第38話 七人目
次の日の朝早く、携帯の鳴る音で目が覚めた。布団に包まりながら目を擦り時計を見てみると、まだ早朝の六時ちょうどだった。
重たい体を起こして、枕元に置いてある青い携帯を掴んでボタンを押す。茜からの電話だった。
「…………もしもし?」
『あっ、凪? ねえちょっと外見てよ!』
眠いんだけど。思いつつ、布団を被ったままのそのそとベッドから起き上り、窓のカーテンを開けた。
一面の銀世界とまではいかないが、そこそこ雪が積もっていた。
「おお」
『見た? ね、雪だよ! 今日雪合戦しようよ!』
「いや、そこまで積もっては無いでしょ」
はーっと息を吐くと、室内だというのに白くなった。部屋の温度を確かめるのが怖い。電話を片手に布団をその場に放置し上着を羽織り、茜と通話した状態のままで玄関へ向かう。
靴を適当に履いて一歩外に出ると、冷気が体を突き刺した。
「さっむ!」
『えー何、今外いるの? 寒くない?』
「いや普通に寒い、だけど目が覚めた。……それより茜、私に雪の事伝える為だけに電話したの?」
『そう!』そうですか。『……でもね』「ん?」
茜のはしゃぐような声が止み、途端に真剣そうな声色の言葉が耳に届いた。
『昨日、テレビで変死体見つかったって言ってたでしょ? あれ、凪の住んでるとこの近くっぽいし……………………心配だったから』
「…………そう」
何かこう、心配されるのって嫌な気分にならない。少し気恥ずかしく、そして嬉しい。鼻の頭を掻いてちょっと気を紛らわせる。
足で雪を踏み締めると、ぎゅっと音がする。あまり積もってはおらず、地面の表面だけに薄らと程度だった。
「もう少し積もったらさ、皆で雪だるまでも作ろうか」
『あー、良いねそれ! かまくらとかも作りたい』
「あはは、出来たらね」
足で雪を踏み潰しながら茜と電話。雪の降る日の朝は起きるのが億劫なのか、辺りには誰一人として見当たらない。ま、パジャマ姿をあまり見られたくは無いし、ちょうどいいか。
ぎゅっぎゅっと雪を踏み締めながら道を進み、雪を溶かす。それを繰り返していた時だった。
「…………あれ」
何か奇妙な物が落ちていた。よくよく見なければ気付かないように落ちているそれに、しゃがみ込んで目を近付ける。
「…………」
『凪ー? どうかしたの?』
「いや、何でもないよ」
近くの家から突き出た植物の葉っぱを数枚拝借し、それを丁寧にそっと包んで持つ。
「茜、ちょっと後でまたかけ直すよ」
『う? うんオッケー。じゃ、またね』
「うん、また」
携帯を畳み、ポケットに突っ込む。そして葉っぱに包んだそれを少し眺める。
数枚の葉っぱに包まれた、誰かの小指を。
「えーマジー案外近いじゃんこわー」
特に意味の無い独り言を呟きながら家から少し離れた林を散策する。
さっき一度家に戻って制服に着替え上着も羽織り、スカートの下に穿いた短パンのジャージの部分に包丁を隠し持った。そしてビニール袋に葉っぱに包んだ小指を入れ、それはスカートのポケットに仕舞った。
時刻はあまり変わらない午前六時十五分。家を出て少しした所で一人のおじさんとすれ違ったが、「おはようございますー」と挨拶をするとおじさんも笑顔で会釈を返して来た。明らかにおかしな場所に仕舞われている包丁に気付かれたら笑顔でいれるんだろうかとも思う。
「いるとしたら、ここだよなぁ」
あの小指が本物かどうかも分からないし、もしかしたらおもちゃかもしれない。けれど昨日の変死体の件もあるし……残り一人の犯人がいるって考えた方が妥当だよな。
もしそうなるとしたらどこかに潜伏している可能性が高い。この付近で身を隠す場所があるとすれば、木々がまあまあ生い茂っているこの林であると予測する。
なんて、どこの探偵だよと突っ込みたくなるような考えをして、ふと気付く。
もし実際にいたところで、どうしよう? 防衛として包丁は持っているけれど、もし残りの連続殺人犯だとしたら殺したくは無い。会ってもいないのに仲間意識が芽生えちゃってるし。あー、それとも今までの皆がおかしいのかな、普通お互い殺人犯なんだし、自分の命を守ろうと防衛する方が普通だ。それなのに私達は、こうやって和気藹々《わきあいあい》と一緒に他人を殺している。それはとても変な事だ。あ、でも棺先生には屋上から落とされたっけ。あれは含むのかな。
「まあいいや」
ガサリと目の前の草を掻き分けると、少し広い場所に出た。
木々が生い茂っている所為で、日の光も届かず、雪も全く積もっていないその場所で一度大きく深呼吸をして、近くの木の幹に凭れかかった。
薄暗い空間で目を閉じる。しんと静まり返った中、たまに木が揺れ葉が靡く音がする。少し湿った土と木の匂いが鼻孔に届く。
そして近くの木の後ろから、カサリと、小さな物音が聞こえた。
「っ!」
飛び跳ね、身構える。視線を左右に素早く動かし右手をスカートの上から包丁に添える。寒い筈なのに汗が一筋垂れた。
小さな声が聞こえる。耳に全神経を集中させ、その小声を聞きとる。
「……は、ぁ…………ぅっぅぁ」
「…………」
包丁を取り出し構えて。声が聞こえる木の前で、唾を飲み込んで。
思い切って回り込んだ。
「っ――――――――え?」
木の後ろにいたのは凶器を構えてこっちを睨んでいる男――――などという事も無く、一人の女の子だった。
私と同じくらいの年齢だろうか、セミロングの茶髪はぼさぼさで、来ている服も汚くだぼだぼのロングコートだった。その子は私を酷く脅えた目で見つめ、その両目からは涙を零していた。
口元や頬を、べったりと血で濡らして。
「……えと、あの、だ、だいじょ」「ひっ!」
取りあえず差し出した手を見て、女の子はびくりと肩を震わせる。ガタガタと震えて首を横に振った。
「ぁ、やっ……こなぃ……で……! ぃ、ぃゃ、ひぅ……」
脅えて脅えて私を避けて。その様子は臆病な兎のようにも取れるし、小鹿のような雰囲気もある。
そんな感想は一旦置いておき、しゃがみ込んで話しかけた。口元の血を凝視して、心配しているような雰囲気を作って。
「大丈夫? 酷い怪我だよ! 病院行こうか?」
「えっ、びょ、びょうい……?」
「病院は嫌いなの? でも手当をしなきゃ……あ、私の家に来てちょうだい! 手当くらいなら出来るから!」
「えっ、ぁう、え、ぇえ、その、あ」
顔を青白くさせて、女の子は挙動不審に視線を定めない。その手をむりやり握り立ち上がらせると、びくりと手が震える。
気付かないフリをして引っ張る。あ、けどその前に。
「ほら、まずその血を拭こうか」
「ぁ…………ぶ」
上着を脱いで口元を拭く。上着が血で汚れて行くのを見て女の子は更に焦ったが、
「そのまま当てといて」
「…………」
有無を言わさずにそう言って手を引く。上着を口に当てている所為で、無言の女の子も後ろを付いてくる。
その手は家に着くまで、カタカタと震えていた。
「はいタオル。服は私ので悪いけど」
「いえ…………ありがと、ございます」
誰にも見られずに家の中に女の子を連れ込み、お風呂に入らせる。最初は戸惑っていた彼女も、恐る恐るながら体を洗っていた。
女の子がお風呂に入っている間に戸棚に小指を仕舞い、包丁はキッチンのテーブルに置いた。そして彼女が上がった時にバスタオルを渡し、私のパーカーを貸した。
「…………」
脱衣所の扉越しに服を着る衣擦れの音がする。途中小声で「きつ……」と言っていたが、聞かなかったことにした。
数分後、髪を濡らして頬を赤くした女の子が出て来た。髪は少し艶やかになり、ぽたぽたと水滴が垂れている。
「あー」ちらっと見たところ、確かに服が一部分だけ突っ張るようになっており、キツそうだった。「後でもう少し大きめの服買いに行こうか」
さっきはだぼだぼのロングコートだったから分からなかったが、胸が大きい。何カップだよ、D以上あるんじゃないのか。
女の子は少し俯き顔を赤くさせながら、こくりと頷く。それを見届けてから彼女に背を向けた。
コーヒーでも淹れようか、お茶の方が良いかな。
「ねえコーヒーは好き?」
「…………」
返事が無い事を疑問に思い、振り返る。女の子は少しトロンとまどろんだ瞳で私を見据えていた。
何故だか背筋にぞわりと悪寒が走り、苦笑いを浮かべながらキッチンへ軽く駆けた。テーブルの上にある包丁の上に手を添えるように置き、明るい口調で、
「あ、お茶の方が良いかなっ」
また振り向いた時。
女の子が、私のすぐ目の前に迫っていた。
床に押し付けられるように押し倒される。
「……っ、え」
私の上に伸しかかる女の子の目が一瞬だけ赤く染まったように見えた。私が倒れる時に一緒に落ちた包丁が右腕のすぐ真横に落ち、少し掠めた。
「ちょっと、ねえ? そこ退いて……」
私の言葉が聞こえないようで、女の子は荒い呼吸を繰り返して私の肩を掴む。服を少しずらし、肌を露出させる。
背筋の悪寒は止まらず、顔が少し青ざめてくのが分かった。本能的に危険を直感するも、上手く動けない。
女の力だとは思えないほどに強い力が私の肩を締め付け、爪が肌に食い込んでくる。
女の子が私の肩に口を近付け、そして、白く光る歯で肌に触れた。
「いっ!?」
肩に鋭い痛みと熱が走る。そして追うように、じわじわとした痛みが強まっていく。
女の子の荒い息と、私の肩から流れる血と。彼女の歯の力はどんどん強まり、ぎちぎちと肌が噛まれていき、
ブチッ。
「っうぐぁ!!」
肩がびりびりと痺れ、目に涙が溜まる。脳が混乱して、何本もの針が突き刺さるような刺激が突き抜ける。
必死に左手を動かして女の子の顔を押し離そうとする。それでも一ミリたりとも彼女の顔は動かずに、むしろ歯がまた私の肩の傷口にめり込まれる。
「や、め……止めて!」
火傷と勘違いしそうな熱さと痛さ。必死で叫ぶも聞こえず。
だから、右手で包丁の柄を握って女の子の右腕に線を描いた。
「っ!」
いきなりの痛さに女の子が飛び上がる。パッと口を離して、荒い息をしながら左手で腕を押さえる。その間に私が身を起こすと、肩が酷く痛んだ。
口元の血を舌で拭い、口内に残っていた私の血肉を飲み込む。
私の肩の傷を見て呆けていたものの、段々と状況を把握したのか目を見開いていった。
「ぁ…………ぁ、ああ、ぁあ、あああああああああああああああああああああああああああああ!!」
絶叫して首を左右に振る。濡れた髪から水滴が飛び、目尻からも雫が飛んだ。
そして発狂したみたいに叫び出す。
「――――ごめんなさいごめんなさい! 違う、わたしはそんなっ! もうやだ食べたくないの! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいいぃっ!! やめてもう嫌なの痛いのやなのごめんなさいもう食べたくないの許して許してっ! ……助けて、誰か助けてよぉ…………!」
ぼろぼろ泣き続けるその様子を呆然と眺めて、肩の傷口から流れる血液を垂らし続けて、私は黙ってその場に座り込んでいた。
しばらく彼女は泣き続け、疲れたのか脱力してくたりと壁に凭れかかる。口元から垂れる涎と血の混ざった液体も涙も、全てそのままにして。
私は私で何も言わず、ずきずきと痛む肩を押さえるだけで。
その無言を破ったのは女の子だった。
「ごめんなさい」
「…………いや、大丈夫だよ」
何度も繰り返した謝罪の言葉にそう返答すると、また彼女は一度しゃくり上げた。また沈黙が流れる。
少しした後、今度はわたしから口を開いた。
「人、食べるの?」
びくっと女の子の肩が跳ね上がり、瞳孔の縮小が激しくなった。
落ち着かせる為に言葉を続ける。
「それを聞いたところで警察に電話もしないし、あなたが何かをして来ない限りは包丁で刺したりもしないから。……正直に話して」
「……………………」
口を真一文字に閉ざして震えている女の子だったけれど。
そのうち涙目をこさえて、小さく頷いた。
疑問が確信に変わった。
「そう、そうなの」
じゃあ最後に、もう一つだ。
「最近、内臓が食い破られていた変死体。あれ、あなた?」
「…………はい」
これで、最後の一人が見つかった。
「そっか、うん。そうなのか」
うんうんと頷いて、ふっと微笑んだ。私の微笑みに少し女の子は脅えていたが、
「私も同じ」
そう言うと首を傾げる。
「同じ……?」
「死体」
「……………………ぇ……………………え?」
最初は不思議そうに。そのうち段々と目を見開き、口をぽかんと開けて私を見つめる。
そして挙動不審に口をぱくぱくと開閉させ、視線をきょろきょろと動かし続けた。
「そんなに驚かないでよ。ほら、他にも色々人が殺されてたの知ってる? あれ、他にも犯人いるんだよ」
そう言っても女の子は顔を引き攣らせて理解不能だとでも言いたげにしていたので、唐突に話題を変えて見る。
「名前は?」
「え?」
「あなたの名前。ここまで言ったし知ったんだから、教えてちょうだいよ」
女の子はしばし黙り込んで何か考えるようにしていたが、一度息を吸って真剣な顔で答えた。
「アリス」
アリス?
「日本人じゃないの?」
そう言うと首を横に振った。……日本人なのに、アリス? まさか漢字で亜李州とかそういう名前?
「偽名ですが」
「えっ、あ、そうなの」
「本名は知りません」
「…………」
何それ、凄く重そうな話。それ以上は追及しないことにして、私も自分の名前を言う。
「はい分かりました、川瀬さん」
「いや、凪で良いって」
「はい、凪さん」
「いやだから……」
ふと時計を見ると、すでに八時を越していた。今日は学校もう休んじゃうかな。
「あ、そうそう。ちょっと待ってて」
戸棚に駆け寄り開ける。その際肩が痛み、そう言えば怪我していたことを思い出す。絆創膏と小さいビニール袋を手に取り、アリスの元へ持って行った。
「はい」
最初、アリスは訝しげな表情でそのビニール袋を見ていた。けれど袋を開け、中の葉っぱ数枚を取りだしたところでギョッとした顔になる。
「あ……こ、これ」
「アリスのでしょ? 証拠隠滅した方が良いんじゃない?」と、袋の中の小指を指して言う。
アリスはその小指を摘み上げ、少し泣きそうな顔になった。そして目をきつく閉じ、一気にその小指を口に放り込む。
ガリッと噛み砕き、ごりごりと歯で磨り潰す。もぐもぐと咀嚼し、喉を鳴らしながら嚥下した。
「…………」
その光景を黙って見つめていると、アリスがようやく目を開けてこちらを見つめて来た。いや、私の肩と言った方が正しいか。
私は頬笑み、アリスに話しかける。
「これからよろしく」
一瞬だけ呆けた顔をされたものの、アリスも現状を把握したのか頬を緩ませる。
眉を少し寄せつつも、何故か目に涙を溜めつつも、
「はい、よろしくお願いします」
そう微笑んだ。




