第31話 体育の後の断髪式
始業式から二週間経ち、学校生活にもまた慣れ始めて来た日の三時間目。私達のクラスは体育の授業だった。
「じゃあ二人組に別れて練習しろよー」
担任でもある熊本先生の指示に従い、皆がそれぞれ二人組を作って練習する。このクラスは偶数人数の筈だが、勝手に三人組を作るグループもあるので男女共に余る人もいた。余った人同士で組むわけでもなく、その人達は気だるげに壇上のカーテン裏へ歩いて行く。サボりだな。
「凪、組もう?」
「うん」
茜がバスケットボールを私に投げる。胸の辺りで受け止め、投げ返す。
ちらりと辺りを見回すと、ほとんどの人は同じようにパスを繰り返していたが、数個のグループは適当に遊んでいた。
特にギャルが集まった女子のグループ。きゃいきゃいとボールを適当に蹴ったり投げたり。軽く当たって可愛い悲鳴を上げて笑って。耳に障るような声だが、無視をすれば平気だ。
「茜いくよー。へいパス!」
私が投げたボールは、良い音を立てて茜の手中に収まった。
四時間目が始まり、二時間続きの体育はバスケの試合となる。女子の試合の前にまず男子の試合。流石と言うべきか、迫力のある試合が繰り広げられる。
「いっけー、圭介頑張れー!」
「藍川も頑張れよー」
応援以外やることも無いので、壇上から足を投げ出して座り適当に応援する。
「おりゃっ! ――ダーラッシャア!!」
岡野がシュートを決め、よく分からない雄たけびを上げる。ボールがびゅんびゅんと辺りを飛び交い、当たると凄く痛そうだ。先生はちょっと外に出ていて今はいないので、皆やけにはしゃいでいる。
藍川がパスを貰って近くの男子にパスをする。その男子から一宮へボールが渡り、一宮がシュートを入れる。「おーすげー」茜が感嘆の声を上げた。
残り時間が一分を切り、男子の一人がボールを投げようと振り被る。その時目の前に敵チームの一人が現れ、焦ったその男子が投げたボールは明後日の方向へ――
「あ」
そしてその方行にいた藍川に直撃する。
豪速球とも言えそうなくらい速い球を顔面に受け、ふらりと藍川がよろけてその場に倒れる。壇上の傍で起こった光景だったので、クラス全員の視線が藍川に注がれた。
「……わ――――! 大丈夫か!?」
近くにいた数人が藍川へ駆け寄る。私と茜も飛び降り、駆け寄る。藍川は顔を両手で押さえて表情が分からなかった。
「…………ぅん」
震えるか細い声で、全く大丈夫でなさそうな返事が返って来た。一宮が藍川を心配そうに覗き込み、一言二言喋りかける。肩を抱くようにして立たせ、「ちょっと保健室連れてくわ」と周りに言う。
「あっ、あたしも行く!」「私も!」
茜と私もそう言い、返事は聞かずに付いて行く。
「オレも付いてった方が……?」「いや、この人数で大丈夫だから。吉田は心配すんなよ」
オロオロとしていた男子に一宮が笑って言う。吉田と呼ばれたその男子は、少し心配そうな顔ながらも追いかけて来ることは無かった。
保健室に先生はいなかった。職員室にいることが多い先生だからしょうがないだろうが、風邪引いた人とかが来たらどうするんだ。
「藍川大丈夫かー?」
「うー……あー、う。多分」
さっきよりは幾分か元気になったように答える藍川。右手で顔を押さえ、隙間から除く顔は赤くなっていた。
「……あ、やば」
藍川が呟く。ポタリと赤い液体が白い床に垂れ、
「キャー! 藍川どうしたの! 怪我!? 出血してるやばい!!」
茜が騒ぐ。
藍川は少し焦ったように首を横に振り否定する。
「いや、ちがっ、その……鼻が……」
「……あー。ティッシュ詰める?」
またも藍川は首を横に振る。まあちょっと恥ずかしいしね。うむむ、どうしようか。
「あ、そだ」
保健室の冷蔵庫を開ける。下の方はポカリとかそういうスポーツ飲料。上の冷凍庫には袋に入った氷や冷えピタ類。袋に入った氷を出して、藍川に渡す。
「下向いて、これ当てて。多分止まるから」
「凪ちゃんありがとー」
止まるかどうかは本当は分からないけど。まあ冷やしとけば止まるんじゃないかな。
そのまま藍川はしばらく鼻を冷やし続け、私は窓の外を眺め、一宮は身長を測り、茜は体重計に乗って項垂れていた。
「おっ、春より二センチ伸びてる」
「え、マジで? ずるい」
藍川が顔を上げて真顔で一宮を見る。あ、血止まってる。
「何だよ圭介くん。僕に数センチくれたって良いじゃないか。さあ寄越せ」
「無理だっつの」
二人の会話の最中に私も身長を測ってみる。背筋を伸ばしてくっ付け、メモリを……「百五十八ちょいだな」一宮が教えてくれる。やった、一センチ伸びた。
「藍川は?」
「…………」
無言で藍川が身長計に近付き、立つ。頭に軽く当てて、「背伸びしちゃ駄目だよ」「う」渋々靴を脱いで立った。
一宮がメモリを見て、言う。
「百六十ぴったし」
マジか。
私と殆ど変らないなあ。そう思い藍川を見ると、何とも言えない神妙な顔で固まっていた。
「一宮は何センチ?」
「俺? 俺は百七十」
「でけー」
一番大きいのが一宮で、一番小さいのが茜か。茜何センチだろ。百五十ちょっとかな。
「あ、ねえ茜……」
「…………」
まだ体重計の上で項垂れていた。メモリを両足で隠し、見えないようにしている。
「……太った」
「何キロだよ?」
一宮が軽い口調で話しかけ、勢い良く立ち上がった茜に叩かれる。
「いいいい言えるわけないでしょー!!」潤んだ目で怒る茜。
「そうだよ、女の子に体重聞くとか失礼だよ。ところで一宮は何キロ?」私もちょっと怒りながら聞く。
男には良いのかよ、と突っ込む一宮だったが、特に躊躇わずに体重を答える。六十二キロだそうだ。
「平均的だねぇ」
「それが一番だろ」まあね。
藍川も体重計に乗り、体重はどうでもいいのかあっさりと「四十九キロだー」
「「痩せすぎだろうが」」
私と茜が呟く。意識はしていないが低い声が出た。
そういや藍川、肋浮くぐらいだったっけ。いつもコンビニ弁当とかだから体に悪いんだよ。
藍川はちょっと怯えたような表情をしながら尋ねて来る。
「え、凪ちゃんは何キロなの?」
「一キロから百キロのまでどれか」
言えるか馬鹿野郎。
授業に戻ったのは、四時間目が終わる五分前だった。
そしてそれが起こったのは、五時間目と六時間目の間の休み時間。
五時間目の数学が終わり、次の理科の準備をしていた時のことだった。
教室の外に出ようとしていた佳奈美が、女子の一人にぶつかった。
肩同士が軽くぶつかる程度の軽い衝突。それに、ぶつかった女子が露骨に佳奈美を睨んだ。
「…………」
佳奈美は謝ることなどせずに睨み返す。舌打ちを一つして、女子がワザとらしく言った。
「いったいんですけど」
「…………」
「何か言ったらどうなの?」
「邪魔」
はぁ? と嫌悪感を剥き出しにして佳奈美を睨みつける。
教室がざわつき始め、大半の視線が佳奈美達に注がれる。野次馬のような気持ちで、私もそれを教室の前の方から眺めていた。
「あんた頭おかしいの?」
「佳奈美、いつも一人でいるもんねぇ」
その女子の友達二人も近付いてくる。ニヤニヤ笑いながら勝ち誇ったような顔。
女子でも男子でも、人は自分の味方がいると気が大きくなる。無神経なことも構わず言えるようになる。
その三人も例外では無かった。
「さっきの体育の時もサボってたしぃ? 馬鹿でしょ」
ぶつかったことと全く関係性が無い台詞が次々と出て来る。佳奈美は億劫そうにそれを無言で受け流すだけで、その態度は三人にとって気に入らないようだった。
「何か言いなさいよ!」
「……いっ」
佳奈美の短い癖毛を掴み、顔を近付ける。「癖毛って何か嫌よね。私はストレートで良かった」そう吐き捨てる。
クラスの癖毛の人達が露骨に顔を顰める。その女子の友達は「あんたのアイロンかけてるだけでしょ」と言いながら笑う。「そろそろ切りたいのよね」と女子も笑った。
「…………」
佳奈美の視線が、その女子の顔から少しずれた気がした。目でも、鼻でも、口でも無くて……多分髪。明るい茶髪の長髪を、じっと見つめる。そして、
「ちょっと、どこ行くのよ」
怪訝そうな女子の質問に答えないまま、佳奈美は窓際の席の間を歩く。一番後ろの自分の席から、何かを取り出し手に持った。その手を背後に隠し、見えないようにしながら女子の元へ戻る。
「……何してんの? キモイんだけど」
くすくす笑う女子達。佳奈美は一度溜息を付いて、
そして実行に移す。
「いっづ!?」
女子の髪を左手で掴んで思い切り引っ張り、ピンと伸びた髪を確認して、背後に隠していた右手を露わにする。
そこに握られていた黄色い柄のハサミを伸ばし、髪に当てる。
女子と、その友達と、周囲の人々が現状に呆気に取られている間に、
佳奈美は右手に力を入れた。
ザックリと、長い髪の束が床に落ちた。
「……………………」
ザクザク、佳奈美は髪を切り続ける。女子の腰まで伸びた長い髪が、パラパラどころかバサバサと床に落ちる。
それが半分ほどまでいったところでようやく、
「――――ッ、キャアアアアアアアアアアアッ!!?」
女子が叫ぶ。
「――な、何してんのよあんた! 馬鹿じゃないの!? 止めなさいよ!」
友達も、慌てた様子で佳奈美の肩を掴む。
佳奈美がじろりとそいつらを睨み、ビクリと手を止めた。まだハサミを持っているのが危険だからだろう。
佳奈美はぽつりと、呟く。
「切りたかったんでしょ?」
だから、
「切ってあげたのよ」
感謝しなさいよ? とでも言いたげな笑みを浮かべ。クラス中の人間が、一人を覗いて呆然とその光景を見つめていた。
その一人は髪を切られた女子で。ついさっきまで長髪だった髪の毛が、今はもう肩までしかない。床に落ちた髪を拾い、手の隙間から流れるように落ちる様子を見て、しゃくり上げる。
「ひっ、え、ぁう、っ……!」
ボロボロと涙を零して、体の力が抜ける。
髪は女の命とも言うが、じゃあこの子は一回死んだことになるのかな、と馬鹿な事を考える。
けれどこのうろたえ様では、ある意味それも合っているのかもしれない。
佳奈美が床に落ちた髪を踏み付け、女子を睨む。顔を上げた女子からは先程までのような威勢の良さは霧散し、弱々しい雰囲気が溢れていた。
「切ってあげたのよ」
二度目の台詞を言い、教室を去ろうとする。通る道にいる人々は皆が佳奈美を避けて止めようとしない。まあ流れ的に当たり前だろう。
今だハサミを右手にぶら下げている佳奈美は、六時間目が始まるチャイムと同時に出て行った。
へたり込んで泣く女子と、散らばる髪の毛と。呆然とする周囲の人々に目立たないよう、そっと私も教室を出た。
「……あ、先生」
教室のすぐ外に棺先生が立っていた。教室を覗き込み、何故か少し微笑んでいる。
「いつからいたんですか?」
「口論してた時から。修羅場かと思ってずっと見てた」
止めろよ。思ったけど、棺先生のことだから、目の前で口論が起こってたとしても止めることは無いんじゃないかなとも思い直した。
ここにいたということは、佳奈美が出て行ったのも止めなかったんだろうな。
「今日は自習の方が良いかなぁ」
プリント作ってあるし、と手に持つプリントを私に見せる。蛙や兎のリアルな解剖図とかが描いてある、やけにグロいプリントだった。
どうでも「良いんじゃないですか」
少なくとも、女子達はプリントさえやりそうにないだろうしね。
授業の前に髪を掃除しなきゃな。




