した旧本を揃えた古書店も存在するため、清治も良く足を運んでいる。十分に注意するならここはデータベースの中に匹敵するほど面白い。
だが、街から最も奥に位置する外縁部はその限りでは無い。外と街との境界線のように、外の中でも明確に区切りがある地域。歩いている人の姿は皆無だ。いつか外の住人に言われたことがある。『一人でうろつくな』と。そしてこうも言っていた。『あそこは人が消える』
二人は未だ元気に攻防戦を繰り広げている。いつの間にやら追いかけっこは途中からただの雪合戦に移行していた。他に人の姿が見えないのを良いことに四方八方に雪玉が散乱していく。彼らは自分たちが悪ふざけしすぎたことに気づいているだろうか。清治はいつ爆弾が破裂するのか気が気では無かった。制止しようと口を開いた瞬間、顔面への冷ややかな衝撃とともに視界が揺れる。同時に辺りが静かになった。
「……二人ともいくぞ。なんでもいいが、中に入ってからにしろ」
やめどきを見計らっていたのか、たまたま声が聞こえただけなのか、二人はやけに素直に従った。
「いやあ悪りい悪りい……」
「あはは……ごめんなさい。だからさ楠君そんな冷たい目を向けないで」
「分かったからさっさと行くぞ」
なぜか二人とも怯えるような表情を浮かべていたが、清治はそれらを無視した。
そしてまだ何も起こっていないことに安堵しつつ身を翻し、ビルへ入った先輩の背中を追いかけた。彼らに仕返しを企むのは後でもできる。
「なるほど。カモフラージュですか」
「外見そのままでは流石に使い勝手が悪いからね。ちょっとは改造しているというわけさ」
「これ下手に街と同じ設備にするよりも金かかってねえか。まずったかなこれは」
「うわあ。うわあ」
それからビルの上階、案内された場所。目の前に広がる光景に対する三者の意見はほぼ一致していた。
――これにGOサインを出したのは本物の狂人だと。
「これ本当になんの施設なんだ? どうみてもあそこの機器なんか役場より上だぞ」
「遠坂。本当に知りたいのか」
清治があえて脅すように低くした声にどこにいても平然とした態度を崩さない遠坂の肩がぴくりと動く。
「……いや、やめとくわ。俺の勘が止めとけと言ってる。この勘に従ってきたから今までオレは生き残ってんだ。今回もオレはそうする。……いやまて。ここで引いたら負けじゃねえか? 俺は負けねえ。もっと楽しんで生きてんだ。これぐらいでブルってちゃあ駄目だ」
「やめよ遠坂。本気で。うん本気で。ほら、あとでアイスおごってあげるからさ。……後があればだけど」
「……縁起でも無いことを言うなよ。それはそれとして言質とったからな」
「遠坂、あんたってほんとに……」
「何だよ」
「なんだ、遠坂も一ノ瀬も以外と余裕だな。これなら心配する必要は無かったか」
清治の一言に遠坂が冗談だろ、と文句を言う。
「そういう楠こそ驚かねえのか。詳細は一ミリも知りたくねえが、どうみてもこれ軍事施設か何かだろ。後から首突っ込んだオレたちが言うのも何だがよ。今からでもオレらと一緒に帰らねえか」
「さっきも言ったが無理だ。この時間に外出てみろ、間違いなく食い物だ。遠坂、お前だけなら俺は止めないぞ」
視界に入る情報の数々に清治を含め、恐れおののく一同に平然と先導する一人が割って入った。
「趣味が悪いだろう? どうせここまで直すのに頑なにここにいたがるんだ。私自身はもっと趣のある方が好きなんだが、取り合ってもらえない。一定数の支持者がいてね」
呆れたと言う顔を隠しもしない先輩は歩きながら説明を続ける。
「『直下地震があっても、爆弾を投げ込まれても問題なし。壊したいならミサイルでも撃ち込むんだな』。そう彼は言っていたよ」
「それはここまで改造したら、そんな自慢の一つもしたくなりますよね。あたし」
何の心配もすることはない。割れかけた卵の中身は傷一つ無いゆで卵だったと言うことだ。ほころび一つ無い内装。壁はもちろんのこと、実用的に整えられた武骨ながらも最新鋭の設備がある。ドアは金庫のように分厚く電動でぬるりと動き、文字通りミサイルでも撃ち込まない限り破れそうに無い。おそらく同じ物が外壁と内壁の間ににも存在するはずだ。
フロアの出入り口には関所のように腕の立ちそうな守衛が4人交代制で立ち、それぞれが対人に特化した武器を携行していた。見ようによっては清治達が囚人で、彼らは看守のようにも思えるほど圧迫感がある。
ここは要塞だった。
「さてすっかり遅くなってしまった。そろそろ待ちかねている頃だ。急ごうか」
内部へ進むにつれて目に見えて歩行速度が遅くなった清治達を先輩が急かした。先輩の背中を追うようにただただ異様な雰囲気の廊下を歩いていく。
「あのセクションの奪回はどうなった?」「あそこはもうだめさ。ガーディアンが落ちてしまった。切り離したよ。手塩にかけたんだがね」「そうか。それはきついな。次の錬成はいつだったかな?」「確か来月だったはずだ。……候補生がいればな」「こんなところでも人材不足が響くのか……」
辺りを見回せば、至極真面目に大人が働いている。断片的に漏れてくるその内容は哀愁漂うサラリーマンそのものといえよう。ただしその会話の内容は不可解の一言に尽きる。巷を騒がせる犯罪組織の秘密基地と言うより、どこか学術機関のような雰囲気さえある。先輩は必要最低限の目礼のみでどんどん人の流れをすり抜けていく。
「おい、楠あまり歓迎されてなさそうだぞ。おかしいな」
「当然だろう。むしろなんで歓迎されていると思った。俺も含めて異物に決まっているだろう」
「あたしやっぱり帰れば良かったかも」
「彼らはいつでもあんなものだ。目の前のことに興味が無いんだよ」
先輩の足がある1部屋のドアの前で止まった。
ノックを三度して、智晶が先に入った。清治達も後に続く。入った部屋にはだれもいなかった。
「図書館?」
横で一ノ瀬が呟いた。
「いや、これは」
廊下や他のスペースと比べてこじんまりとした部屋に壁の一方を書棚が埋めている。図書室といった方がより正確な表現だ。個人がくつろぐ執務机といすだけがある。利用実態を見るに誰か一人が独占的に使用しているのだろう。
「書斎がせいぜいですよ。贅沢の許されぬ身でして。ようこそブックワーム。我々は来訪を歓迎します。それとご苦労様でした智晶」
何もなかったはずの空間にふっと女が現れた。音も無く堂々とした所作。この空間はまさに彼女のためにあつらえた物だと理解する。彼女ありきの部屋だと今なら分かる。
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