アーカイヴ③
「なあ、なに隠してんだ。データベースにも入れない場所なんて今時どこにもないぞ」
疑念だらけの瞳をむける遠坂に清治は答えをくれてやらない。清治に聞くのはお門違いも甚だしいし、ついてきておいて一方的にほしい答えを手に入れようとするのも気に食わなければ、最後は自分たちが連れ込んだとはいえ、ここまで踏み込んでくるのが腹立たしい。そして今、後回しにしていた面倒ごとが爆発した。遠坂である。
「それに正直に答えたとしてどうするんだ。いや、わかりきったことか。一人で突っ込むのはいいが、一ノ瀬まで巻き込むのはよせ。この前俺に忠告してくれたよな。だから俺も言わせてもらうぞ。これに首を突っ込むな。俺のためというより遠坂、お前のためにだ。俺たちが途中でお前たちを撒くのをあきらめたのはわざとやった。なんでだかわかるか。下手にうろつかれるよりまっすぐ誘導して送り返した方が早かったからだ。やっかいにもほどがある」
「嫌な判定どうも。オレはただ知りたいだけだ、他意なんかないね。それに、お前とオレじゃあ条件が違う。今、データベースに潜れないお前とはな。ちょっとした危険ぐらい切り抜けてみせる。そうやってやってきたんだ。あと一ノ瀬はちげえ。こいつはついてきたんだよ、面白そうだからってな」
清治は後頭部を左手で強く掻いた。こうしている間にも陽は沈み、ただの危険地帯が、地獄へと変貌するのにそう時間を要しないところまで来ている。
口を開こうとして、やめた。清治の腕をつかむ柔らかい感触がある事に気づいたのだ。視線を落として、主を探す。数瞬ののちにそれは先輩へと行きついた。この謎多き先輩は清治が何をしようとしているのか察知してそれを止めたのだ。さらに何かを言おうと口を開いた先輩を微かに首を振ってその指を引き離す。少し落ち着いたかもしれない。
「俺は確かにデータベースに潜れない。が、遠坂お前とそれほど変わらんと思うぞ。旧本があれば後は効率の差にすぎない。俺たちはただの学生だ。それ以上でもそれ以下でもないこと忘れるなよ。そして今それはどうでもいいことだ」
「旧本なんてたいしたことないだろ。データベースのある今じゃ個人の体格や性質は別として誰もが昔じゃあり得ないほどの能力を備えてる。比べるだけかわいそうだぜ。だから楠、お前が何を抱えてるか知らねえが俺が変わってやってもいいぞ」
遠坂が馬鹿にしたように薄く笑う。
「わかった。喧嘩売っているんだな」
「反応がおせえよ。つながれないとそこまで能力落ちるのか?」
「探偵とか、情報通を気取っているようなお前に言われたくないな」
「うるせえよ。『指輪の担い手』気取りが」
こぶしを振り上げ、遠坂が清治に正対する。お互いが用意された席をけり飛ばすように立ち上がっていた。それぞれの隣にいた女性陣も立ち上がって止めようとするが、別に殴り合いをしたいわけでもなし、余計なおせっかいだ。だからそんな顔をしないでほしいと思ってはいけないのだろうか、と清治の頭はこんな時にでもろくな動き方をしないようであった。
「お互い様だ。そういう気どり方はデータベースができる以前に病気扱いだぞ。もてたかったら直した方がいいぞ」
「お前こそ似合わねえことしてんじゃねえよ。わざわざこんなところまで簡単についてきやがって。人の心配する暇あるならてめえを心配しろ。第一俺はもてる」
行動に合わず、金髪の男の表情は平静そのものだ。大げさな動作で気を引いて、興奮しているように見せて、したたかに清治の出方を伺っている。たちの悪い人種だ。せめて冷静さを失ってくれていれば丸め込むのも楽だったのだろうが。
「分からないやつだな。いいから黙って回れ右して帰ってくれ。引き際ぐらい自分でわかるだろう。それとも追い出されないとだめか?」
「どうもわからねえな。どうしてそこまで隠そうとする? その先輩のせいか。めったに人に執着しねえくせに。やっぱり人並みに女に興味あったっていうわけか」
「大きなお世話だ」
心配そうに見守っていた両側の女性陣から何かあきれたような視線を感じる。が、それだけで別に清治や遠坂はこの舌戦をやめたりはしない。しばらく思い出したら恥ずかしさのあまり、数日家にこもってしまいそうなやり取りを経て、
「やめなよ。こんなとこで喧嘩してどうするの。早く帰るよ、遠坂。もちろん楠君も。はっきりいって先輩さんはどうみても怪しいし、ここもおかしいよ。楠君、遠坂ね、心配してるんだよこんなんでも。あたしも同じ。最初はデートみたいに見えたから悪いなと思ったんだけど……」
珍しく弱気な発言が一ノ瀬の口から発せられる。内容こそ気遣いが感じられるものだが、声音そのものは清治と遠坂を冷やしてあまりある冷徹さを有していた。なら、なぜついてきた、とは言わなかった。今から言っても仕方のない話だ。遠坂さえ説得できるなら彼女はおとなしく帰るだろう。それが難事であるのは言うまでもないが、今の一ノ瀬ならばできるかもしれない。
第一、ここで遠坂が事情を知って困るのは清治だけではない。一番困るのはアーカイヴ、つまりはここの主だ。何か言うことはないのかと、向けた視線の先、チルと名乗った女首領は静観の構えを崩さない。というよりもあの本から目を離してすらいない。まるで人をもてなすのに体裁さえ整っていさえすれば問題ない、後はどうにでもしろとでもいうようだ。人工知性体だからでも、清治達だから手を抜いているというのでもなく、彼女自身の性格に起因するのは明らかだった。
このような状況である以上、取る方法は一つしかない。清治はこの部屋には行って一言しか口にしていない先輩へと首を向けた。もともと清治は口の上手い方ではないし、見込みの薄い説得だった。
「一ノ瀬、余計なことを言うな」
遠坂がくぎを刺す。声に力はない。
「清治、そこまでだ。君が冷静さを欠いてどうする。案外君も年相応ということかな」
「……彼らを帰しましょう。いますぐに。先輩、頼めますか。そうでもしないと情報抜かれますよ。特に遠坂はそのあたり中々得意なので放っておくと危険です」
「先に入ったときに人を頼んでおいた。そろそろ来る頃だ。……それで満足かい」
「我儘いってすみません。でも、やっぱりこいつらをここに置いておけませんので」
清治は、はっきりと口にした。
「これからの話をするのに邪魔です。必要なら記憶操作もしてください。それくらいできるのでしょう、ここでは」
何も悟らせないうちの排除。
たとえ、この一連の出来事がアーカイヴが企図した清治を取り込むための壮大なやらせであったとしても、他に類が及ばないようにする。それが今、清治がすべきことだ。たとえこの友人たちにどう思われようと。
遠坂が吠える。
「……分かった。清治、君の頼みなら」
先輩が何かをあきらめるように後悔をにじませる口調で言った。
「ちょっと待って。楠君は残るつもりなの? 追い回したあたし達が悪いけど、絶対ここなんかおかしいよ! この先輩も! この人だって。一緒に帰ろうよ」
一ノ瀬が立ち上がって言った。遠坂もそれに続く。
「おい、なんか弱み握れられてるなら早く言えよ。できる範囲ならどうにかしてやるから。さっきのは忘れてやる」
清治たちはこの友人達を改めて眺めやった。存外、いい関係を築けていたのだなと気づかされる。
「……ありがたいが、それはできない。俺はここに用があるから来ている。一ノ瀬達とは違う。そこまで心配しなくても用が済んだら帰るさ」
いつかは。その言葉は喉元を通り過ぎてはいかなかった。
「そんな甘いところか、ここがよ。あててやろうか、ここはアーカイヴ関連の施設だな」
遠坂が吐き捨てるようにそう言った。よく見れば、ただ一人茶に手をつけていない。
馬鹿じゃないのだ、たとえデータベースの恩恵を受けていなかったとしてもちょっと頭を働かせればすぐにわかる。ここがなんなのかぐらいは。一ノ瀬は少し見習った方がいい。そもそもちゃんと危機感知が働くなら最初からここに足を踏み入れはしないのだろうが。
「さっきも言っただろう。遠坂達には関係のない話だと」
「やっぱりそうか」
厳しい視線が交差する。
「遠坂君と言ったか」と静かな声が割り込む。
「たとえば、清治がこれから隕石に当たると分かっているとする。確率で言ったらかなりのものだ。ある意味幸運と呼んでも差し支えない。確か、160万分の一だったはずだ。が、待っているのは死だ。それでも君はその幸運を妬むかい?」
「なんだ楠の同類か。気を遣って損した。言ってる意味がわからねえよ。松金先輩だったよな。それのどこが幸運だよ。オレはそんなのは認めねえ。楠はそんな幸運に恵まれたけど羨むなってか? 死ぬのがわかってて。あほじゃねえの」
「……ずいぶんと思われているようだね、清治は。どんな気分だい?」
罵倒されたにもかかわらず智晶の表情は緩んでいる。
「どっちの味方なんですか、先輩は。早くこいつらを追い出さないと――」
手遅れになる。そう続けようとして。清治が言い終わる前に冷ややかな声が割り込んだ。
「迎えは来ませんよ?」
正面から。
「だから安心していいんですよ、遠坂。もとより逃がすつもりはありません。何かの縁でしょう。ああ、一ノ瀬もついでに許可しましょう」
一瞬のうちに、視界が彼女で埋まる。息が詰まる。
「だってそのほうが」
何者にも触れることのできない指がじっとりと絡め取るように清治の肩をつかんだ気がした。
「あなたの協力を得やすいでしょう? ねえ、本の虫?」
清治は虚無を見た。清治ごと空間を取り込もうとする際限なき闇。抗いようもなく吸い込まれるーー。
バシっという固いもの同士を叩きつけたような音が響いたあと、再び部屋が無音になった。音の発生源は智晶。そして視界からあの女が消えている。ため息一つ。
「何したんですか」
「最初からこうしておけばよかったよ。自由にしゃべらせたらろくなことを言わない。遠坂君が言及したとおり、ここはデータベースへの接続を制限していてね。チルがここで実体化しようと思ったらアレに依存するしかない。私のしたことはただモニタの電源を切っただけ。ときどき忘れるよ。同じ人類ではあるけど全くの別種なんだってことをね。人権とかそれ以前の問題だ。頭が痛い話だ」
「なんてことをするんですか智晶」
端末の画面からいらだち混じった女の声が聞こえる。
「懲りないからだ。必要だからと言ってわざとそうやっていること自体、理解できない」
智晶の取り出した端末の画面からチルが言う。
「何か気に障ることをしましたか? 智晶、あなたは分かっているはずです。見たいものだけ見ていたら私たちは負けるでしょう。現に、今の情勢は決して良いとはいえません」
「チル、黙ってくれないか。私はあなたと確かに上下関係にあるが、それは私の友人まで好きに命令してかまわないという意味ではないはずだ」
「それがそうです」
「何?」
「智晶、あなたは楠清治をここに呼ぶことに同意しましたね。その時点で私がどのような対応をするかわかっていたはずです。あなたのそれはただの私情にすぎません」




