第13話 雨の日の屋上
教室から見える窓の外はしとしとと雨の降り続く天気だった。大粒の雨が深緑の葉に当たり地面に染み込み生い茂る花々に吸収される。風も強く、スーパーの紙袋が空を舞っていた。
雨は冷たいが空気は蒸し暑い。もう梅雨が明けても良い頃だが、まだ終わりまでは遠いようだ。皆の顔は連日の雨にうんざりし、どこか物憂げだった。
「今日も雨かー。……げ、今週ずっと雨の予報だって」
オレンジ色で、じゃらじゃらとストラップの付いた携帯の画面を見ながら、茜は大きく溜息を吐いた。
「運動部は屋内でやらなきゃいけないから大変そうだね」
「あたしはもともと屋内だけど、外からの人が体育館来たりしてやだな」
「藍川の部活は『帰宅部』だろ? というかマジ帰宅部って何なんだよ」
「ちゃんとした部活だよ、部室もある。ただ集まってちょっと話したり遊んだりして帰るだけ」
「変な部活だなあ」
机に集まって談笑する皆の服は、白いワイシャツという夏服に切り替わっていた。
茜も夏物のスカートの下のジャージは短パンにし、シャツのボタンは少し開けて風通しを良くしていた。
「昨日、また人が死んだよね」
「どっかのビルから飛び降りでしょ? あれは自殺じゃないの?」
「しらね。まーどっちでもいいし。……つか暑いなー!」
一宮が髪をわしゃわしゃと掻き、鬱陶しそうに眉を歪める。
季節は夏。もうすぐ夏休みに入る、七月だ。
「ようおはようお前ら。号令!」
教室に熊本先生が入って来る。先生も持っているファイルでしきりに顔を扇いでいた。
委員長の岡野が号令し、座る。そんないつも通りの朝の光景に熊本先生は言った。
「あーっと、今日の一時間目は全校集会になった。皆体育館に集まるように」
その一言でちょっと教室がざわつく。えーマッジー? 面倒だなおい、嫌だなー。色々と不満の声が上がる中、近くの女子が尋ねてくる。
「凪、一時間目って何だっけ」
「確か理科だよ」
「ほんと? やだな、あいつの授業かよ」
理科の先生は生徒の中でも人気が低い女性教師だ。見た目や授業の教え具合はともかく、男女に対しての接し方の違いが酷い。男子には優しく甘く、女子には厳しくキツく。そんな先生だから女子は誰も真面目に授業を受けない。最近は教頭との不倫疑惑も生徒間で流れている。
そんな時、熊本先生は私達の会話に対し、言った。
「その先生なんだがな、実は教師を辞任することになった」
更に教室内がざわつく。
「何でも妊娠したとかでな。産休という手段ではなく、主婦として専念したいと仰っていた。別れの挨拶は生徒達と向き合うのが辛いから、こっそり言っておいて欲しいと言われていたんだ」
「よく言うよ、どうせ男子に対してだけなんでしょ」
女子の一人がポツリと呟いたが、先生には聞こえなかったようだ。
「それで今日の集会では、新しい先生をお迎えすることになっている」
「美人ですかー?」
男子が言って笑う。先生も軽く笑い言った。
「残念だったな。いや、女子には嬉しいかもしれないな。若い男の先生だぞ」
今度は女子が歓喜の声をあげる番だった。数人を除き、女子は『若い男』という言葉に顔をニヤけさせている。
若い男の先生か。前の理科の先生みたいじゃないと良いな。
「カッコいい人だってー。イケメンだってー」
茜が嬉々とした声で笑う。まるで欲しかったおもちゃを買う寸前の子供のように、目をキラキラと輝かせている。
「野郎とかどうでもいいっつうの。前の担当も嫌だったけどな」
ぶすっとした顔で一宮は愚痴る。茜をジト目で見つめるが、茜はこれっぽっちも気が付いちゃいない。
「まあまあ、人なんてどうでもいいよ。凪ちゃんはどうなの?」
藍川が私に目を向ける。何だか視線から『凪ちゃんもイケメンが好きなのかさあどうなんだ』なんて言う気持ちが漂ってきそうだ。
「私は……別にどうでもいいかな。男にあまり興味は無いし」
「男にって……レズ?」
茜が自身の体を軽く抱き、わざとらしく一歩引いた。
「違うって! ほら、そろそろ始まるよ!」
そんな怒んないでよー、冗談だって! と言う茜を無視し、壇上に目をやる。右側から一人の男性が演台に近寄って行くところだった。
途端に、体育館が静まりかえった。
校長が生徒に静寂を呼び掛けるまでもなく、一瞬誰一人として喋らない、動かない。
その一瞬が過ぎ去っても、体育館が五月蝿くなることはない。女子の誰かが出した「うわ……」と高く、小さく、嬉しそうな声も辺りに聞こえる程だ。
サラリと背中まで伸びた長髪は白く、瞳は綺麗な青。どこか物憂げな表情とその顔付きは細く、整っている。すらっとした背は長身。黒いインナーの上から白く長い白衣を羽織っているその男性は、演台の上にあるマイクを取りスイッチを入れた。
「皆さん初めまして。新しく理科の担当を務めることになった、白林棺と言います。変な名前ですが仲良くしてください」
透き通るような綺麗な声でそう言うと、
「どうぞよろしく」
そう言って、ニッコリ微笑んだ。
集会が終わった後、二時間目前の休み時間。教室中が新しく来た先生の話題で持ちきりだった。
「何あの人イケメン! マジイケメン!」
「確かに……まあ、あれは……」
「カッコいい人だったね」
「髪と目の色が気になるな」
茜、一宮、藍川、そして私。それぞれが思いの丈を述べていた。
休み時間が終わったら、あの人がここで授業をする。そしてこれからも。理科の授業を真面目に受ける女子は大分多くなるだろう、男子は知らない。
そして休み時間終了のチャイムが鳴る。
教室に先生が入って来た時、女子達のテンションが上がったのが見て取れた。先生はニッコリと笑ってから口を開く。
「――さっきも言ったけど、今日から理科の授業を務める白林棺だ。呼び方は『棺先生』でも『棺お兄ちゃん』でも構わない」
キリッとした顔でそんなことを言うものだから、黙ればいいのか笑えばいいのかよく分からない。
「先生ー、先生って彼女とかいるんですかー?」
男子の一人が質問する。小学生みたいな質問だが、女子達は真剣に棺先生を凝視する。先生は軽く笑ってこれまた軽く返答する。
「いや残念ながらいないなあ。ただ今募集中! って感じかな」
ガッツポーズをする人が数人見えた。その質問を初めとして次々と手が上がる。
「先生って何歳ですか?」
「その髪って染めてるの?」
「どうしてこの時期に来たんですか?」
わらわらと続く質問に、棺先生はサラリと答える。
「二十四歳。まだまだ若いぜ」
「中学の時に染めた。目はカラコンね」
「教師の資格持ってて、募集してたから適当に応募した」
その後も質問は続いた。主に女子からの恋愛に関する質問が多かったのは気のせいではないだろう。
大半の質問に答え終わった時、丁度授業終了のチャイムが鳴る頃だった。号令をかけ、棺先生が軽く挨拶をして教室を出て行った。
「彼女いないんだってね、まだウチにもチャンスありそう!」「ちょっと亜美ずるいよ、わたしだって棺先生にアピールするから」
キャーキャーと興奮している女子達に、男子達は呆れたような目を向けていた。そして肩を竦め溜息を付く。
六時間目のことだった。
五時間目から連続で続く体育の授業中にちょっとトイレに行き教室へ帰る途中、廊下を曲がった所で目の前が白い白衣で覆われた。
「え? あ、棺先生」
「ああ……ごめん、誰だっけ」
棺先生が目の前に立っていた。至近距離だと、首にロザリオのネックレスをかけていることや、睫毛が長いことが分かった。羨ましい。
「一年三組の川瀬凪です」
「そうか。よし覚えた」
そこでふと棺先生は何かを考えるような顔になった。じっと私を見つめる。
綺麗な青い目で見つめられ、何故か一瞬ドキリとする。ただしそれは恋愛感情ではない。どこか不安な気持ちになる。そんな目。
「――そうだ、ちょっと手伝ってくれないか?」
「手伝う……何を?」
「屋上にちょっと用事があってさ。一人じゃちょっとあれだから、どうかな。駄目?」
微笑みながら首を傾げる。その仕草にドキッとする女子も多いのだろうが、私の場合は何故か焦燥感を抱く。
「…………ええ、いいですよ」
きっと気のせいだ。新任の先生が何かするわけもない。私が過敏に心配してるだけだろう。
「ありがとうな」
そう言って棺先生は笑った。
第二校舎の屋上に着く。普段は開放されていないため、ここへ来るのは初めてだったりする。
開放されることは殆どないことに加え、第二校舎の屋上は二.五階分の高さしかない為、ここにフェンスは無い。足を滑らせたら落ちてしまいそうだ。それに今日は雨に加え風も強い。
「そこの端っこギリギリのとこにある段ボールを取って来てくれないか? 理科に使う道具が入ってるんだ」
「あれですか……」
屋上の鍵を持った先生は右手で屋上の端を指差す。落ちるギリギリの所に置いてある小さな段ボールは、強風で今にも飛んで行きそう。確かそこの真下は私達の教室があるはず。春には桜が咲いていた一本の木も生えているはずだが今はギリギリ見えない。
「っあ」
嫌な記憶が蘇る。
揃えて置かれた靴と、真っ赤な芝生が記憶で踊った。
「どうかしたか?」
ハッと気が付き上を向くと、先生の不思議そうな顔が見えた。
「いえ……何でも」
雨で濡れたコンクリートは滑りやすい。転ばないよう気を付けながらも小走りで段ボールに近づき、抱え上げる。
「あれ?」
やけに軽い。それに、大分ぐっしょり濡れている。そう言えば何でこんな所に理科の道具が置いてあるんだろう。何もこんな端じゃなくたって……。
「あの、せんせ」
振り向いたら、目の前に先生が立っていた。
無表情で、雨で髪を濡らしながら私を見つめる。ゆっくりと手を伸ばし、私の胸の辺りに添える。
私はただ、何も分からないまま棺先生を見つめていた。
無表情だった顔が、ニコリと笑顔になる。
口だけ笑い、目は笑わずに。ザァザァと五月蝿く降る雨の音に棺先生の声が重なる。
「ばいばい」
「せ、」んせい?
トンっと胸を押され、後ろに倒れるように、
落ちた。




