第27話 墓参り
夏休みの終わりが少し見え始めて来た八月十四日の朝、私の家のチャイムが鳴った。
「う?」髪を梳かしていた手を一度止める。
時刻はまだ八時。一体何だろう。新聞の勧誘か、宅配便か?
そうこう考えている間にもチャイムは連打される。ピンポーン、ピピンポーン、ピピピピピピンポーン。うるせえ。
「はいはーい、今行きまーす!」
聞こえたのか、チャイムの音は止む。ちょっと跳ねている髪は一旦無視して、玄関へ向かう。裸足でパタパタ駆けて靴を履き、チェーンもかかっていない扉を開く。
「はいは「凪――――!!」うわああぁっ!?」
まるで大型の犬に体当たりをされたような衝撃が走る。勿論体はよろめき、床に尻もちを付いてしまう。
そして段々と状況が掴めて来た。私には今、誰かが抱きついているのだ。……いやどんな状況だよ。
私の手に触れる長い黒髪。頬に擦り付く温かな頬。きつく抱き締められる感触。
時期的にもやっぱりあの人か。確認し、挨拶を。
「……おかえり、お母さん」
「ただいまっ、凪!」
元気に明るい返事と共に、私のお母さんは微笑んだ。
「やっぱり我が家が一番落ち着くわよねー。ん、凪の淹れるコーヒーはやっぱり美味しい」
家に帰って来たときには固い印象のパンツスーツ姿だったお母さん。今ではラフな私服姿になってコーヒーを飲んでいる。
ニコニコニコニコ、笑顔を絶やさないお母さん。ニコニコニコニコ、私を見つめて。
「ニコニコ」自分で言うか。「……何?」
私が怪訝そうに聞くと、お母さんはデレッと頬を緩める。
「いやあ、凪と会うのが本当に久しぶりだなーって思ってね」
「そりゃそうだよ。去年の正月以来だもん。でもテレビ電話とかでよく話すでしょ?」
「えー、でもでも! やっぱり電話より直接会いたいのよ!」
私もそうだけど。でも仕事で忙しいお母さんとお父さんに、無茶は言えない。
「そう言えばお父さんは? 今年帰って来ないの?」
お父さんもお母さんも海外に長期出張とからしいから、大変なんだろう。お母さんだって合間を縫って来れたに違いない。
「今年は残念だけど、私だけなのよ」
「そう……」「会いたかった?」「うんまあ」
だって家族だもの。
と、お母さんがここで少し目を伏せ、真面目な口調で呟いた。
「……ごめんね、全然会えなくて。大変でしょ?」
「…………いいよ。平気だもの」
経済的には大分余裕はある。家事も我ながら得意だ。学校も特に問題は無い。ちょっと、寂しくはあるけども。
お母さんはコーヒーを飲み干し、今度は笑顔になった。
「今年は一週間ぐらい休みが取れたし、いつでも一緒にいれるわよ!」
「そうだね」
「料理も作ってあげるし、掃除とかもやってあげるわ! たまにはあなたも休みが必要よっ!」
「いや、それはお母さんだってそうじゃん」
私が言うと、お母さんは首を横に振る。そして決意を持ったような瞳で私に言った。
「家事は母親の役目です、きゃらっ!」
……最後に噛まなければ完璧だったかな。
それからしばし互いの生活のことで会話し、昼に近付いた時、お母さんが料理を作ると言った。
「何作ってほしい? 何でも良いわよ!」
「えー、エビフライかな」
「そんなので良いの?」
「うん」エビフライは大好きだから。
分かったわと頷いてお母さんはエプロンを付ける。自分専用の赤いエプロンだ。
まだお母さん達が家にいた小学校の頃、家から帰るといつもこれを付けていた記憶を思い出す。……懐かしいな。
「あー凪、茄子と胡瓜あるー?」
エビの背ワタを取りながらお母さんが言う。冷蔵庫の野菜室から両方取り出して渡す。そして手元にあった爪楊枝を数本持った。
「付け合わせにするの?」
「いんや」
茄子に爪楊枝を四本、プスプスと。胡瓜も同じように。
そして完成した、お盆によく見る……何だ、えっと、確かご先祖様の霊を迎える乗り物? だったかが完成した。
「いえーい。これでひいおじいちゃん達もやって来れるぜーっ!」
右手と左手それぞれに乗せ、その場でくるくると回って踊るお母さん。茄子も胡瓜もバランスを保って落ちないのが何気に凄い。
無邪気にはしゃいでいる自分の母親。たまに子供っぽいんだよなぁ、この人。
そんな私の意図を感じ取ったのか、お母さんは私を見て二ヒッと笑う。
「なぁに? 私、そんな子供っぽいかしら?」
「ええいや別に?」
棒読み口調で言ってみる。けらけらと笑われた。
「あんたは性格がお父さんに似てるものねえ。いやほんと、そっくりだわ」
実際私は、顔が母似で性格が父似だ。
ストレートの黒髪や全体的な顔付きなどの容姿的な部分はお母さんから受け継いで、今は背中まで伸びているお母さんの髪を肩辺りまで切れば私と本当にそっくりだろう。昔はよく近所のおばさんに「お母さんとそっくりねぇ」と言われていた。今もだけど。
お父さんは普段は冷静で、あまり笑わない。冷たい印象も与えるけれど本当はとても優しい。そんな父親の性格も私は受け継いだ。あと目付きもお父さん似だ。お父さんは地毛が茶髪だし、顔とか容姿はあまり似ていない。
例えばお母さんの笑った顔が私とそっくりな時、例えばお父さんの言動が私と似ている時。そんな時に私は、『ああ、親子だな』と感じる。
「やっぱあんたってお父さんの子ね!」熱くなった油にパン粉を付けたエビを入れながらお母さんが言う。
「いや当たり前でしょ」
ご飯をよそったり皿を並べたりしている私に、お母さんはまた笑った。
「ごちそーさま」
「ごちそうさまでした」
食べ終わり、手を合わせて食後の挨拶。やっぱりお母さんの手料理は美味しいな。私が作るエビフライとどこか違う味がする。
立ち上がって皿を洗おうとするとお母さんがそれを止めた。
「お待ちっ! 今日はママが洗ってあげるわ!」
「いや、いいよ。休んでなよ」
と断ったが、良いから良いからと強引に椅子に座らせられる。お母さんはスポンジに洗剤を付けて、お湯を溜めて洗う。
「ラーララー、ルーリルーリー」
ラ行だけの鼻歌を歌いながら洗い物。ふと思いついたように尋ねて来る。
「そう言えば凪、学校でお友達出来た?」
「出来たよ、茜と一宮と藍川。あと部活の子とか」
「え、男の子もいるの?」
頷いて、藍川と一宮だよと答える。するとお母さんの口角が上がる。
「藍川くんと一宮くん、どっちが彼氏?」
「……違うって、どっちもただの友達だよ」
そう言ってもお母さんの顔は信じていない。ニッコリ微笑み、「本当の事を言いなさい」と……だからぁ。
面倒臭く鳴ったので話を逸らしてみる。
「そんなことよりお墓参り行こうよ。ほら、準備はしてるから。早く!」
「はいはい」
ニヤニヤ笑って、まったく照れちゃってーとか言っているのが聞こえる。照れてないしそもそも彼氏じゃないと言っているのに。
水入れや花などの準備を始めよう。
お墓は家から少し離れた通りの坂を上った所にある。ここらの家々のお墓が全て集まっているけれど数はあまり多く無い。
そんなお墓も、今日は少し混んでいた。と言っても数人の人がいるだけだったが。
私の先祖の墓の前に行き、お母さんが蝋燭に火を付けて置く。その火で線香にも火を付け私に半分渡してくる。
「はい、お水かけてあげましょうね」
言って柄杓で水をかける。ゆっくりと丁寧に。そして線香を入れて拝む。
「……………………」
「……………………」
拝む間は無言。ご先祖様の無事とか私達の今後の生活とかをまあ適当に拝んでから立ち上がった。
「ご先祖様には感謝しなきゃね。凪は知ってるかしら、人間は悪い事をすると地獄に落ちるのよ」
そんな話はよく知っている。それが嘘か本当かは分からないけれど、悪い事の度合いさえよく分からない。
「……うん」
でもご先祖様も神様も閻魔様も仏様も、それにお母さんも。
人殺しという重罪を持つ私のことは、許してくれないだろうな。
「…………」
「ん? どうしたの?」
私がお母さんを見つめると、お母さんは首を傾げる。
「何でもないよ」
言ったところで今更どうなるわけじゃない。
それから数件の墓を回って人もいなくなってきた頃、お母さんが帰ろうかと言って来た。だけど私はまだ墓参りをしていない墓がある。
「ごめん、先帰ってて。……ちょっともう一つやりたいのあるから」
「もう一つ? …………」そこでお母さんは、何かを察したような表情になった。少し愁いを帯びた顔で微笑み、「じゃあ気を付けて帰って来てね」と言い残し去って行った。
辺りを見渡してみるとお墓には私一人だけとなっていた。丁度良い。誰もいない方が落ち着くから。
そして墓と墓の間を歩き、隅の方にある、まだ真新しい墓石の前に立った。
その墓の製造日が横に刻まれている。今から二年前の年に作られた物だった。
「…………」
しゃがみ、お母さんが残して行った水をかけて、線香を入れて、拝む。
じっと墓石を見つめ、話しかける。
「久しぶり。元気してる?」
返事は無い。あっても怖いが。
そもそも死んでいるんだから健康も何も無いだろ、と突っ込む人は誰もいない。だから続ける。
「私もう高一だよ? 二人で行こうねって話してた所じゃないけど……海神高校って言うんだ。海が見えるの」
墓石は相槌を打たない。傍から見ると私は、一人で墓に喋りかける変な人なんだろう。
「友達も出来たし、ちょっとロリッ……不思議な性格の先生とかとも仲良くなった。毎日楽しいよ」
茜や一宮や藍川と会話して笑って遊んで。そんな毎日は本当に楽しい。
だけど、
「君と会えないのは少し寂しいな」
そう呟いた。
二年前の夏以来、一生会うことが出来なくなってしまった君。
茜達と同じように、会話することも笑うことも遊ぶことも出来ない。
「私は君に色々助けて貰ったけど、私が君を助けることは出来無かったよね」
今でもそのことに、酷く罪悪感を持っているんだ。
何で話してくれなかったの? 何で相談してくれなかったの? 何で辛いって言わなかったの? 何でいつも笑ってたの?
どうしてどうしてどうして。
我儘だって分かってる。きっと言えない事情でもあったんじゃないかとも思ってる。だけどそれでも、一言も相談してくれなかったことが悲しかった。
私に言っても、物事は解決しなかったのかもしれない。けれど最悪の結果だけは防げたかもしれない。今更何を思ったところで遅すぎる。
また一緒に遊びたかった。また一緒に話したかった。また一緒に笑いたかった。
「――――会いたいよ、誠」
胸に込み上げてくる感情を押し殺したような声で呟き、墓石に触れる。
夏の日差しを浴び、熱くなっている石だった。
「……………………」それから数分、無言のまましゃがんでいた。
さあ、誠に挨拶もした。もう帰ろう。そう思い立ち上がった時だった。
「……あれ、凪さん?」
懐かしい声に振り向いた。
そこに立っていたのは一人の少年。ぼさぼさと整えられていない黒髪、虚ろな目で私を見つめている。
その顔には見覚えがあるから、私も手を上げて微笑む。
「久しぶり、唯くん」
彼は品木唯。誠の弟だ。
唯くんは礼儀正しく頭を下げる。その際右手に持っていた花束がガサリと音を立てた。
私の視線を知り、説明するように話す。
「姉さんの墓参りに来たんですよ。凪さんもですか?」
「うん、そう」
そうですか、と淡泊に頷き、唯くんは私の隣に来て線香を上げる。
昔、私はよく誠の家に遊びに行っていた。家も近いからお互いに行き来して、ゲームをしたり外で遊んだり。その際に弟の唯くんと遊ぶことも多かった。
あの頃の唯くんは純粋で素直で明るい性格で、私も見ていて可愛いなあと思っていた。
けれど誠が死んでしまったあの日以来、私は誠の家に行くことが殆ど無くなった。
家は今でも近いから、遊びに行けないわけじゃない。だけど行く気は一切無くなってしまい、行く意味も無くなってしまった。今ではたまに外で誠のお母さんに会った時に挨拶をする程度だ。
誠を失って以来、誠のお母さんは少し元気が無くなった。今でも近所の人と談笑したり笑ったりはしているけれど、その笑顔にはどこか影が落ちている。お父さんも同じように。そして、私が一番気になっているのが唯くんだった。
唯くんは誠の葬式以来、落ち着いた雰囲気になった。暗くなってもいないし、笑ったり怒ったり悲しんだりといった感情表現は普通にする。けれど、他人から一線引いたような気持ちが現れていた。昔の明るい唯くんはもうどこにもいない。子供から大人になったんだと言えばそれまでだ。唯くんは変わってしまった。
「…………そう言えば凪さん、高校は海神ですか?」
「そうだけど、唯くんも海神狙い?」
「まあ、はい。そうですね」
そう言えば今は中三か。受験生だもんなー。
「海神はそんな難しくないからね。唯くんならきっといけるよ」
「そうですかね。……俺は私立じゃないと入れそうにないですけど」
「大丈夫だって、私でも入れたんだから」後、茜と藍川とか。「海神の制服来た唯くんとか見てみたいな」
「……ははっ」
あ、笑った。
でも目があまり笑ってない。怖いぜ。
「そうですね……頑張ってみます」
おう頑張れ、とか言ったら年上面っぽいな。取りあえず微笑みを返事とする。
唯くんは立ち上がって膝に着いていた土を払う。気だるそうに一度欠伸をして、私に会釈。
「じゃあ凪さん、さようなら」
「うん、さよなら」
そして唯くんも去って行く。私もそろそろ帰ろうかな。
「じゃあバイバイ誠」
また来るねと墓に手を振って、私もその場から歩き出した。




