第33話 風邪と甘え
翌日の学校には、茜と一宮しかいなかった。
朝の準備に手間取り、いつもより少し遅めにやって来たはずなのに。どうしたんだろう?
「凪おはよっ」
「はよっす」
「おはよう。……藍川は?」
二人とも首を横に振る。と、ちょうどそれを見計らったかのように携帯の着信音が三つ鳴った。
「あ、藍川からメールだ」
茜が画面を開いて呟く。私の所にも同じようなのが届いているだろうから、私も携帯を取り出した。
茜と一宮と私に一斉送信で、藍川からメールが来ていた。
『風邪引いた今日休む。ごめん』
絵文字も顔文字も一切無い、普段の藍川なら顔文字の一つぐらいは使う筈。白い背景に黒い文字だけのシンプルなメールであるが故に、多少真剣さが出ていた。
と言うか風邪って昨日の……だから傘を買えと言ったのに。
「大丈夫か? ちょっと電話してみるか」
言いながら一宮が携帯を操作し、耳に当てる。私達にも聞こえるようにスピーカーモードにして。
「……………………お、藍川か?」
『……あ、けいずけくん?』
鼻が詰まったような、掠れた声が聞こえる。ゲホゲホという咳の音も。
『ごめんね、今日休む……ゲホッ、がら。先生に言っといてくれない?』
「分かった。それよか、熱何度なんだ?」
『えっとね、今ちょうど、三十八度」
結構高いな、病院行ったのか?
同じ事を思ったのか、一宮も「病院は?」と尋ねる。
『行こうと思ったげど、頭痛いし、立つとふらふらずる……ゲホゴホッ!』
つまり行ってないのね。
電話の向こうで、藍川の苦しそうな呻き声と、布団から出ようとでもしているのか、ずるずると何かが這うような音がした。
そして、
『あ゛』
「え?」
ドスンバタンガギゴン。
「え?」何今の音。
一宮がちょっと焦った様子で藍川に呼び掛ける。
「藍川? おい、藍川?」
『……………………プッ、ツーツーツー』
電話の切れる音がして、何も聞こえなくなった。
「「…………」」
私と茜が固まっていると、一宮はゆっくりと私達に振り返り、青ざめた顔で呟く。
「死んだ……」
「いやちょっと待てよ」流石にそれは早すぎる。
「うわあああん藍川死んじゃったああああ!!?」
「茜も違うから!」多分。
茜の声と私達の様子にクラスメート達が集まって来る。「えー何? どったの?」「え、藍川死んだの?」「マジで? 嘘」「いや本当らしいぞ」ザワザワザワザワうっせーな。てか違うから。きっと。
時計を見上げて時間を見る、ホームルームまであと五分。次に時間割を見る、今日は嫌いな古典とか英語とかばかりだ。
「…………」
そう言えば藍川一人暮らしだったな。
私が鞄を下げ直したのを見た茜が、不思議そうに首を傾げる。
「凪? どっか行くの?」
「今日休むわ」
私の発言に、茜は目を見開いて驚く。何でだろう、私が普段真面目キャラで通ってるからかな? やっだぁ、そんな真面目ちゃんが学校サボるなんて……前代未聞じゃないの! やだなそれじゃあ茜が驚くのなんて当たり前じゃないか! でも今まで真面目(に通して来た)だったんだからたまのサボりぐらい良いよね?
良いわけねえだろ。キャラも一瞬壊れた気がした。
茜は窓の外を見て、時計を見て、時間割を見て。視線を定めずに慌てている。
「え! え! だって、今日台風来るってお母さん言ってたよ!?」
「そうだったねえ」
窓の外は昨日同様の厚い雲。暴風雨が吹き荒れているが、まだまだ強まりそうだった。それでも私は行くことに迷いは無い、英語は嫌いなのだ。
茜はまだあわあわと私を見て焦る。
「だってだって、今日は雷鳴りそうだし、外は風強くてスカート捲れちゃうし、ああでもあたしはジャージ穿いてるから大丈夫だし、今日の授業は難しいのとか書くの多いのとかばっかだし、そう言えば世界史の宿題忘れてきたし、放課後の部活も今日はきついやつだし――――あたしも行くよ」
「結局行くのかよ!」
キリッと表情を引き締めて尚且つ輝いた目をする茜に一宮が突っ込む。そして口をへの字に尖らせて空気の出口を塞ぎ、頬を軽く膨らませてから、一気に溜めた空気を吐き出す。
「しょうがないな……俺も行ってやるよ」
何だかんだいってお前も行きたかったんじゃねえの? 思ったけど口には出さない。
一宮は近くにいた男子、岡野に適当な理由を先生に言ってくれるよう頼む。岡野は不満気な様子も見せず、むしろ笑顔で承諾していた。それで良いのか委員長。
「早く行かなきゃ先生来ちゃうよー、行こうよー」
茜が私と一宮を引っ張る。黙ってサボることは先生達には悪いけど、友達の看病というもので許してくれる事を願おう。
そして私達三人は先生に見つからないよう、こっそりと教室から出て行った。
「え!? 何で皆ここにいるの!?」
私達が藍川の部屋に行った時、藍川は心底驚いていた。
家に着いた時、外は台風が直撃していて、雷も鳴り響いていた。
「玄関の鍵開きっぱだったよ。不用心注意」
「あ゛ー、昨日の夜じめ忘れでだかも」
ぐずぐずと鼻を啜りながら藍川はそう言った。
家に来たことはあるが、藍川の部屋に入ったのは初めてだ。案外シンプルな部屋だった。
小さめのテレビや本棚に入った数冊の本、小さいソファー、白い壁にかかったカレンダー、机と椅子、あとベッド。ある物と言えばそれぐらいだ。床も青色のカーペットが敷いてあるだけで特に不思議な点は無い。
「大丈夫?」
ベッドに近付き、顔を覗き込んだ。
黒い毛布がぐしゃぐしゃになったベッドに横たわり、頭には冷えピタを貼り、顔もちょっと赤くなっている藍川。熱の所為で潤んだ瞳をこちらに向け、少し頷く。
「大丈夫だげど……凪ちゃんが、うつっぢゃうよ」
「今は他人の心配しないの。自分の事に専念しなさい」
台詞と共に頬に手を当てる。……うん、熱い。
「色々買って来たよっ」
茜が手に下げていたスーパーのビニールから買って来た物を取り出す。食べ物とか飲み物とかが大半だ。
「えっとねぇ、林檎とプリンとポカリと冷えピタと……」
「そう言えばお前、朝飯食ったのか?」
一宮の質問に、藍川は軽く「んーん」と言う。そして少し困ったような顔になった。
「一応お粥とか作ってみたんだけど、失敗しちゃって」
「じゃあ私作るよ」
「あたしも手伝う!」
藍川はちょっと驚いていたが、最後には「じゃあお願い」と言った。
机上の林檎一個を手に取り、茜と一緒にキッチンへ向かう。
「そういや電話した時の音なんだよ?」
「あれはね、体温計取ろうとじてベッドから落ぢて……」
そんな二人の会話が背後から聞こえていた。
「おおう、ブラックライス!」
ガスレンジの上にある小鍋の蓋を開けた茜がそう言った。
小鍋の中にあったのは、藍川が作って失敗したと思われるお粥。お焦げと言うにはあまりに黒くなっているそれは、確かに失敗作と言えるだろう。匂いも強い香ばしさが……はっきり言うと焦げ臭い。よくもまあここまで出来たもんだ。
「炊飯器にお米無いし、こっちにあるかな」
そう言って開けた冷蔵庫の中身は、卵数個、お茶と牛乳、マヨネーズやケチャップなどの調味料、コンビニで買ったらしい冷凍ご飯、コンビニ弁当やおにぎり、等々。野菜も肉も魚も無く、大半がコンビニ物を占めていた。前来た時と一切変わってねえ。
呆れつつも冷凍ご飯を取り出しレンジで温める。その間に林檎を手に取り、包丁を片手に。
「…………」
流しの上で、無心で林檎の皮剥きを開始する。シャリシャリと爽やかな音を立てながら、赤い皮が一本繋がって下へ垂れる。
「凪、水ってこれくらい?」
「うん」
隣では茜がお粥を作り始める。「お粥作るの初めてだけど成功するかな?」とか言っている茜の呟きも、あまり耳に入って来なかった。
シャリシャリ林檎の皮が剥ける。赤い皮が滑り落ち、薄黄色の白い中身が露出する。赤く細長い皮が流しの底に到達し、小さな輪を描いて積もる。
そんな赤色を見て、不意に色々と思い出す。今まで殺してきた人達の顔が。何でだろうと思ったけれど、すぐに血の色と似ているからかとも思った。
鮮やかな林檎の色は、少し深く鮮やかな赤色。それは左胸付近を差して抜いた直後とかに出て来るような血の色で。けれど体外に出た血は、すぐ酸化して黒ずむ。
林檎の皮は酸化せず、赤色を保ったままで落ちて行く。シャリシャリシャリシャリ、シャリシャリと。
そして最後に、プツンと途切れた皮が下に落ちて行った。
「凪、皮剥くの上手いね!」
そう言われて我に帰る。
「え、そう?」
茜に言われて手元の林檎を見る。無意識ながらも林檎は八等分に切り分けられており、種も取られていた。今持っているのは最後の一つ、これもちょうど終わった。
茜の方のお粥もそろそろ出来そうだ。くつくつと沸騰するお湯の音がしている。
「じゃあそろそろ持ってこうか」
茜に微笑んで、皿に盛り付けた林檎を持った。
「お粥美味しい?」
「ん、よく味分からないけど……んまい」
ベッドから上半身を起き上がらせ、もくもくと少しずつお粥を食べながら藍川は言う。傍には林檎が六つになった皿も置いてあった。
食欲も多少出てきたようだし、薬を飲んで寝たら治るだろう。取りあえず一安心だ。
それは皆も同じだったようで、そうなると少し、友人の部屋と言うものに興味が湧いて来た。
「藍川ー、テレビ付けてもいい?」茜がテレビの前で体育座りをしながら尋ねる。
「いいよー」
「藍川、この本見てもいい?」私も本棚の前にしゃがんで尋ねる。
「いいよー」
「藍川、ベッドの下のエロ本捜索してもいい?」
「いい……は!?」
引き攣った顔になった藍川を無視して、一宮が遠慮無くベッドの下に手を突っ込む。
「ちょ! 駄目駄目っ、やめてって!!」
藍川がベッドから降りようとしたが、目眩がするのか出来なかった。
「男友達のベッドの下を捜索するのは、友達としての役目じゃねえか!」
「そんな役目ねえよ!」
必死で一宮を止めようとする藍川だったが、一宮がハッとした様子で「何かある!」と言うが早いか、手を引き抜いた。その手には一冊の本が握られている。
「わ――――――――!!」
外の雷を打ち消すような藍川の叫び声も一宮には聞こえない。
一宮は手に持っていた本の表紙を眺める。茜も興味津々で近付いて行き、
「なになに、どういうの?」
「凪ちゃんまで!?」
私も覗き込んだ。
「「「…………」」」
至って普通のエロ本だった。マニアックなものでもないし、正直つまらん。棺先生の性癖の本とかと比べれば、かなり純粋だ。藍川はこんな人が好きなんだろうかと、表紙の可愛い女の子を見て思った。
「へー……ほおぅ」
一宮は何気なくページを捲って中を見る。特に恥ずかしがってもいないので、きっとこいつもこういう本を持ってるんだろうなと思う。
「むー、もっと過激な物かと思ってたのに……」
茜に至っては不満顔。どんな物だと思っていたんだ。
藍川だけが焦っているようで、熱以外の理由で顔を真っ赤にさせて口をパクパク開いたり閉じたり。私と目が合い、上目遣いで睨まれる。
「……引く?」
「まあ少し」
「っ、良いじゃないか、こういうの持ってたって! 僕だって男だもん!」
何故か強い意志を込めるような口調でそう言った。そしてその後咳き込む。
まあ本を熟読している一宮や、飽きたようにテレビを付ける茜には聞こえていないだろうけど。
と言うか寝てなさい。
藍川の看病をして数時間。最初の方はちゃんと看病をしていたけれど、そのうち皆だらだらとテレビを見たり本を読んだりしていた。
けれどそんなうちに時間も過ぎ、そろそろ午後五時になる。
「んー、そろそろ帰ろうかな。遅いと親に叱られるし」
「あ、じゃあ俺も」
茜と一宮がそう言って立ち上がる。藍川は半ば寝かけていて、虚ろな目で二人を見ていた。
「凪は?」
「ん…………」眠りかける藍川を見て、「もうちょっといるよ」
「分かった。――藍川、あたし達帰るね」
その声に藍川が少し意識を戻す。茜と一宮を見て、
「帰るの?」
「うん」
「そか、うん……ばいばい」
あれ?
「ばいばーい」
「じゃあな、お大事に」
そう言って二人は帰って行った。
……何だかシンとして、少し不思議な気分になる。静まった空間だと、外の雨風や雷の音が鮮明に聞こえ始める。
藍川を見ると、先程同様虚ろな目で、けれど夢の世界に旅立とうともせずに私を見つめていた。
さっきの表情は気の所為だろうか。
「あ、夕食作る? それともまたお粥にでも……」
言って、立ち上がろうとして。
手を掴まれた。
「…………駄目」
「え?」
顔を上げた藍川の顔が、さっきよりはっきりと見える。
熱で潤んだ瞳とか、火照った頬とか。眉を下げて、私の腕に縋り付く。
「まだいて」
雷の音がして、同時に藍川の手の力も強くなる。
汗ばった手は私の手を力強く握り、微かに震える声が私に届く。
「一人は、寂しいよ」
「…………」
茜達が帰る時に垣間見せた表情も、寂しそうだった。
藍川は呟く。
「雷は嫌いだよ」
「うん……」
私も相槌を打って、頷く。
「お父さんがいなくなった日も、雷が鳴ってた」
「うん……」
「お母さんが死んだ日も、そうだった」
悲しそうに顔を歪めて、声の震えは一層大きくなる。
鼻を啜り、喉から込み上げる気持ちを抑えるように。
「雷が鳴ったら、僕の大切な人は皆、皆、いなくなっちゃう」
だから、と前置きして、
「凪ちゃんは、いなくならないでよぉ」
辛そうに、悲しそうに、切実に。
藍川の切実な声に、私はどう答えればいいのだろう。
「……藍川」
返事は無い。けれど続ける。
「私だって藍川は大切だよ、藍川が私を大切に思ってくれているように。だから何があっても藍川を見捨てることはしないし、ずっと傍にいる」
力の抜けている藍川の手を握り返す。火照っている手と私の手の温度が混じる。
「君は独りじゃないんだよ」
一人じゃなくて、独り。そんな私の言葉は、藍川に届いただろうか。
「…………」
「…………」
「…………」
「……藍川?」
「…………」
そーっと、顔を覗き込む。
「…………」
潤んでいた瞳を閉じ、涙の線を作りながら。藍川は小さな寝息を立てていた。
「…………ばっ」かやろう。
ちょっと格好付けて言ってみた台詞も空回りかよ。聞いている相手が感動する台詞なら良いけれど、聞いてなかったり引かれたりしたらかなり恥ずかしい。
しかも内容が、考えてみれば告白みたいじゃないかああもう。別に私はそんな感情を藍川に抱いてなんか無いし、藍川だってそうだろう。ああ本当恥ずかしい。
「…………でも、まあ」
聞こえていなくても、行動で示せば良い。
藍川が寝やすいよう、電気を消す。雨の所為で夜のように部屋が暗くなる。実際ほとんど夜だけどさ。
握った手はまだ離さない。そのまま私もベッドに上半身を乗せる。おお、ふかふか。
雷が鳴る度、無意識なのだろうが藍川の手がピクリと反応する。それを押さえるように、ぎゅっと手に力を加える。
「おやすみ」
言って、欠伸が出る。何だかこのまま寝てしまいたい気分になる。
実際瞼が重くなってきて、握る手も温かくて心地良い。
暴風雨や雷の音がどこか遠くに聞こえ、BGMの役割を果たす。
瞼を閉じ、暗くなっていく視界。
そのまま私は意識を手放した。
「凪ちゃん、起きてる? ……寝てるか」
「……あのね、今日はありがとう。助かったよ。何か寝る前に色々言っちゃったけど、ごめんね」
「一人は寂しかったんだ。皆が来てくれて、本当に嬉しかったんだ」
「お粥作ってくれたり、看病してくれたり、寝る時ずっと手を握ってくれてたり、嬉しかった」
「僕ね、そんな凪ちゃんのこと、大好きだよ」
「友達として。他にもう一つ」
「だからね凪ちゃん……凪」
「僕は――――――――」
夢の中で、藍川の声が聞こえた気がした。
「…………んあっ?」
何時だ今。
ガバッと上半身を起こすと、目の前のベッドには誰もいなかった。
一瞬今どこにいるのか分からなかったけど、すぐに昨日藍川の看病をしに来てそのまま寝てしまった事に気が付いた。
壁にかかる時計を見ると、七時五分を指している。カーテンを見ると、部屋の電気は付けていないのに明るいことから、朝だと分かる。
「あ、おはよう凪ちゃん」
振り返ると制服姿の藍川が、部屋の入り口にもたれかかって立っていた。その顔は火照ってもおらず、鼻声でも無い。
「風邪、治ったんだ」
まずそう言った。藍川が頷き、「ありがとね」と言って微笑んだ。
「あれ……ねえ、藍川。夜私に何か言った?」
「え? 別に何も言ってないよ?」
「そう? なら良いけど……」
じゃあ夢だったのかな、あれは。
「まあそんな事より凪ちゃん、学校どうする?」
「え……あ! そうだ学校!」やばいすっかり忘れてた。
「朝食食べてく? 洗面所とかも貸すけど」
「本当?」
藍川が頷き、私も安心する。これで学校には間に合うだろう。
……ああ、そうだ。
「藍川」
「ん? なぁに?」
ゆっくりとした口調で尋ねる藍川に、笑顔を向けた。
「一緒に学校行こうね」
その言葉に、藍川が少しきょとんとする。
けれどすぐに照れくさそうにはにかみ、
「うん!」
元気良く頷いた。




