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第69話 私もお前も人殺し

 普通に生まれて普通に育った。幼稚園に通って小学校に通って中学校に通った。

 優しい両親がいる、たくさんの友達もいる。そして、大切なおさななじみも『いた』。


 彼女まことは死んだ、殺された。自殺と言う名の他殺によって。

 私は許さなかった。彼女を殺した人を、彼女を救えなかった自分を。

 だけど今思えばその気持ちはただの言い訳だったのかもしれない。

 私が今もなお、犯罪さつじんを犯し続けることの。


 私に生きている価値は無い。

 でも私はまだ生きていたい。

 大切な人と共に生きていたい。

 今更どの口が願うなどと自分でも分かっている。それでも、私はそう願ってしまうんだ。


 生きていたいから殺す。


 無意識のうちにそう思っていたのかもしれない。







 ――――そして私は包丁を突き刺す。

 呆然とした顔で目を見開く佳奈美と、その上に馬乗りになった状態で肩で息をする私。ザックリと突き刺さるナイフ。

 震える声が鼓膜を揺らす。

「…………なんで?」

 佳奈美が、泣きそうな声でそう呟いた。

 そして恐る恐る自分の顔の真横に視線を向ける。ぬかるんだ『地面』に真っ直ぐ突き刺さる、私の握る包丁を。

「なんで?」

 もう一度呟いた。



 矛先がずれたわけじゃない。最初からそこを狙って、私は包丁を突き刺した。

 彼女が握るナイフを取り上げ、そのまま横に投げ捨てる。ぬかるんだ地面を滑るようにナイフは転がり、私達の手に届かなくなる。包丁の柄からも手を離し、私は佳奈美の上に馬乗りになった状態で佳奈美の両手首を押さえ付ける。

 佳奈美は黒目を震えさせながら私に目を戻す。私の目を見つめ、完全に戦意が消えているのに気がつく。そして、ひゅうっと一度息を吸い、同じように震える小声で呟いた。

「ひ、とご、ろし」

 返る言葉は沈黙。

 佳奈美はポロリと目尻から涙を零し、一瞬の間を置いて、獣のように吠えた。


「――――ひ、とごろし。人殺し、人殺し人殺し! 何なのよ何がしたいのよあんたは! ふざけるのもいい加減にしなさいよぉ! 今更なに躊躇ってんの!? あたしを殺すのが怖いの!? この臆病者、ろくでなし! あんたはっ、お前らはただの人殺しだ! だからさっさとあたしを殺せばいいじゃない! ほら早く、早く早く早く早く早く早く早くっ…………殺してよおおぉおおぉおぉっ!!」


 わんわんと泣き喚き、手足をジタバタと動かして暴れようとする。押さえ付けている手は殆ど動かないものの、容赦のない蹴りが私の体に当たる。脇腹、足、腹、腰。重い衝撃と鈍い痛みが当たった場所に現れ、じんわりとした熱を持つ。それでも私は包丁に手を伸ばさない。そんな私に佳奈美は吠え続ける。


「殺してよ! 殺せよ殺せよ、殺しなさいよっ!! ねえ、殺してよぉっ!」


 声は次第に弱々しく、零れる涙は雨と混ざり合う。

 そしてとうとう、佳奈美は切望の声で空気を振動させる。


「――――助けてよぉ」


 それが彼女の本当の願いだったのか。それ切り、彼女は何も喋らず、ただ嗚咽するだけだった。



 私はゆっくりと佳奈美の手首を掴んでいた手を離す。佳奈美はそれでも、抵抗せずに泣き続けるだけ。

 私は佳奈美の上半身を起こし、背に手を回してぎゅうっと抱きしめる。突然の私の行動に、佳奈美も肩を跳ねて体を強張らせた。

 服一枚、肌一枚、肉と骨の隔たり。その向こうにある心臓の音が、互いの胸に響く。

 ドクリドクリ、脈動して血液を全身に送る臓器。停止したら私達の命も消える。柔らかなピンク色と、表面を這う無数の血管。今まで私が何度も包丁で刺して、止めてきた鼓動。

 早まる鼓動はどちらのものだろう。それすらも分からないほど私達は密着する。佳奈美の体温が私に伝わる。雨に濡れて冷たい体の表面も、中は温かい。


 小さいなぁ。

 でも、

 温かいね。



「佳奈美は私を殺そうとした」

 私が唐突に呟くと、佳奈美が緊張したように唾を飲む音が聞こえた。地面にダランと垂れ下がった両手が強く握り締められる。

 私はゆっくりと右手を握り締め、空に掲げる。

「知ってる? 人は、人を殺そうと思った時点で、もう殺人犯なんだよ」


 例えば友達と喧嘩して殺したいと憎んだ一時。例えば冗談の中で呟いたお前殺したいという言葉。例えば自分の赤ちゃんの泣き声がうるさくて殺したいと一瞬でも思ってしまった瞬間。例えば自分の人生について悩んでこんな自分を殺してしまいたいと思った心。

 それだけでも人は人殺しになってしまう。

 冗談でも、一瞬でも、相手を殺そうと思ったことに変わりは無い。この世に人殺しでない人間なんていないんだ。

 考えるのと実行の間に大きな壁があっても、その本質は変わらない。



 佳奈美、私はあなたを一人で追いつめはしない。だって私達、同じだもんね。

 二人とも助けて欲しかっただけなんだ。

 辛くて苦しくて悲しい時に、誰かに手を差し伸べて欲しかっただけなんだ。

 けどどんなに叫んで泣いたところで、誰も気づいてくれなかった。


 私があなたを救ってあげる。

 一緒にいてあげる。

 だから、ね? まだ生きようよ。



 周囲の音が止んだ気がした。雷の音も、雨の音も、聞こえない。

 耳が痛くなるほどの静寂の中、私は佳奈美に微笑んだ。




「私もお前も人殺しなんだよ」




 佳奈美は私の言葉に呼吸を止め、目を細めて優しく微笑んだ。

 彼女の顔面に、私の全身全霊を込めた拳が叩き込まれる。









 雨の音がする。


 水は地面に染み込み、木の葉に当たって音を立てる。

 ぬかるんだ地面の上で私は横たわっていた。私の隣に仰向けに倒れる佳奈美は、鼻から血を流し、赤く顔を腫れさせて目を閉じている。呼吸はあるものの、意識は無い。気絶している。

 佳奈美の意識を途切れさせる為に全力の力で拳を顔に叩き込んだ。殺さずに、けれど気絶させるにはそんな方法しか思い浮かばなかった。鼻や頬の骨に当たった拳は少し皮膚が剥け、じわりと血を滲ませて熱を帯びている。

「…………痛い」

 体のあちこちから『痛い』という信号が脳に送られる。気分が高揚しているときにはどうとでも無かった擦り傷や切り傷、落ち着いてきた頃合いになって我先にと痛みを主長し始める。その上知らない間に血を流し過ぎていたのだろうか、軽い貧血のように頭がふらふらとしてきた。

 何だかこのまま意識を手放したい。

 重い瞼を閉じ、そのまま雨に打たれ続ける。ざあざあと降りしきる雨は体を冷やしていく。それすらも何だか心地良い。

 もう意識が半分、靄がかかったように白くなる。もうすぐ眠りに落ちてしまう。

 そんな時、


「っつ!」

 轟音が鳴った。ビクリと肩を震わせて身を丸める。白い光と轟音は雷だった。

 その音が止む寸前、私は勢い良く地面を押し上げるように体を起こす。そして青ざめた顔で呟いた。

「あっ、いかわ」

 そうだ、藍川が。怪我が血が。

 立てそうに無いくらい震える足腰を必死に動かし、這いずるように藍川の元へと近寄る。藍川に触れるまでたった数メートルの距離なのにやけに遠く感じた。

 藍川は変わらず、寝る時のような体勢で背を丸めて横向きに横たわっている。けれどその顔は決して穏やかな寝顔とは言えず、リラックスとは左程遠い。呼吸さえも止まってはいないと言えるくらいで、か細い虫の息。脇腹からの血は、すでに周囲の地面を黒く濡らしている。

 その青白い顔に触れ、思わず小さな悲鳴を上げた。

 冷たい。


 ゾッと背筋に悪寒が走る。夏だというのに真冬と勘違いしてしまう周囲の空気を必死に吸い込む。

 藍川は雷が嫌いだと言っていた。自分の大切な人が遠くへ行ってしまいそうで、怖いからと。それは今の私の状況とピタリ当てはまる。雷が苦手な藍川が遠くに行ってしまいそうで、死ぬほど怖い。

 せめて、止血をしなくては。くらくらと意識の途切れそうな頭でそう考える。けれど止血の方法なんて分からない。去年学校に来た救命救急の人の話なんて覚えていないし、保健体育で止血方法を習ったのも中三の時だ。ああ、もっとしっかり聞いていれば。

 両手で藍川の脇の傷口を塞ごうとする。傷口の上に手を重ねると、まだ少量溢れていた血がぬとりと手に張り付く。粘り付く血の感触。

「う、うぅうぅぅううぅ」

 気持ち悪い。そして怖い。

 手に生温かい血が溢れる程、藍川が確実に死へ向かっているのが分かって怖い。

 どうしようも出来ない自分が情けなくて涙が零れる。止めどなく溢れる涙が藍川の頬に落ちて濡らす。


 誰か助けて。

 お願いです、神様仏様人間様もう誰でもいいから。

 藍川を助けてください。




「凪さん! 藍川さん! どこですか!?」


 雨の中から声が聞こえた。

 必死に私達を探す声。それは次第にこっちへ近付いてくる。

「……っ、アリス! アリス!!」

 腹の底から声を振り絞って場所を知らせる。聞こえていた声が一旦止み、駆けてくる足音が聞こえる。ガサガサと草木を踏み分ける音と、泥を跳ねて駆ける音。そして、

「あ、いたっ」

 ホッとした顔のアリスが林の間から姿を見せた。

 髪は雨で濡れ、服も肌に張り付いている。「良かった、探しまし――――え?」そう言いながら駆けてきたアリスは、私達の姿を直視して驚愕に目を見開いた。

 傷だらけで泣いている私と、近くに倒れている佳奈美、そして今にも死にそうな顔で倒れる藍川。

 混乱した様子のアリスは、口を開いて私にこの状況を尋ねようとした。けれどすぐ一旦口をつぐみ、キッと顔を引き締めて頷く。

「――――凪さん、そのまま藍川さんの傷を押さえていて下さい。携帯はありますか? 連絡します」

 まずは藍川の怪我をどうにかすることが最優先だと考えたのだろう。冷静な対応をするアリスに、泣きそうになりながらもポケットから携帯を取り出して渡す。

 失礼します、と言いながら携帯を受け取り、数回の操作の後アリスは耳に当てる。誰と喋っているのかは分からないけれど、今は藍川の怪我をどうにかすることが第一だから、通話相手は特に気にはならない。


「…………うぁ」

 フッと頭に靄がかかる。アリスが来たことで気が抜けてしまったのか疲れたのか、意識が途切れる寸前だった。

 無理矢理意識を保とうとしてもそれは無理だった。視界が狭まり、背景が真っ白になる。藍川の上に倒れ込みそうになるのだけは必死に避けて、横に並ぶように倒れる。

 ドサリと倒れた私の音に振り向いたアリスが、驚いた顔で私の名を呼ぶ。

「えあ、凪さんっ!? …………あ、はいっ、今すぐにです! 凪さんと藍川さんが、はい、お願いしますっ! …………凪さん、凪さん! しっかりしてください! 凪さん!」

 アリスの声もどこか遠くから聞こえるような気がする。周囲の音も何もかもが消え、真っ白な空間に一人私は倒れている。

 右手が少し冷たい。多分、藍川の手を握っているんだ。

 ぎゅうっと力を込めて手を握り締める。決して離さないように、包み込むように優しく。


「   」


 力の出ない唇をなんとか開き、呟いた言葉は何だったのか自分でも分からなくて。

 もう一度何かを呟いたはずだったけれど、それは声にもならない程小さな音だった。




 そして私は瞼を閉じた。









 シャリシャリ皮が剥ける音。赤い林檎の皮が繋がったまま、ベッドの脇のゴミ箱の中へと落ちていく。

 一切れずつに切り分けた白く固い果肉を摘み、ベッドの上で上半身を起こす彼へと手渡す。

「はいどうぞ」

「ありがと」

 礼と共に林檎を受け取り、歯でシャクリと爽やかな音を立てる。しばらく咀嚼し飲み込む。

「美味しいね、この林檎」

 そう言って彼――――藍川は、いつものへらりとした顔で笑うのだった。




 私が佳奈美と殺し合ってから今日で一週間が過ぎていた。藍川は血の流れ過ぎにより危い状態だったらしいが手術のすえなんとか助かったようで、それを知った時、私は人目もはばからずに安堵して泣いてしまった。そんな私を見て、藍川は少し嬉しそうに微笑みながら私の頭を撫でていた。

 私自身、体中の切り傷擦り傷は一つ一つは小さかったりするものの、失血が多かったらしい。藍川と同じ病室に一日ほど入院するはめになっていたらしく、目覚めた時は病院の白いベッドの上に横たわっていた。藍川は四人の相部屋なのに、他のベッドは空いていたから「一日だけでも寂しくないな」と喜んでいた。四人用の大きな部屋に一人で寝ているのは辛いものがあるんだろう。

 私の傷も藍川の傷も、どう考えても普通に怪我をしたようには思えない。それにも関わらず、病院側が傷について何も尋ねてこないのは気になった。けれどその理由はすぐに分かる。冬音さんが私達の所に見舞いに来た時、ニヤリとした笑みを浮かべて「感謝しなさいよ」と言ったからだ。きっと冬音さんが何かやったのだろう。聞こうかとも思ったが、はぐらかされそうだったので止めておいた。


 そんな私達の所に見舞客はやって来る。

 一日の間、私が退院する前にどこから噂が広がったのか、茜と一宮が焦った顔で病室に駆けこんで来た。そして私達の笑顔を見てほっと安心した顔になる。「何だよ、通り魔に襲われたんだって?」「え? 違うよ、強盗倒したんでしょ?」などと茜と一宮が首を傾げて話している様子を見て、冬音さんは一体どんな風に私達を誤魔化したのだろうと、藍川と顔を見合わせて静かに笑った。

 他にもたくさん人は来た。ひなと哀歌と紫乃ちゃんが果物の詰め合わせを手にやって来て、私と藍川と少し喋っていったり。唯くんが両親と共に見舞いに来てくれて、久しぶりにおじさんとおばさんに挨拶することも出来た。和彦さんと奈央子さんと愛ちゃんがやって来て、藍川も気恥ずかしそうだったもののはにかんでいた。あと、担任が私達の所に来て熱血な勢いで心配してくれたり。私のお母さんとお父さんにも連絡は行っていたようで、焦った声の電話で今すぐ帰ろうとしている旨を告げていた、勿論そこまで大事に至ったわけでもないので断り、代わりにそのうち一度長い休みを取って帰って来て欲しいと告げたが。


 そして私が退院しようと荷物を揃えていた時。その人はやって来た。

 佳奈美がやって来た。




 部屋に佳奈美が入って来た時、私はちょうど荷物を詰め終わっていたところだった。藍川は昼寝をしていて、そんな彼を佳奈美は一瞥して私に向き直った。私もベッドに腰掛けた状態で佳奈美を見上げる。

「…………退院するの」

「うん」

 静かな声で尋ねてくる佳奈美の顔は、未だ右頬が青く腫れていた。こっちが付けた怪我なのに見るからに痛々しいその怪我を見つめていると、視線に気がついた佳奈美はそっと頬に手を這わせる。触れた一瞬痛むのか眉を歪め、ピクリと指の先を跳ねる。

「あなたが付けたのよ」

「知ってる」

 佳奈美の目は私を見据えている。私も同じように佳奈美の目の奥を見つめる。ただ黒く、目から佳奈美の感情が分かるはずもない。

 佳奈美の手はダラリと垂れ下がり地に伸びている。服装もシンプルで体にぴったりとした物で、どこかに凶器を隠しているようにも見えない。とはいえ、油断はしない。

「それで私の所に来てどうしたの? ……殺されないよ私、まだ生きるって決めたもの」

 佳奈美は私の挑発的な言葉にも静かに目を細めた。

 そして端が切れ血の滲んでいる唇を開き、ほうと長く息を吐いて告げる。


「あたしはあんたを許さないから」

 キツイ眼差しと宣言。瞳の奥で光が揺らぐ。

 私はただ頷いて。佳奈美は続ける。

「傷付けられない、倒せない、殺せない。だったらあたしに出来ることはたった一つ、あなたを生涯許さない」

 声に力がこもる。押し殺した怒りの色は色濃く声と表情に滲み出る。

 許さない、と最後にもう一度呟いて。そして佳奈美は表情を変える。

 怒ったように泣きそうに、歪んだ笑みを私に突き付ける。


「だからお前も、忘れるな」


「…………うん」

 静かにまた頷いた。

 佳奈美はそれ以上何も言わず、背を向けて歩き出す。その背中にたくさんの感情を抱えて、押し殺して。

 一生かかっても許せないあいてに背を向ける。それは彼女にどんな感情を与えているんだろうか。


 私は佳奈美と似ていて、だからこそ全く違う。

 彼女の気持ちは私には分からない。

 分からなくていい。


「ごめんなさい」


 私の気持ちも佳奈美には分からない。





「そう言えば皆後でお見舞い来るって言ってたよ」

「本当? 嬉しいな」

 藍川はニコニコと笑みを絶やさない。私も釣られてニコニコ笑う。

 病室に二人っきり。今は他の見舞客も来ていないし、部屋には他に誰もいない。

 暑いからと開け放した窓からは少し熱を持った風が吹く。よどんだ空気が新鮮なものへと変わるのが楽しい。

 シャリシャリと林檎を食べ終えた藍川は不意に顔を見上げ、私と目を合わせた。


「……………………」

「……………………」


 無言の会話。

 私の口が、勝手に呟いた。


「藍川ってさ、好きな人いるの?」


 藍川は一瞬だけ目を見開いた……ような気がする。すぐに無表情へと変わったから分からない。

 特にこの話題に脈絡は無い。唐突に、『お腹空いたー』とでも言うかのように、沈黙が嫌で取り入れただけの話題だ。

 だから、藍川の言葉に少し驚く。

「いるよ」

 ギョッと目を上げた私の顔を、藍川は微笑を浮べた顔で見据える。

 あ、と思った。

 今まで気付かないフリをしてきたものが心から零れ落ちた。そして床に叩きつけられてベチャリと中身を撒き散らす、そんなイメージ。

 強風が藍川の髪を揺らす。それを押さえもせず、藍川はベッドのシーツを握り締めた。気付いていないのか、緊張したようにカタカタと震えている。

 藍川はいつもの優しい笑みを浮かべ、いつもの優しい声で、けれどいつもとは違う雰囲気で。囁くように言った。


「優しい人だよ」

 続ける。

「僕より何倍も格好良くて、強くて、そして綺麗で、可愛くて」

 続ける。

「壊れそうに脆い時がある。それでもそれを自分で直そうとする。脆くて強固で。だから僕はそんな彼女を守ってあげたいんだ」

 続ける。

「昔は愛されたかった。でも今は、愛したいんだ」

 続ける。

「頼りなくても弱くても格好悪くても。そんな僕だって、男だから、大切な人を守るから。彼女が幸せだったら僕は不幸になってもいい。だから」

 続ける。

「だから――――」


 震える声を押し殺す。

 震える手を握り締める。

 形容しがたい、切ない顔で彼は笑う。


 藍川は続ける。

 唾を飲んで、息を吐くように言った。





「好きです、凪ちゃん」

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