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第14話 三人目

 『棺』という名前が嫌いだった。


 白林という名字は別にどうでも良かった。好きでも嫌いでもない。けれど、棺という名前がどうしても嫌いだった。小学生だったとしてもその単語の意味は否応《いやおう》無しにでも分かる。よく周りにはからかわれ、喧嘩して先生に怒られた。

 けれどそんな名前を付けた親でも俺は両親のことが好きだった。医者として働く父さんは格好良かったし、科学者として奮闘している母さんも大好きだった。俺がクラスの奴と喧嘩すると二人は俺に怒るから、怒られないように勉強を頑張った。テストで満点を取るようになった。「偉いぞ」って褒められた。嬉しかった。

 俺の髪は肩まで伸びていて、たまに後姿が女の子みたいだと間違えられていた。そう言われるのは嫌いだったけど、隣の席の気になっていた女の子が「髪の長い人はすてきだよ」と言ったから伸ばすことにした。



 中学校に入ってから両親の仕事は更に忙しくなった。父さんの働いている病院では患者が増え、母さんの働いている研究所では新しい課題が出され。毎日毎晩両親は働いて、俺は両親に会うことさえも少なくなった。

 中学校でも勉強を頑張って、成績も上位に入るようになっていった。気の合う友人も多く、なによりもモテた。俺は世間的に格好良い人の部類に入るらしく、後輩から先輩まで何人もの異性(同性は困る)に告白された。まさか漫画などでしか見たことが無いようなモテ期に自分がなるなんて思いもよらず、少し浮かれていた。

 けれどその経験は同時に、自分自身の性癖を知る切欠ともなった。


 小学校の頃隣の席だった女の子。あの子の為に小学校の時から伸ばしていた髪は、今は何となく伸ばし続けていたが、今は後ろで一本に縛っていた。そして小学校時代に俺が恋をしていたあの子は、中学三年生の時に俺に告白して来た。

「好きです!」という勢いのある台詞と赤い顔。震える手と強く瞑った目。あの頃の幼さを感じさせない、美人に成長した彼女。本来なら喜ぶべきところだったのだろう。

 だけど。

「……ごめんなさい」俺はその告白を断った。

 その瞬間、俺は『彼女』を好きだったのではなく、『幼い女の子』が好きだったのだと気が付いた。

 その後のことはよく覚えていないけれど、その日から彼女は俺を見てもすぐに逃げるようになった。



 そして三年生の後半、両親が珍しく早く帰る予定の日。その日は俺も迷子の白猫を探すポスターを見たりしながら、寄り道をせずに帰路に付き、漫画を読みながら両親の帰りを待っていた。

 だが七時になっても九時になっても、父さんも母さんも帰って来なかった。急な仕事が入ったのだろうか。もしそうなら残念だけどしょうがないな。そう思いつつ時計を眺めた午後十時。

 家の電話が鳴った。

 こんな遅くに誰だろうかと訝《いぶか》しげに思いつつ駆け寄り、受話器を耳に当てる。「もしもし」『棺さんですか?』低い男性の声だった。抑揚の無い声が少し不気味だが、その声は淡々と言葉を続ける。

『大変残念なお知らせです。数時間前、あなたのご両親が――――』





 葬式には大勢の人が参列していた。

 皆が喪服を着て、泣いていた。

 ひそひそと、ざわざわと、「惜しい人を亡くした」とか「どうして急に」とか、話し声が聞こえた。

 父さんと母さんは交通事故で死んだ。二人一緒に歩いて帰る途中だったところを車に跳ねられたらしい。どちらも即死だったようだ。幸い顔の損傷は少なかったらしく、葬儀の時に最後に見た二人の顔は綺麗だった。けれどもう動かない。

 二人に縋《すが》って、嘘だと喚いて、泣き叫んで。そんな反応をするべきだったのだろうか。俺は何も考えないまま線香を上げ、二人から離れた。

 悲しくなかった。泣けなかった。

 何でか分からなかった。


 葬式の帰り、道の脇で白猫が死んでいるのを見かけた。ポスターで見た迷子の白猫だと分かった。ぐったりと四肢を投げ出し、腹からは小腸のようなものが飛び出し、目玉が片方取れていた。

 その死体を見て、

「…………」

 不思議と、高揚感を抱いたのは今でも覚えている。


 家に帰って両親のタンスを開け、父さんがいつも着ていた白衣を取り出す。羽織って鏡を見る。少し大きく不格好だ。母さんの白衣ならちょうど良いかもしれない。

「……ははっ」

 将来は両親の白衣を着て仕事をしたいと思った。

 それと髪を染めようと思った。いっそ奇抜な色にでもしてみようか。そうだ、白が良い。骨みたいに真っ白な長い髪は、きっと良い意味でも悪い意味でも注目されるだろう。

 どうせなら目の色も変えてみようか。黒以外の何でも良い。青色とか綺麗かもしれない。



 将来図を思い浮かべて、微笑みながら鏡を見る。

 白衣を羽織った長い黒髪の少年が、泣きそうな顔で微笑んでいるのが見えた。

 周りの景色がゆっくりと動く。羽ばたくカラスも、走る車も、全てがゆっくりスローモーションで動いていた。え、何これ凄い。そういや前に『人間は事故などで死にそうになる瞬間、脳の処理能力が大幅に働いて時間の流れを遅く感じる』って本で読んだっけ。じゃあ今のこれがそうなのかー。ゆっくりゆっくり周りが動く、時間が進む。何だかちょっと楽し……


 いや、楽しくない。


 同時に時間の進み方が元に戻った。


「っ――――きゃあぁああっ!」

 思わず悲鳴を上げたと同時に、体に痛みが走った。

 けれどそれは地面に衝突したような痛みではなく、全身を刃物で軽く切られるような痛み。周りではバキバキと何かが折れるような音がする。

 目をキツク閉じ、痛みに耐え――

「づぁっ!?」

 お尻からドスンと地面に落ちた。

「いった……え?」

 両手で自分の体を触る。通り抜けたりすることはない。良かった生きてる。

 見上げるとそこには大きな木が。この木をクッションとして落ちたから、助かったのか。周りに大量に落ちている枝や葉がその証拠だった。

 何だか体のあちこちがヒリヒリと痛む。右手でそっと頬をなぞると、ぬるっとした物に触れた。

「うわ、血が出てる」

 微量ながらもあちこちから血が出ていた。よくよく見るとジャージも少し破れている。畜生、家事は得意だけど縫物だけは苦手なんだぞ。縫わなきゃいけないじゃないか。

 でもまあ……屋上から落ちてこの程度で済んだのは良い方だ。足元に落ちていた段ボールを蹴り中身を見ると、想像通り空っぽだった。

 このまま外にいても体が濡れてしまう。軽く舌打ちをして、玄関へと向かった。


「あれ、生きてたの」

「生きてて悪いですか」

 玄関に置いてある観葉植物。その前で棺先生と鉢合わせる。私を突き落とした張本人の癖に、相変わらずへらへらと笑っていた。

「ごめんな手が滑ったんだよ。保健室行く? その怪我」

「怪我は水で洗えば大丈夫です。……それよりあれ、どう見ても故意ですよね。殺人未遂ですよ、何考えてるんですか!」

 最後の方はキレたように叫ぶ。実際イラ付いていたし、結構大きな声が出た。

 棺先生はそれでも笑っていた。まるで何も反省――

 あ、そっか。


「先生は――」

 出来るだけ冷静を保つ。突き落とされたことは大事だけど、今の数秒だけは忘れよう。

 もしも私の予想が外れていたところで、何も問題はないけれど。

 当たっていれば、それでいい。

「――事件の犯人なんじゃないですか? 殺人事件の」

「何でそう思うんだ?」

 棺先生が聞き返す。確信を付くような言葉を言っても表面の態度は全く変わっていない。

「何となくです」

 私もそうだからです! なんて言えない。

 棺先生はゆっくりと顔に笑みを湛える。考えていることが全く読めない笑顔。そして、

「そうだよ、その通り」

 あっさりと認めた。そして唐突に聞いてくる。

「今日の放課後、俺の家に来ないか? 話したいことがある」

「話し合いという名目の、証拠隠滅ですか?」

 二ヤリと笑って言い返す。棺先生もニヤニヤ笑うが、返答は無かった。

「同じクラスの男子も一人連れて行っていいですか?」

「いいよー。どんと来い」

 じゃあ教室戻りなよ、そう言って私に背を向け歩き出す。

 私も教室に戻ろう。あ、その前に傷を洗わなきゃな。

「……いたっ」

 頬の傷口に手をやり、痛みに顔を顰《しか》めた。



「凪!? 何その怪我、どうしたの!」

 六時間目が終わってから教室に戻ると、真っ先に茜に飛び付かれた。

 傷口は水で洗ったものの、トイレの鏡で見た見た目は痛々しかった。頬の長く切った傷は特に目立つ。

 というか肩に手を置かないで、そこも怪我したんだよ。痛いマジで痛い。

「あ、いやーちょっと転んじゃってさ……」

「転んでそれ!?」

「……玄関の観葉植物に突っ込んで切っちゃった」

「何でそんな所いるのよ!」

 そこら辺は軽く受け流して、私は藍川の元へと向かった。

「おい凪大丈夫か? その怪我」

「ちょっとねー」

 一宮に軽く笑いかけ、藍川の机に手を付き、藍川の耳元に口を近づける。

「今日、放課後に棺先生の家行こう」

「……何で?」

 小声で疑問を口に出す藍川。

 私は左右を確認し、藍川にだけ聞こえるくらいの小さな声で説明した。

 藍川はしばし無言でそれを聞いていたが、最後は、

「分かった」

 小さく頷いた。



 放課後、職員室の棺先生の元へ二人で向かう。棺先生は様々な先生方に話しかけられていたが、私達に気が付くとその場を離れ近づいて来た。

「棺先生、連れて来ましたよ」

「一年三組、凪ちゃんと同じクラスの藍川伊織です」

 ペコリとお辞儀をする藍川の頭を、棺先生は勢い良く撫でた。

「ちょ!?」

「男子にしてはちっちゃいなあ。凪と同じくらいか?」

 藍川が目で見て分かるぐらい、イラッとした顔になる。どうやらコンプレックスだったようだ。

「っ、背とか関係ないです! それより早く行きましょう!」

 手を振り払い、精一杯に棺先生を睨んで言う。

「ははっ、怒ってもその顔だと可愛いだけだな」

 藍川が、この数ヶ月間私が見たことがない、とても複雑な表情になる。どうやらコンプレ省略。



 棺先生の車に乗り、数十分走る。車の中で棺先生が何らかの行動を起こさないか、具体的には私達を殺そうとしないか正直不安だった。だがそんな素振りを一切見せず、無事目的地に辿り着いた。

 藍川の住んでいる所ではないが、似たようなマンションだった。エレベーターで三階に上がり、一室に入る。

「おじゃまします」

「おじゃましまーす」

 挨拶をして、棺先生の後に続いてリビングへと入る。

「「…………」」

 そして絶句。

「何か変? まあ座れよ」

 私達は部屋の内装に唖然としながらも、近くのソファーに座る。鞄はカーペットが敷いてある床に置いた。

 白衣を脱ぎ、首周りの広い黒服だけになる棺先生。鎖骨が見え、茜とか学校の女子がいたら興奮で叫びそうな色気がある。……だけど、

「先生……この部屋の本とかって……」

「あ、これ?」

 有り触れた本棚の中に並べられた本。タイトルは『しょうがくせいはせいぎ!』『お兄ちゃんとわたし』『スクール水着とツインテール』……。壁に貼られている数枚のポスターは、女の子があどけない笑顔で笑っていたり、女の子がお風呂に入っていたり。

 先生にジトッとした目を送ると、

「全部俺の趣味だよ」

 パソコンの椅子に座りながら、笑顔で答えた。

「棺先生って……ロリコンなんですか?」

「そうだよ、幼女大好き愛してる。まあ犯罪とかにはしないようにしてるし欲求とかも他でしてるし……まあこういうのは買うけどな」

 そう言って立ちあがって、本棚の裏を探る。数冊の本を取り出し、私達に表紙を見せた。

 これまた小さな女の子の絵が描かれている……どう見ても、ただのエロ本だった。

「なっ! やっ、止めてください! 見せないでくださいよっ!」

「そうですよ。そういうのは、その、ちょっと……」

 慌てる藍川の意見に同意すると、棺先生は面白そうに私達を見てくる。

「お? 何、二人とも顔赤いぞ? 純情だなー」

 からかうようなニヤ付いた笑みを見せる棺先生。これで純情だとか、大人、というかこの人は汚い。

「凪ちゃんは女の子なんだよ!? そんなの見せるとか……この変態野郎っ!」

 本当に怒ったのか、敬語を消し罵倒する藍川。だけど棺先生は何故か少し嬉しそうな顔になる。

「あ、今の台詞良い。もう一回言って」

「……うわ」

 棺先生の印象が、格好良い人から心底変態へと変わる。罵倒されても笑っていられるのはある意味素晴らしいことだと思った。


「で! 話すことって何ですか」

 中々本題に入らないことに少しイラつき、『で』を強調して話しかける。棺先生はその言葉でやっと思い出したかのように椅子に座り直した。

「聞きたいことがあるんだ」

 一拍置いて、

「お前達は、どれ?」

「「…………」」

 『どれ?』ってのは、殺人のことだろう。仕方、方法。そのどれかを聞いているということは、棺先生も犯人が複数だと知っている。

「私は刺殺です」

「僕は撲殺ですよ」

 鞄からそれぞれ包丁と金槌を取り出し見せる。棺先生は目立った反応を見せず、ただ静かにそれらを見ていた。

「俺は特にそういう武器とかは無いな。屋上に人を呼び出して突き落としたり、列車のホームとかで落としたり。小さいナイフくらいは持ってるけどな」

 武器、いや、凶器を目の前にしても棺先生は何も恐れない。この場で私が包丁を手に取り、棺先生の胸に刺すことは簡単だ。棺先生はそれを分かっているのだろうか。

 それとも分かったところで、無反応なのか。


「俺さ、死体が好きなんだ」

 急にそんな発言をする棺先生。藍川が怪訝な顔をして棺先生を見る。棺先生はそんな藍川に微笑んで喋り出す。

「俺は小さい女の子が好きだ。だけど、死体も大好きなんだ。……赤黒い血は、真っ白な肌によく映える。死ぬ時の甲高い断末魔も心地良い。眠るように死んでいる人間は、何よりも美しい。そうそう凪、お前を落とした時の悲鳴も……ゾクゾクしたよ」

 うっとりとした、恍惚の目で見つめられた。

「っ……」

 寒気がする。蛇に睨まれた蛙というのを実感したような恐怖が体に湧きあがり、体が震えそうなのを必死に左腕を握りしめて堪えた。そしてふと思い出した単語を呟いてみる。

「死体……愛好家?」

「ああ、そうだな。ネクロフィリアとも言うって昔聞いたことがあるな」

「昔? 誰にですか?」

 藍川が尋ね、棺先生が答える。

「両親にな。俺の父さんは医者で、母さんは科学者だったんだ。それでそういう系統の言葉とかも覚えるようになってな。ま、二人とも俺が中学の時に事故死したけど」

 悲しんだ様子も無く淡々と答える。少し皮肉気に笑い、呟く。

「俺が人を殺すのは、死体が好きだから、死体を見たいから、死体を作りたいから。勿論無暗に人を殺すわけじゃなく選んで殺してるが……俺が死体を好きになったのは、少なからず両親が影響してる」

「……そう、なんですか」

 それしか言えなかった。



「俺はお前達を殺す気は無い。むしろ仲間みたいな関係になる方が、情報なんかも交換出来るだろ。強制はしないが、どうする?」

「そうですね……」

 少し悩む。

 ここで断ると、先生と私達は敵同士ということになるんだろう。だけどそれは勘弁して貰いたい。傷付けることは良いけれど、傷付くことは嫌に決まってる。

 ……何だかんだ言っても、この人とは仲良くしておいた方が良いと思う。教師という身近な立場にいることもあるし、何より棺先生は私達と同類だから。

 考えながら藍川を見ると、藍川は苦笑していた。そして諦めたように私を見た。私が決めても良いのなら、言ってしまおう。

「これからも、よろしくお願いします」

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