第40話 理由と雪
いつしか外では雪が降り始めていた。案外早いスピードで地面に舞い積もる雪は世界を白く彩っていく。雪を眺めながら下校中の小学生がはしゃぎ、女子大生が寒そうにマフラーに顔を埋め、サラリーマンは腕時計を見て舌打ちをする。朝の雪を切っ掛けとしたのか、今回の雪は積もりそうだ。
時計の針をじっと見ていると、やけに時間の経つ速度が遅く感じられた。放課後――――棺先生の仕事が終わり、帰宅時刻まではあと少しありそうだ。アリスとお喋りをしたりお茶を飲んだりテレビを見たりするのはもう飽きた。それにアリスは今テレビに見入っている。なんでも、テレビさえ見た事が今まで無いんだとか。今はキラキラと目を輝かせて少女アニメを凝視していた。
取りあえず毎日届いてはいるけどテレビ欄以外はあまり読んだことのない新聞に手を伸ばして読んでみる。十一月三十日の今日の新聞にはそろそろクリスマスシーズン到来だの、与党と野党の政治がどうのだの、私にはどうでもいいような情報ばかりが並んでいた。
最初に裏のテレビ欄をじっくりと見てから、そのまま裏から捲る。各家庭の可愛い赤ちゃんの写真が並べられていたり、可愛い投稿イラストが載っていたり。
そんな行為の中でふと、一つの記事が目に留まった。
警察署長の言葉と、それに関連した記事のイラスト。イラストの方はどうやらここ数年の犯罪の増減数であり、年々増加してきているそれは二年前から大幅に増加していた。かなり心当たりがある。そして肝心の警察署長の言葉を纏めると、『ここ数年増加している犯罪を来年から強化的に減少させる。その為の策などもあるが、まだ実行には移していない。だが今後も市民の皆には自衛を心がけて欲しい』と。
つまりは来年から厳しく警察が動くってことなのか、特に二年前から続く殺人事件に……いやもっと早くしとけよ。どの口がそれをほざくか、と言われそうな台詞を考える。
新聞を投げ出して床に寝転ぶ。カーペットを敷いていても床は冷たく、体が冷えて来る。しんしんと降り続く雪を眺め、一瞬だけ目を閉じる。
「あっ、凪さん! 見てください、女の子が男の子の唇食べようとしてますよ!」
「いやそれ食事じゃないから。唇引き千切って咀嚼するわけじゃないから」
きゃあきゃあ楽しそうに騒ぐアリスに逐一突っ込みながら、寝転がったままテレビに目を向けていた。
「やっほー! 来たよ!」
「おじゃましまーす。あ、凪ちゃんこんばんは」
五時半くらいにようやく棺先生がやって来た。何故か隣に藍川もいたが別に構わないか。
外は暗く、雪はまだ降り続いていた。二人は傘を差していたようで、雪に濡れたその傘を藍川が畳んで鞄に仕舞う。……あれ、一本? え、二人なのに?
棺先生が明るく笑いながら「いやあ途中で藍川に会ってさあ、連れて来ちゃったよ」「ごめんね凪ちゃん」藍川もへらっと笑いつつ謝る。
「いや別に構わないよ、いらっしゃい」傘の事は聞かずに、二人を家に上げる。
そのままリビングへ向かい、ソファーの上に座っているアリスを呼ぼうとしたところで、アリスがいないことに気が付く。
「あれ? アリスー?」
呼んでも出て来ない。ソファーの上には少し潰れたクッションが置いてあるしテレビも付けっ放しなので、トイレだろうか?
ゴンッ、「いっ!」
と、キッチンの方から何かをぶつける音と小声が聞こえた。
キッチンに向かい、テーブルの下を覗き込む。頭を押さえて土下座のように蹲るアリスがいた。
「……アリス?」「えっ、あ! は……いたぁっ!!」驚いて顔を上げたアリスが頭をテーブルにぶつける。多分二度目だろう。
少し脅えた目をしたアリスがぷるぷると震えたまま私を見上げていた。
「あ、あの……わたしがいたら、その、迷惑に…………」「凪ー何かあったのかー?」「ぴゃあああああああああ!!?」
急に現れた棺先生が、私の隣に立ってテーブルの下を覗き込んだ。そして涙目になって棺先生を見つめるアリスを見つけ、しばし黙り込んだ後で言う。
「何かあった!」「物みたいに言わないで下さいよ」取りあえずそう言ってみる。
棺先生は何故か少しテンションが上がったようになり、アリスをじっくりと観察する。おいでー、とか手を招く。その行為におどおどとしながらもアリスがテーブルから這い出て来る。
「えー何この子超可愛い、兎みたい、胸でかい」さり気無くセクハラ発言をして頭を撫でる。
「え、あぅ、ぅ…………」
アリスもアリスで特に抵抗せずその手を受け入れる。頬が少し赤かった。
そのままアリスを引きずってリビングに運ぶ。その際にも藍川と目が合ったアリスは少しビクついていた。
「あれ、凪ちゃん誰その子。学校の友達?」
藍川の呑気そうな声にもアリスは涙目になる。藍川の方も恐る恐ると言った感じで、二人で無言で見つめ合う。
「…………」
「…………」
「…………」藍川が、へらっと笑う。
「…………あ」アリスもほんの少し微笑む。
とてとてと藍川に歩み寄り、その場に正座する。ペコリと少しだけ頭を下げて「初めまして」「初めまして」どうやら少し仲良くなったようだ。
さて、三人に説明しなきゃ。
「へー、じゃあこの子が変死体の子なのか」
一通り藍川と棺先生にアリスのことを説明し、アリスに他の皆の事を伝えた。棺先生と藍川は呑気にアリスを見ていたが、アリスの方は目を白黒させて驚いていた。その驚きを隠すように、私が三人に淹れたコーヒーを喉に流し込む。ちなみにアリスのコーヒーは砂糖が三杯入った甘めの味だ。
少しぎこちない様子でコーヒーカップを持つアリスに、藍川が尋ねる。
「えと、じゃあアリスちゃんはあのサーカスの人なんだよね?」
「あ、はい」
そっかー、と頷きながら藍川もコーヒーを飲む。今度は棺先生が尋ねた。
「あのさ、そのサーカスが近々この近くに来るって噂で聞いたんだ。だけどいつ来るかというのは分からない。それがいつか分かるか?」
ほんの少し身を拒め、顔を固める。自身が脱走した恐怖の対象が、また自分の近くに現れるというのは、どれほどの恐怖なのだろうか。
実はさっき、アリスに同じ事を話した。アリスが逃げ出したサーカスが、また近くに訪れる事を。アリスは少しパニックになっていたがそのうち顔を青ざめながら話し始めた。「きっと、サーカスはわたしのことを探しているのだろう」と。それ以上詳しく聞く事はよしたが大体説明は付く。
自分のサーカスで働いていた見世物の一つが逃げ出したなんて、団長にとってはあまりに恐ろしい事だろう。警察にサーカスの存在がバレたら? 見世物達が暴動を起こしたら? それになにより、裏舞台で最大の見世物がいなくなってしまうと観客からも見放されてしまう。
皮肉なことに、アリスが人食の欲求に耐え切れず人を殺してしまい、自分自身も逃亡生活を余儀なくされていたことが、団長やサーカスの居場所を特定されずに済んだということに繋がったのだろうが。
怖くて辛くて耐え切れそうにないだろうに、今のアリスは毅然とした態度で答えた。
「きっと、十二月十四日だと思います」
迷いの無い言葉に少し不思議に思う。アリスがサーカスを脱走したというのはここ一年の話だ。サーカスはどうやら不特定な日数に訪れるようだが、どうして現在はサーカスに所属していないアリスが知っているのだろうか。棺先生も疑問に思ったのか、同じ事を問う。それにアリスは答えた。
「あのサーカスでは毎年、十二月十四日には必ず舞台を開いていました。その日は――――わたしの誕生日だったからです」
「誕生日?」
「はい。わたしは十二月十四日に生まれ、それを団長は知っていました。多分お母さんに会った時に聞いていたんだと思います。そしてわたしをサーカスの裏舞台で一番の主役として仕立て上げたかった団長は、毎年わたしの誕生日にサーカスを開くことにしていたんです。意味はあまり分かりませんが……きっと、『アリスが主役』という雰囲気を出したかったんだと思います」
そう言ってへらっと微笑む。
私も藍川も棺先生も、しばらく無言だった。何も言わずにただ時計の針の鳴る音だけが部屋に響く。その沈黙を破ったのは先生だ。
「じゃあ十四日までに場所は探しておく。十四日に行ってみるか」
「そうですね、じゃあそーしましょっか」
藍川も同意しながら鞄をまさぐって金槌を取り出し弄ぶ。そして傷やヒビが入っていないかをよく確認していた。私もキッチンまで包丁を取りに行き、リビングのテーブルの上に置いて気を付けながら舐めまわすように観察する。刃こぼれも埃も付いていないが、念の為後で研いでおくとするか。こう、シャッシャと山姥のように。
アリスは少しキョトンとしながらその様子を眺める。そして少し困ったように私に尋ねる。
「あの、皆さん何をされているんですか?」
「包丁とかのね、武器の手入れかな」
武器と聞いてアリスは訝しげな顔をする。その後ハッとしたように私を再度見つめた。
「まさか、あ、サーカスの人達を……?」
「……………………うん」正確にはちょっと違うけれど。
昨日、棺先生に見世物小屋に行って何をするのか尋ねた。ただ単に出し物を見ると言うのなら、それはそれで良いと思った。棺先生は授業でも少しグロッキーな物を使う授業をする事が多いし、何より忘れがちだが死体愛好家なのだから。奇形のような奇妙な物に惹かれてもおかしくは無いと思う。勿論その感覚自体は十分おかしいが、人の事は言えない。
けれど違った。棺先生の好奇心はその斜め上を行っていた。
サーカスによくいる動物は、舞台袖の檻などに閉じ込められている。出演の時以外は自由な行動を制限されるであろう見世物達も、同じような扱いを受けているんじゃないかと。そして棺先生は、舞台で活躍する見世物では無く、檻に閉じ込められている方が見てみたいと言い出した。
自然体の見世物が見てみたいのだという純粋では無い動機で。確かに舞台上では笑顔を作っている人達は、裏では絶対笑顔では無いだろうと思う。けれどそれを輝いた目で、見たいと言い出す棺先生もそれはそれでおかしい。正直馬鹿かと。しかもその時の目がまるで憧れていた戦隊ヒーローに会った純粋無垢な子供のような目で、断れもしなかった。
アリスにそんな感じのことを端折って正直に話す。アリスは途中少し顔を顰めたものの、
「理由はどうにせよ……凪さん達は、舞台裏の皆に会おうとしてるんですね?」
「まあそんな感じかな」
棺先生が笑う。対照的に真剣な顔をしたアリスは、ふっと息を吐いてキリッとした目付きを向けた。
「――――わたしも連れて行ってください!」
「え?」
元そこにいたことのあるアリスなのだから、何か言ったとしても棺先生に怒ったり、行動を止めたりするのだろうと思っていた。その全く正反対の言葉で、更に嘘ではなさそうな態度だった。
棺先生も少しだけ呆けていたがすぐに微笑して、首を傾げて髪を垂らし尋ねる。
「どうして?」
ぐっと言葉を詰まらせたアリス。二人を交互に見つめる藍川と私。
棺先生はニコニコと笑みを崩さないままアリスを見つめる。アリスが何か喋るまで待つようで、そこに少し教師らしさが感じられた。
そのうち、少し掠れた言葉がアリスの口から零れた。
「それは――――――――」
学校の校庭では、いくつかの雪だるまが立ちつくしていた。私の腹部ぐらいまである雪だるまの顔は木の枝や小枝で装飾され、笑顔だった。隣にも雪だるまはあったが、数日前から作られているので日光で溶け、ぐちゃぐちゃで小さかった。隣の溶けかけ雪だるまを踏み潰して完全に存在を無くしてから、普通サイズの雪だるまの頭を撫でてみる。厚めの手袋ごしだったが、ひんやりとした冷たさが伝わったような気がする。
呼吸をする度、肺や鼻にツンとした痛みが通る。吐く息は白く冷たい。踵を返したところで視界が黒く染まった。耳元にくぐもった、ボフッという音が聞こえる。
「ははっ! よっしゃ命中!」
「……何すんのさ」
顔に当たった、そこそこ柔らかめに握られた雪玉を払いながら、投球フォームのまま笑う岡野に呆れる。岡野の隣に立っていた一宮も、赤くなった鼻を啜りながら苦笑していた。
岡野は大きく息を吐き、ニコニコ笑いながら新しい雪玉を握る。
「何となく、川瀬がそこにいたからさー。ごめんなっ」岡野が舌を出しながら謝る。
「そうだ、三上がお前の事探してたぞ。後でカラオケ行きたいんだと」一宮がそう言ってから、寒そうに身を震わせる。
放課後にカラオケかー最近行って無かったし、行きたいなぁ。……でも、
「ごめん、今日ちょっと用事あってさ。悪いけど茜にそう伝えといてくれない?」
手を合わせて一宮に頼む。一宮は「別にいいよ」と笑う。岡野が「用事って何?」と尋ねて来る。
「今日はスーパーの卵が安くて。急がなきゃ売り切れちゃう」嘘だけど。卵は冷蔵庫にまだ十分残っているし。
勿論二人はそんな事を知らない。「一人暮らしだもんなー」とか適当に相槌を打って頷いている。ふと一宮が思い出したように、
「そういや俺も藍川に本屋誘ったんだけど断られたな。もしかして本当は二人でデートとか?」
「何言ってんだよ、そんな訳ないでしょ」まあ藍川とどっか行くってのは正解だけどさ。
二人に別れの挨拶をして間をすり抜ける。途中で積もった雪を片手いっぱいに拾い、固めに握って岡野に投げる。頭を狙ったけれど肩に当たり、「いたっ」と呟く。
「お返しだバーカ、じゃあね!」
そう叫んだ後、駆け足で校門へ向かう。数日ほどずっと降り続いている雪は体を冷やし、空気を乾燥させている。火事が起こったら大変だなあ。
私と同じように、帰宅途中の生徒は道にたくさんいた。駆け足の私に少し視線を向け、すぐ地面や空を見つめる作業に戻る。その間を私は駆け抜ける。
白い息を吐き続けている最中、心臓が強く鼓動しているのが分かった。ドキドキドキドキ、血液の循環が早まる。それは走っているからだけではなく、少し緊張しているからでもあるだろう。
十二月十四日の放課後の話だ。




