第25話 夏休みの勉強会
窓の外で蝉が鳴いている。ミーンミーンショワショワツクツクホーシツクツクホーシジージー……いやこんなにいないか。聞こえるのは最初のミンミンの大合唱だ。
首を汗が伝う。髪は小さく後ろで縛っているけれど、それでも熱が籠もって熱い。
「…………」カリカリカリ。順調に滑るシャーペンの音。
机を挟んで斜め前に座っている一宮もとても暑そうだ。クロイノースリーブを時折はためかせ、体との間に空気の通り道を作る。数学のプリントに数式を書いている。
「…………」カリ、……カリ。ケシケシ。不定期なシャーペンと、消しゴムの音。
私の前に座る藍川も、頬に汗が流れている。口を真一文字に結んでしかめっ面。髪をくしゃくしゃと撫でて溜息を付く。英語のドリルを見て、難しい顔をして首を捻る。
「…………」カリカリ、カリカリ。ケシカリ。消しゴムとシャーペン。
私の横に座る茜は髪を二つに縛っていた。タンクトップから覗く細い腕は少し焼けているが、白い。ノートに滑るようにシャーペンを動かし書いているのは『夏よ滅べ!』と言っている兎の絵で……って、
「おいちょっと待て」
「んぇー? 何?」
茜が億劫そうに私に顔を向ける。けれど私の視線が自身の落書きに向いていることに気が付くと、
「……あー」
消しゴムで消し消し。兎の体が消えて生首状態に。首も全て消し、こちらを向き、右手を頭にこつんとぶつけ、
「てへっ」
「いやいや」
海に出かけた日の次の次の日。今日は私の家で勉強会だ。
「暑いよー疲れたよー遊びたいよー」
机に突っ伏してぐてーとなっている茜。プリントの問題を一問解いたら数分休むといった行動だった。
「まだ全然やってないだろ? ……あ、問い三の丸二の答え間違ってるぞ」
「ぎゃふんっ!」
一宮の指摘に茜は机に頭を打つ。涼しげな顔(暑いけど)でそれを見つめる一宮。
……ああ、この中で一番頭が良いのは一宮なんだよなあ。一次テストで一人だけ八十点台を取ってたし。私は平均で、茜と藍川は……うん、赤点だった。
「赤点とか別に取っても良いじゃない……しょうがないもん」
ぐすぐすと泣きべそになる茜。藍川も頷く。「だって分からないもんね」「ねー」仲良いな。
「赤点用の講習とか無くて良かったじゃねえか」一宮が言う。
「でもでも! その分プリントの量増えるんだよ!? 最悪!!」
「それぐらい良いだろ。たった二枚だぜ?」
「たった!? 二枚『も』増えたんでしょうがぁっ!!」
ガーッと喚いてから、打って変わってだらりと脱力する茜。ずるずると椅子からずり落ち、天井を見上げる。
「……ああ、叫んだら疲れた」
「馬鹿だろ」
一宮の冷静な突っ込みに、茜がイラッとした様子で睨む。一宮はその視線を意にかさず、鞄を探って「無いなー」とか呟いている。
うーん、暑いと皆短気になるのだろうか。頭も微妙に回らなくなってくる気がしてる。
「…………凪ちゃん」
「ん、何? 藍川」
ずっと黙っていた藍川が口を開く。真剣な顔でプリントを握り締め、
「……学校って、英語でなんて書くっけ?」
「…………」
夏の暑さの所為であってくれと、切に願った。
二時間が経過した。
「うあー! もう無理っ! おしまい!」
バタンと床に倒れる茜。床は多少涼しいのか少し表情が和らぐ。ごろりと横になって目を閉じる。
ホットパンツを履いているので、太股から足までが普通に見えている。白いなあ。何かエロい。
「寝る?」
「……ねなぃ」
言いつつも、薄らと開いた目は眠そうだ。窓からの直射日光を浴びて汗を掻きつつもうつらうつらとしている。
「…………んー……、むぅ」
無意識なのか、両手を開く。腕を伸ばして何かを掴もうとしているようだった。
「三上?」
一宮が不思議に思ったのか、椅子から降りて茜の元へ近付く。ちょいちょいと頬を突くが、茜は気にしない。
「寝てるの?」藍川が尋ね、「いや……微妙」一宮が答える。
「三上ー、おーい……」何気なくなのか。一宮が手を伸ばして茜の右手を掴んだ。
そして茜がその腕を勢い良く引っ張った。
「うわっ!」
私と藍川が驚いて見ている中、一宮は寝ころんだままの茜に抱き締められる。
ぎゅうっと力強く腰に手を回し、顔を胸の辺りに押しつけ、
「…………すー」
静かに寝息を立てていた。
「「…………」」無言の私達と、
「えっと、これ、どうすりゃいいの?」困惑した表情で私達を見る一宮。
「むにゅ…………」幸せそうな顔で寝ている茜。
とりあえず、
「良いじゃんそのままで」
「おい」
放っておくことにした。
「ごめんなさい。……本当、ごめんなさい」
今にも土下座しかねない勢いで、頭を垂れて謝る茜。顔が少し青ざめていた。
「良いんだよ……若い子は、元気が一番なのさ」
何故か老人のような口調で微笑む一宮。茜の顔色と正反対に、右頬が赤く腫れていた。
十分後に目覚めた茜は、最初自分の状況を把握できていなかったようだった。自分が一宮に抱き付いたことも覚えていないようで、自分の目の前に一宮がいることに気が付いた時には何とも言えない表情をしていた。「起きた?」と一宮が茜の行動をまず確認すると、その言葉をどう捉え違えたのか、茜が顔を真っ赤にして一宮の頬を殴っていた。
茜が十分前の行動を理解するのは、それから数十秒後のことだった。
「ごめんねごめんねごめんねっ! 本当ごめんなさい! 消毒するから!」
「大丈夫だよ……。消毒は良いや。沁みそう」
うううわああああ! と一人で焦る茜。流石に勘違いで振るった暴力に後悔しているのだろう。寝起きだったし……と言う訳にもいかないのか。
「うん。俺もいきなり抱き付かれるなんて吃驚したよ……」
こっちもな! と言おうかと思ったけれど、茜が案外顔を赤くして黙り込んでしまったのでこちらも黙る。……え、あれ?
「その、……そのね? 圭介」
「う? お、おう」
ちょっと二人して顔を赤くしながら姿勢を正す。
「……何これ告白?」近くに寄って来た藍川が小声で私に聞く。「さあ……」告白だったら余所でやれと言いたいところだ。
「あのね?」
茜は一瞬息を吐いてから、言った。
「あたし……あたしっ、何かに抱き付くのが好きなの!」
「「「……はい?」」」」
三人分の声が重なる。茜は続ける。
「何かたまに、無性に何かに抱き付きたくなる時があってね? 学校とかじゃあ押さえてるけど、寝る時はいつもぬいぐるみに抱きついたりしてるから……それでぇ」
つまり一宮をぬいぐるみと間違えたと。はあ、成程。
「……ああ、そう言うことね。うん」
何度も首を上下に振って頷く一宮。茜が机を軽く叩いて叫ぶ。
「それで! えと、一宮に何かお詫びしたい! 何か困り事とか無い!?」
「困り事? 急に言われてもなあ……」
うーんと唸りながら一宮は考える。足を伸ばして伸びをし、床に置いていた鞄に当たる。
「……あ」
そして鞄の中を探り、「やっぱり無い」と頷いた。
「あのな、宿題に古典のプリントあったじゃん?」
「あったっけ?」藍川が首を傾げる。
「あったよ。ほら、教科書から調べろっての」
私が言うと、覚えてないやぁ、と朗らかに笑った。
まあそれは置いといて、
「それ、多分学校に忘れて来たと思うんだよな。だから、」
顔を上げて笑う。
「今日の夜、皆で取りに行こうぜ」




