第15話 雷
翌日の天気は、前日の雨風を更に強くした土砂降りだった。雲も黒く分厚く、今にでも雷が落ちそうだ。
学校へ向かうまでに靴は濡れ、服や鞄にも雨がかかり、傘の意味は殆ど無かった。それでも遅刻することは出来ないので早歩きで向かう。
やっとのことで学校に辿り着き、外の玄関前、小さな屋根がかかっている所で藍川と会う。
「藍川だ、おはよう」
「あ、凪ちゃんおはよー」
藍川も雨に濡れ、ぐっしょりと濡れた黒髪からはポタポタと水滴が垂れていた。子犬のように頭を振って水滴を落とし、髪をかきあげる。
私がそれを見ながら傘立てに傘を入れた時、空が白く光った。直後、轟音が鳴り響いた。
玄関に入ろうとしていていた女子が小さく叫び、男子は興奮しながら空を見上げる。
「うわっ、雷だ。結構近いねこれ」
「…………」
あれ、反応が無い。藍川に顔を向けると、藍川は無表情で固まっていた。
「……藍川?」
その時また雷が鳴った。
「ひっ……!」
大きく肩を震わせ、藍川は目を見開く。気の所為か、涙目になっている気がした。
大丈夫かと声をかけようとして、藍川の肩に手を置く寸前。固まる藍川の背を誰かが軽く押した。同時にまた雷が鳴った。
「うわあああああああ!!」
藍川が驚きしゃがみ込み、
「きゃあああああっ!!?」
藍川を驚かし、藍川の服を掴んでいた茜がそれにつられて倒れそうになり、
「え? わ、待っ……!」
茜に腕を掴まれた私も倒れ、藍川の上に私達二人分の重さがかかり、
三人諸共、近くの大きな水溜りに倒れこんだ。
「……茜」
「ご、ごめん」
夏服のブラウスがびしょびしょに濡れ、気持ち悪い。スカートも濡れたし、それは皆同じことだった。
周りを歩く生徒達が私達を見て、笑っていたり同情の目を向けていたりする。
「……お前ら、大丈夫か?」
頭上からかかる言葉に上を向くと、コンビニのビニール傘を差した一宮が立っていた。引き攣った笑いで私達を見下ろし、同情しているような目で見ている。
「あ、圭介……おはよ」
茜が手を上げ挨拶する。藍川はまだ倒れ、耳を塞いで動かない。
「大丈夫なわけないでしょ」
苦笑しつつ、水溜りに座りこんだまま一宮に言った。
「ほんっとうごめん! ちょっと驚かすつもりで……」
両手を合わせ、私と藍川に頭を下げる茜。私達三人は上下ジャージ姿で、濡れた制服は事務室で乾かして貰っていた。
「大丈夫だよ茜ちゃん。僕もちょっと驚きすぎたけどね」
「はは、次は気を付けてね」
今も窓の外では豪雨が続き、雷も止まない。藍川はさっきよりは慣れたものの雷が鳴るたびに顔を顰めていた。
藍川の顔を見た一宮が言う。
「何だよ藍川、雷苦手なのか?」
「うん、ちょっとね」
腕を軽く握り、外を見る藍川。視線は真っ直ぐ一直線上を向いていた。
「何でだよ? 子供だなー」
あくまで、雷に子供のように怖がる藍川を笑い飛ばす口調で。一宮は何度も藍川の背を叩く。藍川も痛いよー、などと笑いながら言い、茜も笑う。
だけれど一瞬、藍川は真剣な目で小さく呟いた。
「雷は、嫌いなんだ」
藍川のその様子に、茜と一宮は気づいていなかった。
放課後になっても雨は止まず、どこかの電車が運行を見合わせているようだった。
「え、嘘! あたし帰れないじゃんどうすんのよー!」
茜がちょうどその電車に乗る予定だったようで、頭を抱えて机に突っ伏す。一宮がそれを笑いながらからかった。
「ドーンマイッ! まあ動かねえことは無いだろうし、いいじゃんちょっと待ってれば」
「ちょっと待ってろったって、最低でもあと一時間ぐらいは待たなきゃ駄目なのに……暇だぁ」
「なら俺と一緒に購買行こうぜ。何か奢ってやるよ」
その途端、ムスッとしていた茜の顔が破顔一笑、輝く笑顔に。
「いいのっ!? じゃあねじゃあねっ、あたしオレンジアイスと唐揚げと、あとプリン食べたい!」
「俺そんなに奢るの!?」
苦い顔をする一宮の腕をぐいぐいと引っ張り、茜は廊下に出ようとする。
「いーじゃん。ほら圭介、早く行かないと無くなるよ! 凪達じゃーねー!」
「服伸びるって、引っ張んな! あ、藍川じゃあなっ」
二人は嵐のように教室から消えた。私も鞄に物を詰め、
「藍川今日部活ある?」
「今日は無いよ」
藍川と一緒に帰ることにした。
校舎の玄関付近は酷いことになっていた。透明な扉から見える外では傘が飛ばされた人も数人、携帯で家族に迎えを頼んでいる人もいる。私と藍川は迎えを頼める人がいないので歩いて帰るしか方法はない。
外に一歩出ると辺りは広く深そうな水溜りばかり。木が大きく揺れ葉が飛び散る。通行人は殆どおらず、その何人かも急ぎ足で歩いていた。
藍川がビニール傘を広げようとしたが、広げた瞬間に骨を残して布が空に飛んで行った。
「あ、やべ」
「うわあ、私も気を付け……あれ」
私も市販の黒い傘を広げようとするが、開かない。どこかで引っかかっているのか、途中で止まってしまう。少しイラ付きながら思い切って力任せに広げる。バキッと嫌な音が聞こえた。
「ん? ……あ」
無理にした所為か、傘の骨が折れてしまった。ブランと垂れ下がった骨を見ながらしばし無言になる。
「凪ちゃん」
「何?」
藍川の方を向かずに聞く。藍川は骨だけになった傘を鞄に仕舞いながら私を見る。
「走るしかないよね」
「……うん」
示し合わせてはいなかったが、私達は同時に溜息を吐いた。
「ぎゃー! 雨が痛いよ!!」
「黙って走れー!」
頭を抱えながら走る藍川を前にし、私達は走る。息が切れるが多少はしょうがない。
藍川って私より速いんだな。そりゃ、男子だし速いんだろうけど、何か今まで知らなかった。
「……はぁっ」
「…………」
「……はっ、……はあ」
「…………」
「は…………うわっ!」転んだ。
「きゃっ! ちょ、ちょっと! 大丈夫!?」
すぐさま止まる。前のめりに倒れた藍川は、朝に替えたジャージをびしょびしょに濡らしていた。
ゆっくりと顔を上げた藍川は、苦しそうな顔で息を切らしていた。途切れ途切れの声で、言う。
「……キツイ」
藍川って私より体力ないんだな。
「大丈夫? 走れる?」
私の問いかけにも、藍川は力無く首を横に振るだけだった。
「凪ちゃん……先、行ってて……」
「いや、藍川置いてくわけにもいかないよ。……そうだ、私の家きなよ」
「え!?」
藍川が驚く。何をそんなに驚く必要があるのだろうか。前に私は藍川の家に行ったのに、私の家は嫌だと言うのか。
少しムッとしながら説明する。
「服もびしょびしょでしょ? そのままじゃ風邪引いちゃうよ。お父さんの服ぐらいなら貸せるからさ」
ね? と首を傾げて言ってみる。藍川は少し悩んだような顔をしていたが、頷いた。
「じゃあ……お願い」
「ちょっとそこで待っててね」
家に着いた私はまず藍川を玄関で待たせ、風呂場から二つタオルを持ってくる。一つを藍川に渡し、髪を拭くよう言った。私も髪をぐしゃぐしゃと乱暴に拭く。
髪を拭き、タオルから顔を覗かせた藍川の髪は所々が跳ね、何だか
「子犬みたい」
「ん?」
「あ、いや何でもないよ」
思わず口に出してしまった。取りあえず藍川を脱衣所に行かせ、私は両親の部屋へ向かった。
旅行好きな私の両親は一年のうち殆どが家にいない。その代わり部屋は綺麗に掃除され、掃除にかかる手間が無くて助かる。私もお父さんのタンスを開け、適当な服を一枚持つ。そして自分の部屋に行きタンスから適当な服を取り出し、急いで着替えてから脱衣所へ向かう。
「取りあえずこれ着てて」
「うん、ありがとう」
服を渡し、私は扉の向こうで待っている。衣擦れの音がしばし聞こえ、そろそろかと扉を開ける。
「着替えたー?」
「わあっ!」
腕を通し、後は服を下ろすだけの格好をしていた藍川。服を下ろす寸前だったが、胸から腰辺りまでがはっきり見えた。
慌てて服を下ろす藍川。顔を赤くさせ、驚いた顔をしていた。
「急に開けないでよ! 着替えたけどね」
少し怒りながらも笑う藍川。でも私は藍川の体に目が言っていて、返事は返さなかった。
一瞬だけだがはっきりと見えた藍川の体は、とても細かった。
痩せ過ぎではないが、それでも十分に細い。胸の所は肋骨が浮き、腰にかけても同様。普段の食生活が偏っているからかどうかは知らないが……。
「凪ちゃん? 何か僕の体に付いてる?」
体を見つめてくる私を不思議に思い、藍川が尋ねる。もし私と藍川の性別が逆だったらセクハラ行為だったなと思い、適当に嘘をでっち上げる。
「藍川って女装似合いそうだと思ってさ」
「は!? いやいや、何言ってんのさ、僕男だよ」
藍川が女の子だったらツインテールとか似合いそうだな、きっと可愛いだろう。そのうち女装とかさせたいな。
「ちょっと今度やらない?」
「断る!」
その時、雷が鳴る。藍川がビクつき、私は窓の外を見る。また雷が激しくなっていたが雨は僅かながら穏やかになっていた。
「雷が酷いけど、藍川大丈夫?」
「……駄目かも」
雷が苦手な藍川にとって、今外に出ることは嫌だろう。
となると、
「今日泊ってく?」
「えっ!」
少し藍川が赤くなった。
「…………いや、別にやましいこととかは考えてない……からね?」
「あっ! う、うんうん! 別に僕もそんなの考えてないから! うん!」
何だかお互いに気恥ずかしくなって沈黙する。
無言になると、外の音がよく聞こえた。ザァザァ降る雨の音、時たま光る空の光、数秒遅れて鳴り響く轟音、そして小さな藍川の悲鳴。
「……………………今日は、もう帰ろうかな」
沈黙を破るように藍川が口を開く。
「え? 帰るって」窓の外の暴風雨を見てから「この雨と雷で?」
「うーん…………」
困ったように藍川が頬を掻く。そのまま少し笑って、「じゃああと少し経って様子見てみようかな」と言った。
数十分後、雨は大分止んでいた。
まだ雨は降っているものの、本降りではない。雷も少し前を最後に鳴らなくなっていた。
ソファーに座っていた藍川が立ち上がり、鞄を持って帰ろうとする。
「玄関まで送るよ」
言って私も立ち上がり、玄関まで送る。
藍川が扉に手をかける前に私は傘立てを調べ、一本の傘を手に取った。
「はい、これ使ってよ」
「え? ……いいの?」
いいに決まってるでしょ、そう言って笑ってみる。
シンプルな黒だけど大きな傘で、しかも丈夫だから、きっと藍川も濡れることは無いだろう。
「ありがとう。じゃあ、またね」
「うん、またね」
藍川が扉に手をかけ、笑顔で私に手を振る。
そして扉が静かに閉まった。




