第22話 四人目
オレの家はぞくに言う『貧乏』というやつだった。
酒浸りの父さんとそれを嘆く母さん、四年生の時に生まれた十歳年下の妹。オレはそんな家族の一員だった。
ボロボロのランドセルを背負って学校へ行くのがなにより辛かったけど、そのうちしょうがないことなんだと諦めるようになった。
貧乏を憎んだことはたくさんあるけど、だからといってオレがお金持ちになれるわけじゃないんだ。
六年生になった時、父さんが警察に捕まった。会社の金をおうりょうしたと後で聞いた。
良く分からなかったけれど、父さんの怒鳴り声にパトカーのサイレンと母さんの泣き叫ぶ声がとてもうるさかった。妹がオレの服を掴んで泣いていた。妹の頭を撫でながら、もう殴られなくていいのかなと思っていた。
その日から母さんがおかしくなった。
ボーっとして動かずに壁を見つめ、かと思えば急に笑い出す。とても楽しそうに笑い続けていても数分後にはまたボーっとする。その繰り返し。
お腹が空いたと言っても無言。妹が泣いても無視。まるでオレ達を見ていないかのように母さんは行動していた。
一ヶ月後の秋のことだった。
いつも通り同級生にいじめられてから家に帰ると妹が泣きそうな顔で家から出て来た。そして「おかあさんがういてるの」と言った。
妹を外に待たせて家の中に入る。狭い廊下を数歩で渡り切って居間の戸を開ける。
……ああ、なるほど。確かに母さんは浮いていた。
白目を剥いて。口から涎を流して。首に太い縄を付けて。
ぶらーんぶらーん、と。
母さんは首を吊って死んでいた。
両親を亡くした(無くした)オレと妹の元に、親戚のおじさんだと名乗る人がやって来た。その人はオレと妹に「君達を施設に入れる」と言って、オレ達の手を引いて電車に乗る。窓の外を眺めているうちに妹が寝て、オレは起きていようと頑張ったけど、そのうち寝てしまった。
目が覚めたとき、おじさんはもういなかった。代わりにたくさんの子供達がオレと妹を興味津々に眺めていた。
「マリア様、起きたよぉ」
男の子がそう言って、一人のおばあさんを連れて来た。おばあさんは優しそうな笑顔でオレに説明をした。
この教会はオレ達のような子供たくさんと暮らす場所、高校卒業まで責任を持つので大丈夫だということ、もう殴られたり不安になることはないということ、オレと妹は安心して暮らせるということ。
それですぐにここが養護施設だと分かった。親戚のおじさんがオレ達の面倒を見るのが嫌だからここに放り込んだことも。けれど、妹が無事なだけでもオレはそれで良かった。
「これからよろしくお願いしますね」
マリア様と呼ばれるおばあさんは、オレにニッコリ微笑んだ。
「兄貴、ここ出てくの?」
「ああ」
オレと妹がこの教会に預けられてから数年が経った。高校を卒業し大学には行かずに就職することにした。「大学に行っても良いのよ」と言われたけれど、この教会にそんな金が残っているとは思えない。
教会の子供達全員分の小学校へ行くお金、中学校へ行くお金、そして希望する人は高校へ進学するお金。莫大な資金が必要だ。国からこの教会へ送られる金は金額的にはとても多い。けれど子供達の学費や食費などを払っているとそのお金も全く残らない。オレが来た頃にはまだ裕福だったこの教会も今ではすっかり経営難に陥っていた。
「あたしもそのうちここ出てくから」
少し捻くれ、オレを『兄貴』と呼ぶような性格に育ってしまった妹が澄ました口調でそう言った。
「この教会をか?」頷く。
行く宛てはあるのか尋ねると、妹は目を逸らして「無い」と言い切る。
「じゃあどうすんだよ」
「とにかく出てく。シスター達に迷惑はかけたくない」
「そうか」
何を言っても無駄だろう。妹は一度決めたらやるタイプだ。それが良くとも悪くとも。
オレが何を言った所で妹は決意を変えないだろう。
「せいぜい野垂れ死なないようにしろよ」
「うっさい馬鹿兄貴」
その言葉に苦笑しつつ
「ほら」
「? 何これ」
妹に一枚の紙切れを渡す。それに書かれているのは数個の住所だった。
母親の親戚の住所だと教えると、妹は何とも言えない表情になる。けど、
「ありがと」
そっぽを向いてそう言った。
働いて、金を稼いで、そして教会の立て直しとして使いたい。それがオレの目標だった。
子供の時に貧乏だった所為か、金に対して大きな執着心を持っているのが自分でも分かった。
金を手に入れる為ならどんなことでもする。そう決意した。
その為ならどんなことでもやるつもりだった。
首を吊って死んだ母さん。首元の縄が首に食い込んでいる様子を、オレは一生忘れない。
金の為ならなんでもやるさ。
翌日、また茜から電話が来た。
『ちょっと聞いてよ! 凪!』
「何?」
『水伯行ったじゃん? あの時の男の人さっき見たんだよ!』
「は?」
あんな遠い街からなんでここに来たんだろう。不思議に思っていると電話の向こうの茜の声が続く。
「だからさ、ちょっと一緒に見に行こうよ!」
茜の話によると、その男の人は茜の家の近くのスーパーでアルバイトをしていたらしい。バスで数分行った所の茜の家に行くと、遠目からもはしゃいでいるのが分かる茜がいた。
「なっぎー! 早くいこーっ!」
有無を言わさず腕を引かれ、そのまま茜が走り出す。やはり運動部であるからか、足が速かった。
スーパーは特にこれといった特徴もない平凡なスーパーだった。中は涼しい冷房が効き、人も多い。気のせいか女性客が多い気がする。まあ男性より女性の方が買い物をするから当然なのか。
茜がキョロキョロと辺りを見回し、棚の間を歩く。あ、ここ味噌が安いな。後で買おう。
そうこうしていると、倉庫の方の扉を開けて誰かが入って来た。
「あっ!」
それが昨日の男性だった。
店員の服を着て、重そうな段ボールを両手で抱えている。茜と私に気付き、「ああ」と思い出したように呟く。
茜がペコリと頭を下げ、
「昨日はありがとうございました!」
「ん、別に」
そして顔を上げた茜は男性に質問をぶつける。
「あっ、あのっ! 近くに住んでるんですか?」
その質問に男性は特に嫌そうな顔をせずに、
「まあ、この街だ」
「そうなんですか――昨日、水伯にいたのって、あれは?」
「近くに知り合いがいて。たまに行くから」
ぶっきらぼうな口調だけれど、言い方は丁寧な話し方だった。茜を見ると少し頬を赤らめて男性を見つめている。乙女だなあ。
ふと周りを見ると、数人の女性客が男性を見てひそひそ話をしていた。中学生の女子三人組は男性を指さし、「キャアー!」と小さく騒いでいる。
「えと、それと」「おいバイト! 物運ぶの遅れてんぞ!」
茜が他に何か話そうとしていた時、遠くから別の店員の声が聞こえた。男性はすみませんとその店員に返し、ダンボールを持ち直す。
「悪いな、まだ仕事あるから」
「あ……そうですか、すみません」
明らかにシュンと沈んだ様子の茜に、男性は悪いなと困ったように苦笑い。だが、
「そうだ。バイト、あと三十分ぐらいで終わるんだが、よかったらその時にまた話すか?」
微笑みながら言ったその言葉に、茜の顔がパァッと明るくなった。
「っ、い、良いんですか!? よ、喜んで!」
「そうか。じゃあその時間にまたな」
遠くからまた「バイトー!」と叫ぶ声が聞こえる。男性が返事をして走り去り、視界から消える。
まだ赤い顔の茜が、何とも言えない表情で私を見る。
「なぎぃ……どうしよ、緊張する……!」
「良かったじゃん。二人っきりがいいだろうし、私帰ろうか?」
「えっ!? ま、駄目っ!」
ガシッと腕を握られる。大分強く握られて少し痛い。
赤面している茜は首を左右に大きく振る。首が取れそうなほど強い勢いで、
「駄目駄目駄目! そんな、一人は無理無理! お願い一緒にいてぇ!!」
長くなりそうだし、本心としては帰って読書でもしたいんだけどなあ。ま、あの男性のことも気になるから。
「……良いよ」
こういう時にハッキリ断れる性格は、憧れるんだけどなぁ。茜に抱き付かれながらそう思った。
そして三十分後、時間通りに男性がアルバイトを終え、やって来た。周りの女性客の視線は意にもかさず真っ直ぐ私達に近寄って来て、
「近くの喫茶店にでも行くか?」
そして私達は喫茶店に向かった。
と言っても本当に近くなので、時間は数分とかからなかった。落ち着いた雰囲気の店内は数人の客がいた。
店員に案内された席に付き、男性を向かいに私と茜が座る。
「ケーキでも奢る。何が良い?」
「えぅっ! は、はい! ……じゃあ、チーズケーキを」ガチガチに緊張している茜が言う。膝の上で握っている手には汗が滲み、体も強張っている。よほど緊張しているんだな。
私にも聞いて来たので、ショートケーキを選ばせてもらう。実を言うとチョコケーキの方が好きなのだが、奢って貰うのだから一番安いので良いと思うし、ショートケーキも嫌いじゃない。
男性はガトーショコラを頼んでいた。小さく深呼吸をして落ち着いた茜が話を振ろうと口を開く。
「あ、苦いの好きなんですか? ……こ、ここのガトーショコラって、結構苦いですし……」
へえ、そうなんだ。この喫茶店に来るのは初めてだから私はよく知らないが、茜は数回来たことがあるようだ。
男性は窓の外を見ながら頷く。
「ああ。苦いのは好きだからな。甘い物が苦手って訳でもないけど」
「そうなんですかー」
相槌を打ちながら、茜が小さくガッツポーズをする。好きな人の好みは知っておきたい物だしね。
……ん? というか茜はこの人のことが好きなんだろうか?
とその時、茜の鞄から軽快な音楽が流れて来た。
「え? あ、メールだ」
慣れた手付きでオレンジ色の携帯を取り出し、メールを確認する。メールに目を通した茜が一瞬、とても嫌そうな顔になった。
「どうしたの? 茜」
「いや親からなんだけど、また近くで殺人事件起こったんだって……。首絞めだってよ」
「…………」
窓の外を眺めていた男性が、ちらりと茜に目をやった。茜は気付かずにメールを注視し、身震いする。
「怖いねぇ。犯人、早く捕まってくれれば良いのに……」
「そうだねぇ」
そう話しているとケーキが運ばれて来た。ガトーショコラを目の前にして男性は、
「オレも殺されないといいがな」
と呟いた。
しばし雑談をして、外に出る。店内の冷房と外の熱気の差が嫌になるが、夏や冬はしょうがない。
道路で車が数台走って行き、その後は一台も通らなくなっていた。
「今日はありがとうございました! そのうえ、奢って貰っちゃって……」
「オレも楽しかったよ。じゃ、家こっちだから」
そう言って男性が指差した方向は私の変える方向と同じだった。うーん、ここは茜と一緒の道の方が良かったんじゃなかろうか。
茜はまた男性にお礼を言って私に別れの挨拶をし、背を向け走り去って行く。足取りが軽く、ちょっとスキップしているように見えるのは気のせいだろうか。
「……お前もこっちの道なのか?」
「あ、はい。バス停までですけど……」
オレもだ、と呟く男性を右隣にし、私は左を歩く。何となく男性の隣を保とうと、少し早歩きで。
「…………」
「…………」
うわあ、何も話題が無い。
「……………………お前は」
「はい?」
男性が私を睨んで、いやただ見ているだけだろうが、睨んでいるように見える。そして唐突に質問する。
「人を殺したこととかあるか?」
大きなトラックが横を通った。熱風が体を包み不快になったが、それよりも男性から目を話すことが出来なかった。
「…………何でですか?」その質問の意味が。
「いや何となく」
それだけ?
「…………」
「…………」
また無言が続く。
だから今度はこっちから質問してみる。
「あなたは人を殺したことがあるんですか?」
「さあ」
さあって何だよ。肯定はしてないけど否定もしないのな。
バス停に着く。バスが来る時間はあと十分後ぐらいか。……それまでこの人と二人っきり。バス停に他に人はいなかったので、会話を続ける。
「『さあ』って何ですか。あるんですか無いんですか答えてくださいよ」
「…………」
男性は少し考えた様子を見せ、言葉を呟く。
「さっきお前の友達が言ってただろ?」
「え?」
「殺人事件がまた起きたって」
「……はあ」
確かにそう言っていた。確か死因は「絞殺だって言ってたよな」そうそれだ。
そこで男性は数回頷く。そして分かっただろ? といったように私の顔を見た。
「……………………え?」
男性の両手が、私の首に伸びて来た。
「…………」
「…………」
これで何度めの無言だろうか。冷めた目で私の首にてをかける男性と、それを黙って見つめる私。傍から見れば奇妙な光景だ。
今ここでこの手に力をかけられたら。きっと私は死ぬだろう。成人男性の握力なら女子の首を絞めるなんて簡単だろう……かな?
とにかく私はじっとする。一歩も動かず、無駄に抵抗をせず、顔を上げ、男性を無表情に見つめ。
「…………逃げないのか?」
「逃げませんよ」
そんなに脚力に自身は無い。一瞬だけ包丁で刺そうかと思ったけど今日は鞄に入れ忘れていたことに気が付いたし。
数秒固まっていたのだろうか。蝉がうるさいなあと思っていると、不意に男性の手が離れた。
力を入れられていないとはいえ多少は息苦しかったので、小さく深呼吸をする。
そして、
「人殺したことあるんでしょう?」
「ああ」
案外軽い口調だった。
「私もなんですよ」
少し男性の目が見開かれたように見えた。けれどそれはすぐに治まり、興味無さげに「そうなのか」と言うだけだった。
蝉がうるさい。
そこにバスがやって来た。
バスに揺られている間はどちらも一言も喋らなかった。男性はバス内の広告を、私は窓の外を見て。
そしてバスが私の家の近くに着く。降りようとすると男性も同じように立ち上がった。
「この近く住んでるんですか?」
「いや全然」
「…………」
お金を払って降りて、近くの公園へ向かう。
私が子供の頃は木々もいっぱい生え、自然に溢れている公園だった。遊具は滑り台とブランコと砂場にあと色々。友達とかくれんぼをして遊んだりした懐かしい場所だ。今では危険だという理由で遊具のほとんどが撤去され、木々も切られ、あまり人の来ない寂しい公園になってしまっているが。
昔駄菓子をよく買っていた公園の鼻先にある店も今はもう潰れている。だけど自動販売機が残っていたので、冷たい缶コーヒーを二本買う。
「どうぞ。奢って貰ったお礼です」
「ありがとう」
公園内のベンチに隣り合って座る。プルタブを押して缶コーヒーを飲……あ゛あ゛あ゛苦いいいい!!
よく缶の説明を読むと、無糖だった。苦いコーヒーなど飲めるかぁ! と脳内だけで叫んでいる私の横で、男性は普通に飲んでいた。
「えっと、本題に入りますが」
「ああ」
「絞殺犯ですか?」
男性の答えを待つ間、冷たい缶で手を冷やしてみる。夏の暑さにはちょうど良いだろう。というか、飲めないんだったらこうするしか使い道がないじゃないか!
男性はさっきと同じように、
「そうだ」
軽い口調で答えた。
「ふーん、そうなんですか」改めて公園、そして公園の外に人がいないことを確認してから、「私は刃物です」こっちも答える。
「へえ、そうなのか」
察してはいたのだろうか、男性は先程と違い目立った反応を見せることは無かった。
とりあえずそれを確認したら今度は、
「何でですか?」動機だろうか。
じっと手の内にある缶コーヒーを見つめて、答えが返って来る。
「金が欲しい。それだけだ」
「金? 何でですか」
「お前も見ただろ? あの教会」
「え? はい。……あ」
廃れかけた教会と、そこ以外に居場所の無い子供達。そしてこの人はそこの卒業生……そうか。
「オレは人を殺して金を手に入れているんだよ」
「教会を潰さない為にですか?」
ただでさえギリギリの生活であろう教会には、多くの子供達がいる。幼い子もいるし高校生ぐらいの子もいるらしいし、とにかく生活費が大変だろう。これから成長していくとどんどん出費も多くなってくしなあ。
男性は私の問に頷き、そして「あれ? 凪じゃないか」
声に振り向く。棺先生が立っていた。
ポニーテールにした髪を振って棺先生がこちらにやって来る。私と、そして男性を見て少し首を傾げる。
「……彼氏?」
「違う」「違います」
何を言ってるんだこの人は。と言う目をしている男性に棺先生は興味深そうな視線を向けていた。男性の方も棺先生をじっと眺め、疑問を口にする。
「その髪と目、染めてんのか?」
「うん。染めてるしカラコンだぜ」
大体同年齢に見える二人はどこか大人の雰囲気がする。どっちも格好良いし、茜がいたら歓喜するだろうな。
そして棺先生は私に尋ねた。
「どういう関係?」
「あー……………………」何て答えるべきか少し迷った結果、「…………お仲間です」そう答えた。
「お仲間?」不思議そうに首を傾げる男性と、
「…………ああ!」納得したように笑う棺先生。
そして男性に向き直り、
「お前も殺人犯なんだね!」
ニッコリしながらそう言った。
「!?」
明らかに驚愕する男性。『お仲間』と言っただけで殺人犯呼ばわりされるとは思ってもみなかったのだろう。実際殺人犯だけど。
そんな男性を見て棺先生はニコニコ笑う。
「俺もなんだよー。この子も。あともう一人いるし」
「え……マジかよ?」
「マジマジ、大真面目」
うわあ……と呟いて男性は苦笑いをする。
「ところでお前の名前なんて言うんだ?」
そう言えばこの人の名前聞いてなかったな。
「……佐々木」
「名前は?」
「雪」
冬生まれなのだろうか。だとしたら同じだな。私の誕生日は二月後半だし。先生とか藍川の誕生日はいつなんだろう。
「へえ、雪かー……雪りんって呼んで良い?」
からかうような口調で棺先生が尋ねる。
「ふざけるな」
勿論佐々木さんは即答。
「えー良いじゃん雪りん。ゆっきーでも良いけど?」
「オレが良くない!」
「可愛いよゆっきー」
「死ね」
まるで子供のようにからかい、からかわれ。そんな大人二人を見ながら、
「……飲むしかないかなー」
既にぬるくなった缶コーヒーの処分方を考えていた。
「しょうがないなあ。じゃあ、雪って呼ぶよ」
「名字で呼べよ」
「断る」




