第62話 紫乃ちゃんの秘密
翌日の五時間目、私達は情報の授業の為にパソコン室へと向かっていた。パソコン室は一階の旧校舎の隅の方にある。旧校舎と言ってもそこまで古くは無く、設備されているパソコンも去年最新のに総入れ替えしたばかりの新品だ。
「もう聞いてよ! そしたらコンビニのあんまん売り切れててさ、マジないわー」
茜の他愛ない話に耳を傾けながら頷き、二階の階段を下りていると、
「あっ、凪先輩!」
元気な声がかけられる。階段の下を見ると、通路から上半身だけを階段に見せている状態で、笑顔の紫乃ちゃんがブンブンと手を振っていた。その動きに合わせて三つ編みが可愛く揺れる。その時、彼女が背中に何か細長いバッグを背負っているのに気が付いた。大きさ的には野球部の使うバットくらい。授業か何かに使うんだろうか?
茜に先に行っているように言って、階段を三段を残したまま止まり、そこから「やっほー。どうかした?」と尋ねる。紫乃ちゃんは少し考えているように頭を振り、「用ってかんじではないですけど、ただ見かけたから声をかけただけで――――あっ、そうだ、聞いて下さいよ!」
そこで一旦区切り、紫乃ちゃんは満面の笑みを顔に浮かべる。
「友達が出来たんです!」
と言った。
後輩に友達が出来たという報告はとても嬉しい。同じ部活の仲間である以上、他人事ではないのだ。哀歌の件もあることだし、学校生活が辛いと思って欲しくは無かった。
「へぇ、良かったじゃない! どんな子?」
だから私はその報告が純粋に嬉しくて、そう尋ねた。
てっきり言葉で示してくれるのだろうと思っていた。「優しい子ですよ!」とか「大人しくて静かな子です」とか。
だから、
「この子ですっ!」
「…………えっ?」
紫乃ちゃんが廊下に隠していた体をピョンと私の目の前に戻し、隠されていた左手に襟を掴まれて身動きの取れない状態だったその子を見せた時、
――――ましてやその子が、例の佐々木さんの妹だと理解した時、
「…………えっ?」
二度、同じ戸惑いの言葉を繰り出したのはしょうがないと思う。
「離しなさいよ。て言うか、別にあたしあんたの友達になった覚えなんて無いんだけど」
「まあまあそんなかたっ苦しいこと言わずにー」
冷たく紫乃ちゃんの手を振り解こうとするその子は、露骨に嫌そうな顔で彼女を睨みつけた。それを紫乃ちゃんはへらへら笑いながらも、腕をしっかり握って逃がさない。
その子がチラリと私の方に顔を向け、そして目を細めた。
「…………どうも」
一応上級生だから、といった感じの理由なのか知らないけれど、彼女は小さく会釈をする。私も少し戸惑いながら返事をし、
「名前、聞いてもいいかな」
「名前?」
その子は一瞬訝しげに眉を歪める。けれど、
「さいとう……斎藤、桜です」
名字は違うけれど、それは多分親戚の苗字を名乗っているからじゃないだろうかと私は思っていた。
その子を今見ているこの瞬間、私はこの子が本当に佐々木さんの妹なんだと確信する。
だって、無愛想な無表情も、訝しげな顔をする時の表情も、顔の作りとか雰囲気も。全てが佐々木さんとそっくりだったのだから。愛ちゃんと藍川を見た時も、同じことを考えていた事を思い出す。
……それにしても、こうも短期間で二組も生き別れの兄妹を見つけるだなんて思いもしなかった。そんなのドラマだけの話だと思っていたけれど、予想以上にそう言う子達は存在するのだろうか。
「あの、何ですか?」
考え込んでいた私に桜ちゃんが尋ねる。その目は不審な人物を見るような目付きと同じで、まあしょうがないかと思う。
「あたし用が無いなら教室戻りますけど」
「え、あっ、ちょっと待って!」
踵を返して戻ろうとしていた桜ちゃんを呼びとめる。不機嫌そうな顔で「何ですか」と低く呟く桜ちゃんに、咄嗟に思い付いた言葉をかけた。
「――――兄妹っている? 例えば、お兄さんとか」
桜ちゃんの動きが一瞬止まる。足も、手も、呼吸も。けれどそれは一瞬で、すぐに彼女は冷静な顔で顔を背けた。後ろで縛ったポニーテールを揺らしながら、「……分からない」と一言言い残して廊下へ姿を消した。
「ありゃー、行っちゃった」
棒読みでそう言いながら廊下に顔を出して、紫乃ちゃんは呟く。
「紫乃ちゃんは授業行かなくていいの? もうすぐ始まるよ?」
「んー……何か面倒なんで、サボろっかなって」おい。
次の時間数学ですしー、意味わっかんないんですよ! なんて笑う彼女の目が少し遠くを見ている事に気付く。手を伸ばして尋ねる。
「でも紫乃ちゃ――――」
サボるって言うのなら、その背中の物は何? そう言おうとしたところでチャイムが鳴り響き、肩に置こうとしていた手を止める。
紫乃ちゃんは私の方に振り向いて、ニッコリと微笑んだ。
「もう時間ですね。先輩、急がなきゃまずいですよ! それではっ」
そう言うが早いか、紫乃ちゃんは廊下に消える。駆け去って行く足音が聞こえ、私は一人数秒だけその場に立ちつくしたままだった。
「…………行かなきゃ」
遅刻かな、先生まだ来てなきゃいいけど。そう考えながら急いで階段を駆け下りる。
紫乃ちゃんが持っていた物にも、彼女がサボろうとしていた本当の意味も、私は何も気づいていないままだった。
何かうるさい。
パソコン室でパソコンを操作していると、何か耳に怒鳴り声のようなものが聞こえて来た。外からの声なのだろうそれは、パソコン室までよく聞こえている。
情報担当の男の先生が不思議そうに窓のカーテンを開ける。そして驚いたような声を漏らしていた。
「おい、外何か面白いことになってんぞ!」
委員長の岡野が飛びつくようにカーテンを開け、窓も開け放す。男子を中心としてパソコン室にいた全員が窓に押し寄せ、先生がそれを怒って席に戻るように注意しても、誰一人として戻りはしなかった。
窓を開けると、くぐもっていた声が鮮明に聞こえる。
「ふざけんなよ! 私達に喧嘩売ってただで済むと思ってんの!?」
「なんなのよいきなり来て。頭おかしいんじゃないの?」
窓から少し離れた所に柔道場の近くの水道が見えた。その柔道場の壁に一人の女子生徒を押し付け、その周りを三人の女子が囲んでいる。慎重と雰囲気的に囲まれているのは一年生、囲んでいるのは二年生だろう。
彼女達は見物人がいることに気づいていないのか、声のトーンを押さえることもなく、むしろ荒げていく。
「何か話せって言ってんだよ!」
その子を正面から囲んでいる女子が、ガンッと足で壁を蹴ってその子を脅す。
パッと見、カツアゲか一方的な喧嘩かと思ったけれど、言葉からしてみるとそうではないらしい。むしろ、一年生から喧嘩を売ったようにも考えられる。
と、囲まれていた一年生の子が、今まで閉じていた口を開いた。
「先輩を虐めてたのってあなた達ですか?」
「は? …………ああ、僕のこと?」
自分で言った言葉に、囲んでいた女子が吹き出し、「ほんと、あの名前可笑しいよね。僕って何さ! あいつ、親にも嫌われてんじゃないの?」と二人の仲間に同意を求める。三人が馬鹿にしたように笑いだすのを見て、
「そうです。哀歌先輩の事です」
一年生の子のその言葉に、正確にはその声に息を飲んだ私に気付き、隣から窓の外を見ていた一宮が「知り合いか?」と尋ねる。私は頷き、目を細めた。
正面を囲んでいる女子の所為で隠れていてよく見えないけれど、一年生の子の足元にさっき見たばかりのバッグが落ちているのが分かった。
「…………ああ、もう!」
何してんのさ紫乃ちゃん!
そう叫びたくても状況的に叫べないもどかしさが私を苛立たせた。
そんな私の気持ちになんか気付かず、紫乃ちゃんは挑発的な口調で相手に言い返す。
「私の先輩のこと笑わないでくれます? ……それと、もう虐めるの止めて貰えません?」
言いながら、彼女は自然な動きで半歩前に踏み出した。それに気付いた様子も無く、三人は不可思議な物を見ているかのように「はぁ?」と声を出す。
「意味分かんないんだけど」
「虐めを止めてくださいと言ったんです」
紫乃ちゃんの右を囲んでいた子が呆れたように、「何で初対面のあんたに言われて止めるって?」と言いながら頭を掻く。「馬鹿らしいよもう。帰ろうよ」と二人の仲間に提案して。
「なんでよ。最初にここいたの私達じゃん。いきなりやって来たのこいつだし、こっちが折れる必要なんかないでしょ!」
正面にいた子が憤慨し、右の子に視線を向ける。
「…………もういいですよ」
ハアッと紫乃ちゃんが溜息を付き、ゆっくりと足元に落ちていたその細長いバッグを手に取る。そして三人の間をするりと抜け、数歩遠ざかった状態でまた向き直った。
その子達は彼女が逃げるのかと思ったのか、ニヤリと馬鹿にしたような笑みを浮かべながら「逃げんじゃねえよ!」と叫ぶ。けれど紫乃ちゃんは、「逃げるわけ無いじゃないですか」と静かに言い返し、こう続ける。
「女の人に暴力を振るう男なんて最低だっ! ……とか言うじゃないですか?」
「は? そりゃそうでしょうよ。どう考えても」
何を言っているのと言いたげに、三人は紫乃ちゃんに向き直る。
「虐めだって立派な暴力ですよ?」
その時右にいた一人が、正面に立つ子に何やらひそひそと耳打ちをし、二人でニンマリと笑った。正面の子が紫乃ちゃんに一歩歩み、
「――――でも、女からだったらいいんじゃないっ!?」
「っ!」
ガツンと鈍い音がして、頭を殴られた紫乃ちゃんが地面に倒れた。窓からそれを見ていた女子がそれを見て小さく叫ぶ。その時ようやく彼女達は私達に気付いたのか、「見てんじゃねえ! 見世物じゃねえぞおい!!」と勢いに任せて怒鳴る。
情報の先生が慌ててパソコン室から出て行くのが視界の端に映った。先生はもう五十代、元々体力も力もあまり無い人だ、一人で止めるよりは他の先生と共に止めに行った方がいいと判断したのだろう。
ふと上を見上げると、校舎のあちらこちらからちらほらと生徒が窓から顔を出してその光景を眺めていた。紫乃ちゃんが殴られているのをハッキリと目撃したのか、「一年生に卑怯だぞ!」などと罵声が飛ぶ。
と、地面に手を付けながら紫乃ちゃんがゆっくり立ち上がった。頭を押さえ、痛そうに呻きながらもその目が彼女達を睨んでいるのが分かった。黒いセーターに僅かに茶色い泥がこびり付き、頬や髪も同様。
「ええ、確かにそうですね。女からだったらいいかもしれませんね」
そんなわけないだろう、と言う誰かの小声が聞こえた。
暴力は男からでも女からでも暴力であることに変わりは無い。でも紫乃ちゃんは多分、それを分かっていてああ言ったんだ。
紫乃ちゃんがバッグのチャックを開ける。そして中身の物を取りだした。
息を飲む。
「女からの暴力だったらいいって言いましたよね?」
紫乃ちゃんが取り出した物を見て、確認をするかのように言った。
「……え? いや、ちょっと。何それ…………」
青ざめた顔の三人は、紫乃ちゃんの言葉より存在より、その手に持つ物に意識が集中していた。
「私決めてたんですよ。高校入ったら変わろうって、真面目になってやろうって。……それなのに、何でこう初っ端からこんなことさせるんですかもう」
紫乃ちゃんの声はいつも通り変わらない静かで落ち着いた声で。声が震えている事なんて無い。それが、彼女の本気を露わしていた。
「いっ、いや、だったら私達に関わろうとしなければ、いいじゃない……っ!」
三人が逃げ出そうと後ずさる。けれど、生憎すぐ背中が壁に当たり、動きは止まる。一人が二人を盾にしようとし、二人が必死に抵抗してその一人の後ろに逃げようとし、三人は遊んでいるかのようにぐるぐるとその場で回る。
それを見てクスクスと笑いながら紫乃ちゃんは三人の前に歩み寄った。恐怖を増進させたいのか、ゆっくりと、ゆっくりと。三人は血の気の引いた顔で震え、腰が抜けその場にへたり込んでしまう。
「そう言うわけにはいきませんよ。だって、私」
紫乃ちゃんがニッコリと笑い、その手に持った木製バットを強く握り締めた。野球部がよく使うバット。その木製。ただし、そのバットにはいくつもの釘が刺さっていた。
いわゆる、『釘バット』と言う奴だ。
「やめっ……!」
三人の泣き出しそうな声に、紫乃ちゃんは目を見開きながら笑う。そして、バットを振り上げた。
「虐めとか、大っ嫌いだからさぁ!」
鈍く重い音が辺りに響き、三人の絶叫がそれ以上に響き渡る。




