第26話 夜の校舎と肝試し
夜の校舎は不気味だ。見慣れた昼の校舎は人も多く、至る所に生徒や先生がいて、賑やかで騒がしくて明るい。けれど夜の校舎は明かりもついていないし、人が一人もいない、静かで暗くて不気味。
それに私達の通う海神高校ではお化けが出ると言う噂もあるらしい。さっき一宮が話していた。廊下を這い回る上半身しかない女、誰もいないはずの音楽室から鳴るピアノの音、理科室で動く骸骨や人体模型、教室では首を吊った幽霊が現れる、その他もろもろ。
「でもそんなの、どの学校でも定番の都市伝説よね」
学校までの道を歩く途中、茜が言った。
一宮が忘れた宿題を取りに学校へ行く私達。どうして勉強会をしている最中、昼間に行かなかったのかと尋ねれば、「一度校舎の肝試ししたかったんだよ」と答えた。
外はすっかり暗い。本当は丑三つ時の二時あたりが良かったらしいが、流石に一宮と茜の両親が心配するだろうということで八時になった。
薄めの上着を羽織って向かっているが、今日は夜も蒸し暑い。着なくても良かったかな。
「確かにどこでもありそうな話だけどな……この高校はマジで出るらしいぞ」
一宮がニヤニヤと笑いながら言う。
「俺、今大学生の兄ちゃんがいるんだけど、兄ちゃんがこの高校に通ってた時マジで見たらしいぞ」
「えー本当?」
半ば不審がり、半ば興奮した様子で茜がその話を聞く。
その後は一宮の兄が体験した心霊談などで盛り上がる。その話が本当だとするのなら、校舎に入るのにとても恐怖を感じてきた。
そのうち話は逸れ、自分達の兄妹の話になった。
「あたしも大学生のお姉ちゃんと、小五の弟かなぁ。生意気なんだよね、いつもいつも」
茜はそう言いながらも顔は笑っている。一宮は大学生の兄だけで、話題が藍川と私にも振られた。
「私は一人っ子だよ。一人ぐらい欲しかったな」
そう言うと一宮と茜は声を合わせて「「良い事とか無いから!」」と言った。いてもいたところで大変なんだろうな。けどいなかったら欲しくなるし……面倒だね、色々。
藍川も道に生えている雑草を見ながら、
「僕も一人っ子」それに「でも兄妹はいなくても良かったかな」と呟いた。
「いたら大変だぞ? お菓子買っても分けなきゃいけねえんだ」
「そうそう。喧嘩しても『妹の癖に!』とか『お姉ちゃんでしょ!』とか言われて……もうっ」
一宮と茜が同時に深い溜息を付く。結構苦労してそうだが、それを見て藍川はニコニコ笑うだけだった。
「……………………」
私は一人、無言でそれを眺める。
いなくて良かったってのは、茜達のようになるからだろうか。
それとも、話に聞いた藍川の両親に関係しているのだろうか。
「凪ちゃん?」
私がじっと見つめていることに気付いた藍川が疑問の声になる。
だから私はなんとなく、話を逸らしてみた。
「今日は月が綺麗だなって思ってね」
綺麗な満月が夜空に昇っていた。
「……な、凪、告白?」
茜が頬を赤らめつつ聞く。一瞬何のことか分からなかったが、
「『月が綺麗ですね』って……」
「いやそっちじゃない」漱石違う。普通の方だ。
「じゃあ藍川は『死んでもいいよ』って言うのか?」ニヤニヤ笑いの一宮くん。
だから違うって言ってるだろ。茜と一宮の期待に溢れるような視線に、藍川は戸惑いつつも……
「…………?」首を傾げて疑問顔。理解すらしていないようだった。
「……これだから赤点は!」
一宮の半分落胆したような叫び。茜が「あたしは分かってるよ!」と憤慨する。
いやだからそういう意味じゃないっつってんだろ。
学校に着いてみると、まあ当たり前のように門が閉まっていた。そしてこちらも当然のように塀によじ登って入る。まず一宮が登り、塀の上から皆を引き上げる。そして降りる。
月明かりに照らされる校庭を渡り、正面玄関へ。手をかけて引っ張ってみても、当然ながら鍵がかかっている。
「うーん、どうする? どっか鍵開いてるとことか無いの?」
茜が不満気に言うが、そんな所あるのだろうか。
試しにと近くの男子トイレの窓を引く。こっちも鍵がかかっている。
しくったなあ、という顔をしている一宮。藍川がうーんと唸って、言ってみる。
「誰か鍵持ってる人いないのかな」
「いないんじゃね?」一宮が言う。
「いるとしても先生達くらいでしょ」茜も溜息を付いて言う。
先生……。自然に藍川と顔を見合わせた。藍川はちょっと悪い笑みになっていた。
そしてズボンのポケットから黒い携帯を取り出した。
「? 藍川、携帯なんかで何するんだ?」
「えっとねぇ……」
一宮の疑問に答えないうちに携帯が繋がったようだった。藍川は軽く息を吸って、こう続ける。
「もしもし、棺先生ですか?」
「お前ら、こんな夜遅くにどうしたんだよ」
私達が校門の所で隠れながら立っていると、そのうち私服姿の棺先生がやって来た。
ラフだけど着こなしているような私服の棺先生に、茜は純粋に見惚れているようだった。けれど棺先生はその視線に気づかず、とにかくしきりに辺りを見回している。お化けは出ませんよ、多分。
「ちょっと忘れ物をですね……あ、鍵あります?」
一宮が差し出した手に棺先生が鍵を落とす。一宮がすぐに正面玄関へ走って行って鍵を差すと問題無く鍵が開いたようだった。扉を開けて一宮が先に入って行く。
「……先生、今日髪型違うんですか」
「ん? ああ」
茜が棺先生を見上げて言う。夏に見る棺先生はポニーテールにしていることが多い。ニコッと微笑んで首を傾げると、長く縛った髪が垂れた。
「可愛い?」格好良い? じゃないのか。
「はっ、はい! 凄く可愛いです!」茜もそれで良いのか。
そっかそっかと笑う棺先生。それからまた夜の校舎を見て顔を顰める。踵を返して「じゃ、俺帰るわ」「駄目ですよ」ガシッと腕を掴む藍川。
「また教室に鍵かかってたりしたら先生が必要なんですよ。一緒に行きましょ? ねっ?」
教室の鍵は職員室に行けばあるし、実際はもう先生はいなくても良いはず。けれどそんな簡単なことさえ今の棺先生には分からないようで、硬直状態になってしまう。
本当、いつも飄々《ひょうひょう》としてる棺先生をここまでにするなんて、お化けって凄い。私もお化けは苦手だけどもここまでじゃないし。
「茜ちゃんも先生いた方が良いよね?」
「え!? う、うん!」
それは別の意味だろ。
「……………………うん」
渋々、棺先生も頷く。相変わらず顔は青いけど。
夏は面白いな。この人を弄れるし。
「――――おーい、早く来いよー!」
玄関から痺れを切らした一宮が手を振っていた。
「なあ、何も出ないよな?」
棺先生が藍川の肩を握りながら言う。ビクビクおどおどと、挙動不審だ。
藍川の後ろにいても、棺先生と藍川の身長差はかなり大きいのだし、藍川よりは大きな一宮の後ろに行けば良いのに。
「出ませんよ」
へらへらと笑って藍川が言う。電気の付いていない廊下を懐中電灯で照らして歩く。電気を付けないのは近隣の住民に不審がられない為でもあり、肝試し気分を盛り上げたいからでもある。
茜と一宮は脅える棺先生を見て、興味深そうにしている。普段は見られない先生の一面が見れて新鮮なのだろう。あれ? 私この夏でこういうの結構見た気がするんだけど、何回くらいだっけ。
「教室一階だろ? 早く行くぞぉ」
「はいはい」
言いつつ、皆の歩みは少しゆっくりになった気がする。お化けもちょっと興味があるけれど、それを怖がる人の反応とかも面白いよね。
でもすぐに教室には着いてしまう。一年三組、場所は一階。特に他の教室と変わった所はない。
とりあえず扉を開けてみる。鍵がある職員室は二階なので、開いていなかったら向かわなければならない。それでも面白いけど。
「……あれ」
一宮が手をかけた扉は普通に開いた。鍵がかかってなかったのか? 不用心だな。
少し不満気な顔をする一宮。しょうがないから教室に入って自分の机に向かう。探るとすぐに宿題が……「……無い」「え?」
「……あれ? っかしーな、あると思ったんだけど」
「えー? 別の場所とか無いの?」
茜の言う通りに近くの机を物色する一宮。けれど机の中には何も入っていないようだった。
少し悩んでいた一宮だったが、ハッと気が付いたように背筋を伸ばす。
「そうだ! 終業式の帰りに友達の部室寄ったんだ! 多分そん時!」
友達の所? それって「どこよ」
尋ねると、一宮が未だ脅える棺先生を見ながら、申し訳無さそうに言った。
「四階の美術室」
廊下を出て、四階に上がるまでの階段。上がっている最中に茜が言った。
「どうせなんだからさー、怖い話とかしようよ!」
「ふざけんな死ぬわ」
生徒に対してとか関係無く、棺先生が本音を吐く。茜は気にしない様子で「じゃああたしからー」とか言っていた。
「棺先生ってお化け嫌いなんですね。いがーい」
茜が二ヒッと口角を上げて笑う。というか一宮と藍川も同じような感じだった。
棺先生が少し泣きそうになりながら私に駆け寄る。
「なぎぃー、皆が虐めるよぅ」「じゃあ私も話しちゃおうっかなー」「味方がいない!」
ご愁傷様さまです。人を弄るのは楽しいね。
「えっと、これはあたしのお姉ちゃんが聞いた話なんだけど――――」
それから少しの間、怖い話大会が始まる。
意識せずに学校を舞台にした話が多くなり、足取りもゆっくりのんびりとなって中々四階まで行かない。普通なら一分もかからないのだろうが、もうかれこれ五分だ。
定番の中の定番である『段数の増える階段』の話を一宮がした時、ようやく四階に辿り着いた。
「階段増えてない!? 増えてないよね!」
今上がって来たばかりの階段を見降ろして棺先生が聞く。
「増えてませんってば。そもそも普段の段数とか知らないし」
のらりくらりと話しながら美術室の前へ。途中で職員室に寄って鍵も調達した。鍵を差し込み中に入る。
「……けほっ、何か変な臭いするね」
咳き込む茜の背中を軽く叩いてから室内を懐中電灯で照らす。カーテンが閉まり切っていて、照らす場所以外は何も見えない。中にはたくさんの絵や、床に落ちている絵具などがあった。油性とか水性とか絵の説明が黒板に書かれていたけれど、正直差は良く分からない。
この咽るような臭いは絵具なのだろう。換気が必須だなこりゃ。
「えーっと、どこだっけな」
一宮が暗い室内を照らしながら入って行く。ひょいひょいと軽い足取りで。黒板の文字や天井の染みなどを見てから机の上を。
「あったあった」
プリントを見つけたらしい一宮が近付き、屈み、そして「うわあっ!」と叫び声がして、一宮の姿が見えなくなった。
「っ!? 圭介!?」
慌てて駆け寄ろうとした茜も、「きゃああっ!」すぐに視界から消えてしまった。
茜の真後ろにいた藍川がつられるように転んでしまう。そして藍川の足に引っ掛かって私も。後ろの棺先生も。次々と将棋倒しのように。
ガシャンと音がして何かが割れる音がした。それに反応した棺先生の小さな悲鳴も。急いで明かりを付けようとしたが右手は空を掴んでいた。さっきの割れる音は懐中電灯がどっかに落ちる音だったのか。
「うわああ!?」「キャー!」「えー皆どこぉー!?」「キャー!」
一宮も茜も藍川も棺先生も、皆がそれぞれ叫ぶのでとてもうるさい。というか女の子の茜の悲鳴と成人男性の棺先生の悲鳴が同じってどういうこと。声の高さもあまり違いないし。
「み、皆落ち着いて! 誰か懐中電灯持ってる人は照らして!」
四つん這いで這いながら暗闇に手を振り回して命令する。手が誰かの服を掴んだようで、そのまま破れない程度に強く引っ張ってみる。
「え、誰だ!?」
「一宮? 一宮なの?」
「……川瀬?」
取りあえず一宮を発見した。手でべたべた触って顔がどこにあるか確認する。耳元(らしき場所)に口を近付け、未だパニックになっている茜達の声に負けないように叫ぶ。
「懐中電灯持ってる!?」
一宮も大きな声で返事をする。
「悪い、さっき椅子に置いて分かんなくなった!」
マジかー。
と、「あー電気あった電気!」藍川の声がした。ゴソガサと物音がして、立ち上がるような気配と衣擦れの音。
そして電気が付いた。
「――――――――!!?」
声にならない悲鳴がなった。
発信源は棺先生で。思いっ切り肩を跳ね上げてへたり込んでいて。
その目の前に血みどろの人間の頭部が転がっていた。
「「「「!!??」」」」
一拍遅れて私達の驚愕。人間って驚きすぎると声が出ないんだ、本当に。
けれど、
「…………あれ? これ人形じゃない?」
真っ先に正気に戻ったのは藍川だった。棺先生の前に落ちている頭部をひょいと拾い上げ、じっと見つめてから吹き出す。振り返って微笑んで、
「これ人形だよ」
「え?」
恐る恐る私も立ち上がって見に行く。近付いて直にそれを手渡される。「う、ぇっ」少し湿ったようで、ぬるりとした感触。「……お?」けれどそれからは血の臭いがしない。よく見ると、それはコンクリートで精密に人の顔を模った人形で、赤い液体はまだ生乾きの赤い絵具だった。
「……な、なんだぁ! 驚かせないでよ!」
ほっと気が抜けたように茜が溜息を付く。安堵した表情のまま、少し笑った。
「本当そっくりだねこれ。色とか凄い似てる」
「あーそうだそうだ、それ今度どっかに置く作品だとか言ってたな。そういや」
思い出すのが遅い。……いや、本当に驚いたな。心臓が口から飛び出るんじゃないかと思った。比喩じゃなくて。
茜も立ち上がって膝に着いた埃を叩く。一宮も立ち上がって床に落ちていたプリントを拾い上げる。あとは、
「棺先生?」
「…………」
肩を叩いても無反応だった。不思議に思い、回り込んで顔を覗いてみる。
「…………」
引き攣ったような顔で笑っていた。
「…………」今度はこちらが無言になる番だった。
「……はは、…………はははは」
怖いよ。
「…………ごめんなさいでした」
取りあえず謝る。やりすぎた。
「もー二度と行かないかんな!」
「はいはい、分かってますよ」
美術室を軽く掃除して、校庭に出た。棺先生はよほど懲りたのか「お化け関係の所なんか一生行かねえ!」とか叫んでいる。一宮と茜はそれを見て苦笑い。藍川は肩で笑っている。
それから棺先生はいかにお化けという存在が怖いかを語り出した。私は途中で聞くのを止めたけど。
棺先生とは校門を出た所で別れる。一度振り返ると少し早歩きで去っているのが分かった。
「怖かったけど、楽しかったぁ。今度はどこで遊ぶ?」
ルンルン気分の茜ちゃん。脳内の私が二人現れ、一人は『遊ぼう遊ぼう! どこで遊ぶー!?』もう一人は『えーまた遊ぶのぉ? そろそろ疲れたー』と。まあどっちでも良いんだけどね。前者は疲れるけど楽しいし、後者は暇だけどのんびり出来るし。
けれど一宮は私の後者の意見だったのか眉根を寄せた。
「でも最近結構遊んだしさ、一回それぞれで過ごして良くね?」
その提案に一瞬だけ茜は不満顔になったけれど、少し悩んで頷く。きっと茜も疲れているのだろう。
夏はやりたいこといっぱいあるからね。海に泳ぎに行ったり肝試ししたり祭りに行ったり。……でもそういうのって、一緒に行く人がいないとつまらないんだろうな。私は両親が普段家にいないし、友達がいて良かったな。……本当に。
あ、でも両親が帰って来るイベントがそろそろあるよな。帰って来るのかな。
「じゃあしばらくはそれぞれで過ごそうか。明後日にある祭りとかはあたし、毎年親と行くからなぁ」
「祭りっつったらやっぱかき氷だよな。ブルーハワイとか」
「えー? 檸檬も美味しいよ!」「僕は苺が好きだな」
私は苺かな。練乳かけたやつとかも好き。今度のお祭り行こうかしら。
「夏休み最後の方に祭りとか行かない? 今年の夏の思い出として」
「最後の方だったら、良いな」そして一宮は地面を見ながら、「そういやそろそろお盆か」呟いた。
「あー、お盆かー」
私の両親もお盆には帰って来る。少なくとも去年までは、仕事が忙しく無い限りは帰って来ていた。
……それに、ひいおじいちゃんとか以外にも、私が墓参りをしなければならない人はいる。
「もうすぐだね」
そう言って、地面の小石を蹴った。
ころころと転がった小石は、下水道の蓋の隙間に落ちて行き、ポチャンと水音を立てた。




