行動の理由・見栄の張り合い③
「私は好きにするといい」手を宙に浮かべ、ゆっくりと見せつけるように天に伸ばすと、厳かに告げた。ホールドアップ。「けど条件がある」
何言ってるんですか、と叫ぶ清治の声を背後に聞く。彼の心意気はうれしかったけれど、これは智晶の問題だ。覚悟していたとはいえ、本当ならこんなものに巻き込むつもりではなかった。今更の後悔に胸が痛む。清治より、智晶自身こそが巻き込む覚悟ができていないと知った。組織としての自分に徹しきれていたならこんなに悔やまない。公私どちらの智晶が大事か。答えを出すまでもない。どことなく面白がるような目をしている奴をキッと睨んだ。
「目的は私、だろう? 彼は無関係だ。見逃してやってくれ」
「先輩! なんで――」
「清治、黙ってみていてくれ。そうすればキミだけは元の世界へ返せる」
「馬鹿、野郎! そんな場合かよ!」
智晶は純粋な勝利というものを経験したことがない。
あまり勝ちたいと思ったこともない。智晶の世代はまさにデータベースの黄金期とも呼べる学習の進化期にあたる。生まれ持った気質、身体能力以外にさほど差異が出ない教育を受けてきた智晶にはデータベースに映る人間達が何故そこまで必死に価値を求めたのかいまいち理解することができなかった。元々の気質もあったのだろう、アーカイヴという組織に入ったそのときでさえ近くされなかった感情を智晶は今想起している。
――負けたくない。
目の前の光景は何だ。何故、彼が傷つかなきゃならない。一体何故? 決まっているじゃないか、と智晶の中の冷徹な部分がうそぶく。お前が巻き込んだからだ、このどうしようもない戦いに。彼に何も報いることができない自分が憎い。何でよりにもよって今日なんだ。
「はっ、<アーカイヴ>の奴らは旧本を読みすぎで目でもおかしくしたの? 見逃してくれ、ですって? 青春ごっこがそんなにしたいのか」ε-158Fと呼ばれた女が哄笑する。「実に陳腐ね――見てるだけで頭が腐りそうだわ。そんなのレトロな展開すぎてデータベースにもないんじゃない? そんなにお望みなら、お決まりの結末にしてあげてもいいのよ」
見るだにおぞましいその表情はおよそ人間の浮かべる表情ではない。まるで不気味の谷を駆け下りているようだ、と智晶は思った。どこまで操られればこんな表情を浮かべるようになるのか。これならまだ物言わぬようにデチューンされているらしき周囲の黒服<アンドロイド>の方がよっぽど人間味がある。
ただ、自分も人のことは言えないだろうな、とも思う。
ーーだって。
今、この瞬間、清治には見せられない顔をしているのは自覚しているのだから。
目と鼻の先に奴らがいる。これで清治が救われるのなら智晶ぐらいは必要経費だ。安くはない。けれど。
「これは早く教育してやらないと駄目かしら。敵とはいえ流石に可哀想な次元ね。まあ、その馬鹿げた自己犠牲をとる行動力だけは評価してあげてもいいかも。……いいわ、<アーカイヴ>の手繰り手。乗ってあげる。あんただけでお釣りがくるもの。人間は見逃してあげるわ。さあこっちに来なさい」少し思案するそぶりを見せて、女は銃をこちらに向けたまま、空いているもう一方の手で手招きする。
「ε-158F、いいのか? しぶとい<アーカイヴ>の奴らだぞ、罠だろ。しかもこいつ見覚えあると思ったら、表に出てくる実行部隊の中でも優先順位<高>じゃねえか。この場でさっさとやっちゃおうぜ。信用ならねえ眼してやがる」
至極あっさりと、智晶の提案を呑んだε-158Fに対し、λ-925Rと呼ばれた男はあまり乗り気じゃない表情を浮かべていた。再度、注射器を首筋に当てるジェスチャーを見せ、大声で女を威圧する。
「大丈夫よ、こいつらの仲間かわいさは筋金入りだから。大事な大事なお仲間とやらをかばってこいつら何人死んだと思う? 大半が軍事訓練もしていない素人。うるさくなったらちょっと小突いてやれば済む話よ」
「それもそうだがっ……」
許可が与えられればすぐにでもこの男は実行するだろう。智晶は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。この誘いに乗ってくれなければ清治は遠からず死ぬ。両足の被弾は幸い致命傷をかわしていたが、あのまま動けなければ低体温症を引き起こすのは確実だった。最悪は智晶も清治もこのまま共倒れすることだ。 それだけは、駄目だ。智晶は表向きは従順に見えるよう、両手を上げたまま歩いていく。清治を置き去りにして。
「私が言うのも何だが、君たちにしても今ここで私を捕えておいた方がいいと思うが? アーカイヴは私と違ってこんなヘマをやらかしたりしない。絶好のチャンスだと――」
「黙れ! お前の意見は聞いてないんだよ! 」
「黙るのはあんたよ。λ-925R。罠だとしても奥の奴が死ぬ方が早いわ。あと、私に指図しないで。この場の指揮権がどちらにあるか忘れたわけじゃないでしょう?」
「ーーっち!」
男が背を向けた。どういう理屈かは知らないが、男は女の方に逆らえないようだった。単純に上司、部下の関係のようにも見えない。疑問が残るものの、今はとにかく首の皮一枚繋がった。
「大人しくついていく。ーーだから、彼は、」
「喋るな、アーカイブの女。俺の気が変わらないことをせいぜい祈りな」男の方が吐き捨てるように言うと、それきり口を閉ざした。
「さあこれをつけなさい。死なせたくないなら」女が差し出した手錠を自ら嵌める。カチリと冷たい音がして金属の輪が両手を拘束する。これを外すのは難しい。智晶はここにも彼らのこだわりを見た。銃まで旧式なら、手錠も旧式。仕組みが単純すぎて第一線で使われなくなった金属の手錠。これを開けるなら鍵が必要だ。自分で開けるのは無理だろう。
「そうだ、聞き分けがいいな。最初からそうしていればそこの奴は無事だったかもしれないのに。馬鹿な女ね」満足したのか、ε-158Fと呼ばれた女は冷笑を浮かべた。
「先輩!」チラリと後ろを振り返ると、なんとか立ち上がろうとしている清治の姿が見えた。
「駄目だ、清治。来るな」
「ーーああ、そうそう。あんた達、アレ。片付けろ」
満足した様子で女は周囲にいる黒服に身振りで指示を回した。自身は銃をしまい、撤収する準備を進めている。何のことか、と視線で問えば、いかにもなんでもない様子で
「人間は見逃すとは言ったが、そこにいるのはどう見ても地面を這いつくばるだけの蛆虫だ。なら、少しボランティア<害虫駆除>しても構わないだろう?」
「ーー何!?」
振り向いた先にいたのは、必死に逃げようとする清治の姿。
撃たれた足から血を流し、雪の中に道を作り、元の場所から10メートルほど動いてそこで、体力が尽きたのか動かない。
「清治! 大人しくしていろと言ったじゃないか……」
※ ※ ※
彼女が叫んでいる。
雪の底に沈んだように深くくぐもった声は意味をなさない雑音として消えた。彼女に応えなければと思う自分がいる。たやすいことではない。
痛みは灼熱を通り越して甘美な眠りを清治に見せている。従えば楽にはなれる。実を言えば身体はもうその誘いに屈服していた。精神だけがけなげに耐えている。どうして身体がまだ動いているのか、よくわからない。
くぐもった声がまた聞こえた。清治を撃った女といかつい男の声も聞こえる。
彼女は清治を助ける方に動いたようだ。何となくでもそれは分かった。だが、それでは清治が格好良くない。最後まで格好付けさせるのが筋だろう、と身体が動かないくせに無駄にそんなことを考える余裕はあるらしい。
清治はかすむ目で目標を見据えた。勝算は半々といったところだろうか。全ては奴らがいつまでなめてかかってくれるかによる。詰まるところあまり清治の好きでない運という部分に重きがかかっている。
「ごほっ」
吸い込もうとした空気はきれいすぎて、清治の肺に入るのを拒否した。ここがどこだか正確に理解しているのはおそらく清治だけ。今できることは少ない。だからといって
――好き勝手にやらせてたまるか。
清治は知っていた。マーケットで旧本を買うためにもう両手では数えきれないほど往復していてもなお気づけなかったそれを、清治はいま目にしている。
その細い糸をつかむこと。清治にできることはそれだけだ。
あと数歩。這ってきたことで運んでしまった雪が重たくまとわりつく。
あと半歩。足が動かない。
祈るように空に突き出された腕は、何かをつかんだようにぎゅっと掌が閉じられ、万有引力に従って地に墜ちた。
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