第51話 お着替えしましょう
佐々木さんのアパートの、壊れかけているチャイムを冬音さんが押す。チャイムが鳴って、部屋の中から軽い足音が聞こえた。
「はぁい、今行く…………?」
ふかふかしている猫をモチーフにしたスリッパを履いた海月ちゃんが、ドアノブを掴みながら扉を開けて私達を見上げた。私も棺先生もいるけれど、二人見知らぬ女性がいるのが気になるのだろう。不安そうながらも警戒した、引き締まった顔で再度「誰ですか?」尋ねる。
「初めまして、警察の者です。佐々木雪さんはいらっしゃいますでしょうか?」
子供の海月ちゃんに対しても敬語で彼女は接する。海月ちゃんは『警察』という単語に明らかに顔を強張らせ息を飲んだ。と、部屋の奥の方から「海月? 誰か来たの?」ともう一つの声が聞こえる。ひょっこりと顔を覗かせたのは海星くんで、私達と固まる海月ちゃんを見て不思議そうな顔で近付いて来た。くりっとした癖っ毛の茶髪を揺らしながら冬音さんを見上げ、「……どちら様ですか?」と不信感を露わにする。
「二人とも、大丈夫だよ安心して。佐々木さんいる?」
私が前に出てしゃがみながら二人に言う。私からそう言われて多少安心したのか、ちょっと表情を和らげた二人は同時にまた奥へと駆けて行き、佐々木さんを呼ぶ。左程立たずに奥の方から佐々木さんがやって来る。少し疲れたような顔の彼は私達を見て、と言うより冬音さん達を見て眉を顰めた。
「誰?」
たった一言だけ低い声でそう尋ねる。冬音さんは軽く会釈をして、さっき海月ちゃんに言ったのと同じように身分と自分の名前を言う。佐々木さんはそれをずっとしかめっ面のまま聞いていたが、最後に軽く顎で部屋の奥を差す。
「…………取りあえず中入れよ、寒いだろ」
佐々木さんのちょっとぶっきらぼうな言葉に頷き、私達は部屋の中に入った。
「じゃあオレが警察に協力すれば、金が貰えるのか?」
佐々木さんのそんな言葉に冬音さんは頷く。桃香さんが続けて話す。
「謝礼金として、それ相応の額は出させていただきます。児童養護施設である、あなたのご出身の教会の方も手配が出来るでしょう」
警察に協力するか否かという事に対し、佐々木さんは最初悩んでいるようだった。けれど桃香さんのその言葉に反応を見せる。目を少し細め、じっと口元に手を当てて何かを考えているようだった。
佐々木さんが殺人を行う理由は、教会を立て直す為の資金だったり生活費だったりと、お金に関することだった。だから警察に協力することは思いがけない収入となるのだろう。勿論、その分危険は格段に高まるが。金を取るか、安全を取るか。
「ああ、それともう一つ。そちらのお二人が学校へ行く手配もこちらでいたしましょう。戸籍なども発行できますし、今は持っていらっしゃらないでしょう? …………ただし学校の方は、怪しまれないように中学校からということにはなりますが。義務教育の間は出来る限り行った方がよろしいかと」
桃香さんがそう付け足すと、海星くん達が少し反応する。それは不安でも驚きでも無く、微かに希望を抱いているような目だった。二人で顔を見合わせて、床に置いた手をぎゅっと握り合う。やっぱり、学校には行きたいんだろうな。佐々木さんに勉強を教えて貰ってるって言ってたし。
「……………………分かった、協力する」
そんな二人の表情を一瞥してから佐々木さんが答えた。お金も大切だし、二人の事も大切なんだろう。
佐々木さんのその台詞を想定していたかのように、冬音さんは軽く微笑んで頷いた。
「あっ、じゃああたしも協力する!」「ぼくもやります!」
海月ちゃんと海星くんも元気に手を上げる。それに対して桃香さんは表情を変えなかったが、冬音さんと佐々木さんが僅かに顔を歪ませた。何を言いたいのかは二人の性格上分かる気がする。まだ子供の二人に危険な目に遭わせるのはいけない、そんなところだろう。けれどそれは今更といった感じだし、二人の身分上でも口出しは出来ないのだろう。私だってそうだ。
「分かりました。頑張ってくださいね」
「「はい!」」
ただ桃香さんだけが優しく微笑んでそう言っていた。
私がふと隣に座る棺先生の表情を窺うと、ニコニコと微笑んだままで黙っている。何か考えているんだろうか。
そんな中、冬音さんは佐々木さん達に今回の依頼について説明をしていた。
「つまり何だ、その会場にいる奴らを殺せばいいのか?」
「まあそうですね、簡単に言えば」
説明を聞き終えた後、ふーん、と頷きながら佐々木さんは手元にあったロープを弄る。「ロープじゃめんどいかな」などと呟いて、また床に投げ捨てていた。
「ゆっきーも女装する?」
ずっと黙っていた棺先生が呟く。佐々木さんはジロリと棺先生を睨み、
「は? 誰が……って、何だよそれ」
「いやぁ、そっちの方が潜入しやすいって聞いたしさー」
ねー、などと唐突に冬音さんに話を振ると、少し苦笑いをしながら彼女は「え、ええ」と答える。
「…………気持ち悪っ」
本気で気味悪がっているように佐々木さんは引き攣った顔を見せ、軽蔑したような視線を棺先生に送る。海星くんは乾いた笑いをし、海月ちゃんも頬を膨らませて何とも言えないような顔をしていた。
「えへへ」
「褒めてねえよ」
頬を染めて照れる棺先生に佐々木さんが辛辣な突っ込みを送る。まあいいや、と深く息を吐いて、佐々木さんは一度頷いた。
「オレは普通の服でいいよ、全員が女だったら逆に怪しまれる気もするしな。そういや藍川とアリスはどうするんだ?」
「ここに呼びますか?」
私がそう言うと、佐々木さんは頼む、と頷く。棺先生にアリスを頼み、私は藍川に電話をかける。
二人は同じタイミングでやって来た。外の雪は激しくなってきているようで、頭に積もった雪を払いながらくたびれた様子で座り込んでいた。
藍川は前に一度説明したけれど、アリスには警察のことについてまだ何も言っていない。冬音さん達はアリスに皆と同じような説明をしたけれど、アリスは特に迷うこともなくそれを受け入れた。「誰かの役に立てるなら、わたしはそれで構いません」とのことだった。アリスに対する報酬の中に、自立した生活保護が含まれていることも理由かもしれない。棺先生の所にお世話になりっぱなしと言うのも、彼女は迷惑に思われると思ってしまっていたのか。
「白林さんの隣の部屋の住民がちょうど実家に帰るようでしたし。隣の部屋を手配しましょう」
桃香さんはそう言って微笑んでいた。アリスもいきなり一人暮らしというのは流石に嫌だったのか、少し安心したような表情を見せる。
その後は私にとっては何回目かのパーティーの件について二人に説明して、二人はそれぞれ別の反応を見せた。
「何だか面白そうだね、今までに無い感じだ」
「そ、そうでしょうか……。わたしはちょっと、怖そうですけど…………」
無邪気に顔を綻ばせる藍川と対照的に、アリスは不安げに呟く。本当ならアリスの反応が一般的には正しいんだろうけども、全員がそんな反応じゃないところを見ると、やっぱり私達はちょっとおかしいのかもしれないなと思う。
そんな様子を無言で見つめていた佐々木さんが唐突に呟いた。
「じゃあ今回は、オレ達四人が出るってことでいいんじゃないか? 海星、海月、お前らは留守番な。アリスはこいつら見ててくれないか?」
えっ、と三人が声を上げる。残りの私達は黙ってそれを見ているだけで、アリスもポカンと口を開けたまま彼を見ているだけだったが、残る二人は一瞬の間を置いてハッとしたように佐々木さんに詰め寄る。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!? 何それ、どういう事? あたしも行く!」
「ぼくだって! ぼく達だけ置いて行くなんて嫌ですよ! 一緒に行きますから!」
海星くんは佐々木さんの足に縋るようにして叫び、海月ちゃんも真っ直ぐ目を睨みながら言う。まあ落ち着けよ、と言った棺先生の言葉も耳に届かない様子だった。
再度二人が何かを言おうと息を吸い込んだ時、佐々木さんは二人の手を軽く握った。小さな細い腕を大きな手で掴まれ、二人が一瞬固まる。
「……あのな、お前らはまだ子供だろ。警察に協力するのはまだしも暴力団に関わるのは危険すぎる。一緒に行ってもお前達二人は邪魔になるだけだ。言う事聞け」
邪魔だとハッキリ言われたところで、それでも二人は泣き出しそうな顔で首を横に振る。
「でっ、でもぼく達だって、何か少しでも」
「でもじゃない」
「っ…………」
佐々木さんのキッパリと言い切ったその姿勢に、海星くんは唇を噛み締めて涙を堪えていた。けれど海月ちゃんは目に大きな涙を溜めたまま言い続ける。パーカーの裾をぎゅうっと握り締めて肩を震わせた。興奮したように顔を真っ赤にさせて、荒い息のまま叫ぶ。
「危険とかっ、関係ないでしょ! あたしはお兄ちゃんと一緒に行きたいのに、何で駄目なの! 海星も、あたしも、人は殺せるんだよ? 強いんだよ? ねえ、何で駄目なのっ、ねえ!」
「海月っ!!」
実際に言われていない私やアリスまでもが驚いてしまう張りのある声に、海月ちゃんがビクッと肩を震わせた。一旦息を止めると堰を切ったように大粒の涙が溢れ出し、灰色のパーカーに染みを作る。その場にへたり込みながらしゃくり上げてしまった海月ちゃんと海星くんに、佐々木さんは優しい声色で話しかけた。
「…………心配だから言ってるんだよ。行っても、怪我どころじゃ済まない可能性だってあるんだから」
殺されて臓器を取り出されたり、誘拐されて悪趣味な人達の所に売られたり、薬物漬けにされたり。詳しい事は言わなかったけれど二人は察したのか、瞳が揺らぎ、また涙を零す。
そんな二人の、癖のある茶髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でながら、バツの悪い顔で佐々木さんはそっぽを向きながら言った。
「あー……次は、一緒に連れて行ってやるから。だから今回は大人しくしてろ」
「…………はい」
悲しそうな顔で俯きながらも、素直に海星くんは頷く。頬をゆっくり流れていた一筋の涙を手で拭い、鼻を啜る。
「……………………」
海月ちゃんは黙ったまま俯く、顔を長い前髪が隠して見えなくなった。体育座りで体を縮こまらせて拗ねているように何も言わない。海星くんはそれを心配そうな顔で眺めていたけれど、慰めたところで拒絶されると分かっているのか手は出さない。二人からは重い空気が漂っていた。
きっと二人だって佐々木さんの事が大切なんだ。それを彼が知っているのかは分からないけれど。
皆、不器用なんだ。
「それじゃあ準備は出来ましたか? 忘れ物はありませんか?」
「そんなお母さんみたいに……」
二日後の夜十一時、佐々木さんの家を出る前にそう言う桃香さんに冬音さんが苦笑していた。
今日の夜、私達はパーティーに乗り込む。少し寂しそうな顔をしている海星くんと海月ちゃんの前にはアリスが立っており、彼女に佐々木さんが話しかける。
「それじゃあアリス、二人を頼んだ」
「はいっ、任せてください!」
拳を握って意気込む様子に佐々木さんは微笑み、次に少ししゃがんで二人に目線を合わせる。
「それじゃあ行って来る。ちゃんと大人しくしてろよ」
「はい、お兄さん。行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃい……」
素直な海星くんと対称に、不貞腐れた顔をする海月ちゃん。佐々木さんが何も言わずに立ち上がり二人に背を向けようとした時、ぐっとコートの裾を海月ちゃんに引っ張られる。
「どうした?」
「……………………」
何か言いたげに口を動かす。少し恥ずかしそうに視線を動かしながら、小さな声で呟く。
「…………気を付けてね」
その言葉に一瞬彼は目を見開いた。それから息を吐くように軽く笑い、楽しそうな笑顔を見せる。
「ああ、気を付けるよ」
その言葉を聞いた海月ちゃんは恥ずかしさが限界に達したのか、顔を背けて部屋の中へと駆けて行く。海星くんとアリスはそれを微笑ましそうに眺め、再度私達に笑顔を向け「「行ってらっしゃい」」と手を振った。
何だかこれから危険な場所に行くっていうのに和んでしまう。皆も同じようで、藍川や棺先生も少しニヤけていた。
「それでは行きますか」
桃香さんが先頭に、アパートを出ると二台の黒い車が止まっていた。これに乗ってまずはどこかの建物に向かうのだと言う。前の車に佐々木さんと棺先生と冬音さんが、後ろの車に私と藍川と桃香さんが乗り込む。運転席にいる人はしかめっ面をした初老の男性だったが、この人も警察の関係者なのだろう。
車に乗っている間、たまに助手席に座る桃香さんが話しかけて来た。それは他愛も無い普通の世間話だったが、やけにニコニコと話すものだから何か裏でもあるんじゃないかと心配した。運転手は私達の会話など耳にも入っていないかのように、一切表情を変えずに無言で車を走らせる。
キラキラと光るネオンボードが並ぶ街並みが車外を通り過ぎて行く。段々と街の中心部へと向かっているようで、景色はゲーセンや喫茶店が並んでいるものから、居酒屋やそれ系のお店へと変わっていった。
「そう言えば桃香さんって、普段どんな仕事をしてるんですか?」
ふと思い付いたように、私の隣に座る藍川が尋ねた。それはただの興味本位で尋ねたという感じの口調だったが、桃香さんは一瞬顔を真顔にさせた。
藍川も、何かマズイ事を聞いてしまったのかと少し慌てる。けれどまたすぐに桃香さんは笑顔に戻り、「そうですねえ……」と話し始めた。
「わたしは専ら、犯人候補の人から犯人であるという証拠を引き出すような仕事をしてますね。まあ、口を割らせるってところでしょうか。けれど尋問のようにハッキリと尋ねるのではなく、証拠を引き出しているということに気付かれないようにじわじわと、って感じに」
へー、と私と藍川が感嘆の声をあげる。手が込んでいる調査方法だ。私も昔に桃香さんと会っていたならば、とっくに殺人者だと暴露して捕まっていたのかもしれない。
「どんな風にするんですか?」
少し興味が出て来たので話題を引き伸ばそうと、尋ねる。
喫茶店などに誘って、世間話のように引き出すのだろうか。友人になったりしてどこかに遊びに出かけた際に聞きだすのだろうか。その時は年齢詐称とかするのかな、桃香さんの顔ならもう少し若く年齢を偽っても大丈夫そうだ。そんな事を考えて答えを待つ。
桃香さんは笑顔のままでサラリと言った。
「主に、性行為の最中などです」
「「……………………」」
車内が無言に包まれる。運転手さんは元からだけれど、私と藍川も言葉に詰まる。しばらく誰も何も話さないまま車は走り続け、微妙なタイミングで景色がホテル街へ変わる。ただの宿泊施設では無い方のホテルだ。藍川は窓の外から視線を外し、床を見つめて黙る。私も窓の下へと視線を向け、景色には合わせないようにする。
「やっぱり軽蔑しますか?」
桃香さんが笑いながら言う。傷付いているというわけでも無さそうだけれど、こっちからの言い方には気を付けなくては。
「い、いえ。別に」
もごもごと口を動かしながら言うと、藍川も首を縦に振って同意した。長く息を履いて座席にもたれかかるように座り直した桃香さんは口を開く。
「わたしは昔から荒れてたんですよ。中学の時から髪を染め始めて、今まで何回も赤とか青とか緑とかにも変えたり。喧嘩もするし学校はサボるし。初めてもその時ぐらいでしたっけねぇ。高校も同じように過ごして、親や先生に怒られても続けて。今じゃあもう親には勘当されてしまいました」
懐かしいなー、としみじみ呟く。聞いてる分には懐かしむような無いようでは無いけれど。
「高校を退学と言う形で辞めて数ヶ月は遊んで過ごしていた頃に、当時警察学校へ通っていた冬音と会ったんですよ。その時からあの子は熱血でしてね、わたしにも色々説教をして来たり、警察に誘われたりしました。それからわたしも暇だったので、なんとなく勉強を初めて警察になったんです」
かなり省いて簡単に言っているけれど、警察なんてそう簡単になれるものじゃないだろう。血の滲むような努力が必要なんだろうし。桃香さんはそんな努力をしたんだろうか。それとも、経験を活かしてこんな人になったんだろうか。
「勿論警察になったところで、そう簡単に上の役職に就けるわけじゃありませんからね。わたしは自分を活かして今の仕事をしているんですよ」
そう締めて桃香さんは後ろを振り返り、神妙な顔で黙る私達を見つめる。そしてクスクスと楽しそうに笑いながら明るい声で、
「まあ嘘なんですけどっ!」
「え、嘘?」
「わたし、冬音からもよく『あんたは凄い嘘つきだ』って言われるんですよ」
物凄く騙された気分になる。「何ですかそれー」と藍川が可笑しそうに笑い、私も釣られて笑った。その後は桃香さんも元の世間話に戻り、それは数分後に車が止まるまで続いた。
…………車から降りる時、ふとある一点が気になった。桃香さんを見ると、変わらぬ笑みのままで車から降りる所だ。
「凪ちゃん、僕達も降りよう?」
藍川の言葉に頷いて私も降りる。そこはある一件の古く小さな何かの事務所の前だった。近くにもう一台車が止まっている。棺先生達は先に降りたのだろう。
車から降りた桃香さんは運転手に何かを一言話していた。「桃香さん」声をかけると、軽い微笑みで私に顔を向ける。
一度唾を飲んで尋ねた。
「さっきの話、どこまでが嘘なんですか?」
あの話が嘘だとしてもそれはどこまでなのか。彼女のことだ、最初っから嘘というわけでも無さそうだ。
桃香さんは僅かに目を細め、口元に指を当てて笑みを浮かべながら、囁くように言う。
「さて、どこからでしょう?」
話が嘘だということも嘘なんじゃないですか。口には出さず、そう思った。
事務所の中は思ったよりは綺麗だった。所々に亀裂が走っているが、すぐに壊れそうと言うわけでもない。机や椅子が並んでいる受け付け所のような空間には数人の男女がにいた。全員が黒いドレスやスーツを着て、手には袋を持っている。
「ご苦労様、じゃああなた達は先に――――あら、やっと来たのね」
彼らの前に立って何かを言っていた冬音さんが私達に気が付き手を振る。彼女は左側にスリットの入った赤いドレスに身を包み、髪も綺麗に整えていた。私達にそれぞれ黒い服の人達から受け取った袋を渡し、とある部屋の前へ案内する。
「右が女子、左が男子。その袋にドレスが入ってるから着替えてね」
藍川が左の部屋へと入って行き、残る私達は右側へと入る。数個のロッカーと一つのベンチが並んだそこそこ広い空間だ。私達に早めに着替えるように冬音さんは急かし、それに答えるように私も急いで服を脱ぐ。
下着姿になったところで袋の中身を取り出すと、サラッとした触り心地の青いドレスだった。胸元の鮮やかに青い薔薇のブローチが可愛い。……えーと、どうやって着るのかな。あ、このファスナーを下げるのか。
「うりゃっ」
頭から被るのかとドレスを被ってみたけれど、どこかが引っかかったのか頭が出ない。視界がドレスの色で真っ青だ。
「あははっ! そんな風にやったら壊れちゃうわよ? ほら、両手上げて」
冬音さんの声が聞こえ、同時に手が触れる。ごそごそとまさぐって貰ってようやく頭が抜けた。腕を紐に通して完了だ。肩に冷気が直接当たってかなり寒い、どうして冬に肩を出した服なんて着なくてはいけないんだ。……だけどお洒落は我慢とか言うしな、我慢だ我慢。
「ふー、ありがとうございます」
「どういたしまして。ドレス着るのは初めて?」
はい、と答えながら頷く。中一の時に親戚の結婚式に行った時は制服だったし、そもそも自分専用のドレスなんて私は持っていない。桃香さんを見てみると、手慣れた様子で着替えを終えかけているところだった。薄ピンク色の肩が露出したドレスを着ている桃香さんは、それがとても似合っている。結んでいた髪を解いて下ろし、軽く整えていた。
「何だよこれぇっ!?」
突然大きな叫び声が聞こえた、藍川の声だ。はあっ!? とか、嘘だろ!? などと叫んでいる。それと同時に棺先生の笑い声が聞こえた。心底可笑しそうな大きな笑い声だ。
壁を隔てているのに聞こえるぐらいだ、よほど藍川の声が大きいんだろう。何があったのか分からないけれど、今はドレスを着る方が先だ。と、冬音さんがぷるぷると肩を震わせて笑いを堪えている。
「何があったんですか?」
「い、いや…………すぐ、分かるわよっ! ――――それより、そうだ。あなたも髪型変えましょうか。その方がドレスには似合うわよ」
そう言って鞄を探り、紫色のシュシュを取り出す。私の髪を手で弄りながら軽く結ぶ。私の髪は肩よりちょっと下と言った感じに短いけれど、そうやって結ぶとそこそこ長く見える。
「ほら、可愛くなった! 見てよ桃香、可愛いでしょ?」
「本当ですね。とても似合ってますよ、川瀬さん」
キャーキャーと少しはしゃいでいる二人に、少し照れながらも礼を言う。
そう言えば藍川はどうなっているんだろう。外に出てみようか、と扉を開けて廊下に出る。途端に扉を隔てて左側の部屋から声が聞こえた。
「いやいや、何なんですかこれ! 何で僕がこんなの着なきゃいけないの!?」
「あはははっ! いや、似合うって絶対! この髪も付けてみろよ」
「何それカツラ? 髪? 何かキモい!」
ギャーギャーと叫ぶ藍川の声と、棺先生の笑い声。ドスンバタンといううるさい音も聞こえる。最終的に「うわああっ!」という叫び声が聞こえ、一瞬何も聞こえなくなった。そして次の瞬間、勢い良く部屋の扉が開く。
「ぶはっ!?」
思わず吹き出し、慌てて口を手で押さえて声を隠す。けれど扉から出て来た藍川には聞こえたようで、その場にへたり込みながら私を見上げ、青い顔を引き攣らせる。
「……あ、な、凪ちゃん…………」
「なっ、何、その格好……?」
藍川はパーティー用の服に着替えていた。だけどそれは普通の男服じゃない、ピンクの布地に控えめな黒いフリルが付いた、ふわっふわのドレス。少し乱れた黒髪は長いツインテールになっていて、童顔と相まってパッと見女の子にしか見えない。
「これはっ! その、違うんだ! 入ってたのがこれで、棺先生が無理矢理……」
顔を赤くしたり青くしたりで必死に首を振って否定する。と、少し甲高い笑い声が聞こえて来た。開け放されている扉の向こうに目をやると、棺先生が涙目をこさえてお腹を抱えて笑っていた。
「はー、本当似合ってる。その格好マジ笑えるなあ!」
そう言ってまた吹き出して笑う。……だけど、
「お前も人の事言えないだろ」
カジュアルな黒い服を着ている佐々木さんが、溜息を付きながら棺先生に突っ込む。
その通り、棺先生の服も女物だった。白に近いベージュ色のドレスの上に、肩幅を目立たせないようになのか黒い長袖のカーディガンを羽織っている。白く長い髪はポニーテールにして縛ってあった。
「んー…………似合う?」
はにかみながら袖を持ち、私に尋ねる。というか本当に女装したんだな。どう答えて良いのか少し迷ったけれど、
「まあ……似合ってますよ」
そう言うと少し照れたように笑った。まあ実際似合ってはいるんだ、睫毛も長いし細身な体躯だし。声も元々高めの方だから、もう少し喋る時に気を付ければ少しハスキーな女性の声としていけるだろう。
「凪も似合ってるじゃん。可愛いよ」
私の格好を見て、そう少し艶っぽい声で言って棺先生は笑う。
「! ……あ、ありがとうございます」
冬音さんとか桃香さんに言われても照れたけど、やっぱり異性に言われるともっと恥ずかしいな。顔が赤らむのをそっぽを向いて隠し、そのまま後ろを向く。座り込んでいる藍川と目が合った。
藍川は泣き出しそうな顔で私を見つめていたが、さっと両手で顔を隠し、「見ないで……」と小さな声で呟いた。
そう言われても、見えるものは見てしまう。
「その髪……何、エクステ?」
ツインテールを指差して言うと、小さく頷いて答える。ああ、カツラがどうのこうのってこれのことか。さっき私が棺先生に言われたように、今私が藍川に「可愛いよ!」なんて言ったらどうなるかな。号泣されるかな。何も言わないでおこう、それがいい、うん。
「皆さん着替えましたか? じゃあ、会場に向かいましょうか」
冬音さんと桃香さんがやって来て、桃香さんが私達一人一人に目を向けながら言う。棺先生や藍川の姿を見ても特に気にはしていないようだ。冬音さんは壁に手を付いて肩を震わせているけど。
そのまま事務所から出て、私達は再度車に乗り込んだ。




