第45話 これから
翌日、と言ってもその日の朝は、金曜日だった。
服に付いた血の匂いが気になると言う理由で街まで歩いて戻ることになったのが正直一番きつかったかもしれない。まあ隣県とは言えど、県の端っこ同士で近いと言えば近い所だったのが助かったか。途中で海月ちゃんと海星くんが睡魔に負けて、棺先生と佐々木さんが背負って帰ったり、アリスを泊める場所をどうするかと言うことで話し合った結果棺先生のマンションになったり、色々あった所為で一睡も出来なかった。
しかも学校側からは冬休みに入るまでなるべく休まないで欲しいと言う連絡が昨日あったばかりなので休むわけにもいかず、私と藍川、そして棺先生は学校へ向かうことになったのも辛かった。
そんなわけで今日は、学校へ向かう道のりさえも辛いものだった。
冬服で良かった。家に帰ってお風呂に入った時、手足の傷を見てかなり驚いたから。よくよく見れば深い傷も結構あって、それを認識した途端に傷が痛み出して大変だった。泡が傷に染みて飛び上がったのも少しあるし……。とにかく冬服なら、顔以外の大抵の傷は隠せる。厚めのタイツやブレザーをしっかりと着れば、傷を他人に見られる事なんて無いだろう。
途中信号などで何度か危険な目に遭いかけながらも、無事学校に着く。玄関で靴を履き替えて教室に向かうと、茜が飛びついて来た。背中の傷がもろに痛む。
「ぐっ…………ぉ、おはよう茜」
「おはよー凪ー! あれどうしたの? 何か元気なくない?」
そう言って茜は少し心配そうな顔をしながら私の体をベタベタ触る。冬のスキンシップは暖が取れて素敵かもしれないけど、手が普通に傷口に当たってかなり痛い。ギャーッとか叫びそう。いや、叫びたい。
少しよろけながら席に鞄を置き、一宮にも挨拶をする。何か箱に入ったお菓子をポリポリと摘みながら一宮は片手を上げて笑った。
「おはよう川瀬。食べる?」
「あーうん、いただく」
箱を差しだして来た一宮に礼を言って、お菓子を摘む。丸いクッキーのような形のお菓子を口に放り込んで食べる。そしてそのまま近くの席に寄りかかり、ずるずると力を抜いたように座り込んで溜息を付いた。
「どーしたのよ凪、今日やっぱり元気無いよ?」
「いや、うん。大丈夫大丈夫。平気」
「……………………」
茜は少し、目を細めて私を見上げていた。セーターの裾を軽く握って、「ねぇ、凪」
「ん? なぁに?」
茜は何かを言おうと口を開き、けれどすぐに閉じて首を横に振った。明るい笑顔を見せながら
「ううん、何でもない」
「えー、何さ、教えてよ」
「大したことじゃないって! あ、ほら藍川来たよ。おはよーっ!」
茜の言葉に扉へ目を向けると、教室に入ってこようとしていた藍川が私達に顔を向けて微笑む。
「って、あれ。何か藍川も疲れてない? 大丈夫?」
藍川は引き攣った顔で乾いた笑いをする。見た目からして疲労困憊という言葉が似合いそうなやつれぐあいで、よく見ると目の下にクマのようなものもあった。
壁にもたれるようにして立つ藍川の傍へより、首を傾げて「大丈夫?」と言う。藍川はへらへらとしたいつも通りの笑い方で、「だいじょーぶ」と言い、小声で「多分」と付け加えた。
「…………そう」
そして熊本先生がやって来て、ホームルームが始まる。
「藍川お前今日寝過ぎ、どしたん」
「いやー……ははは。高岡先生に殴られたとこ、まだ痛いよ」
「ああそういや。あれ痛そうだったもんな。ゴンッ! って」
放課後、一宮が藍川に苦笑しながら話しかけていた。藍川は笑いながら後頭部を擦る。茜は今日は部活があると言ってもう教室にはいなかった。
その日は一日中、藍川の寝息が教室に聞こえていた。一時間目の数学の時間から四時間目の英語の時間までずっと。他の先生は特に気にしていなかったようだが、三時間目に世界史の高岡先生にゲンコツを喰らっていた。
「でもそれでも寝てるって凄いよね」
私が呆れながら笑うと、藍川も微妙に苦い顔で笑う。
藍川は高岡先生に殴られて、最初は頭を抱えて震えながら悶えていた。けれど高岡先生が説教をしている間に、頭を抱えた体制のまま、また寝息を立て始めていた。皆がそれに爆笑し、高岡先生も苦笑いをしながら「今日だけだぞ」と言って授業を再開していた。
「へへ、まあ今日は帰ったら寝るよ」
「おう。またな藍川、川瀬」
「またね」
言って、一宮が先に教室を出ていく。廊下に出た私達の少し先で、階段を駆け下りていく音が聞こえた。
鞄を持ち直すと少し肩の傷が痛んだ。藍川を見ると、藍川も私を見つめて微笑んでいた。
「今日はどうする?」
「アリスちゃんのところに行こうか」
藍川が言い、私も頷く。そして一歩手前を歩く藍川の後ろを私はついて行く。
棺先生は今日は早めに仕事を終えて帰ったらしく、私達がマンションに行った時にはすでに部屋にいた。棺先生の部屋にはアリス以外にも、佐々木さんと海月ちゃんと海星くんが朝からいて、私達を見てちょっと笑った。
「おかえりなさい。お姉ちゃん、お兄ちゃん」
海月ちゃんが駆け寄って来て私達の服を掴み、微笑む。私達も海月ちゃんに微笑み返して「ただいま」と返した。
佐々木さんは片膝を立てて座りながら、分厚く難しそうな本を読んでいる。海星くんと海月ちゃんは何か漫画を読んでいたようだが……ちゃんとした漫画なのだろうか、と部屋の内装を見ながら思う。
そこで気付いたが、ベッドがこんもりと膨れている。中からはくぐもったような嗚咽が聞こえた。
「……………………」
アリスだということは分かるけど声をかけていいものかどうかは分からない。そっとしておくべきなのか何か優しい言葉をかけるべきか。少し迷ったけれど結局、私は何も言えなかった。
けれどそこに棺先生がキッチンの方からやって来て、ベッドの横に座りこむ。何か湯気の上っているコップを手にしていた。
「アリス、アリス」
棺先生が声をかけると、無視は出来ないのかアリスはゆっくりと毛布から顔を出した。目は真っ赤になり未だ潤み、頬には涙の跡が残っている。赤くなった鼻を啜りながらアリスは棺先生を見つめていた。
「出ておいで。ホットミルクは好き?」
そう言って棺先生はコップを見せる。少し無言で目を細めたアリスは、目を擦りながらベッドから起き上がる。少しよろけながら床に座り、棺先生からコップを手渡される。
しばらくそれをじっと見つめていたが、そっと唇をコップに近付け、一口飲み込んだ。そして溜息を付いて目を細めた。
「…………美味しい、です」
その声は少し震えていたが多少は気分も落ち着いたようだった。コップをテーブルに置いて涙の溜まった目で棺先生を見上げ、「ありがとうございます」と礼を言う。
アリスの髪は解かれていて、ベッドの中にずっといたせいか変な風に癖が付いている。けれどそんなことも気にならない様子で、虚ろな瞳で壁を見ていた。
「……わたし、これからどうしましょう」
「どうするって?」
少し離れた横から私が言うと、アリスは自虐的な笑みを浮かべる。酷く疲れたような笑みだと、そう思った。
「サーカスの皆が死んで、わたしだけ生き残って、わたしは自由になりたかっただけだけれど、いざなった所で人を殺してしまって……。わたしなんか、生きてる意味あるんでしょうか? …………それに行く所も無いし」
淡々と話し、途中でアリスは一筋涙を流す。頬を伝ってカーペットに落ちた。
「わたしなんてただの頭のおかしな人間なんですよ。人を食べるのが好きだなんて、そんなの気持ち悪いって、分かってるのに。なんで止められないんだろう」
髪に手を当て、ぐしゃぐしゃと掻き乱す。泣きはしないけれど非痛に満ち溢れたというように顔を歪め、溜息を付く。
「変ですよ。変だよ。なんで? なんでなの? なんでわたしだけ生きてるの? なんで皆死んじゃったの? そうだよ、わたしはなんで殺しちゃったの? なんで、なんで? なんで、一緒に死ななかったの?」
そして、両手で顔を覆って吐き捨てる。
「わたしなんて、死んじゃえばよかったんだ!」
ぶるぶると震え狼狽し、混乱するアリスに棺先生が近付く。悲壮感漂う顔を上げて彼を見るアリスの肩を軽く叩き、優しそうな顔を耳元に近付け、こう囁いた。
「確かに死んじゃった方がよかったかもな」
アリスの目が更に見開かれた。
アリスだけじゃなく、私も、藍川も、佐々木さんも海月ちゃんも海星くんも、いつもと様子の違う棺先生に驚く。「……白林?」佐々木さんが不安そうに呟いても、棺先生はいつもの陽気な返事もなにも返さない。棺先生は笑っても怒ってもいないように、無表情の説明口調だった。
「お前は外に出たところで人を食べてしまう、人を殺してしまう。お前はただの犯罪者だよ。殺人には性癖も食癖も趣味も理想も宗教も快楽も救済も何にも無いんだ。正当防衛で人を殺すことも、理由も無い無差別な殺人も、同じなんだよ」
アリスは次第に顔を怒りに歪めて唇を噛み締めた。先生の肩に両手を置いて爪を喰い込ませ、泣きそうな声で叫ぶ。
「……だったら!」「でも」
アリスの言葉を棺先生は一言で制止する。そして少しだけ柔らかい表情をして言う。
「それは俺達だって同じだ」
その言葉にぐっと、私の喉が詰まる。唾を飲み込んで棺先生の話に耳を傾ける。目を丸くして先生を見つめるアリスも私と同じように唾を飲み込む。
先生は優しく、けれど真面目な声色でアリスに話す。
「俺だって人殺しだ、殺人鬼だ、犯罪者だ。…………だけどそんなのが何だって言うんだ? 殺人は重罪だって、そんな当たり前のことが分かっていたって、それでも殺人を犯してしまうならもうそれはしょうがないことなんじゃないか?」そこで一旦息を吐き、「俺は死にたくないよ」
部屋は静かで、棺先生の声が通る。ふと隣の部屋に音が聞こえないかなと思ったけれど、防音対策がされているマンションだと前に聞いたから大丈夫だろう、多分。
棺先生の訴えるような言葉は、アリスに対してだけでは無く、自分自身にも訴えかけているように見えた。呆れたような微笑を浮かべる口元が微かに震えているように見えた。
「些細な、本当に馬鹿げた理由で俺は人を殺して来た。『死体愛好家』なんて理由は他人から見たら、ただの変人に捉えられるだろうね。そんな馬鹿げた理由で何人も殺してもまだ、俺は死にたくないって思ってる。死んだ人からすればそんなのおかしいし、罪を問われたら俺は絶対に死刑だろうさ」
アリスの顔を真正面から見つめる棺先生の顔が、髪に隠れて見えなくなる。アリスの困惑した顔だけが私に見えていた。
「どうせ死ぬなら、罪を問われるその時まで、他人の死を背負って生きるのが俺達の役目だろ」
何かの漫画や小説のような台詞だったが、その言葉は的を得ている気がした。
棺先生はまだ言葉を紡ぐ。
「それに、自分を陥れて……死んだ人間に懺悔したいのなら、罪と後悔を背負って生きるのが一番だと俺は思うよ。死ぬってことは、何もかもを強制的に終わらせるってことなんだから」
良いも悪いも、全て。
棺先生は自分の心境を吐き出し終えたのか、アリスから離れる。アリスは少し俯きがちに自分の肩を抱いていたが、ぐっと目を閉じ歯を噛み締めた。
そして瞼を開く。
「…………あの、白林、さん」
「ん?」
アリスは少し口内でもごもごと何かを喋り、そして小声で呟く。
「あの、その……すみませんでした」そして「ありがとうございます」
ちょっと照れたように頬を赤く染め、アリスは先生にペコリと頭を下げる。棺先生はニッコリと微笑んでアリスの髪を少し乱暴に撫でた。
アリスはちょっと慌てていたが、満更でも無い顔で微笑んだ。
「てかさー、行く所が無いんだったら俺と一緒に住めば良いじゃん」
棺先生がそんな発言をしたのは、それから数分後の事だった。
「…………はい!?」
アリスが飛び上がって叫ぶ。棺先生の顔を見てみると、え? 俺何か変な事言った? とでも言いたげな顔。つまりはいつも通りの飄々とした顔だった。
ホットミルクが器官に入ったのか噎せて、涙目になりながらアリスは驚いた目で棺先生を見る。
「え!? あ、あの? …………うえ!?」
「先生何言ってるんですか、犯罪ですよ」
呆れたような藍川の言葉に棺先生は首を傾げる。佐々木さんも苦笑しつつ言った。
「お前、年頃の女の子と大人の男が一緒に住むっておかしいだろ」
棺先生はその言葉で状況を把握したようで、「ああ!」と笑って手を叩く。
そして満面の笑顔で、はっきりとこう言った。
「大丈夫さ、俺が興味あるのは幼女と大人の女性だけだから! それにまさか、自分の生徒と同じくらいの子に手は出さねえよ」
「…………幼児にも手出すのか」
佐々木さんが引いた目で棺先生を見る。海月ちゃんと海星くんを視線から遠ざけるように背に隠し、「変態」と吐き捨てた。先生は照れたようにはにかむ。反応が違うだろ。
「まあともかく、どうにしろ行く宛てないんだろ? どっかのアパートとか借りようにも……住民票とかあるのか?」
「住民票…………?」
首を傾げる様子からすると、多分アリスはそう言うことは知らないんだろう。アパート契約の際には住民票の他にも色々と必要だ、書類とか印鑑とか。アリスはそんなことを分からないだろうし、そもそも戸籍とかどうするんだ。多分母子共に行方不明扱いになっているだろう。よく分からないようだが、色々と面倒だと言う事を察したのかアリスは何とも言えない顔になった。
私の家は無理だろう。一軒家だし一人暮らしではあるが、いつ両親が帰って来るかもわからない。今年も来年もしばらく帰る予定は出来ないと言っていたのだが、急に休みが取れる時もあるだろう。家に帰った時に見知らぬ少女が娘と一緒にいたら……お母さんはともかく、お父さんに叱られてしまうな。
藍川のマンションも無理だ。そもそも男女だし、それはちょっと…………困る。
「凪お姉ちゃんどうしたの? そんなしかめっ面して」
「え?」
いつの間にかしかめっ面をしていたようで、海月ちゃんの不思議そうな言葉がかけられる。藍川もその言葉に「凪ちゃんどうかした?」だとか言っていた。慌てて笑顔に戻って「いや何でもないよ」と答える。海月ちゃんは首を傾げながらも口を閉ざした。
佐々木さんの所も出来ないだろうな。ただでさえ、二人がいるんだもの。大変だろう。
となるとやっぱり棺先生の家しかないわけだ。
「その、あの……でも…………」
アリスはまだ明確な意思表示が出来ていないようだった。そりゃあそうだろう、結構大切な問題なんだから。
棺先生が首を軽く傾げ、微笑みながら言う。
「俺の事信用出来ない?」
「いえっ! そう言うわけじゃ……!」
慌てて首を横に振る。そして、少し俯きぎみに呟いた。
「…………ありがたいですけど…………迷惑になりますよ」
「迷惑なわけないじゃないか。安心しろ、俺が守ってやるよ」
まるで彼女を口説くかのような台詞。アリスはそれにどう思ったのかは分からないが、少しだけ表情を柔らかくした。
すっと正座し、手を床に付き、ちょっと噛みながらもこう言う。
「えと、えっと! ほ、本当に良いんですか……? 一人で暮らせるようになったら、すぐ出て行きます、けど……」
棺先生が「それで良いよ」と頷くと、アリスは顔を輝かせて微笑んだ。
「っ! そ、それじゃあ……よろしくお願いします!!」
そしてペコリと頭を下げる。棺先生も笑いながら頭を撫でていた。微笑ましい……と思うと同時に、ちょっと既視感を感じる。原因はすぐに分かった。佐々木さん達に似ているんだ。
そっちの方に目を向けると、少し口で笑いながら棺先生達を見ている佐々木さんを、海月ちゃんと海星くんがじーっと見つめていた。
「どうかしたか?」
視線に気が付いた佐々木さんが二人に話しかける。海星くんが少しはにかみながら答える。
「なんだか、ぼく達みたいだなって思って」
「……あたしさ、佐々木お兄ちゃんがいて本当に良かった」
海月ちゃんもニンマリと笑いながら微笑む。二人は佐々木さんにぎゅっと抱き付きながら、
「お兄さん、ぼく達を育ててくれてありがとうございます」
「お兄ちゃん、大好きだよ!」
ニコニコニコニコ、嬉しそうな笑顔を浮かべながら抱き付く二人に、佐々木さんは少し驚いていた。けれど表情を緩ませ、軽く微笑みながら二人の頭を撫でる。
「オレもお前らの事、大好きだよ」
部屋の中で、二組がほのぼのとした雰囲気を出している。そんな中でそれを見ているだけの私と藍川の目が合った。
藍川がへにゃっとした笑顔を私に見せた。
「…………ははっ」
その笑顔に、私もニッコリと笑顔を返した。




