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鏡の中の超絶美女(中身34歳男)、政略結婚を利用して年下天才CEOと会社を攻略する  作者: ニボシ


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第十九話 フトダマ幹部会議

 カプチーノの泡が、ゆっくりと崩れていく。

 週が明けた平日の、フトダマ本社・社長室。

 防音の効いた静かな部屋で、茎一と命は、カップを前に向かい合っていた。

 ブラインドの隙間から差し込む冬の薄い光が、ガラスのローテーブルを淡く照らしている。

 今日の茎一は、アイボリーのブラウスにマスタード色のロングベスト、黒のスリムパンツ。

 髪は、サイドを後ろでパールのピンで留めた、すっきりしたダウンスタイルだ。


「命さん。……そろそろ、例の件について、じっくり話を聞かせてもらえませんか」


 茎一はカップを置き、静かに切り出した。


「料亭で、会長から出された『フィジカルAI』の共同開発構想のことです。あのとき、命さんが見せた渋い表情……ただ『時間がないから』という理由だけではありませんよね」


 命は小さく息を吐き、組んだ指をテーブルの上に置いた。

 経営者として、そして一人の根っからのエンジニアとしての、深い苦悩が、その表情ににじんでいる。


「……さすが、鏡子さんだね。見抜かれてたか」


 命は苦笑して、ゆっくり首を振った。


「あの日、僕が渋い顔をした一番の理由はね。会長が言っている構想が、現場を知らない人間の、無茶振りな夢物語だからなんだ」

「夢物語、ですか……」


 茎一は眉をひそめた。

 AIの技術動向は大まかに押さえていても、開発の細かな構造までは専門外だ。

 だが、「現場を知らない上が、非現実的な目標を丸投げしてくる」という構図だけは、営業の現場で、嫌というほど味わってきた。


「具体的に、どこに無理があるんですか?」

「たとえて言うとね……」


 命はカップを指さし、噛み砕くように語りはじめた。


「海外の超巨大IT企業は、年間十兆円規模のお金を注ぎ込んで、何でも揃う『巨大な何でも屋のデパート』を作ってる。映像も音声も文章も、ロボットの動きも、巨大な資本で全部呑み込もうとしてるんだ」

「十兆円のデパート……」

「そう。それに対して、僕たちフトダマは、腕のいい職人がやっている、こだわりの専門店だ。デパートと同じ土俵に立って『うちも品揃えでは負けません、何でも作ります』なんてやったら、どうなると思う?」

「……あっという間に、資本力で潰されますね」

「その通り。お金の殴り合いでは、絶対に勝てない。それに、デパートを作っている巨人たちですら、維持費が膨らみすぎて、ほとんど利益が出ていない、と言われているのが、いまのAI業界なんだ。そんな底なしの金食い虫に突っ込むなんて、自爆と同じだよ」


 茎一の頭の中で、営業としての計算機が、ぱちりと音を立てた。


(なるほど。あの親父は『光電融合とAIで世界制覇だ』と威勢のいいことを言っていたが、要は、世界中の巨人が年に何兆円も注ぎ込んで殴り合っている地獄に、フトダマを丸腰で放り込もうってわけか)


「では、命さんの考える、フトダマの本当の勝ち筋は?」

「僕たちが狙うべきは、『業務特化型の専門店』だよ」


 命は身を乗り出し、瞳に熱を宿した。


「何でもできる汎用AIじゃなくて、医療の問診支援、法務や会計の自動化みたいに、特定の現場で百パーセント確実に役立つAIに絞り込む。これなら計算コストも抑えられるし、きちんと収益化できる。僕の技術が、いちばん活きる場所でもあるんだ」

「……とても合理的で、現実的な戦略ですね」

「うん。でも……」


 命は声を落とし、弱く息を吐いた。


「会長の言う『家庭や介護向けのフィジカルAI』は、国が成長戦略として喉から手が出るほど欲しがっている、『映える看板』なんだ。JEにとっては、政府から大きな補助金を引っ張ってくる、絶好のネタでもある。だから、会長は、絶対に引かない」


(そういうことか)


 茎一は、烏太朗の抜け目のない顔を思い出していた。

 あの男にとって、技術の現実性も、フトダマの経営リスクも、二の次なのだ。

「国策に乗った巨大AIプロジェクト」という打ち上げ花火を上げて、株価を押し上げ、自分の手柄にする。

 それだけが目的だ。


「国の成長戦略という大きな波と、会長の政治的な野心。その板挟みで、フトダマの現場と技術をどう守ればいいのか。それが、僕の悩みの本質なんだ」


 命が吐き出した、苦しい本音。すべてを理解した茎一の胸に、熱いものがこみ上げた。


(命は、本気で、この会社の未来と現実的な勝ち筋を考えて戦っている。そんな命を、あの親父の政治ごっこの犠牲にさせてたまるか)


 茎一はソファから身を乗り出し、命の手の上に、自分の手を重ねた。


「命さん。状況は、よく分かりました」


 整った顔に、修羅場を渡ってきた男の、不敵で力強い笑みが浮かぶ。


「無茶を言うクライアントと、板挟みになる開発現場。営業の世界では日常茶飯事なんです。相手が十兆円のデパートだろうが、国の成長戦略だろうが関係ありません。私たちがやるべきことは、ひとつです」

「……え?」

「会長の『夢物語』に付き合うふりをしながら、実質的には、命さんの描く『専門店(業務特化型)』へ誘導して、フトダマの主導権と利益を守り抜く交渉を組み上げることです。年明けの取締役会までの期限? 望むところですよ。最高の『カウンター提案』を作って、会長の鼻を明かしてやりましょう」


 力強い言葉と、手に伝わるぬくもり。命の瞳から迷いが消え、希望の光がともった。


「鏡子さん……! うん、そうだね。悩んで立ち止まってる場合じゃない。一緒に戦ってくれる?」

「もちろんです。私は、あなたの副社長であり、婚約者なんですから」


 二人はしっかり手を握り合った。

 巨大な壁を打ち破るための、新しい戦略づくりが、動きはじめた。


 ◆◆◆


 フトダマ本社の大会議室。

 重厚なオーク材のテーブルを囲むのは、社内幹部の五名だった。

 中央には、社長兼CEO兼CTOの玉屋命。

 その隣に、副社長兼COOの石凝鏡子(茎一)。

 現場を束ねる武内営業部長。

 無精髭に、少し伸びた髪を後ろで束ねた、いかにもプログラマーといった風貌の申田開発部長。

 そして、少人数のバックオフィスを統括する、寸島総務部長。


「皆さん、集まってくれてありがとう」


 命が、引き締まった表情で切り出した。


「今日は、JEホールディングスの石凝烏太朗会長から打診のあった『対人・家庭向けフィジカルAIの共同開発構想』について、我が社の幹部としての意思決定と、今後の戦略を議論したい」


 会議の冒頭、茎一はスライドを示しながら、烏太朗から寄せられた提案の概要と、年明けのJE取締役会に向けた回答期限の事実のみを、簡潔に説明した。

 私的な席でのやり取りや婚約のことには、一切触れない。

 あくまで、公式なビジネス案件として示す。


「……以上が、JE側から示された案件の概要です。年明けの定例取締役会までに、我が社としての前向きな回答を求められています」


 説明を終えた茎一に続き、命が静かに頷く。

「申田部長。開発現場のトップとしての見解を聞かせてほしい」


 指名された申田は、胸の前で腕を組み、無精髭の顎をさすりながら、重々しく口を開いた。


「……正直、現場のエンジニアとして言わせてもらうと、物理的な機構を伴うフィジカルAIは、地獄の泥沼ですよ。画面の中で完結するソフト開発と違って、家庭用ロボットや対人端末のリアルタイム制御となると、モーターの遅延、センサーのノイズ、予測できない物理環境での例外処理……エラーの桁が三つ変わる。いまの開発ラインで、そんなデバッグにリソースを食われたら、本業のLLM開発まで総倒れですよ」


 プログラマーの目線によるリアルなリスクの指摘に、武内も腕を組んで眉をひそめた。


「ハードとの連携ってのは、そんなに厄介なもんか。本業が倒れちゃ元も子もないな。だが、相手はあのJEだぞ。会長直々にぶち上げた案件を、『現場が大変なんで無理です』と突っぱねて、関係は大丈夫なのか」

「おれだって、安易に断れと言ってるわけじゃないですよ」


 申田は、命と茎一を交互に見た。


「ただ、あのフィジカルAIをそのまま引き受けるのだけは、開発現場が死ぬ。社長、副社長。何か、別の『かわし方』を考えてるんでしょう?」


 茎一がまっすぐ申田を見つめ返し、静かで力のある声で言った。


「ええ。私と社長の方針は、JEの提案をそのまま受け止めることではありません。相手の提案を受け流しつつ、技術的に我が社が優位に立てる『業務特化型AI』のプラットフォーム構築へ誘導する、カウンター提案を作ります」


 申田は、束ねた髪を揺らして目を見開いた。


「ふ、副社長、マジですか? JEの提案を受け流すって……相手は、日本の経済界に君臨するグループですよ。一歩間違えれば激怒されて、提携そのものが破談になりかねない。本当に、そんな芸当が可能なんですか?」


 申田の驚きと困惑に、武内が豪快に肩を揺らして笑った。


「ハハハ! 申田、お前の心配ももっともだが、副社長を甘く見るなよ」


 武内は深く頷き、信頼のこもった目を茎一に向けた。


「先日の北嶺出張を思い出してみろ。あのときも副社長は、相手がどれほどの大物だろうと怯まず、フトダマの人間として、会社の利益を最大化するために体を張ってくれた。俺は、副社長の経営判断と、ディールの腕を、心から信頼している」

「武内部長……」


 茎一は自然な笑顔で、武内に深く一礼した。

 営業の現場で積んだ仕事ぶりが、こうして幹部の信頼になって返ってきている。

 申田も姿勢を正し、無精髭をかきながら頭を下げた。


「……すんません、副社長。そこまでの覚悟で開発現場を守ろうとしてくれてるなら、おれに異存はありません。技術屋として、全力でバックアップします。ただ、具体的にどんな『業務特化型AI』で、JEを納得させるつもりなんです?」


 ここから、五人の白熱した議論が始まった。

「たとえば」と、命が言う。


「医療や法務、会計といった特定の専門領域に絞ったLLMのパッケージ化。これなら計算コストも開発リスクも抑えられて、すぐに収益化できる」

「うーむ、確かに魅力的だが」


 武内が顎を撫でる。


「専門領域を絞りすぎると、JEの『全国規模の営業網』という強みを、活かしきれないんじゃないか。

 彼らが欲しいのは、もっと市場が広くて、分かりやすいインパクトだ」

「かといって、汎用に寄せれば、海外の巨大AIに呑まれる……」


 申田が頭を抱える。

 膠着しかけた空気を破ったのは、それまで黙って議論を聞いていた、総務部長の寸島だった。

 資料をとんとんとテーブルで揃え、ふっと知的な笑みを浮かべる。


「皆様、少し視点を変えてみませんか。『業務特化型』として、いちばん市場が広く、しかも我が社に確かな実証データがある分野が、足元にあるじゃありませんか」

「足元……?」


 命が首をかしげる。


「はい。このフトダマ本社の、バックオフィスです」


 寸島は、自信のある声で続けた。


「人事、総務、広報、経理、法務。この規模の成長企業なら、本来は十人近い専任スタッフが必要な業務量です。ですが、いまのうちのバックオフィスが何名で回っているか、皆様なら、ご存じですよね」


 幹部たちが顔を見合わせ、はっとした。

 寸島は、三本の指を、すっと立てて見せた。


「……私と、鹿野さんを含めて、たったの二人です」

「あ……!」


 武内が膝を叩き、申田が目を見開く。


「そうか。言われてみりゃそうだ。経理も広報も、寸島部長たち二人で全部さばいてるじゃないか」


 小さな会社ゆえ、幹部たちは、バックオフィスの少人数ぶりと、現場の多忙さを、身をもって知っていた。

 だが、それが「AIによる自社実証の実績」だという、灯台下暗しの事実に、全員が、いま気づかされたのだ。

 「そうです」と、寸島は誇らしげに頷いた。


「我が社が独自に開発し、自社に実装している『バックオフィス特化型AIアシスタント』が、契約書のリーガルチェック、プレスリリースの推敲、採用の一次スクリーニング、労務管理まで、ほぼ自動で処理しているからです。つまり我が社は、人件費の大幅な削減と省人化を、自社の存在そのもので証明し続けているんです」


 寸島は眼鏡の奥の目を光らせ、命と茎一を見つめた。


「日本中の企業が、いま、深刻な人手不足とバックオフィスのコスト高に悲鳴を上げています。この自社実装済みのバックオフィス自動化パッケージを製品化して、JEが誇る全国の営業網で一斉に売り出したら——どうなるでしょう」

「……!」


 茎一の頭の中で、営業としての回路が、激しくスパークした。


(これだ。これ以上のソリューションはない)


「寸島部長、素晴らしいアイデアです!」


 茎一は身を乗り出した。


「烏太朗会長が欲しがっているのは、『JEの販売網とフトダマのAI技術の融合』という実績とパフォーマンスです。それなら、我が社のバックオフィス特化型パッケージを、JEの営業網で外販してもらう提案にすれば、会長のメンツも、実質的な大きな利益も、両立できます。しかも我が社は、底なしのハードウェア開発のリスクを負わず、ライセンス料で大きな利益を得られます」


 命も興奮で立ち上がった。


「申田部長。この社内パッケージの外部展開用のチューニングと、セキュリティの強化、開発ラインで回せるかい?」

「任せてください、社長。フィジカルAIのエッジ計算に比べたら、百倍現実的だし、うちの得意分野だ。いますぐエンジニアチームを組んで、プロトタイプの仕様策定に入ります」


 申田の目が輝き、武内も力強く拳を握った。


「よし、なら営業側は、JEの営業担当が売りやすいように、料金体系と導入インセンティブのモデルを作ろう。あいつらにとっても『売りやすくて儲かる商材』にしてやれば、文句は出まい」


 幹部五名の熱意と知恵が噛み合い、会議室は、一転して、熱のこもった活気に包まれた。


「決まりですね」


 茎一は、頼もしい仲間たちを見渡した。


「年明けのJE取締役会にぶつけるカウンター提案。タイトルは、『フトダマ・オフィス統合プラットフォーム構想』。JEが何も言えなくなるほどの、最高のディールを見せてあげましょう」

「「「「はい!」」」」


 四人の返事が、会議室に響いた。

 ホワイトボードには、『フトダマ・オフィス』の文字だけが、太く、残っていた。

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