第19話 空腹犬と首つり死体
棺先生の家から出た後、私達は横に並んで歩いていた。
「依頼だって。何だか楽しそうだね」
藍川が少し浮付いた声で言う。私も軽く同意した。
「あ、ねえ凪ちゃん。明日暇?」
「暇だよ。またどっか行く?」
「うん。ちょっと電車で数駅行った所に買い物行きたくてさ」
藍川が地名を言う。確かに少し離れており、少し田舎の町だった。
「いいよ。私も行く」
待ち合わせ場所を駅に決め、藍川が頷く。
「じゃ、明日の朝十時に駅ね。凪ちゃんまた明日!」
今日はとりあえず別れた。
次の日の朝、九時四五十分。待ち合わせには少し早めに行く私なので、駅に着く。切符を買いに券売機の方へ行くと、ちょうど買っていた男子が振り向いた。
「あ、凪ちゃん。早いね」
「藍川も早いじゃん」
白い半袖の上からノースリーブの薄い黒ジャケット。七分のダボッとした緑色のズボン。そんな服装の藍川は私を見つけ、にへらっと笑った。うーん、私はお洒落に気を使った方が良いのだろうか。適当に涼しい服着て来たからなぁ。
私も切符を買い、藍川と外で電車を待つ。
「……今日も暑いね」
「夏だからね」
蝉が五月蠅い。遠くの景色がゆらゆらと揺れ、ああこれが陽炎かと理解する。時折流れる汗を手で拭っていると、電車がやって来た。
ガラガラの席で、私達は四人乗りの席に向かい合って座る。窓の外の景色は電車が動くと同じように動く。右から左へと流れる景色に、私はずっと目を向けていた。
「あ、向日葵畑だ。……おー、駄菓子屋もある」
夏の日差しを浴び、鮮やかに輝く向日葵畑が見えた。近くの駄菓子屋では子供達がお菓子を買っている。そんな光景も数秒としないうちに視界から消え、電車も止まる。
少し訛りがかったアナウンスを受けながら降車。駅から出て町に出て、目的の本屋に向かう。
小さな本屋に入り、藍川も私も本を物色。私は一冊の本を手に取り立ち読みする。
小学生の男女数名の日常を描いた漫画で、その子たちは近くの森に探検に出かける。そこである古びた屋敷を見つけ、そこに入る。しかしそこはお化けが出ると言うことで有名な屋敷だった。お化けに会い、恐怖に陥る子供達だったが何故か出口は封鎖されている。パニックになった時、一人が言った。「皆で力を合わせよう!」。最終的に子供達はお化けをやっつけ、見事その屋敷から出ることが出来た。……と、藍川が買い物を終え、こちらに向かって来た。
「あれ、何読んでるの?」
「ううん、ちょっと漫画」
本を閉じ元に戻す。そのまま藍川の腕を引いて店を出た。お化けかー。棺先生怖がりそうだな。
そのまま歩いていると、小さな広場を見つけた。
「あー、広場だ」
短い緑草が生い茂った広場で、数人の子供達が輪になって遊んでいる。男の子も女の子もきゃーきゃー騒いで、何だかとても楽しそうだった。
「可愛いねー……ん?」
目を細め、良くその子達を見る。足元に何か、黒いものが見えた。……そしてそこから小さく、「キャンッ」という声が聞こえた。
少し近付く。子供達は私達に気付いた様子もなく、無邪気な笑顔で足をその黒いものに蹴り付けていた。どう見ても、黒い犬だった。
「ちょっ……「こら――――!」わっ!」
私が子供達に話しかける前に、藍川が子供達に叫ぶ。そこでようやく私達に気が付いた子供達は大きく目を見開き、ビクリと跳ねた。
藍川が子供達に近付くと、子供達は小さな悲鳴を上げて辺りに散らばる。そして黒い犬の姿が露わになった。
「…………酷いな」
黒い被毛はボサボサ。頬肉は殆ど無く、虚ろな目が大きく強調されている。体の肉付きは薄く、肋骨が浮き出ていた。
藍川を見たその犬は、クンクンと怯えるような鳴き声で一歩後ずさった。
「君達、こんなワンちゃんを虐めちゃあ駄目じゃないか」
藍川が少し優しげに子供達に叱る。一人の男の子がもじもじとしながらも言い返した。
「だ、だって……この犬、いつもうろうろして気持ち悪いんだ……」
女の子も参戦する。
「そうだよ。このワンちゃん、わたしをかもうとして来たんだよ」
「噛もうと?」
私がその子に近付いて尋ねると、女の子は首を何度も縦に振った。
噛もうと……この犬、相当腹が減っていたのか。
「近くの雷親父の家の犬なんだけど、こないだ親父死んじゃったんだ。だれも引き取らないから、ここら辺をうろついてるんだよ」
一人の男の子がしっかりとした口調で言い、藍川が頷いた。
「一人も引き取らないんだ。薄情だな……あ」
藍川の呟きに皆が犬の方を見る。犬はすんすんと鼻を鳴らし、少しふらついた足取りで、広場を出て行った。そして近くの森の方へと消えて行った。
女の子数人がひそひそ話をして、犬を指差す。じっとそれを見ていると、そのうち一人が他の子供達に言った。
「ねえ、あのワンちゃんお化けやしきに行くんじゃない?」
「え? あ、ほんとだ!」
「お化け屋敷? 何それ?」
藍川が尋ねる。子供達が説明する。
「あのね、あのね! あっちの森の方でこないだ、たーくんがボロボロのお化けやしき見つけたの!」
女の子の説明にたーくんと思しき男の子が頷く。そして続ける。
「わたしのお兄ちゃんが探検したら、首つりお化けが出たんだって! ワンちゃん食べられちゃう!」
そう言って涙目になる女の子。さっきまで犬蹴ってた癖に何言ってんだろうなと思いつつ、頭を撫でる。
「大丈夫だよ。ワンちゃんはきっと戻って来るよ」
戻って来てもまた蹴られるだろうけど。
女の子はぐずりながら頷き、他の女の子がその子の腕を引っ張る。
「みーちゃん、遊ぼう?」
「……うん!」
そしてまた、笑顔で子供達は遊び出す。藍川が軽く「もう動物虐めちゃ駄目だよー!」と言い、子供達も元気に返事をした。
そして私達はまた歩き出す。もう用事は済んだので帰る以外に何も無い、と思っていたら、藍川は犬が去った方向へと歩き出す。
「藍川?」
「ねえ凪ちゃん」
藍川は森を指差し、笑った。
「行ってみない?」
「……マジか」
「そこ滑るから気を付けてね」
「うん」
木々が生い茂る森は樹海のような雰囲気だった。カラスの鳴き声が聞こえ、今が昼時ではなく夜だったら恐ろしいだろう。
ざくざくと草を分けて、獣道となった道を進む。森に入って十数分。藍川が声を上げた。
「あれかな?」
「どれどれ? ……おお!」
木に囲まれ日差しは殆ど入らない。暗い印象の空間に、その屋敷があった。
レンガの壁と赤い屋根の、大きな屋敷。屋根の上にカラスが止まり鳴き、お化け屋敷のような印象を強めていた。
藍川は輝いた目で迷うことなく屋敷へ向かう。
「え、あ、藍川! 本当に行くの……?」
「勿論。ここまで来た意味無いじゃないか」
渋る私を見て、藍川はニヤリと笑う。
「怖い? ここで待ってる?」
「う……あー……」
「真っ暗な森で一人ここで待ってる?」
「……………………行く」
「よし行こう」
藍川を前にして、私もゆっくりと歩き出した。
屋敷の厳かな扉にはインターホンが付いていた。数回押しても、返事は無い。藍川が扉に手をかける。
「あ、開いてる」
その言葉通り、扉はギギギと重々しい音を立てて開いた。躊躇なく藍川が家の中に足を踏み入れる。
「すみませーん! 誰かいますかぁー!? …………いないみたい」
「だね」
「入っても良いよね」
「不法侵入にならない?」
「大丈夫だよ。多分」
「多分って! あ、ちょ、待ってよ!」
スタスタと歩く藍川に、慌ててついて行く。扉は閉めると何だか閉じ込められそうな気がして、開けっぱなしにしておいた。誰も触っていないのに閉まるということは無く、安心。
屋敷の中は案外普通の家だった。数個の部屋と廊下。一つ一つを開けて見て行ったが、一切物は置かれていなかった。
螺旋階段を見つけ、二階に上がろうとした時だった。
「クン」
「っひ!?」
後ろから何か鳴き声のようなものが聞こえた。心臓がドクリと強く脈打つのが分かり、一瞬呼吸が止まる。
藍川が驚いて振り返って、
「……あ、何だ。さっきの犬だよ」
振り返る。藍川の言う通り、さっきの黒犬が立っていた。私をじっと見て、ぷるぷると震えている。
「何だ何だ、こんな所に来たんだ。お前もお化け屋敷探検?」
「…………」
藍川の問いには答えず(答えた所でちょっと怖いけど)、犬はすんすんと鼻を引くつかせ、よろよろと階段を上って行った。
「付いて行こうか」
「え、何で?」
藍川が階段を上って行く犬を見ながら答える。
「僕達がただ歩き回ってても、大きい屋敷だから迷うだけだよ。あの犬は何かの匂いを嗅ぎつけたんじゃないかなぁ」
確かに犬の鼻は人間より優れていると聞く。だからあの犬が何かを嗅ぎ付けたというのは分かるけど……
「何かって、何?」
藍川は顔をこっちに向け、笑顔で言った。
「食べ物とか」
「クゥ、キュン」
私達が階段を上り切った時、犬は廊下の端っこの扉をガリガリと引っ掻いていた。ハアハアと息を荒くさせ、だらりと舌を垂れ下げている。藍川が扉を開けると、犬は飛び出すように駆け出す。それでもあまりスピードは出ていなかった。
私達も扉の先に行く。また下りる階段があったが、コンクリートの壁で無機質に出来た階段だった。そこを下り始めていると違和感を感じた。
何か臭う。
藍川もそれを嗅ぎ取ったようで、難しい顔で呟く。
「何だろ、この匂い……生臭い?」
「肉とか魚を腐らせたみたいな臭いかな」
昔一度、冷蔵庫の中からだした生肉を放置してしまい、腐らせたことがある。夏だったので腐るのも早く、気付いた時には酷い状態だった。
今の臭いも、あの時の肉と同じような臭いがする。
「…………」
下り切ったところでまたもや犬が扉を引っ掻いていた。藍川が扉に手をかけ、開けずに私を見る。
「開けるよ」
「うん」
そして扉が開いた。
真っ暗闇だった。日の光が全く入らず、目に見える物は何も無い。目の前にいるはずの藍川も見えず、手探りで服を掴む。
そして暗さよりもまず。
「……っ、ごほっ、ゲホッ!」
鼻の奥にツンとくる刺激臭。夏の熱気と相まって、吐き気を呼び起こす。歯を噛み締めて不快感を我慢しながら、壁に手を付け電気を探す。それらしきスイッチを見つけ、グッと力を入れた。
パチパチという音と共に、ゆっくりと電気が付いた。
広い空間だった。絵画のアトリエのようで、絵具や絵画などの道具が床に散らばっている。そして何故か、あちこちで蝿が飛んでいた。
ふと、少し高めに作られている天井に顔を上げた。
「ぁ」
小さな声しか出せなかった。
そこにあったのは、首つり死体だった。
首は少し長く伸び、口はだらんと開いている。肉は腐りかけ、この悪臭の原因だと理解する。
首にかけていたロープは傷んでいるのか、今にも切れそうで、今にも、
ぶちっ、と。
ロープが切れ、死体が床に落ちる。腐った肉がぐぷゅという奇妙な音と共に周囲に飛び散る。そして目から鼻から口から耳から全身から、白く小さな虫が何匹も這い出て来た。蛆虫だろう。
肉は私の足元にも飛んで来たが幸い足にかかることはなかった。その代わり、何匹もの蛆虫がその肉の上で蠢いている様子がはっきりと見えた。
「やっ! ひ、やぁっ!!」
必死に飛び退き藍川の背に隠れ、死体を見ないようにする。芋虫は苦手だ。蛆虫も芋虫に似ている。
「凪ちゃん大丈夫? 顔、青いよ」
そう言って藍川が私の方を見て頭を撫でる。私自身、自分の顔から血の気が引いているのが分かった。
死体自体は見慣れている。血で染まった死体も、苦渋の表情で死んでいる死体も、目の前で見たことは何回もある。
けれど、時間の経った死体を見るのは初めてだ。
腐乱死体がこんなに酷い物だとは思わなかった。体が震え、背筋がぞわぞわとして落ち着かない。
「クゥン」
すっかり存在を忘れていた犬の鳴き声がする。同時に何かが掻き混ぜられるようなグチュグチュとした音。荒い息を整えながら、そっと藍川の背から犬を覗き見た。
犬が死体を貪っていた。
少し黄ばんでいるが鋭い歯で肉を噛み切る。いや、噛み切るまでも無い程に柔らかくなっている死体の肉は、ブヨリと口の端から垂れた。赤黒い血の塊のようなものもボリボリと頬張る。蛆虫が付いていても構いもしない。ただガツガツと一心不乱に咀嚼し飲み込む。
ガツガツと、グチュグチュと、ブヨブヨと、ドロドロと、ボリボリと、ニチャニチャと、ブチュブチュと、ガブガブと、クチャクチャと、モリモリと、ムシャムシャと、死体を食べる。
「…………っうぅ」
手を口に当て体を折る。吐き気を必死で堪え、頭の中の『気持ち悪い』という感情を抑え込む。汗を流しながら必死で堪えること数分。ようやく私が顔を上げた時、藍川が私の目を手で覆った。
「藍川?」
「今、一番グロいかもしれない」
「……どんな」
「内臓露出。脳味噌露出。色、緑」
「…………」
藍川が私に目を瞑るよう言い、素直に従う。そして右手を握られた。
「僕が誘導するから、目瞑ってて。絶対に開けちゃ駄目」
「……分かった」
ゆっくりと歩き出す。藍川が電気を消し、部屋を出る音が聞こえる。
背後から聞こえ続ける犬の食事の音は、必死で聞こえない振りをした。
「――――もう良いよ」
「ん……」
藍川の言葉が聞こえ、恐る恐る目を開ける。辺り一面緑だった。後ろを振り向くと屋敷の入り口が見えた。
頭上の空はいつの間にか黒い雲で覆われ、雨が降り出しそうな空だった。
「外、出たんだ」
「うん。犬は出て来れるように扉は開けておいた」
動物に罪は無いからね、と言って藍川が笑う。
そんな藍川に尋ねた。
「ねえ、藍川」
「ん?」
「藍川は何で怯えないの?」
「…………」
藍川は笑顔のまま無言になる。畳みかけるように言った。
「何であの死体見ても怯えないの? 何で泣かないの? 何で怖くないの?」
藍川はそりゃあ驚きこそしていたものの、怖がっていなかった。それが今思えば、不思議だった。
ゆっくりと口を開く。
「怖いよ」
「…………」
「あんな死体、凄く怖い。本当は泣きたかった」
「じゃあ、何で……」
藍川が私を見つめる。二つの目で、じっと見つめる。
「凪ちゃんがいたからだよ」
その返答の意味が分からない私を表情で読み取ったのか、藍川は淡々と言う。
「僕は泣き虫だし、苦手な雷の時はいつも泣いてる。あの死体だって恐ろしい。――だけどね、」
そして微笑んだ。
「女の子が怖がってたら助けるのが男でしょ?」
「…………」
何だかその言葉が胸に沁み、少し泣きそうになった。
藍川が頷き、空を見上げる。
「そろそろ帰ろうか。……雨が降ると良いけどな、体に付いた死体の臭い落とせるし」
「……っあ、藍川!」
振り向いた藍川の目を見て、軽く笑った。
「ありがとう」
藍川の返事は、笑顔だった。




