第44話 最期のサーカス
「あんたみたいな化け物、産まなきゃよかった」
お母さんに言われたその一言は、今でもわたしの脳裏に焼き付いている。
小さいときからわたしはずっとお母さんにいじめられていた。理由はわたしが四さいのとき、お母さんの左手の小指をかみちぎっちゃったからなんだって。お母さんはすごく痛かったって、ずっと言ってた。
でもわたしはそんなの覚えてないし、優しいお母さんのことが大好きだった。だからいつもお母さんがわたしを蹴るたびに、ごめんなさいごめんなさいって泣きながら謝っていた。少しだけ覚えてる、優しかったお母さんにもどってほしいって、そう思ってごめんなさい、ゆるしてください、お母さんお母さんって。
わたしはようちえんに行かせてもらえなかった。ほかの子供たちが遊んでるのをみて、いいなーって思ってたけど、お母さんにそう言ったらなぐられた。「あなたが誰かを食べたらこまるから、行かせないのよ」。わたしはよくわからなくて、痛くて泣いた。うるさいってまたなぐられた。
五さいになって、お母さんがある日すごく嬉しそうに笑っていた。わたしをだきあげて、「サーカスを見に行こうか」って言ってくれた。サーカスなんてテレビでしか見たことがなかったから、すごくうれしくていっしょに行った。
暗い森を歩いているときはすごくこわかったけど、お母さんがいたから安心だった。サーカスは大きくて、せの高い男の人がわたしにほほえんだ。こわかったけど、団長さんなんだって言ってて、えらい人なんだって思って、すごいなーって思った。
サーカスはすごく楽しくて、お母さんといっしょにいれることもすごくたのしかった。
だけど終わって、おうちに帰るってとき、お母さんはわたしを団長さんの前につれていった。それで「この子をよろしくお願いします」って言った。
わたしがちょっとこわくなって、お母さんにだきつこうとしたら、なぐられた。「これでもう会わなくてすむわね」って、なんのことかわからなくて泣いた。
お母さんがわたしからどんどんはなれていっちゃって、まって、行かないでって言ったのに、お母さんはふり向かない。そのとき、団長さんがわたしにやさしく小さな声で言った。
「きみはお母さんにすてられたんだ。くやしいだろう? 悲しいだろう? ――――じゃあ、あの人を食べてごらん」
できないよっ! って泣いてさけんだ。だけどお母さんはもう見えなくなりそうだったし、団長さんはできなかったらまたすてちゃうぞって言った。どうすれば分かんなくて頭がぐちゃぐちゃになって、またお母さんを見た。
周りがぜんぶ真っ赤っかで、お母さんがただのお肉に見えた。さいごに食べたのは小さなパンだけで、すごくおなかがすいていて。
ぐちゃぐちゃを止めたかったから、わたしはお母さんの左手にかみついた。
どうなったのか覚えていない。気がついたら周りがすごく変なにおいで、真っ赤な水溜りのうえにわたしは立っていた。あしもとを見たら、だれかの左手が落ちてて、指は四本しかなかった。
後ろからはくしゅの音が聞こえて見たら、団長さんが「すばらしい」ってわたしに言ってた。
そして、
「ようこそ、わがサーカスへ」
って言って、わたしをサーカスの中につれていった。
お母さんはどうなったのとか、わたしはこれからどうなっちゃうのとか、聞きたいことはいっぱいあった。団長が「これからきみの名前はアリスにしよう」って言ったときも、「わたしの名前は××だよ」って言ったけど、団長さんは笑ってるだけで話を聞いてくれなかった。
ふしぎのくにのアリスのお話は、大好きなお話だった。おうちにあった絵本では、アリスがうさぎさんを追いかけて大きな穴に落ちてしまうんだ。
きみはアリスだから、ふしぎのくにのなかまにであえるよって、団長さんが言った。
そしてそのサーカスで、わたしはしろうさぎさんとであった。
何秒なのか何分なのか何時間なのか、時間の感覚が分からなくなっていた。時間の流れを表す物は私の荒い呼吸と、一定の間隔で包丁から滴る血の雫だけだ。
呼吸を整える為に一度大きく深呼吸をすると、体中に出来た傷が少し痛み出した。腕や足、頬に首、首に手を当てると、少し血が付いていた。けれどそんな自身の傷以上に、私達の服に付いた汚れは多い。
「…………終わり?」
海月ちゃんが息を切らしながらそう呟いた。佐々木さんが「一旦は」と頷くと、少しよろけながらその場にへたり込む。
海月ちゃんの周りにも、私達の周りにも、同じような光景が広がっていた。
赤い血の水溜りと、それに浸かるように倒れている仮面の人々。顔が蕩けている人もいるし、胸の肉が抉れて未だに血を流している人もいる。咽るような血の匂いが部屋に充満し、少し眉を顰めて左足を引くと、ちょうどそこに落ちていた何かの臓器の欠片のような物を踏み付け、プチプチと音がした。呻いている人すらもう一人もいない。
「嘘でしょ」
呆然としたようにハートの女王が呟いた。彼女の赤いドレスには更に鮮やかな赤色の装飾が所々に振りかかっていた。その血の装飾を払う事もなく、彼女は目を見開いて私達を見つめていた。
彼女と白兎とアリスを除いた見世物達は、地面に横たわる仮面の人々を見つめているだけだ。その視線には哀れみも喜びも怒りも何も湧いていないようで。本当にただ見つめているだけだった。
白兎だけは荒い息を繰り返し、両手を握り締めて団長を睨んでいる。そのうちの握り締めた右手には銀色に輝くナイフが握られていた。白兎の背後にいるアリスは驚愕まじりの瞳で私を見ていた。
「そんな……馬鹿な」
ハートの女王と同じような事を呟いたのは団長だった。
ぎょろりとした目は更に大きく見開かれ、薄い唇をぶるぶると震わせる。ふらりと少し体がよろけ、それを壁に手を付いて支えていた。
「こいつらは、こいつらは私のサーカスの団員達だぞ! いくら素人の寄せ集めだと言えども……お前らのような奴らに簡単に殺されるだと!?」
簡単ってわけでもないんだけどね。体のあちこちは痛むし右足はちょっと深めに切られて血が流れてる。そう思いながら軽く苦笑すると、団長はそれを嘲笑と受け取ったのか目をギョロ付かせながらこちらに歩み寄って来る。
「凪ちゃ……」
右の方にいた藍川が団長を睨みながら私の傍に駆け寄ろうとするのを手を上げて静止する。横目で見た藍川の顔は少し不安そうで、軽く微笑んで『大丈夫だよ』という旨を伝える。
老人のわりに長身の彼は私を血走った目で見下ろすようにして、杖を持つ右手を握り締める。ギリギリと嫌な歯ぎしりの音に耐えながら、憎悪を込めて私も睨み返す。
「何故お前らは私のサーカスをめちゃくちゃにするのだ! この見世物達が可哀想だとでも言うのか? こんなやつらなんぞ、私が育ててやっているようなものだぞ!!」
団長が吠える度に、唾が飛んで汚い。団長は苛立ちを込めた言葉で何度も何度も私に暴言を吐き捨てる。至近距離から怒鳴られ少し怖かったし、物凄く嫌な気分になっていたが、同時に少しだけ面白いとも思った。
先程までニヤニヤと笑い高みの見物だったはずの団長が、今や唾を撒き散らして喚くだけの負け犬となり果てた。噛ませ犬になったようなその急激な変化は少し驚くし面白くて。
――――悠長にそう考えたのがいけなかったんだろう。
「あ」
しまったと思った時にはもう遅くて。
でも反射的に限界まで体を動かして最悪の事態だけは回避されて。
だけどそれでも状況にあまり変わりは無い。
「「っ…………」」
団長と私が同時に息を飲む。
お互い一歩も動かずに、更に相手をキツク睨みつける。……いや、実際には動かないのではなく動けないんだ。
団長の杖から覗く、細く鋭そうな長剣は私の左胸の上に添えられている。私の血に濡れた包丁は、団長の喉元に添えられている。
どちらかが動いたら相手は死ぬだろう。けれどその衝撃で自分も死ぬだろう。
だから、動けない。
「動いたらいけないよ? 私は君を殺してしまうかもしれない」
優雅な微笑みを浮かべながら、素早い動きで私に剣を付き付けた団長は言った。ついでに服を少し切り、左胸に直接剣を添えて。ピリッとした痛みが肌に走る。
「……それはこっちの台詞だ」
汗を一筋垂らして私は笑い、団長の喉元に少し刃先を付き付ける。赤い血の玉が少し浮んでいた。
一触即発の雰囲気に空気が凍る。ピリピリと張り詰めていく場の雰囲気に息が詰まる。
ああ、まさか仕込み杖だなんて思って無かったよ。隠し刀とかは知っていたけど、杖もあるんだね。小さな油断が身を滅ぼすってこういうことなのかな。でも本当どうしよう。この状況でずっと動かないわけにもいかないだろう、けれど動いたら殺される。せめて、相手が剣を落としたりしてくれないかな。
「実はねぇ、私はこいつらなんぞに興味は無いのだよ」
不意に団長がそう言って、足元に転がる仮面の男性を蹴り飛ばす。その衝撃で仰向けに転がった男性の顔は、硫酸がかかっていたのかドロドロに蕩けていた。
そしてそれを団長は踏み潰す。何とも思っていないように何度も靴で磨り潰す。ぐじゅぐじゅとした皮膚や肉片、黄色い脂肪のようなものや血なんかが零れて靴に付いた。飛び跳ねたそれらが少し私の足にも付いたような気がしたけど、今は気にしないでおこう。
足元から鳴るぐちゅぐちゅという気味の悪い音に顔を綻ばせながら、団長は続ける。
「いなくなれば新しいのを持ってくればいい、どうせ消耗品なのだから。……それよりも私が大事にしているのは」
そう言って部屋の隅に立っていた見世物達を見つめる。
「彼らなのだよ」
ニンマリと笑みを浮かべて。私が無言な事にも何も言わず、ただニコニコと微笑んでいた。
「何故だか分かるかい?」
「いいえ」
くくっとワザとらしく肩を揺らして笑う。おかしな人だと思い、今更かと思い直す。
静かな部屋には声がよく通る。彼の笑い声がよく響く。
まず彼は、ハートの女王を指差した。指を刺された彼女は少し脅えた目で団長を見つめる。
「彼女はとある小さな村で生まれ、生まれた時から足が三本あった。両親、村人から冷たい目で見られる事に耐え切れなかった彼女は、数年前にその村付近へやって来た我がサーカスに転がり込んできた。異様なほどに伸ばしているあの赤髪は、せめて背後からだけでも足を目立たせないようにするという、小さな見栄なのだ」
女王は自分の過去を淡々と説明されていることに、キツク唇を食い縛る。耳を両手で塞ぎ、三本の足を閉じて座り込む。
「……見栄なんかじゃ、無い」
喉から絞り出すように出された彼女の言葉に耳を貸さず、団長は次に帽子屋へと指を差す。
「彼は昔、とある屋敷の執事をしていた。まあもっぱら屋敷の一人娘の世話係のようだったがね。……ある日の事だ、その屋敷が火事に遭った。屋敷が半焼してしまうほどに大きな火事の中、主人と奥方、使用人達は逃げのびた。だが一人、家の中で遊んでいた一人娘だけは火事に気付かず逃げ遅れた」
帽子屋を見てみると、彼は右手に持っていた薔薇の花を見つめながら口を閉ざしていた。
「彼はその家事の中、少女を救う為に屋敷に飛び込んだ。結果的に言えば少女は助かったが彼は左半身に大火傷を負ってしまった。数日生死の境を彷徨って目覚めた時、主人と奥方は彼に言った。『もう屋敷の執事はしないでくれ』と。それは彼の左半身を覆った火傷を、可愛い娘に見せたくなかったからなのだろう。それから彼は執事を辞め、縁があってこのサーカスにやって来た」
帽子屋は無言で薔薇を握り潰す。静かな印象の彼だったが、赤い目でギロリと団長を睨んでいるのは分かる。
団長はまだまだ続ける。次はヤマネを指差した。
「彼……いや、彼女? あの子は性別が無い……いや、両方あるのか。まあだからそのまま『ヤマネ』と呼ぶ事にしよう。――――ヤマネはあるスラム街に捨てられた子だった」
ヤマネはぽけーっと、眠そうに団長を見つめる。性別が両方って、どういうことだろう。まあそんな病気もあるのかな。
「ヤマネは生まれつき数多くの持病を持っていた。両性別、ナルコプレシー、そして無痛覚。特に最後の一つは見世物としては最高だ。生きたまま体を解剖しても、腕にナイフを突き刺しても全く痛がらないのだから! 寝て起きれば大抵の傷は治っているという、異様な体質も兼ね備えている。まあ流石に欠陥した物は戻せそうに無いが」
苦笑する団長の台詞にヤマネは無反応だ。大きな欠伸をして私を見つめている。
次は双子に指を差す。双子は顔を一度見合わせてまた団長を見て、ちょっと不貞腐れた顔になる。
「彼らは結合双生児だ。今の世の中、結合双生児などそこそこ存在するが、やはり未だに見世物としては丁度良い」
「「そりゃどーも」」
不満気な声を合わせて、双子がそう吐き捨てる。団長を憎々しげな顔で見つめた。
「彼らは唯一の肉親である母親から忌避されていた。子供の容姿と、それに集中する他人の目に狂いかけていた母親は、何度も彼らの体を分離させようと体の中心を刃物や爪で傷付けた。サーカスの時の傷がそれだ。彼らはそのまま家に居続けると母親に殺されるだろうと危惧し、逃げ出した。けれどその容姿は否応なしに目立ち、攫われて身売りに出された。そこを買い取ったのが私と言うわけだ」
双子は二つの頭を左右に振って黙る。嫌な記憶を忘れようとでもしているのか、その行為はしばらく続いた。
団長はチェシャ猫を指差す。
「彼は見た目通り口が大きく裂けている、日本で言う口裂け女みたいに。路地裏で死にかけている所を私が拾ってやったのだ。口端を縫い合わせてはいるが喋れるはずなのに、私の前では滅多に喋ろうとしない……」
はあっと大きく溜息を付いて、団長はチェシャ猫に目をやる。チェシャ猫はニヤニヤと笑ったままで団長を細い目で睨んでいた。そんな彼に、団長は目をギョロギョロと回してニンマリと笑う。
「今にも餓死しそうになっていたお前を助けてやったのは誰だと思ってる? そんな口を縫い合わせ、団員として出られるようにしてあげたのは誰だ? ここに住まわせてやっているのは? えぇ?」
チェシャ猫は喋らない。もともと寡黙な人だったのかもしれないが、団長を睨んで黙っている。床に置いている猫のパペットには一切手を伸ばそうとしていない。
最後から二人目。団長は次に白兎を指差す。
「彼の髪や肌の色と目の色を知っているかい? 真っ白な肌と髪、真っ赤な瞳。アルビノと言うのだよ」
……そう言えば聞いた事がある気もする。生まれ付きメラニンが不足しているだの何だので、肌が白く目は赤いと言う。あの子がそうなのか。
「アルビノというのも結合双生児と同じように、世界に少なくは無い。普通に生活している子供達だって何人もいるのだ。彼は、故郷と周りの人々に恵まれていなかっただけだ。彼が生まれた国は、彼の親族は、殆ど皆黒人だったのだよ」
白兎は皆と同じように無言だった。アリスを背後に隠し、右手も背中に隠し、団長を睨む。
「黒人の家族の中に一人だけアルビノ。それはそれは目立った事だろう。まあ、そのような事例もアルビノには存在する。けれど彼の親族、両親は彼を自分達の子供だと認めなかった。四年間一応と言う感じで育て、そしてとうとう孤児院へと捨てられた。けれど周りの黒人の子供達は白い外見の彼を虐め、彼はそこから逃げ出した。そして私が彼をサーカスに連れて行ったのだ」
そこで彼の話を止めようとしていた団長に、軽く尋ねる。
「待ってください。じゃあ、彼の継接ぎは何なんですか?」
団長はまた目をギョロギョロと回し、私の左胸に添えられた剣を少しだけ引いて、全貌を見せる。
「……そんな事を聞ける立場か?」
「……………………いえ」
「じゃあ黙っていろ」
じゃあそもそもお前も喋んなよ。言いたかったけど、そう言った所で同じ事を言われるだろうな。
これが最後だと言わんばかりに、団長は顔に満面の笑みを浮かべて、
「アリス」
アリスに指を差す。
私から見えるアリスは体を強張らせて、目をカッと大きく見開いていた。縮こまった体を自分で抱き締めるようにし、呼吸が荒くなる。
「彼女の事はもう本人から聞いているかな? 生まれながらにして食人という性癖を持ち、自分の母親を喰らい、そしてこのサーカスの姫君でもある彼女のことを!」
その言い方に反吐が出そうだ。歯を食い縛って団長を睨む。団長はアリスの方に目をやっていて、私に気付いていない。あれ、これ今なら刺せるんじゃない? ちょっと右手に力を込めようかと思ったけれど、途中で団長が私に向き直って失敗に終わる。
アリスは無言で俯いた。肩を細かく震わせているけれど、その表情は読み取れない。
それよりも――――白兎の、やけに冷静な表情にゾッとした。
団長は気付いていない。
「彼女は我がサーカスの最高傑作だ。食人は最高の見世物であり、彼女自身の見栄えも良い。私は彼女を『アリス』と名付け、サーカスの主役に仕立て上げた。……それなのに、こいつはここから逃げ出したのだ」
団長は心の底から不思議そうに続ける。
「何故だ? 何故お前はこんなに恵まれた環境から逃げ出す? お前のおかしな行動を理解し、このような居場所も与えてやっているのだぞ? どこが不満なんだ?」
目をギョロギョロ回し、団長は天を仰ぐ。ギョロリギョロロロギョルギョロギョルリ、目玉がぐちゃぐちゃに動き回って止まらない。団長の喉から変な音がし始めた。それは団長の高笑いで、次第に強く高くなっていく。
「キキ……キキキキ」
キキキキキキキキと団長は笑う。笑い続ける。
キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキ。
酷く不気味で、気持ち悪い。
笑い続ける団長を、皆が思い思いの目で見つめる。
脅えて、怖がって、寂しそうに、無表情に、
憎々しげに。
「もう嫌だ」
団長の笑い声が止んだ。
「…………キ?」
一転して静まり返った部屋に、ポタッと何か液体が垂れる音が聞こえた。
団長はゆっくりと自分の背中に目を向ける。
小さいけれど鋭くて、小さいけれど輝いて、小さいけれど致命傷にも成り得る。
白兎が投げたナイフが、団長の背中にぶっすりと刺さっていた。
「…………あ」
団長の手から長剣が滑り落ちる。私の足を掠め、長く薄い切り傷を作って、床に落ちる。痛いけれど、死ぬより大分マシだ。
口に溜めこまれた血を一度、ゴフリと空気と共に吐きだす。団長は白目を剥きながら足を竦ませ、白兎に顔を向けた。私の事はもう眼中に無いように。
今私が、団長に包丁を突き付けて刺し殺すことは簡単だった。……けれど、団長を殺す事は私の役目ではないだろう。
「もう嫌だ。もう嫌だ。もう……嫌なんだよ!」
白兎は大粒の涙を零しながら叫ぶ。ツインテールに縛った髪をぐしゃぐしゃと掻き乱して解くと、アリスと同じくらいの長さのセミロングの髪が垂れた。
「ボク達は確かにあなたに救って貰った! だけど、あなたはボク達を人間として扱ってくれなかった! 見世物として扱った!! ボク達だって人間なんだ。どんなに見た目が怖くても不気味でも、それでも人なんだ。ボク達は、あなたの道具なんかじゃない!!」
白兎の行動と取り乱しように、皆が驚く。だけどすぐ、頷いて同意する。
ハートの女王も帽子屋もヤマネもディーとダムもチェシャ猫も、アリスも。
団長は声を振り絞るように叫んだ。
「それが…………それが……何だと言うんだ……! 当たり前の事だろう!? お前らのような姿形が異様なものなど、人間として認められるわけが無かろう! 今ここで、私を殺したところでどうなる!? お前らが……っ、居場所がなくなるだけだろう! これから、どうすると言うのだ!!」
団長の言う『もの』は、『者』なのか、『物』なのか。
白兎は少し微笑むように泣きながら、震える声でこう言った。
「もう嫌なんだよ」
その言葉に、アリス以外の皆が何かを悟ったような顔をする。アリスはそんな皆に不安げな顔を向けたが、すぐにキリッとした顔を団長に向けて、歩み寄る。
フードをその場に脱ぎ捨て、髪を解いて、そして腰から鞘に入れていた物を取り出す。ぶるぶると震えて動かない団長の前に立ち、アリスは鞘を投げ捨てた。
「団長」
やけにしっかりとした声で、アリスは団長に話しかける。団長はゆっくりとした動作でアリスを見つめ、血が混じった涎を垂らして憎々しげに微笑む。
「わたしをこれまで育ててくれて、ありがとうございました」
そして一礼。次の瞬間、アリスは畳みかけるように団長に言う。
「昔の団長がとても優しかったことは今でも覚えています。チェシャ猫さんや帽子屋さん達、白兎と仲良くさせていただいた事はとても感謝しています。いつの日か急にあなたが本性を現して豹変した事も覚えています。……ライオンの檻の中に白兎を閉じ込めてライオンを調教させるよう強要し、結果大怪我を負った白兎の剥がれた皮膚を、通りかかった墓場から掘り起こした死体の皮膚を無理矢理縫って補った事も、今でも覚えています」
そして白兎を少し見つめる。白兎は緑色の皮膚で繋ぎ合わされた継接ぎに触れ、少し微笑んだ。
団長は細い呼吸を繰り返して、アリスを見つめ続ける。
その顔には諦めと、憎しみと、恐怖の色が滲み出ていた。
「逃げ出してしまって、ごめんなさい」
アリスは右手に持ったそれを強く握りしめる。
「わたしをお母さんから譲り受け育ててくれて、ありがとう」
アリスはそれをゆっくりと団長の頭の上に掲げる。
「そして」
アリスは切なげな顔で微笑んだ。
「さようなら」
アリスの掲げていた鉈が、勢い良く団長の頭に振り下ろされた。
団長が死んだ。頭をかち割られ、脳味噌を露出して。頭蓋骨を少しはみ出して、血を垂れ流す。
呆然と、血で濡れた鉈を持って立つアリスに、無情な台詞がかけられる。
「ボク達は、ここから外には出られないよ」
アリスはゆっくりと振り返る。台詞を放った白兎に目を向け、「どうして」と呟く。
そんなアリスに微笑みながら、白兎は続ける。
「ボクも皆も、外に出た所で生きられないよ。体はこんなのだし、それがどうかなったところで頼れる人もいない。奇異の目に晒されるだけだよ」
アリスが少し慌てて、それに反論する。
「そんなっ、ことない! わたしだって外で生きられるって分かったんだよ? 皆も出られ――――」「それは無理よ」
アリスの声に被せて、女王が言った。儚い微笑みを浮かべてアリスにゆっくりと説明する。
「さっき、ワタシが言いかけたことはね。ここを出て幸せになれるのは、あんただけってこと」
「……………………」
無言で疑問を訴えるアリスに女王が笑う。
「あなたは見た目が普通。おかしいのは、人を食べてしまうってことだけ。……でもね、皆は姿がおかしい人ばかりなのよ?」
あ、そうか。
「ワタシは足が三本ある。帽子屋は左半身大火傷。チェシャ猫は口が裂けてる。双子は頭が二つに体が一つ。白兎はアルビノ。そんな人達が外にいる、普通の人々の目に晒されてご覧なさい? さっき白兎が言ったみたいに、奇異の目に晒されるだけよ」
「でも、そんな…………」
まだ納得がいかない様子のアリスに、白兎が言う。
「ボク達はもう、そんな目で見られるのが嫌なんだよ」
ビクッとアリスの肩が跳ねる。そしてとても辛そうな顔で白兎を見つめた。
白兎が団長に叫んだことは、全てが本心からなんだろう。
彼らはもう、嫌なんだ。自分達が見世物にされる事が。
アリスはそれが分かったからこそ、もう何も言えない。自分自身、その辛さを知っているから。
「もう嫌なんだよ」
白兎はそう言って、アリスに歩み寄る。アリスが鉈を持つ手にそっと触れ、微笑む。
「もう終わりにして?」
「っ、うぁ…………」
アリスの目からボロボロと涙が零れる。手が震え、しゃくり上げる。
けれど、アリスは泣きだしたままで顔を上げた。そして鉈をまた強く握り締め、
「アリス、おいで」
そう言ったハートの女王の元へしゃがみ込んだ。
ハートの女王はそんなアリスの頭を撫で、「良い子、良い子」と微笑む。母親のような優しい笑みを浮かべ、彼女はアリスの手から鉈をすっと奪う。
そして唐突に、自分の真ん中の足一本に突き刺した。
「ぎぅっ!! ……っづ、あぁ…………!」
汗を垂れ流して目を大きく見開き、溢れ出る苦悶の声を食い縛った歯で噛み殺す。
唐突な女王の行動にアリスは驚くが、動かない。服に返り血が飛んでも気付かない。
「づっ――――ギ、イィイイィィギギギィイ!!」
最後にボギッと鈍い音がして彼女の足が跳ねた。床を一本の足が滑って壁にぶつかり止まる。足の付け根からは多量の血が流れ、アリスが何かをしなくても、このままでは出血多量で死んでしまうだろう程に溢れる。
それでも女王は二本になった自分の足を見て、痛みと、歓喜の涙を流していた。
「ああ……ほら、見てよ。足が二本だけよ……。ほら、ほら! …………あは、ははっ」
弱々しい声で笑い、彼女はアリスを抱き締める。その行動によって傷が酷く痛むのか一瞬、彼女は苦痛の声を漏らす。けれどそれでも嬉しそうに彼女はアリスを抱き締める。
「ありがとう、アリス。ワタシはあなたが大好きよ」
そう言って頬に軽いキスを落とし、彼女はアリスに鉈を返す。血とか色々、よく分からないものがくっ付いた鉈を手に取り、アリスは一度頷いた。
「ハートの女王様、わたしもあなたが大好きです」
そう言って鉈を横に振る。アリスの強い力はハートの女王の首を薙ぎ、彼女を絶命させた。
そしてアリスは立ち上がり、仲間の傍へと向かう。仲間はこれからアリスが自分達に何をするのか知った上で、微笑んでいた。
「おいで、アリス」
アリスの鉈が、命を奪う。
帽子屋の左胸に鉈を突き刺し、彼は少し苦痛に顔を歪めつつも、微笑みながら死んでいく。
ニッコリと微笑むヤマネの胴を薙ぎ払い、上半身と下半身を分けたヤマネは眠ったような顔で死んだ。
ディー・ダムの頭の間、体を縦半分に切って、彼らは単体の双子となって死ぬ。
チェシャ猫の首をスパッと切り落とし、彼はニヤニヤ笑いのまま絶命した。
白兎の前に立つアリスは、酷く落ち着いた顔で彼を見つめていた。
白兎は仲間の死体の真ん中に立ちながら、これまた冷静にアリスを微笑みながら見つめる。
白兎はアリスに顔を近付け、唇に軽いキスをして顔を離し、また笑う。
「ありがとう、アリス」
アリスの鉈は、彼の首を薙ぎ払った。
血に濡れたその空間から、私達は外に出る。アリスは部屋に一度も振り返らず、黙って外へ向かう。
螺旋階段を上り、通路を通って、扉を開けて。人っ子一人いない静まり返ったサーカスの外へ出た瞬間。
「本日は当サーカスにお越しいただき、誠にありがとうございました」
足元で声がした。
「…………三月兎さん」
「やぁアリスちゃん。やっぱりあんただったのね」
それはサーカスに入って来る時にいた、幼い女の子のピエロだった。
その子は血に濡れた服を着ているアリスを見ても脅えたり恐れたりせず、全てを分かっているように笑っていた。
「団長と、皆は?」その子は分かっているように聞き、
「死にました」アリスも事実を述べる。
「そっか」小さな声で、少女は頷いた。
アリスとその子は向かい合わせになって見つめ合う。その子は私達に気が付き、柔らかな笑みを浮かべて一礼をする。
「こんばんは、お客様。あたしは最後の見世物兼ねピエロの三月兎と申します」
「見世物? どこが?」
海月ちゃんが疑問を尋ねると、彼女はくくっと笑う。見た目は海月ちゃんとそれほど変わらない年齢の少女は言った。
「アタシの見た目はまだ幼いけれど、本当はこれでも三十を超しているんですよねぇ」
えっ、と思わず声を漏らす。そうか、子供っぽく見なかったのも話し方が大人びていたのも、その所為か。
「本当に? 俺より年上じゃん」
棺先生が驚いた様子で言う。少女……いや、その女性はケラケラと面白そうに笑い、アリスを見つめた。
「で、アリスちゃん。あなたはアタシをどうするの?」
「殺します」
間髪入れずにアリスは答える。その言葉を待っていたかのように、女性は何度も頷く。
「じゃあ、とっととやっておくれ。痛くないように一気にお願いね」
「はい」
と、アリスが鉈を振り下ろす前に、三月兎は私達の方を向いて再度同じ台詞を言う。
「本日は当サーカスにお越しいただき、誠にありがとうございました」
アリスが鉈を振り下ろす直前、彼女は笑ってこう言った。
「またのお越しをお待ちしております」
三月兎の首が飛ぶ。
三月兎の死体をサーカスの中に放り込んで、サーカスの布の端に海月ちゃんが火を付ける。
この時の為に海星くんが用意していた油を撒き、手慣れた様子でマッチを付けた海月ちゃんが火を付けると、瞬く間に火は燃え広がった。
サーカスの端で燃えていた火は、次第にテント全体を包んでいく。ごうごうと勢い良く燃える火と煙は、暗い空を少し明るくした。
「これ、警察来たりするかな」
「来そうだね」
「死体、バレるかな」
「燃え尽きると良いね」
藍川とそんな会話をしながら、大きな炎を見上げる。今は夜中だしここはあまり人が来ない森のようだけど、それでも誰かにバレはするだろう。そうなったら死体は見つかり、痕跡から私達の指紋や血液が検出される。証拠は燃え尽きないし、骨も燃えない。絶対バレる。
そんなことを私が考えている横で、アリスが握り締めた鉈に付く血液をペロリと舐めた。赤い舌が鉈に付いた血の上を這い、少量の肉片も同時に口に入り込む。
少し咀嚼して、小さく喉を鳴らしてアリスはそれを飲み込んだ。
「…………美味しい?」
「今日のは、美味しいです」
アリスは無表情で火に包まれるテントを見続ける。本当はもう逃げなければいけないのだが、アリスが動くまでは私も動かない。
「今までで、一番」
アリスは小さく呟き、同時に目から一筋の涙を流す。
その涙を切っ掛けとしたように、急にアリスの表情は崩れ、今にも泣き出しそうな顔になってその場に座り込む。
「ああ……うああぁ…………うわ、わあああああああああぁあぁあああああああぁぁぁあああああ!! ああああああ、ああぁあああ――――! うええぇえええええぇえぇん! ああああああああああぁあぁあああぁあぁぁぅぅっぅううううううぅううう!!」
子供のように激しく泣きじゃくり、大粒の涙を何滴も地面に落とす。乾いた地面は水気を吸い取り、またすぐに乾いてしまう。
アリスは何度も何度も、半狂乱になったように激しく泣き続けていた。
アリスの目の前で燃え続けるテントは、まだ燃え尽きそうになかった。




