第41話 サーカス
夜中零時の暗い暗い森の奥、人が訪れることなど滅多にないであろう鬱蒼と木々が生い茂ったその森の中央部には、一ヶ所だけ不自然に大きく切り開かれた空間があった。
丸く切り取られたスペースには、濃い赤色と黒色で縞模様が描かれている、とても大きなテントが立っていた。
そしてその周囲にはぽつぽつと人がおり、皆テントの中へと入っていく。入口付近には数人のピエロが軽快な音楽と共に踊り、お客から何かを手渡されていた。
私達も普通のお客といった態度で歩く。だけど私の右腕に捕まっている子は、テントに近付くにつれ掴む手の力を強めていった。テント前に付いた時、私の前を歩く棺先生にピエロが近付く。
「初めましてこんばんはお客様、不思議の国のサーカスへようこそ!」
陽気な顔をしたピエロは小さな女の子だった。まだ八歳程度にしか見えないその女の子は、歳と不相応にやけにしっかりとした口調だった。
「こんばんはお譲さん。確か俺にチラシを配ったのも君だったよね?」
棺先生がその子の小さな手に、私達全員分のお金を手渡して言った。
「はい、お客様の事はよく覚えていますよ。駅の周囲にいらっしゃいましたよね。この度はわざわざご足労くださり、誠にありがとうございます」
深々と丁寧なお辞儀をする。うーん、やっぱりあまり子供っぽく見えないなあ。
そして女の子の横を私達は通り過ぎ、テントの内部へと入って行く。その際、その子がちらりと、私とその隣にいる子を見た気がした。
首だけ振り返り、一瞬目が合う。目の下の涙のペイントは女の子の笑顔で少し歪み、ニンマリと笑う顔が印象的だった。
何故か背後に少しだけ悪寒が走った。
薄暗い通路を通っている間、私達の前後に人はいなかった。その時ふと棺先生が神妙な顔をしていることに気が付く。
「何だ、どうかしたのか?」
棺先生の横にいた佐々木さんがぶっきらぼうに尋ねた。
「あーうん、まあ。さっきの子可愛かったなーって」
またか……と佐々木さんが少し呆れた表情をした。けれど棺先生は少し首を傾げ、続ける。
「でも何か違う」
「は? 何だそれ」
首を横に振り、「分からない」。佐々木さんは理解不能だといった顔でまた前を向く。棺先生も無言で何かを考え込む。
二人の後ろには、海月ちゃんと海星くんが手を繋いで付いて行く。少し眠そうなのか目を擦りつつ、トテトテ歩く。二人はお揃いの黒いパーカーと、少し大きめのリュックを背負っていた。
海月ちゃんと海星くんの後ろは藍川が歩く。厚手のセーターを着ているのに、まだ寒そうに自分の体を抱いていた。腰に付けたポーチは、少し膨らんでいる。
そして最後尾には私と、私の腕に掴まるアリスがいた。
アリスはぶかぶかの黒いコートで体や顔を隠し、私ももう少しサイズは小さめだが似たようなコートを羽織っている。
今日の皆の私服は、主に黒色だった。棺先生も今日は白衣ではなく黒いロングコートを羽織り、佐々木さんも同じ色のダッフルコート。藍川のセーターも黒色で、暗闇の中では見つけ辛い。
「…………あれ」
通路の一ヶ所に扉を見つけた。少し薄汚くボロボロの扉には、蛍光色の黄色い字で『No Entry To Unauthorized Persons』と英語が書かれている。立ち止まって藍川に訪ねた。
「ねえ藍川、この字何て読むか分かる?」
「え? ……ノー、エントリー、トュー……ウナウタホリゼド?」
「あ、やっぱいいや」英語のテスト赤点だったねそう言えば。
しょうがないから前を歩いていた棺先生を呼び、同じ事を尋ねる。
「これか? …………関係者以外立ち入り禁止って意味かな」
「へー、そうなんですか……流石ですね」
「一応教師だからな!」ドヤ顔で自慢されても。
そうこうしているうちに通路が終わり、幅の狭かった通路とは打って変わった景色が眼前に広がった。
壁や天井の色は鮮やかで毒々しい赤と紫に変わり、そこそこ多くの椅子が準備されている。前の方にあるステージは広く、どの席からでも見えやすそうだ。
「ここですか」「ここだね」「ここだな」「ここだ」「「ここかー」」「……ここ、です」
私がポツリと、藍川が呑気に、棺先生は楽しそうに、佐々木さんは無造作に、海月ちゃんと海星くんは声を合わせて、アリスは緊張した面持ちで。各々同じことを呟いた。
席は全てが自由席だったので、真ん中辺りの席に皆で横一列に座る。ここからでも舞台は十分見えるだろう。椅子は案外座り心地が良く、海月ちゃんはきゃっきゃとはしゃいでいた。
「何これすごーい! 佐々木お兄ちゃん見てよこれ、柔らかいよ!」
「ああそうだな、ちゃんと座ってなきゃ危ないぞ? 今日は遊びに来たわけじゃないんだから」
「はーい!」
素直に海月ちゃんは前を向き、大人しく座る。そんな海月ちゃんの顔を覗き込むように、海星くんの右隣に座る棺先生が身を乗り出す。
「海月海月、俺の上に座るか?」
「何言ってんの馬鹿、死ね」
笑顔で辛辣な言葉を吐く海月ちゃん。海星くんが少し焦っているのを余所に、棺先生は頬を赤くして恍惚とする。
そんな棺先生の隣に座るアリスは、フードを深く被り直して俯いていた。手の震えが治まらないらしく、両手を合わせて耐えている。
「あ…………」名前を呼ぼうとして止める。アリスの名前はこのサーカスでは出さない方が良いだろう。
「…………え、ぁ」
だから無言でアリスの手を握る。
緊張と恐怖で震えるアリスの手は少し汗ばみ熱く、私の手の冷たさが強調される。目立たないように椅子の上でギュッと握り、微笑む。
「大丈夫だよ、そんな怖がらないで。何かあったら守ってあげるから」
そう言ってアリスの顔を覗く。目元が殆ど隠された状態のアリスは、青ざめた顔で引き攣ったように、それでも尚微笑む。
「はい、ありがとう、ございます」
私に聞こえるギリギリの小声でそう頷き、また俯く。
けれど今度は、手が震えることは無かった。
サーカスに訪れる客も大分落ち着き、十数分経った頃。いきなり会場の明かりが消え、ステージに一人の男性が上がって来た。
「っ!」
アリスの肩が跳ねる。息が荒くなり、体を強張らせた。
ステージ上に上がった長身で痩せ細った体型の男性は、真っ黒な長い服で身を包んでいた。あの服は何と言うのだろうか、よく分からないが派手な服装だった。初老の男性で、短めの髪は灰色。三白眼でギョロッとしている目の色は濁った青色。きっと日本人では無いだろう。
彼は一度咳払いをし、持っていたマイクで会場に声を響かせる。
『紳士淑女の皆様、本日はようこそ当サーカスへお越し下さいました! 今宵皆様方へお見せするのは、素晴らしく雅で華麗なショー! ――――さあ、どうぞ最後までお楽しみください!』
流暢な日本語をしゃがれた声で言い、お客の拍手喝采が響き渡る。団長は一礼をすると、そのまま舞台の袖へと消えていく。同時に軽快で楽しげな音楽が鳴り出した。
最初のショーは、普通に楽しく平凡なものだけだった。玉乗り、空中ブランコ、組体操、ナイフ投げ……。それを大道芸人達が難なくこなしていく様子は確かに凄かった。けれど突出した面白さは感じられない。一つだけ、芸を行う人々が皆、目元に白い仮面を付けているのが気になったが。
「きゃー! 佐々木お兄ちゃん見てあの人凄い! あんな高い所の綱渡ってるぅー!」
「先生先生! あっちの人は口から火を吹いてるんですよ! 熱くないんですかね!」
とは言ってもそれはまだ幼い二人には感じなかったようで、海月ちゃんと海星くんはキラキラとした目で芸を見ていた。
どれほどの時間が過ぎたのだろう。綺麗な女性が串刺しになった箱から脱出するという芸をやったのを最後としてショーは終わったらしい。また団長がステージ上に上がって来た。
『いかがだったでしょうか皆様、楽しんでいただけましたか? 本日のショーはこれで終了となります。またのお越しを心よりお待ちしています』
そして一礼。団長が舞台袖へ消えていったのと同時に明かりが付いた。
会場は人々の雑談でざわつき、ぞろぞろと皆がサーカスから出ていこうとする。けれど私達は椅子に座ったまま動かない。
よく辺りを見回してみると、私達と同じように立っていない人は何人かいた。中年女性と男性の二人、豪華な服を着た老婆、ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべる男性、小学生の男子達。
大部分の人がサーカスから出て行き更に五分程経った時、くるくると踊りながらピエロがこちらにやって来た。入って来る時に見た女の子とは違う人で、何故か一つの服に二人で入っているのか、男の子の顔が服から二つ覗いていた。二つの顔は瓜二つ、双子なのだろう。
その二人は私の前に訪れ、そして声を合わせて尋ねる。
「「こんばんはお客様。本日のショーはいかがだったでしょうか?」」
「はい、とっても楽しかったです」
ピエロはニコニコしたまま私達を眺める。少し息を吸って続けた。
「でもちょっと、普通のものばかりで……『もっと変わった出し物なんてあれば面白い』ですよね」
ピエロは二人で顔を見合わせ頷く。そして私に顔を向け、ニンマリと笑った。
「「分かりましたお客様。ではそのように団長に伝えておきましょう。しばしその場で座っていてくださいね」」
それから二人はふとアリスに目を向ける。フードだけしか見えないその姿に少し首を傾げていたが、
「あ、この子ちょっと恥ずかしがりやで。私の友達です。周りのこの人達も」
そう、私の右隣に座る藍川や、左に座る皆を指して言う。ピエロは「「そうですか」」と言って、また跳ねながら後ろの方の席へ向かった。アリスは少しホッとしたのか、小さく溜息を付く。
ピエロは私達の後ろの方に座っていた小学生の男の子達にも同じことを聞いていた。眠かったのか少し目を擦りながら、男の子達は返事をする。
「うん、楽しかったですよぉ」「包丁投げてんのすごかったー。母ちゃんも包丁使って料理してっけど、あれは無理だなー」
「「なるほど、それは良かったです。さあ、もう夜も遅いです。良い子は寝る時間ですよ? 入口まで案内してあげましょう」」
そして男の子達を立ち上がらせ、出口の方へと連れて行く。私達のようにその場に座らせておく事は無かった。
それからまた数十分が経ち、海月ちゃんと海星くんだけでなく、藍川も眠りかけていた時。急にサーカスの明かりが消えた。
「……あー、始まるの?」
そう言って欠伸をしながら藍川が目を擦る。私も少し目を擦り、アリスを見る。アリスは少しも眠くない様子で、じっと前方にあるステージを凝視していた。
ステージにまた団長が上る。今度はニヤニヤとした顔で笑いながら、先程より少し明るい声色で叫ぶ。
『さあさあ皆様! まだお帰りにならないのですね!! それではしょうがない、私共も誠意を込めて皆様を楽しませなければなりません』
そしてまた一段を声を張り上げて、心の底から楽しそうに叫ぶ。
『今宵、皆様に本物のサーカスをご覧になっていただきましょう!』




