第47話 そろそろ
「ねー凪、そろそろ学校じゃない。宿題終わった?」
茜が大きなオレンジ色のバッグを机に置きながら尋ねて来る。ここ少しの間に少しだけ髪が伸びた茜は、冬真っ盛りの気温である今日も肩が肌蹴た黄色い服と、ホットパンツに長い靴下という、所々に露出のある服装だった。寒そうだと会った時に言ったけれど、茜はファッションは我慢も大事だと笑っていた。
「大半は答え写したけど。茜は何、まだ終わって無いの?」
答えながら私も隣の席に着き、自分の服装をもう一度確認して見た。黒いダッフルコートと無難な紺色のジーンズ、あとスニーカー。もう少し服装に気を使った方が良いのだろうか。今までに何度か同じ事を思ったりもしたが、結局こんな格好に落ち着いてしまうんだ。
「ふふ……あたしを誰だと思ってるの。勿論まだ終わってないわよ! ――――と、言う事で申し訳ありませんが手伝ってくださらないでしょうか」
自分の口元が引き攣るのがはっきりと分かる。大きな溜息を付き、辺りを軽く見回して頷く。
「良いけど…………図書館なんだから、もう少し静かにね」
壁にかかった本棚にはずらりと本が並んでいる。子供が読むような童謡から、需要があるのかどうかも分かりそうにない分厚い日本の歴史を描いた本まで色々と。椅子に座りながら古そうな本を読んでいる老人が私達を軽く睨む。茜と私は慌てて頭を下げ、目の前の机に座った。
ここは市立図書館。他の図書館と違ったような点などはなく、普通に多くの本が置かれており、本を貸し出したり静かな空間で勉強が出来る二階建ての建物だ。勉強スペースは一階と二階両方にあるが、今日の私達は何となく一階を使うことにしていた。周りに並んでいる同じような机の勉強スペースでは、何人かの人が教材を片手に勉強していた。
「あのねえ、そろそろ学校と言ってももう明後日だよ? 今まで何をやってたの」
「部活してー、大晦日にお餅食べてー、田舎のおじいちゃん達の家に行ってお年玉貰ってー、寝た。もう大分やばいの寝正月、太っちゃった。お腹の肉とかもーヤバイー」
悲痛な表情をしながら茜は愚痴る。けれど「今年たっぷり貰ったんだぁ」と呟いてニマニマとニヤける。
私は二度目の溜息を付いて茜の宿題を一つ手に取る。国数英の三教科の問題が並んでいる厚めのプリント。開いてみると所々に手は付けられているものの途中からは真っ白だ。
「はい、こっちは教えるからそっちをちゃっちゃとやる。頑張りなさい」
「うえー」
不満気な声を出しながらも渋々と、茜は国語の問題集を前にシャーペンを持った。
私が茜に図書館に誘われたのは今日の午前のこと。図書館で勉強をしようという名目だったのだが、実際に来てみたらこの通り、茜の宿題の手伝いだ。呆れはするが図書館は嫌いじゃないし、教えている間に本でも読んでいれば良いかと思った。
茜が問題集を真剣な目で見ている間、私は事前に借りていた一冊の本を黙読する。タイトルは『爆発五秒前』、東京のどこかで爆弾が爆発するのを主人公の中年が阻止しようとする話だ。…………結構面白い。
カリカリという周囲のペンの音、カシュカシュという消しゴムの音。そんな小さな音の中で黙々と読書をする。
「……………………」
「……………………」
「…………ねえ凪、この時の主人公の気持ちを述べよって答え何? お腹空いた、とか?」
「ああ、これは……多分彼女の忘れ物の指輪を見て、前夫に対する嫉妬と哀れみが混じったって感じだと思うよ」
「そう…………」カリカリとシャーペンの音がする。「じゃあこっちは?」
「こっちはその前夫が現夫と会って、内心二人とも緊張している緊迫した雰囲気のこと」
というか内容が生々しいよな。
茜はいそいそと答えを埋めていく。途中で間違えた所を消しゴムで直そうとした時、
「あっ」
茜の手が消しゴムを弾き、地面に落ちる。落ちた所で消しゴムはコロッと転がって数個離れた机に座る女の子の足元に転がった。
その子は足に何かが当たったのに気付き、足元に落ちている消しゴムを拾って怪訝そうに首を傾げる。
「ごめんなさい、それあたしのです」
茜が慌てて椅子から立ち上がり、その子に歩み寄る。女の子はそこで軽く茜に微笑みながら消しゴムを手渡した。
黒い背中までの三つ編みが黒いセーラー服によく似合う、清楚な印象の女子中学生だった。黒縁の眼鏡をかけており、学級委員長の形容詞、とでも言った容姿だった。
「どうぞ。お勉強お疲れ様です」
「えっ、あ、ど、どうも」
そんな台詞を言われるとは思っていなかったのか、茜は少し驚いた様子ではにかむ。そこでその子は勉強に向かうかと思ったが、茜の顔を見てその子は話す。
「高校生さんですか?」
「あ、うん。高校一年生です。海神高校」
それを聞いた中学生の目が少し開かれる。口元がニンマリと笑ったように見えたが、気の所為だったのだろうか、すぐに普通の笑みに戻っていた。
「……そうなんですか。私も、海神目指してるんですよ。合格するかは分かんないけど」
今度はこっちが驚く番だ。茜が少し親しみを込めためになって彼女に顔を近付ける。
「えっ、本当? じゃあ後輩だ! 受験とかそんな難しいもんじゃないし、受かるって。頑張れ!」
「ありがとうございます。…………まあ私の場合、内申がちょっと微妙なんですよね」
ポツリと呟いた後半の台詞が少し不思議に思う。けれど変に詮索するのはどうかと思うし、気にしない事にしよう。
「じゃあ、私勉強に戻りますね」
「うん、頑張ってね。応援してる」
私の言葉に彼女ははにかみ、ペコリと頭を下げて机に戻った。私達も席に戻り、こっそりと喋り出す。
「ねっねっ、あの子が高校来たら、あたし達の後輩だね! 仲良くなりたいね!」
「そうだね、可愛い子だったし。真面目そうだったし」
「あ、凪もやっぱ思う? なんか学級委員長っぽい感じだったよね。……うーん、残念だけど、部活はあたしのとこよりは凪の方行くのかな。バトより図書って感じ」
「うーん、私の方ってわけでもないだろうけど、運動部には入らなそうだよね。ま、外見で決めるのもどうかと思うけど。……さあ、宿題しようか茜」
私が話を終えると、茜は口を尖らせて俯く。遅い手付きで問題集に取り組んでいた。ふとさっきの子を軽く見つめると、真面目な顔で机に向かっていた。
…………後輩かぁ。
後輩なんて中学校以来だろうか。中学校の時は仲の良い後輩とかもいなかったし、部活での上下関係とかも特に無かった。一年生は一年生、三年生は三年生って感じでだらだら過ごしてたっけ。もし、あの子が部活の後輩になってくれるなら嬉しいなあ。
「凪手伝ってよぉー……」
「教えるけど手伝うのはやーだ」
涙目になる茜を面白がりながら、手元の本をまた読み始める。
冬休みが終わってから数日経ったある日の休み時間に、私と藍川は棺先生に呼び出された。
理科の授業が終わった直後で、茜や他の女子からは「何かやっちゃったの?」などと揶揄された。私だけならともかく、藍川もと言うと内容は殺人のことだろう。「分かんない」と適当に流しながら、私と藍川は棺先生に付いて行く。
棺先生に付いて行った先は、普段は鍵がかかっている理科準備室だった。入ってすぐ、棺先生は鍵を閉める。理科室自体にも鍵を閉めていたのに二重にも鍵をかけるなんてことは、きっと何か重大な事でも話すのだろう。少し緊張してきた。
「話って何ですか?」
藍川が近くの台に腰掛け首を傾げて笑う。棺先生は笑いながら藍川の向かいに座り、私は藍川の隣に座って棺先生を見つめた。いつも通りのニヤニヤ顔だったけれど、今日は少しだけ雰囲気が違う気がする。
「…………実はこの間、とある女に声をかけられたんだ」
棺先生はその言葉を始めとして続ける。私と藍川は一瞬目を合わせてから、また向き直る。
「プラチナブロンドっぽい髪の色で、やけに露出の多い服装でさぁ。まあ、それで何やかんやでそいつと少し話したんだけど…………」
「だけど?」
何やかんやって、どういうことなんだろう。棺先生の事だから夜遊びでもしたんだろうか。
「なーんか言動とか台詞が警察っぽかったんだよなぁ」
「……警察、ですか」
私が言う。思っていた以上にその声は強張っていて、実際私は緊張していた。
警察と言えば、去年私の家にも一度警察の人が来たときがある。名前は何だったかよく覚えていないけど、それは確か夏の事だった。それから半年、何故今までまったく音沙汰が無かったのに今になって警察が現れるんだろうか。
そんな私の心中を知ってか知らずか棺先生は明るい口調で続ける。
「だから、お前らも気を付けとけよってのを言いたいだけだ。もしかしたら今日にでもお前らの方に警察が行くかもしれないし」
そこでふと、棺先生は表情を変える。けらけらと、へらへらとした笑い方では無い。笑ってはいたが、目が笑っていない。
少し低くなった声で先生は呟く。
「そろそろかもな」
その『そろそろ』が何を示しているのか、私も藍川も十分に理解している。私が、藍川が、犯罪者が、恐れているけれど自業自得な事。警察に捕まって、死刑になって。
「あーあ、死にたくないなぁ」
棺先生はそう言って笑う。その言葉に重みなんか全く無くて、お腹が空いたなぁ、とでも言っているような口調だった。
警察が来たらどうしようって、初めて人を殺した時から思っていた。毎晩毎晩布団を被って脅えながら寝て、物音がする度に心臓が跳ね上がりそうな程驚いていた。警察がやって来たんじゃないか、殺したあいつらが幽霊になって現れたんじゃないか、私の悪事が誰かに見られていたんじゃないか。けれど数日経っても数ヶ月経っても私が捕まることは無くて、そして成り行きのまま殺人を続けるようになってしまって。
たった二年ほど、だけど二年も。その期間に何人も人を殺したら、警察にバレるのだってそう遠い日じゃない。覚悟はしていたけれどやっぱり未だに思ってしまう。
まだ死にたくない。
その日は部活が無い日で、ちょうど部活が無かった藍川と帰る事にした。校門を出た所からの地面は雪掻きがされておらず、大分雪が積もっている。藍川がブーツを雪の上に下ろすと、ズボンごと雪に埋まってしまった。
「あははっ、凪ちゃん見てみてー、雪ふかーい」
子供のようにはしゃぐ藍川を見て私も笑いながら後を付いて行く。雪が溶けている地面は歩きやすく、早く夏になって雪が溶けないかな、でも誕生日もうすぐだから過ぎてからが良いな、なんて思っている時、藍川がふと足を止めた。
「あ、兎のぬいぐるみだ。可愛い」
それはとある文具店だった。文具店と言っても、文具以外にも様々な物を売っている。ぬいぐるみとか時計とか服とか。そして外から見える店頭にはたくさんのぬいぐるみが並べられていた。藍川はその中で、一つの兎のぬいぐるみを見て目を輝かせている。黒い色で耳の長い兎だ。サイズは大きめで、目は赤いガラス。
「兎好きなの?」
「うん、どっちかと言えば」
ふーん、と頷きながら私も陳列されているものを眺める。ぬいぐるみは好きだ、だってもふもふしてるから。動物も同じく。
大きな犬のぬいぐるみが舌を出して外を見つめている。カラスのぬいぐるみがその上にあり、周りには何匹もの毛がもふもふしている羊のぬいぐるみが転がっている。その中で私が一番気に入ったのは、黒猫のぬいぐるみだ。そこまで大きいわけじゃないが、中ぐらいの大きさのそれは、綺麗な青いガラスの目をして、尻尾を垂らして座っている。頭には豪華な装飾が施された王冠を被っていた。
凄く可愛い、でもきっと高いんだろうな。そんなにお金があるわけじゃないし大きな無駄遣いも出来ないからなあ。
「……凪ちゃん? どうしたの?」
藍川に顔を覗きこまれて、私がぬいぐるみに見入っていたことに気がつく。藍川が私の視線の方向を見て、猫と目を合わせた。
「欲しいの?」
「あー……まー、うん」
頬を掻いてそっぽを向きながら言うと、藍川は神妙な顔で黙ってしまう。けれど、そうかそうかと頷いてまた進行方向に体を向けた。
「行こうか、凪ちゃん」
「う、うん」
すたすたと歩いて行ってしまう藍川の後を追う。だけどちょっとだけ、黒猫を名残惜しみながら見つめてしまう。
そして、その時だった。
「川瀬凪さんですよね?」
背後から声をかけられ振り向いた。そこに、一人の女性が立っていた。明るい茶色の、裾の跳ねた右分けショートカット。キッチリとしたスーツ。途端に思い出した。
「……刑事さん?」
女性は頷き、お久しぶりですと会釈をする。名前は何だったか、と私が少しうろたえると、それを察したのか彼女は引き締まった顔のまま「柊冬音です」と言う。ああ、そう言えばそんな名前だった。
夏に私の家に来た刑事さん。あの時はすぐ帰ったけれど、二度目の今回はそんな簡単にはいかないだろう。いや、と言うよりも多分……。
「凪ちゃ…………あ」
私が付いてきていない事に気が付いたのか藍川が戻って来る。ほんわかとした顔が冬音さんを見て引き締まった。目付きを鋭くさせて、少しだけ睨むように彼女を見る。
「どちら様ですか? 凪ちゃんに何か用でも?」
藍川が少し刺々しい言葉で言っても、冬音さんは身動ぎ一つしなかった。その上藍川を見て、ちょうど良かった、とでも言いたげな顔をした。
「藍川伊織さんですね? 私、柊冬音と申します」
そして彼女はこう続ける。
「警察の者ですが、お二人ともちょっと署までご同行願えますでしょうか」
棺先生は、私達の方にも警察が来るかもしれないと言っていた。そして今日実際、警察が私達の元へやって来た。
冬音さんを前にして、これで私の人生も終わりかな、とそう思っていた。
もう一つ、さっきも思っていた事が再度頭に思い浮かんだ。
まだ死にたくないなぁ。




