第50話 雨宮桃香
翌日の放課後、私は学校から近いとあるファミレスにいた。
家族連れや制服姿のカップルや友達同士が料理を食べたり話したりして、とても楽しそうだった。今日は店が込んでいるのかエプロン姿の店員が走り回り、「いらっしゃいませぇー」と声を投げかけている。わいわいがやがや騒がしく、声が混ざり合って、話していても隣のテーブルにさえハッキリとした声が届く事は無い。
窓の外では雪が降っていて、時折海神高校の制服を着た生徒が店の外を通り過ぎて行く。店内をちらりと見る人もたまにいるが、私と目を合わせる事は無い。
「……………………」
「……………………」
「……………………」ズズズ。
テーブルを挟んだ私の向かいには、二人の女性が座っていた。ファミレスにいるからって別に彼女とは親族ではない、友達でもないし、そもそも知り合いでも無い。
一人は黙ってその二人を見つめ、一人は黙って窓の外を見つめ、一人は黙って微笑みながらカフェラッテに口を付けている。
他のテーブルのお客達が楽しそうにしている中で、私のテーブルの所だけは少し異様な雰囲気を放っていた。
いや本当、何なんだこの状況。
「やっぱりこのお店のカフェラッテは美味しいですね。あなたもそう思いませんか? 川瀬さん」
それに口を付けていた女性が顔を上げて私に微笑む。その屈託の無さそうな笑顔は、彼女の年齢を実年齢よりも下に見せていた。笑顔というより、顔付きだろうか。
「ええ、まあ。そうですね」
無視することは出来ないので、目を伏せてそう適当な返事を返した。
藍川と同じように童顔な顔付きのその人は雨宮桃香という名前らしい。歳は二十三歳だとさっき自己紹介の際に言われた。まあ実際にそれを言ったのは、今窓の外を眺めているもう一人の女性、冬音さんだったのだが。桃香さんは最初私に「初めまして、堀原恵理です。歳は十八」と笑顔で言い切り、それを私が信じかけた時に冬音さんが彼女の頭を叩きながら「嘘をつくんじゃない」と言っていた。
彼女もまた刑事で、冬音さんとは所属している班が違うが仕事は似たようなものらしかった。詳しくは教えて貰っていないが多分見当は付いている。何故って、彼女の見た目は前に棺先生の話に出て来た人と似ていたのだから。
後ろで一本に緩く縛ったセミロングの髪。それは目に眩しいプラチナブロンドに染められていた。真冬だと言うのに肩を出し、ミニスカートという露出の多い服装。寒さなんて知らないとでも言いたげな、ニコニコとした笑顔。
それに桃香さんの容姿は少し幼げな印象だった。表情によっては下手すれば私より幼く見えるかもしれない顔立ち、冬音さんと対照的な小さな胸。幼い顔と体型、大人びた服装はとてもアンバランスだ。
冬音さんに会う直前の棺先生が言っていた、『とある女性』。それはきっとこの桃香さんのことだろう。……あの人ロリコンだしなー、桃香さん子供みたいだし、ホイホイ付いて行きそうだなー。
「どうかしたの? そんなに顔顰めて」
冬音さんが首を傾げて聞く。
「いえ、なんでも」
静かに答えて首を横に振る。
しんしんと雪の降り続ける窓の外を冬音さんは眺めていた。由美先生の願いは届かず、今日の天気予報は豪雪注意報が出ている。今はまだ治まっているほうだが、そのうち吹雪いてくるだろう。
冬音さんは桃香さんとは対照的に、服を着こんでいた。赤いセーターの上に黒いコートを羽織り薄オレンジ色のマフラーを巻いている。雪が積もる街並みを神妙な顔で眺めているが、その心境は分からない。
「冬音の名前は今の季節ですからね。雪が気になりますか?」
「……別にそういうわけじゃないわよ」
桃香さんにからかわれるように言われ、少しムッとしながら冬音さんは視線をテーブルに下げる。
名前と言えば、佐々木さんも冬っぽい名前だったよな、雪だなんて。十一月生まれらしいけど、まあギリギリ冬ってとこなのかな? 雪はあまり降りそうにないけど。
今日の昼休み頃、急に携帯に電話がかかってきた。ちょうどスカートのポケットの中に入れていたので振動で少し驚く。今の時間は人の少ない体育館の近くにある女子トイレに行き、非通知設定になっている携帯を耳に当てた。
「はいもしもし」
『もしもし、川瀬さん?』
その声は聞き覚えのある冬音さんの声だった。『今学校?』と続けて尋ねて来たので、はい、とだけ返事をする。冬音さんが更に続ける。
『少し話したいことがあってね、今日の放課後時間ある? 出来れば藍川くんと一緒に』
「あー、時間はありますけど……確か藍川、今日用事あるとか言ってました」
三時間目の後の休み時間だったかな、今日好きな漫画の発売日なんだー! とか嬉しそうに話していたのを思い出す。学校から少し離れた所にある本屋に買いに行こうとも。
『そう、ならあなた一人でいいわ。それじゃ』
「え、あ、ちょっと? …………切れちゃった」
何か伝えたいことでもあるのだろうか。と言うか、放課後どこに行けばいいのよ?
少し悩みながらも教室に戻り、午後の授業を受け、掃除をして帰る。玄関で靴を履き替え外に出て門まで歩いた所で、近くの家の塀にもたれかかっている冬音さんと会った。冬音さんの隣には別の女性が立っていた。
「来たわね」
「ああ、はい」
ちらりと私がもう一人に目を向けると、そのプラチナブロンドの髪の人が私の前に歩み寄り、こう言った。
「初めまして、堀原恵理です。歳は十八」
少し棺先生と似ている、飄々とした笑みを浮かべながら彼女はそう言った。
冬音さんが「嘘つくな」と言いながら彼女を叩くのは、ほんの数秒後の話だ。
「川瀬さん。あなた方に依頼をお願いしたいのです」
カフェラッテを飲み干した桃香さんがそう言った。その言い方に特に緊張感は無く、ただ他愛もない世間話を切り出したような物言いだ。
依頼、警察と関わる初めての仕事。…………危なっかしそうだなぁ。
冬音さんは肩から下げていた大きめの黒いバッグをテーブルの上に置き、中から分厚い何かを取り出す。黒いファイルに入った書類と、それから数枚の写真だった。写真を私に手渡し、こっそり見るようにと言われ、伏せてあった裏面をひっくり返す。
「うわっ」
変な写真ばっかりだ。
一枚目は見た目からして危ない人達だと分かる、厳つい顔をしてスーツを着た男性数人の姿。写真に目を向けていないのでこっそり撮ったんだろう。……ぎゃ、よく見ると数人の手の指が無い。
二枚目は灰色の刑務所に入る人が着ている服、囚人服だっけ? それを着ているガリガリに痩せた男の人の写真。正面を向いて撮られている写真だ。坊主の髪は顔の骨格がよく分かるが、頬骨がこけていたり頭蓋骨が少しだけ変な形をしているようだ。ポカンとだらしなく開いた口から覗く歯は黄色かったり黒かったりボロボロで涎が垂れている。目がギョロギョロとし、変にぎらついている。
三枚目はたくさんの白い粉の写真。子供の頃風邪を引いた時、病院で貰っていた苦くて大嫌いだった粉薬と見た目は似ている。アヘンとかコカインとか、保健体育の授業で見覚えのある単語が袋の隣に置かれている紙に書かれていた。
「これ何ですか?」
写真を眺めながら二人に尋ねる。と、ちょうど一人のウエイトレスがやって来て、笑顔で水のお代わりの有無を尋ねて来た。私と冬音さんはまだ少し残っているので断り、桃香さんがカフェオレを注文する。畏まりましたと頷いてウエイトレスが去った時に、冬音さんが静かな声で話し始める。
「とある暴力団の写真よ、人身売買や薬物の密売を行っているらしいの。孤児院にいる子供達を安い金で買って臓器を取ったり、麻薬中毒になっている患者に高い金で薬を売ったり。……まあとにかく、最低な屑どもってことよ」
吐き捨てるようにそう言い、冬音さんは顔を顰める。コップに入った氷水を口に流し込んでガリガリと噛み砕く。空になったコップを強く握り締めながら少し苛立った声で続けた。
「……そんな彼らが近々どこかの会場でパーティーを開くらしいわ。と言っても普通のパーティーじゃなくて、麻薬や覚せい剤を売買するのが目的みたい。いわゆるドラッグパーティーね」
「なるほど、分かりました。で、私達は何をすれば?」
冬音さんがちらりと私を見る。少し眉を顰めながら口を開き、
「潜入捜査、ですかね」
桃香さんが先に言葉を発した。
冬音さんが少し訝しげな目で彼女を睨んだけれど、桃香さんはニコニコと笑いながら「続きはわたしから言いますよ」と呟く。そして私に顔を向けて言う。
「――――ドラッグは違法です。そして、それを売買する者、それを使用する者、それを所持している者も有罪です。わたし達捜査員が調べ上げた結果、この組織は最近噂されていた薬物グループの上部だと言う事が分かりました。ドラッグの使用などだけでは刑期も少ない、ですがこの組織が完全に壊滅しない限りドラッグの密売は続くでしょう。そこでわたし達が川瀬さん達に依頼したいことは一つ」
桃香さんが一度言葉を区切る。ウエイトレスが笑顔でカフェオレを運んで来たからだ。私と冬音さんは何事も無いかのように目を伏せて黙り、桃香さんは笑顔でウエイトレスに礼を言う。去った事を確認してからコップに口を付け、そしてまた語る。
「その会場にいるリーダーの殺害をお願いします」
後ろのテーブルで赤ちゃんの泣き声が聞こえる。店内がうるさいことが嫌なのか、それ以上に大きく甲高い声で泣き喚く。母親が少し困りながら「こよみちゃんどうしたのー? ねむねむですかぁ?」などと優しげな声で宥めていた。
コップの中に入っている冷たい水を一口飲み、少し声のトーンを下げて答える。
「…………殺害ですか」
「ええ」
桃香さんは変わらぬ笑顔で頷いた。
暴力団のリーダーの殺害。今までに無い、難しい依頼だ。
今までの依頼は全てが人を殺して欲しいというものだった。自分の罪を人に被せていた会社員、主人に黙って浮気を繰り返す主婦、暴力を繰り返していた暴走族。殺して欲しいと依頼される人々は皆が皆、ただの人だった。犯罪を繰り返していたとしてもそれは殺人などまではいかない罪だった。
けれど暴力団となれば話は別だ。殺人だって手慣れているかもしれない。そうなると、私は不利な気もしてしまう。
いくら殺人を犯していたとしても、私はただの女子高生だ。今まで殺して来た人は皆、武器を持っていなかったり、持っていてもそこまで慣れていなかったり、そこまで技術が無い人ばかりだ。それが技術があり数もあり、更に成人の体格の良い男性ともなる。…………死んじゃうかもしれないなぁ。
「どうしますか?」
「……………………」
自分の身が可愛いから、という理由は断る理由にはならない。いや、そもそも私には元から拒否権なんて無いんだろう。断ったら多分即死刑。……うわ、今更だけど何て酷い契約なんだ。
私が答えない限り二人も何も言わないみたいだ。ただ黙って私を見つめている。
「……………………私は」
息を吸い、一度止めて。
そして、
「あっれー、凪じゃん! どしたのこんな所で!」
「きゃあっ!?」
いきなり肩を叩かれて飛び上がる。慌てて首を後ろに向けると、さらりとした長い白髪が見えた。
「え、あ、棺先生?」
いつのまに来たのか棺先生がそこに立っていた。
「さっき店の外からお前見えてさ、何となく来ちゃった、てへっ」
そう言いながら自然に私の隣に座り、冬音さん達を見て私に「お友達?」と尋ねる。
「……警察の方です」
冬音さんは棺先生と初対面だろうが、書類で顔は知っているのだろう。特に目立った反応も見せずに「初めまして」と頭を軽く下げ、名前を言う。けれどもう一人は違う反応を見せた。
「お久しぶりです」
桃香さんは目を細め、初対面の挨拶では無く面識のあるような言葉を吐く。棺先生は不思議そうに首を傾げていたが、そのうち思い出したのか微笑んだ。
「ああ、あの時の」どの時だ?「どうも」「確か名前は……工藤レナって、言ってたよな」「偽名です」「だと思った」
私と冬音さんが訝しげに見つめる中で、二人は微笑み合いながらそんな会話をしていた。顔は微笑んでいても、それは薄っぺらい笑みだ。正直どこか怖い。
冬音さんが一度咳払いをして、書類を手に握って棺先生を一瞥する。これからどうすべきか悩んでいるようで、小さな唸り声を上げる。
「何だそれ、ちょっと見せて」「あっ、ちょっと!」
冬音さんの手からひょいと書類を取る。怒って腰を上げようとする冬音さんを桃香さんが笑いながら制して、「どうせ見せるべきだったんでしょう?」と呟いた。
棺先生は無言でそれを端から端まで眺める。カラーコンタクトを入れた青い目が紙を舐め回すように見つめ、不意に細められた。
「俺はどうすればいいの?」
読み終わった後、棺先生は一言だけ呟いた。それを見ただけで全て分かったみたいだった、冬音さんもそれだけで全てを把握したかのように溜息を付きながらも説明を始める。
「――――桃香……この子の名前なんだけどね、雨宮桃香。……が、この間暴力団の一人と接触することに成功したの。まだ下級の下っ端みたいな存在の奴だったらしいんだけど案外お喋りでね、この情報もそいつから。パーティーに入るには身分証みたいなものが必要なの」
冬音さんが桃香さんに目で合図を送る。桃香さんは肩を落として軽く竦めながら、自分の鞄をまさぐって黒いポーチのような物を取り出す。そこを開けて一枚の紙切れをテーブルの上に置いた。黒い紙に白い文字が書かれているもので、文字も何だかよく分からない英語が書かれている。
「身分証って言っても、それはこのチケット。これを持っている人は信頼出来る人である証拠。だからこのチケットを持っている人の友人なんかも比較的簡単に入れるみたい」
そんなチケット、どこの誰から手に入れたんですか?
そう聞きたくて桃香さんを見ると、私に視線に気が付いた彼女は目を細めて微笑む。それだけで、桃香さんがどんな手を使ってこのチケットを手に入れたのか分かったような気がした。冬音さんに聞いても『警察舐めるんじゃないわよ』なんてはぐらかしそうだったし。
「まあつまり潜入捜査ってやつよ。…………問題はどうやって会場に怪しまれずに潜り込むかなんだけどね。まさか警察の格好ってわけにもいかないから私と桃香はドレスだとして……」
ちらりと私達に視線が刺さる。少しドキドキしながらそっと手を上げ、「私も、ドレスとかの方が良いんでしょうか?」「俺もドレス?」棺先生も楽しそうに笑って言う。あんたは何を言ってるんだ。
「別にそれでも良いんだけど…………」
「え、マジで?」
棺先生のキョトンとした声に、冬音さんは少し苦笑いをしながら頷く。
「普通のスーツなんかでも構わないけれど、やっぱり女の方が警戒されないのも事実よ。油断させたところで首を掻くのって得意でしょ? ほら」
左手の親指だけを立てた拳で、冬音さんが自分の首をピッと跳ねる真似をする。ニコッと微笑みながらやられても私は、そうですねと頷くだけだ。得意ってわけでもないからな。
棺先生はそれを聞いてニヤニヤと不敵な笑みを浮かべている。悪い事を企んでいるのかな。それはそうと、ドレスなんて私着たこと無いよ。上手く動けるのかな。
「白林さんも参加するのだとしたら、どうします? 他の皆さんにも声をかけておきましょうか?」
桃香さんがカフェオレを飲み干し言った。私と棺先生は顔を見合わせて、「そうしましょうか?」「そうするか」
「じゃあ今すぐにでも行きましょう。善は急げよ」
そう言って冬音さんが立ち上がる。桃香さんが立ち上がって下りた後に続く。伝票を持って桃香さんと棺先生ががレジへ向かう中、冬音さんはそのまま外へ出た。私は冬音さんの後を追う。
「ちなみにパーティーが開かれる日っていつの事ですか?」
雪の降る外に出た所で冬音さんに尋ねる。静かな目で私を見下ろしながら、彼女はこれまた静かな声で言った。
「明後日の夜」
「早いですね」
言うのならあと数日前に言ってくれた方が良かった。だけどそんな私に彼女は言う。
「チケットを手に入れたのも、パーティーの日付が分かったのも、警察の上の方から命令が出されたのも、ほんの少し前だったの。私だってこれでも急いだんだから」
その後は私も冬音さんも無言で外に立っていた。会計を終えた桃香さんが棺先生と出て来るまで。




