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異変

まずいな、尾けられている。


 そうつぶやいたのは先輩だった。顔は正面を向いていて見えない。小さな背中が見えるばかりだ。普段と変わらない調子を装っているが、透けて見えるほどたっぷりなはずの余裕がそこになかった。清治は自動的に後ろを振り返りそうになって、体を硬直させた。

「間違いじゃ、ないんですね」清治は囁くように言った。囁いただけなのに、思っていた以上に自分の口から出た声は大きい。思わず苦味走った顔をする清治をたしなめるように、

「ああ、お節介な誰かがいる。参ったな、これだったら素直に護衛をつけてもらうんだった」先輩が声を落として言った。

「どうするので? どこかに入りますか」

「いや、それはやめておこう。尾けているのが奴らだったとしたら、取り囲まれるだけだ」

「それはもちろんーー」

先輩は行き脚を落として、清治と並ぶと冷えた手で清治の手を掴んだ。

「ーー逃げるのさ、一緒にね」




 にわかに足が速まる。昔の車で例えれば、5速中の4速。雪道で、スタッドレスタイヤじゃないということを考えれば、これが清治の限界ぎりぎりだ。先輩は分かっていてギリギリを責める癖がある。要は無茶ぶりをするのだ。地面を蹴って重心が崩れる。もつれにもつれた足が自分の足を蹴飛ばし清治はうめいた。空いている腕で宙をこぐようにばたつかせてなんとかこらえる。

「すごく、嫌ですけどあそこに戻るのは駄目なんですか?」

「駄目だ、だいぶ離れてしまっている」



 一定のリズムを刻んでショリショリという踏みしめる音と呼吸音だけが清治の耳に入る。降りしきる雪が吸収してしまっているのか、他の音は聞こえない。集中しなくては転けてしまうだろう。


 今、この瞬間、世界は二人だけだった。子供が遊び終わったおもちゃを片付けるように雑多な物と一緒くたにされて閉められつつあるジッパー付きの小袋からなんとか這い出そうとしているような気がしていた。何度、似たような角を曲がっただろうか、見えない追跡者を振り切ろうとしてどこかに誘導されているような、そんな錯覚さえ抱いた。




 清治は相変わらず転けないように足下を見ている。自分の靴を眺める格好になった。清治の靴は夏靴だ。蒼いコンバース。最近買ったばかりだ。とても気に入っていて、シューキーパーをいれて三日おきに履いている。おそらくもうだめになってしまっているだろう。本来の季節なら活躍していたずなのに理不尽の餌食になってしまった。乾かしたところで履く気になれない。前をゆく足はきっちりと冬用のブーツを履いている。底が高くなっている奴ではないので走りやすそうだ。少なくとも雪でだめになることはない。うらやましい限りだった。




 進路を確認するのに顔を上げたとき、遠くにかすんで見える壁時計は一六時を示していた。つまりは清治達がビアンコを出てから一時間がたっている。陽は落ちてもう見えなくなった。ナトリュームランプを模した夜の明かりが先ほどまでいた場所をぼんやりとしたオレンジに染めていく。雪の白は何にも染まりやすい。街は別世界のように静かで、夜の訪れを待っていた。今は曇りがちで雪が降っているが確か、真夜中には晴れてしまうはずだ。そうなれば放射冷却で街は文字通り凍り付く。まぶたが思うように動かない。




 先輩も寒いのだろう、強制的につながれた指先から震えが伝わってくる。が、足は止まらない。


――何を恐れているのだろう? 一体何から逃げている?


 そう聞く前に景色はまた強制的な巡行を始める。白、オレンジ、黒。白、オレンジ、黒。


 黒々とした雲から降りてくる雪は強さを増し、清治達の顔を打つ。本格的に積もりそうだった。




 こらえきれず清治は後ろを振り返る。誰もいない。先ほどいた場所を示すように頼りない足跡が二人分ついているだけだ。


彼女の狂言なのではないか? 清治は未だ、そんな考えが拭いきれない。


 先輩のことだから、ビアンコの店主を巻き込んでまでいたずらを仕掛けるのは大いにあり得る。先ほどの様子からして割と愉快な性格の店主のようだし、何か弱みでも握ったのだろうか。彼女はその程度のことならやるという確信がある。これでも2年ぐらいは親交があるのだから。


――ただ、一つ分かるのは彼女が、『誰か』に追われていると確信していて、その『誰か』に追いつかれたらまずいと考えていると言うことだ。




「どうやらまだ、捕捉されていないようだな。清治、君には悪いがもう少しの辛抱だ。大丈夫だ、大丈夫」自らに言い聞かせるように彼女が言う。


彼女の真剣さに射抜かれてはたと気づく。ある確信を持って、もう一度清治は辺りを見回した。


雪が降っているとはいえ、こんなに音がしないものだろうか。街のメインストリート。


――この時間に()()いないのが問題だ。




「どう、するんです! さすがに俺でも! 変だって分かりますよ! まさか、さっきの話本気だったんですかあ! 何で早苗堂の話から国家機密を気にしなきゃいけないんだ!」


もうどうやって足を動かしているのか分からない。息が上がっているのに、やせ我慢をして声が途切れないように清治は投げかけた。焦りが混乱を呼ぶ。頭が痛い。


「今更、気づいたのかい! どうするも何も変わらないよ。。彼らを振り切る。それだけさ」


舌打ちする気力も惜しい。闇が圧倒的な力を持ってそこまで迫っている。




「いっそここで二手に分かれて後日というのは? 今日よりもましな日を見繕ってですね。あるでしょうほら、午前中から動ける休日とか。別に俺は逃げませんよ!」


「それじゃあ遅いんだ! 君はもう目をつけられているし、私だって安全というわけじゃない」




 あくまで先輩の表情は変わらない。もはや腹をくくっているのかもしれないが、清治はまだそれどころではなかった。


 続けて文句を言おうとして、風景の循環が止まったことに気づく。大きな十字交差点に差し掛かっていた。


 信号待ちじゃないと、気づいたそのときには手遅れだった。


「……そうだな、後日というのはおまえらにはない」「そうね、おとなしくしていれば痛いことにはならないわ」

凍てついた言葉が清治達に降り注ぐ。清治の手足が思い出したかのように今更震えだす。身体が思うように動かない。



 静寂が破られた。踏み荒らされる路上の雪。ざっざっと言う音が背後から、横から聞こえてくる。音の正体は見なくても分かる。目の前にもいるからだ。つまり、


「囲まれた、か」


 黒服とサングラスの集団、いやもっとおぞましい何かだ。そして、清治達に一番近い正面に声を発した二人がいる。この集団のリーダー格なのだろう、サングラスをかけ黒服というところまでは同じだが、他の奴よりもより純化した、機械じみた冷たさを身にまとっていた。下手に人型であることがより不気味さを助長している。これを形作ったものがいたとして、そいつはよほど人間のことが嫌いだのだろうと清治は思った。

 これは、存在しているだけで人間を愚弄している。直視することはためらわれた。

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