第52話 ロシアンルーレット
降りた先はさっきとあまり変わりのないホテル街の景色だった。けれど、よく見るとちらほらと廃ビルのようなものも見える。ドレス姿の女の人やスーツ姿の男の人が何人かそこに向かっていくところだった。風は相変わらず冷たく、微かに潮の匂いが混じっている。
ああ、ここがどこだか分かった。一番ではないにしろ、市の中でもそこそこ治安が悪い場所、彼岸町だ。
「こちらです」
桃香さんに案内されるように私達が歩く。途中おめかしをしたドレス姿の人達が私達の横を足早に通り過ぎて行った。私達には気もくれず、一瞥したところで特に反応は無かった。その人達の後を付いて行くと、とある大きなホテルの前に辿り着く。
「……別に、普通のホテルだね」
藍川が呟く。その通り、そのホテルはただのホテルとしか言いようが無い。そこまで大きいわけでもなくせいぜい数階建て程度の高さだ、むしろホテルにしては小さい方かもしれない。それなのにその入り口には次々に洒落た服装の人達が入って行っている。
「それでもここなんですよ。入りましょうか」
そう言って桃香さんが靴の踵を鳴らしながら中へと入っていく。外は風が吹いててかなり寒いし、私達も慌てて後を追った。
「いらっしゃいませ、本日は当ホテルをご利用いただき誠にありがとうございます」
ホテル内に入ってすぐのロビーはたくさんの人で混雑していた。数人の男性が友人らしき数人と談笑していたり、女性が男性といちゃ付いていたり。そんな中で入口の傍に立っていたホテルマンの一人がそんな台詞と共に私達に会釈する。続けて、「本日貸し切りとなっております為、招待状を拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」と丁寧な口調で尋ねて来る。
「どうぞ」
桃香さんがそう言って一枚のチケットを手渡す。彼は礼と共にそれを受け取りしばらく眺めた後、軽く頷いて承諾する。その後ちらりと私や藍川を見て、ほんの少しだけ怪訝そうな顔となった。
「申し訳ありませんが……こちらのお連れ様方はお幾つでしょうか?」
桃香さんがちらりと私達に目配せをする。ニコッと微笑みながら、「二人とも十八です」と答える。
「十八…………失礼ですが、こちらの女性はともかく」と言いながら私を見て、次に藍川を見て「こちらの方は、中学生に見えるのですが……」
うぐっ、と藍川が顔を顰めて喉を詰まらせる。私はもうすぐ十六になるとして二歳程の年齢なんて誤魔化せるかもしれないが、藍川は顔立ちの場合、むしろ十六の現在より幼く見えてしまう。
桃香さんの背後で冬音さんが口を押さえて俯いていた、肩が微かに震えている。棺先生、佐々木さんも同様だ。
「ふふっ、よかったわね楓。大分若く見られてるじゃない! 童顔って良いものよね」
桃香さんも人の事は言えないんじゃないかと思う。まあそれはともかく、楓って誰だ? と思考し、桃香さんが即興で作った藍川の偽名だと気付いた。藍川も一瞬だけきょとんとしながらも、意図に気付いたのかすぐに慌てながら話を合わせる。
「や、やめてくださいよぉ。ぼっ……わたし、もう大人ですよぉ?」
小さな声は普段より少し高めだ。まだ役になり切れてはいないようで、少したどたどしい。けれどホテルマンはそれについては特に言及せず、失礼しました、と謝った。そして、
「それでは、本日はどうぞごゆっくりお過ごしください。会場はあちらになります」
そう言って手で示した方向には、赤い大きな扉があった。何人かの人がそこへ入っていく。私が歩み寄り、冷たい金属の取ってに手をかけようとした時だった。骨張った大きな手が私の手に触れた。
「あ、すみませ……」
そう言って手の主を見上げた。
スキンヘッドの、骨の骨格が分かる程に痩せた顔。窪んだ、大きな目は異様にギラギラと輝いて、薄ら笑いがやけに気持ち悪い。薄い唇から覗く歯は黄色くなっていたり茶色くなっていたり取れていたりととにかく汚い。初老の男性のようにも見えたが、もしかしたらまだ若いのかもしれない。
そんな人が無言でニヤニヤと私を見下ろしていた。
「……………………」
気持ち悪い。素直にそう思って、無言で佇む彼に道を譲る。扉を開けて入って行った彼の後を追うように、私達も扉を通る。
扉の向こうには階段があった。上へ向かう階段と、下へ向かう階段。手すりが剥げて錆びているような古びた階段だった。
「そうか、地下があるんだな」
棺先生がポツリと呟く。冬音さんが頷き、
「地下の方が色々都合が良いのよ。音も漏れ難いし、窓が無いから光で見つかる事も無い。逃げる時はちょっと手間取るから、いざという時は面倒だけどね」
そんな会話を聞きながら、私はさっきの人の事を考えていた。
あの痩せた顔はただたんに拒食症だとか、そんな域じゃない。目の輝きもおかしいし、どこがと聞かれるとよく分からないが、何か違和感があった。生理的に気持ち悪い。そう思ったんだ。
きっとあの人は薬物を乱用しているのだろう。依存症か、中毒か。どっちにしろ重症であることには間違いなさそうだ。……そんな薬物に陥ってしまった人が、今から向かう先には大勢いるんだろう。
階段を下り切ると、また赤色の扉があった。桃香さんが手をかけ、一度私達に振り返る。
「では、説明したことは覚えていますね? いざという時、わたし達は責任を取りませんが、良いですね? …………覚悟は出来ていますか?」
そんなこと、最初から分かっている。
私達の頷きに微笑みながら、桃香さんは扉を開けた。
酷い音楽だ。その空間に入った時に真っ先にそう思った。
「あー! 何これ、うるさいっ!」
両耳を押さえて叫ぶ冬音さんの声も聞き取りづらい。それくらい大きく、今私達がいるこの広々とした空間には音楽が流れていた。
そこは想像以上に広い空間で、勿論ながら窓は無い。赤黒い色の絨毯が床に敷かれ、所々変な色の汚れが付いている。壁はただの白い壁だが、切り傷や火傷痕なども存在して…………これ、銃痕だったりするのかな。内装はソファーやバーが置いてあるような普通の会場といった感じで、中央には大きな水槽が置かれていた。端には小さな扉があり、きっとヤクザの密会とかしてるんじゃないかなと考えた。
そして、外やロビーにいた人達と同じような格好の人達がたくさんこの空間で動いていた。近くのソファーに座って会談していたり、何杯もお酒を飲んだり、トランプのようなものを広げて真剣な顔でゲームをしていたり。鼻に残るような何とも言えない異臭がここには漂っている。何の匂いだろう。煙草とお酒と体臭とその他諸々の匂いが混ざった、変な匂いだった。けれどすぐに慣れたのか平気になった。
大音量の音楽は未だに流れている。今流行りの歌手の恋愛ソングのようで、『君の為なら死んでもいいさ』なんて言う、恋愛経験の無い私にとっては到底理解出来ないものだった。確か茜がこの歌手のこと好きだったっけ。……あ、音楽が変わった。今度は更に激しいヘビメタへ。
「では、ここからは個人行動で。自分達で頑張ってくださいね」
そう言うが早いか桃香さんはどこかへと歩き去っていく。それを見て棺先生と佐々木さんもそれぞれの方向へと消えて行く。残された私と藍川と冬音さんは互いに一瞬だけ顔を見合わせてから頷いた。
「気を付けてね、二人とも」
そう言って冬音さんは私達から離れ、バーへと去っていく。藍川は少し困ったように微笑みながら、無言でその場に残っていた。
「じゃあ、私も行くから。気を付けてね、あいっ…………楓」
「はは……ん、そっちもね」
小さく手を振り返す藍川に背を向け、数歩歩く。また背後を振り返ったが、人混みでもう藍川の姿は見えなくなっていた。これで私は独りっきりだ。だけど、これからどうしようか。
取りあえずまずは自由行動として部屋の中央へと向かう。さっき入った時から気になっていた水槽に近付いて観察した。
私の体より大きいんじゃないかと思うほどにとても大きな横長の水槽のガラス。青白い光を受けて輝いている水の中で、赤や黄色や青と言った綺麗な魚が泳いでいる。外側から指でガラスに触れると数匹の魚がぽかぽかと口を開閉し、可愛い。
「お譲ちゃん、一人かい?」
くぐもった低い声がかけられる。振り向き、声の主に「ええ」と答えた。小太りの眼鏡をかけた短い髪の男性だ。表面上はにこやかな笑みを浮かべているが、内心どう思っているかは分からない。体ごとしっかり振り向いて、「何ですか?」と笑顔で尋ねた。
「いやぁ、暇だったら俺と話さないかい? 大丈夫、変な事とかしないから」
こんな所に来る人の言葉なんて信用出来るかと突っ込みたかった。けどそれは、私も同じか。
考えるようなフリをしてから頷く。男性も微笑みを浮かべ、私に付いてくるよう言って歩き出した。
「倉田さん遅いよぉ! ……ってあれ? その子、だぁれ?」
部屋の隅には大きなソファーがある。そこに座りながらお酒を飲んでいる女性は、私を見て少し怪訝そうな顔をした。ウェーブがかった金髪で、胸元を大きく肌蹴させた服を着ていた。
「さっき会ったばかりの子でね、名前は…………」
「雫です」
藍川と同じように偽名を名乗った。倉田と呼ばれた彼は疑う様子も無いまま「良い名前だね、雫ちゃんか」と微笑んだ。どうせ何て名乗っても同じ台詞を言うんだろうな。
まあ座りなよ、と私は女性から少し離れた所に座る。男性は私と女性の間に座り、ニコニコと話し始めた。
「雫ちゃんは若いねぇ! 何歳かな?」
「あ、十八です」嘘だけどね。
「へー! 本当に若いね。ここに来るのは初めて?」
「はい」
「ちょっと倉田さん! 優奈もまだ若いよぉ!?」
女性が少し憤慨した様子で突っかかる。ワザと胸を腕で挟むように誘惑し、倉田さんにのしかかり上目遣いで見上げる。
「勿論。優奈ちゃんだってまだピチピチだもんね、可愛いよ」
そう言いながら倉田さんは亜美さんの肩を抱く。気持ち悪い。
しばらく話していると、倉田さんはトイレに行くと立ち上がる。その場に残された私に優奈さんは呟いた。
「あんたさぁ、あの人狙ってんの?」
「は?」
ガラリと口調の変わった彼女に驚く。狙うって何だ、そんな表情の私を彼女は鼻で笑う。
「倉田金持ってる感じじゃん。どうせあんたも金狙いっしょ?」
否定することはせず黙り込む。何を言っても無駄な感じがしたし、ボロを出すのは避けたかったから。だけど次の言葉に聞き返さない事は出来なかった。
「んでそれで買うんでしょ? 薬」
「えっ? あの、薬って……」
そう言うと優奈さんは「は?」と顔を顰めて馬鹿を見るような顔をする。
「あんた馬鹿? ここってそういうとこでしょ。ほら、優奈もやってるし」
そう言いながら何かを取り出し見せつける。透明な袋に細かい結晶の塊が入っている。麻薬や薬物系なんだろう。簡単に人に見せるお前の方が馬鹿じゃないのか。
彼女が薬を仕舞っている時、倉田さんが戻って来た。隣にもう一人男性が立っている。
「いやお待たせ。トイレでこちらの方さんに会ってね。知ってるかな?」
いや知らないですけど。だけど優奈さんはその人について知っているようだった。
「堂本さん! わぁっ、お久しぶりですぅ!」
コロリと態度を変え、甘ったるい声色ではしゃぐ優奈さん。堂本と呼ばれたその人は右手を上げて返事代わりにしていた。
艶のある黒い髪をオールバックにした三白眼の目付きの、黒いスーツに身を包んだ怖い男の人。三十代前半のようだが、威風堂々とした雰囲気を出していた。
彼は優奈さんにも私にも微笑を見せてソファーに座る。待ってましたと言わんばかりに優奈さんがそっちの方へ移動し、甘ったれたような声と顔で話しかける。
「お久しぶりです、覚えてますかぁ? 優奈ですよぅ! 前にお店遊びに来てくれましたよねぇ?」
「あー、そうだったかな。忘れたよ」
もうっ! 酷いですよぉ! とワザとらしい声と口調で話す優奈さんを軽くスルーして、堂本さんが私に目を向ける。三白眼は、ちょっと怖い。
「こんばんは、お譲さん」
「どうも、こんばんは」
冷めた声が鼓膜を震わせる。倉田さんとは全く印象の違う雰囲気に、少し体を強張らせて警戒した。この人は危ない人だと直感的に判断する。
そんな私の様子に気付いたのか、堂本さんは口元を歪ませながら私の肩を抱き寄せた。思わずビクリと肩を跳ねてしまった私を笑いながら、それでも彼は動きを止めない。
「そんな緊張しなさんな。名前、何て言うんだい?」
「し、雫です」
肩に乗せられていた、大きくゴツゴツとした冷たい手が首筋へと伸びて来る。悪寒の走るその動きに、堪らず体を引こうとしたけれど、また抱き寄せられてしまった。
「あっ、あのっ! こういうのは、その、やめ」
「俺は君みたいな初々しそうな子が好きなんだよ。若い子は、特に」
艶のある声色で私に囁く堂本さんの姿に、優奈さんがムッとした表情を作るのが見えた。彼女に話しかけている倉田さんにも素っ気無い返事を返しながら、私に『泥棒猫が』とでも言いたげな視線を送る。倉田さんはと言うと、私の状況にへらへらとした苦笑いを送りながら、優奈さんの方に夢中になっていた。
その間にも手は伸びて来る。肩に、首に、腕に、腰に、足に。嫌悪が悪寒となってゾワゾワ体を走り、顔から血の気が引いて行く。この人は私に何をする気なんだ。それより、これ以上進んだら……
「っ! だ……めです!」
太腿まで手が伸びた所で、思いっ切り堂本さんの体を押し返した。
この人は気持ち悪いし、こんなことをされるのはとても怖い。だけど、それよりも何よりも、今私は武器を持っている。いつもの包丁は隠し辛いから、小型のナイフだ。そしてそれは私の腰と太腿の間に隠し持っている。ファスナーを開けて、すぐ出しやすいように。これ以上この人に触られていたら確実にバレてしまう。
真顔で私を見つめる堂本さんを見つめ返す。何も無かったかのような顔で「どうかしたのかい?」なんて首を傾げる仕草にさえ憎悪感を抱いた。
「これ以上、こんなことはやめてください。私はそんな女じゃありません」
「ふーん」
私の言葉が聞こえていないように、堂本さんはまだ手を伸ばす。胸元に伸ばされかけた手を叩き落とし、
「やめてください」
そう言って、持っている限りの怒りと勇気を込めて睨み上げた。荒い息を繰り返し、青白い顔で睨まれたところで、この人に恐れを抱かせることなんて出来ないだろうとは分かっている。けれど、予想外に彼は微笑んで頷いた。
「そっか分かった。じゃあやめるよ」
「…………はい」
案外あっさりとした返事に、多少呆気に取られながらも言葉を返す。
「だけど」
顔を上げると、堂本さんは目を細めながらニヤリと笑っていた。ドロリと黒く濁った眼球が私を射抜く。
そして彼は言った。
「ゲームでもしようか」
半ば無理矢理手を引かれ立ち上がらされた。抵抗する間もなく、彼はぐいぐいと私の腕を力強く握って離さない。いちゃ付く男女の真ん中を通り過ぎ、ヤクザ達の横を通り過ぎ、泥酔し床に寝転がっている人を踏み付け。踏み付けられた人が悲鳴と怒号の声を上げていたが、近くのヤクザにうるせえと怒鳴られて黙り込んでいた。堂本さんは誰一人として視線を合わせずただ真っ直ぐと前を見つめ、そして部屋の真ん中に会った壁の黒い椅子に強制的に私を座らせ、自身も対面に座る。
「あの…………」
言葉を発しようとして気付く。私が手を付いたソファーの一ヶ所が濡れている。恐る恐る見下ろすと、にちゃりとした音と共に、焦げ茶色の液体が付いている。黒いソファーの色に紛れて分かり難かったが瞬時に理解する。これは血だ。
「雫さんは、ロシアンルーレットって知ってるかな」
私の混乱している心境とは対象に、堂本さんの声は至って静かな口調だった。このうるさい音楽の中でもその声は通る。
「ロシア……し、知ってますけど。あの、銃に弾を入れてお互いに自分に撃って、死んだら負けってやつですよね?」
「そう。命か大金を懸けるゲームだ」
そう言って堂本さんは少し辺りを見回した。私も振り返って辺りを見渡す。
左のテーブルでは若い男性達が涎を垂らしながら不気味な笑い声を上げていた、テーブルの上にはパイプや注射器が散乱している。右のテーブルでは厳つい顔の男性が女性を侍らせてパイプを吸っている。甘ったるい匂いが左右から漂っていた。薬の匂いなのか。
背後にはさっき見つめていた水槽がある。中の青い水の中、魚は何も考えていないようにぷかぷかと泳いでいた。
ゴトリ、と言う音に正面に顔を向けた。
「っえ」
テーブル上に置かれたそれに思わず目を見張る私に、堂本さんは微笑みを浮かべる。
艶消しの黒で塗られた細長いもの。それを軽く握ってこう言った。
「初めてかい? 拳銃を見るのは」
言葉が喉から何も出ない。顔から血の気が引き、少し目眩がしてきた。唾をごくりと飲み込み、改めて状況を観察する。
堂本さんの持っている拳銃に、今はまだ周りの人は誰も気づいていない。いや、気付いていた所でここではそんなこと当たり前なのかも。さっき銃痕あったし。左右のテーブルの人達は気付く様子も無く自分達の遊びに夢中だし、こちらを見る気配さえ無い。そして彼の持つ拳銃の銃口は、引き金に人差し指がかかっていないとはいえ、私に向かって真っ直ぐ伸びていた。
「ロシアンルーレット、しようか」冷たい笑顔で、ただ彼は淡々と述べた。
「…………何を懸けるんですか」喉から振り絞った声は、そんな文を作る。
「懸ける物か…………そうだなぁ……………………」
長々と思考した後、思い付いたように堂本さんは手を軽く叩く。
「じゃあ、俺が勝ったら君の身体を貰おうか」
「……どういう意味で」
「売買目的」
女はそのままでも売れるし臓器としても利用出来るしね。物騒なことを明るく話す彼の姿は、私から見ても少し異様だ。この人もきっと、ヤクザとかそっち系の仕事の人なんだと思う。
暖房が付いてるからといってそんなに暑くないはずのここで、頬に流れる汗を拭って、私も引き攣った笑顔で言い返す。
「じゃあ私が勝ったら、薬を貰えますか?」
堂本さんは少しだけ不思議そうな様子で口元を歪ませた。
「へえ、雫ちゃんも薬やるんだ?」
「まだ始めたばかりですけどね」
人生で風邪薬とか以外の薬なんて一度も使った事が無いし、これからも使う気は無いけれど。でもいまこの人から薬物をせしめたら、冬音さん達へのいざという時の証拠になるんじゃないかと思っただけだ。
それに、このゲームの拒否権なんて私には無いんだろうし。雰囲気がこの人の目からは伝わって来る。
私がゲームをやらなかったら、有無を言わさず今突き付けている拳銃の引き金を引くのだろう。そんな雰囲気が。
「ああ、分かった。それじゃあ始めようか」
そう言った彼の目が、一瞬だけ獲物を狙う目になった気がした。
「ルールを説明しよう。六発中一発に弾丸が入っているのこの銃を、二人で交互に自分自身に撃つ。もし弾が入っていて自分に当たったら負け、途中でリタイアしても負けだ。銃を撃つ時は頭部に向けて、それ以外は無効とする。それ以外のルール事は可能。分かったかい?」
「……はい」
コクリと頷くと、彼も満足そうに微笑む。そして「先攻と後攻どっちが良い?」と尋ねる。
先攻は一発目に弾が入っていたら即終了だ。後攻でも確立は変わらないと言えど、始めにやる勇気は私には無い。「後攻で」そう一言だけ言うと、堂本さんも頷いて、
「そうか」
銃を手に取る。どこかの部分を親指で押し上げるとカチッと音が鳴った。黒く鈍い色の銃を側頭部に突き付け、何の躊躇いも無く引き金を引いた。
カチリ。
「……………………はい、次は雫ちゃんの番」
「どっ、どうも」
両手で受け取った銃は思ったよりも遥かに重く、ずっしりとした重量感があった。その冷え切ったような冷たさがやけに恐ろしく、手が小刻みに震える。
どうしてあんなに躊躇いも躊躇も無いんだ。自分の命が懸かってるんだぞ? どうしてそこまであっさりと出来る。
「緊張してる?」
朗らかな声にも返事が出来ない。緊張なんてとっくに通り越して、訳の分からない感情が渦巻いている。だけどやっぱり、この引き金を引かないと負けになる。それはどうにせよ私が死ぬことになる。
深く息を吸い、止める。ぐっと体に力を入れて、重い銃をこめかみに当て、勢い任せに引き金を引く。
ガチン。
「――――っは! はー、はぁー、あ」
体中から力が抜けた。足が小刻みに震えて立てそうに無い。軽い目眩と吐き気を我慢して、銃を渡す。
「大分怖いみたいだね。どうする? やめるかい?」
堂本さんはそう言ってクスクスと笑う。この状況を楽しんでいるようにも見え、首筋に悪寒が走った。
怖がるのなんて当たり前だ。何だかんだ言って、私だって命に執着しているんだ。むしろ、拳銃と同じくらいあなたが怖い。
「いえ、続けます」
「そう」
そして堂本さんは銃を頭に当てる。あまりの決断の早さに目を見開いている私を一瞥しながら、数秒も経たない内に引き金を引く。
不発だ。
「あなた、何でそんなに迷いが無いんですか」
さっきから何回も思っていた疑問を口に出す。彼は微笑んだまま首を傾げ、何を言っているのか分からないとでも言いたげに私を見た。
残る三発中、一発に弾が入っているのであろう拳銃の銃口をわざと自分の目に向けながら、話す。
「覚悟を決めているから、とでも思ってくれて良いよ。……はい、雫ちゃんの番」
鉄製のテーブル上に拳銃を滑らせながら渡してくる。汗で湿った震える手で拳銃を掴み、落とす。
「あっ、あれ……?」
もう一度握ろうとして、また落とす。もう一度、失敗。耐え難い焦燥感に苛まれる私を、堂本さんが耳障りな声で笑う。
「どうしたんだい、出来ないのかい?」
「……………………」
握れない。恐怖で手が震えて、出来ない。覚悟を決めた筈なのに動けない自分自身に苛立ち、視界が涙で霞む。
どうして握れないんだ。今まで、何度も死に直面したことはあっただろう。それでも、この瞬間にだけ出来ないというのは、『拳銃』が身近に無い物であり、尚且つ誰かの命を奪うもの以外には使われないということを理解しているからなのか。それともこの部屋の空気か、それともこの対面している男の雰囲気からなのか。
全部かもしれない。
「さあさあ雫ちゃん、早くおしよ。出来ないのかい? 臆病者かい? さあ、ほら、早く」
堂本さんの声が、言葉が、とても怖い。流れる音楽の爆音が耳に痛く、周りの喧騒もうるさかった。そしてそれらが目の前の拳銃の恐怖を引き立てる。
息が荒くなっていき呼吸が難しい。顔は熱く、目眩が止まらない。堪えようとしても涙はどんどん溜まって行き、零れてしまいそう。怖い、怖い、怖い。
「――――――――っ!」
声にならぬ、無音の叫びを上げながら銃に手を伸ばした。
そしてその手を掴まれる。
「おい、何してるんだ」
「ひ、あぇ…………あ」
力強い、だけれどしっかりとした手に驚く。堂本さんの視線は私の後ろを見つめていて、釣られるように私も振り向いた。見慣れた顔がそこにあった。
「…………ぁ」
安心したのか、別の意味で体から力が抜けた。か細い声が喉から溢れ、手の震えが止まる。
「お前…………雫ちゃんの友達かい?」
堂本さんが一瞬険しく、けれどすぐに和やかな声で尋ねて来る。返事が出来ない私と、私の対面に座る堂本さんを見ながら、そこに立っていた男性――――佐々木さんは頷いた。
「そうだな。…………雫の友人だよ」
パーティーの客と言った風貌の佐々木さんは、そう言ってから私の顔を覗き込む。表面上だけでも微笑みながら「だよなーっ」と軽い調子で言った。私も慌てて零れかけていた涙を腕で拭い、ガクガクと首を縦に振った。
その言葉に、「友人ねぇ」と堂本さんは呟く。どう見ても信じているようでは無かった。
それから佐々木さんは私達の状況を眺めた。ようするに、テーブル上に置かれた黒い拳銃を。特に驚いた様子も無く、囁くように言う。
「何をしてたんだ?」
「ロシアンルーレットだよ」
堂本さんも抵抗なく答える。佐々木さんが続けて聞く。
「何を懸けて?」
「俺はその子の身体、臓器を。その子は薬を」
「詳しいルールは?」
「…………その銃は残り三発中一発に弾が入っている。それを二人で交互に自分自身に撃ち、弾が入っていて自分に当たったら負け、途中でリタイアしても負け。銃を撃つ時は頭部に向けて、それ以外は無効とする。それ以外の事は可能」
佐々木さんは少し考えるように顎に手を当て目を伏せる。不安な私と、表面は余裕そうな堂本さんがそれを眺めていると、時間にして一分程度経った時だろうか、佐々木さんが言った。
「じゃあオレがこの子の代わりに出ることにする。良いよな」
驚いたのは私だ。思わず立ち上がって佐々木さんに詰め寄る。
「っ、駄目ですよ! き、危険なんですよ!? これ! 運任せだし、残りはもう……!」
「大丈夫だ。少し黙れ」
無愛想な言葉に思わず黙る。不満気な瞳で佐々木さんを見つめるも、彼は私では無くもう一人の人に話しかける。
「別に良いだろう? ルールでは『二人交互』ってことだし、それがお前と雫のことだけを差しているわけじゃない。オレとお前の二人でも良い筈だ。それに最後でも言ってるじゃないか。『それ以外の事は可能』って」
「…………何を懸ける?」
「何でも好きにすればいい。だけど、もしオレが勝ったら」
佐々木さんはスッと息を吸って、まるでテレビの悪役が浮べるような笑みを浮かべた。
「お前の財産、全部寄越せ」
本当に悪役のようだ。私が命に執着するとするのならば、この人はお金に執着している。
堂本さんは黙る。けれど、決して気分を害しているようではない。むしろ口角を上げ、ほくそ笑んでいた。
「面白い事になったな。いいだろう」
ギシッとソファーにもたれかかり、堂本さんは不敵に笑う。
「ゲームを続けよう」
不敵な笑みの堂本さんとは対象に、ソファーに座って無表情に戻る佐々木さん。
そしてそれを、突っ立ったままの私はただ見つめていた。




