第十一話 チーム・フトダマ
タブレットの画面で、赤い折れ線グラフが右肩上がりに伸びていた。
サーバー使用率の推移だ。
週が明けたばかりの副社長室で、茎一はその線の先を静かに目で追っていた。
今日の茎一は、深いオリーブグリーンのジャケットに同色のタイトスカートを合わせ、足元はシックなパンプス。
髪は、三つ編みをくるりと巻いて留めた編み込みのシニヨンにまとめている。
爪先は、先週から変わらないテラコッタの色だ。
デスクの向こうでは、CEOの玉屋命が、眼鏡の位置を直しながら、画面いっぱいに流れるソースコードから顔を上げた。
「正直に言うと、もう限界ギリギリなんだ、鏡子さん。先日のプレスリリース以降、大手企業からのPoCの打診が殺到していて、いまレンタルして運用している外部クラウドのデータセンターだと、年末には処理がパンクしてしまう。拡張しようにも他社との契約枠で塞がっていて、これ以上の帯域確保が難しいんだ。国産日本語AIとしてリアルタイムの感情応答を保つには、桁違いの計算能力がいる。専用の巨大なメガ・データセンターが、今すぐ必要なんだよ」
鏡子の身体に入った茎一は、心の中で深く頷いた。
AIビジネスの勝敗を分けるのは、アルゴリズムの優秀さだけではない。
それを裏で支える「電力」と「計算資源」、そして高速ネットワークという物理的なインフラだ。
レンタルサーバーをつぎはぎして凌ぐ段階は、もう終わっている。
走らせる巨大な箱を自前同然に押さえなければ、宝の持ち腐れになる。
「目星はつけてあります」
茎一は脚を組み替え、画面に地図と大規模施設の概要図を映し出した。
「日本最大級のメガ・データセンター……北嶺エリアにある『JE北嶺グリーン・データセンター』です」
命が、息をのんで身を乗り出した。
「JEグループが誇る、最新鋭のメガインフラ……! 冷え込みの強い北嶺の気候を利用した外気冷却システムと、広大な敷地での自家消費型太陽光発電。まさにAI時代のための要塞だね」
「ええ。ですが、あちらはJEホールディングス本体が数百億円を投じて建設した最重要拠点です。普通に借りようとすれば、年間数十億円単位の膨大なレンタル料を要求されます。……だからこそ、私が直接交渉に立ちます。営業部の主力メンバーを率いて、北嶺データセンターの優先使用枠と特別割引レートを勝ち取ってきます。フトダマの命運を賭けた、最大のディール(取引)になりますね」
◆◆◆
同日の午後、フトダマ本社の第一会議室には、張りつめた静けさが満ちていた。
オーク材の会議テーブルを挟んで、営業部の主力メンバーが集まっている。
今回は会社の未来を左右する超大型のインフラ調達案件だ。
副社長自らが同伴し、指揮を執る特別体制が敷かれた。
上座に腰掛ける茎一の対面に、営業部の顔ぶれが並んでいた。
引き締まった表情で資料を読み込む、熟練の営業部長・武内。
明るさとガッツを備えた若手エースで、ノートパソコンを開いて身を乗り出す宇之乙女。
そしてその隣には、「茎一の元々の肉体」が座っていた。
上座から自分の元の身体を眺めながら、茎一は心の中で感心していた。
きちんとプレスされた上質なスーツ、ワックスで自然に整えた髪、形よく手入れされた眉と清潔な指先。
かつての自分の無頓着だった肉体は、中に入った鏡子の高い美意識で、隙のないビジネスマンの姿に磨かれていた。
(……いつ見ても化けっぷりが見事だな。元が俺の体とは思えん)
上司と部下が、お互いの身体を丸ごと入れ替えたまま、同じ営業チームとして会議室に並んでいる。
このシュールすぎる光景に、思考が脱線しそうになるのを、茎一はどうにか抑え込んだ。
「皆さん、集まっていただきありがとうございます。周知の通り、我が社の国産AI『フトダマ』の本格運用に向け、JEグループが誇る『北嶺グリーン・データセンター』の超大型レンタル交渉に挑みます。相手はJE子会社のインフラ事業部門。今回は、本社取締役を兼任する高倉社長も同席する予定です。甘い顔は一切通用しない相手と考えてください」
武内部長が重々しく頷く。
「副社長のおっしゃる通りです。いま契約している外部レンタルサーバーだけでは、これからの案件ラッシュをさばき切れないのは明らかですからね。……ですが相手は日本トップの巨大コングロマリット。提携協議の最中といっても、ベンチャーの我々など足元を見られ、高額で買い叩かれるのが関の山でしょう。……やはり、副社長がJEの烏太朗会長のご令嬢であるという点が、交渉の突破口になるのでしょうか?」
すかさず乙女も、大きな目を丸くして身を乗り出した。
「あのっ、私も気になります! 会長のご令嬢っていうカードを使えば、相手も『副社長のお願いなら……』って、一発で折れてくれたりしないんでしょうか!?」
その問いに、茎一の元の姿をした本物の鏡子も、静かな瞳で副社長席の茎一を見つめてきた。
「副社長が、JE会長の意向を背景にあちらへ圧力をかけて優遇させる……というお考えでしょうか?」
自分の元の低い声で発せられた問いに、茎一はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。そんな子供っぽいコネ交渉をするつもりは毛頭ありません。私が会長の娘であるのは事実ですし、我が社がJEと提携の協議を進めていることも周知の事実です。ですが、親の権力を笠に着て安く買い叩くようなやり方は、三流の営業がすることです。それではJE側の現場に恨まれ、将来的なサポートや拡張性で必ず足元をすくわれます」
「うぐっ……なるほど……!」
乙女が襟を正す。
茎一は立ち上がり、ホワイトボードにマーカーで大きな二つの円を描いた。
「私たちが目指すのは、あくまで『フトダマ』と『JEホールディングス』の双方が得をして、お互いの企業価値を高め合える、大局的な条件の引き出しです」
「双方が得をする……、ということですね!」
武内が手元のノートに素早くペンを走らせる。
「現在、JEの北嶺データセンターは最新鋭の設備を誇りながらも、電力コストの高騰と外資系クラウドの台頭で、稼働率の波に悩まされています。彼らが喉から手が出るほど欲しいのは、最新の国産AIサービスが24時間365日止まらずに回る、象徴的なメガアンカーテナントです。ですが……それだけでは、数十億円単位の値下げを勝ち取る決め手としては弱い」
茎一はホワイトボードの中央に、力強く一本の矢印を書き足した。
「そこで、こちらから相手の役員会を黙らせる手土産を提示します。提携の効果として、我が社がいま開発を進めている『フトダマ次期モデル』の、JEグループ内における半年間限定の独占先行使用権の付与です」
「次期モデルの独占先行使用……ですか!?」
武内が目を見張る。
「えっ!? あの最新AIを、JEさんに先行で使わせちゃうんですか!?」
乙女も声を上げた。
「ええ。JEグループは傘下に数多くの事業会社を抱える巨大組織です。その全社的な社内業務システムや顧客対応窓口に、『フトダマ次期モデル』を先行導入していただきます。これにより、JEグループ全体で年間最低でも三十億円規模の業務効率化と人件費削減を達成できるという、定量的な試算を提示します。さらに我が社にとっても、JEグループという巨大な実環境で大規模ストレステストを行えるという、極めて大きなメリットがあります」
茎一は、ペンの先でホワイトボードの矢印を軽く叩いた。
「『データセンターを安く貸していただく代わりに、JEグループ全社の業務効率化で、割引分を十分に補える価値をお返しします。しかも、自社データセンターの価値向上と実用テストの場も手に入りますよ』……そう返していくのです。この相互メリットを突きつければ、相手は実質的なレンタル料を大きく下げざるを得なくなります」
「すごいですっ……!」
乙女が目を輝かせ、拍手をしそうになった。
「ただお願いするんじゃなくて、あっちのコスト削減までプレゼントして、反論の余地を消しちゃうんですね! まさに攻めのソリューション営業です!」
「その通りです、乙女さん。単なる値引きの要求ではなく、『業務効率化によるコスト削減効果』という具体的で巨額な対価をテーブルに載せるわけです。これならインフラ事業部門だけでなく、JEの経営企画や財務も、縦に首を振るしかない話になります」
武内部長も感服したように頷いた。
熱く、しかしどこまでも理路整然と語る茎一。
そのビジネスセンスと、現場で磨かれた勝負勘を見せつけられた、茎一の身体の中の鏡子は、腕を組んで細く息を吐いた。
(へえ、なかなかやるじゃない……)
これまでは、ただの叩き上げの営業マンだと思っていた。
だが自分の立場や親のコネに甘えることなく、相手の懐に入って「実利」を差し出す大局観で、交渉を組み立てている。
自分の身体を使いながら、ここまでやってみせるのか。
鏡子の口元に、うっすらと笑みが浮かんだ。
「副社長の方針、見事です。単なる値下げ交渉ではなく、相手の課題を解決する提案ですね。営業部の一員として、次期モデル導入によるJEグループ側のコスト削減シミュレーションと、説得力あるデータシートを、不足なく揃えてみせます」
「ええ、頼りにしています、叢雲さん」
茎一と、茎一の身体に入った鏡子。
立場と身体が入れ替わった二人が、一瞬だけ視線を交わし、小さく笑い合った。
「私っ、現場のヒアリング資料とコスト比較表の整理、しっかり仕上げて見せます!」
乙女が鼻息荒く宣言する。
「ありがとうございます、乙女さん。武内部長はJE側の担当役員の癖と、過去のディール履歴の分析をお願いします。準備期間は三日。北嶺の要塞を、私たちの味方に変えましょう。あとは、もう一人、助っ人を連れていきましょうかね」
「助っ人?」
茎一の含みのある言葉に、鏡子は眉をかすかに動かした。
お手並み拝見、という顔だ。
◆◆◆
早朝の都心中央駅。
まだ薄暗いホームに滑り込んできた新幹線の車内は、ぴんと張り詰めた静けさに包まれていた。
窓際の席に腰掛けた茎一は、黒のノーカラーパンツスーツの袖口を整え、手元のタブレットに視線を走らせている。
髪は、毛先をゆるく波打たせて肩に流し、耳の高さで留めたハーフアップだ。
「副社長、飲み物を買ってきました。温かいお茶で大丈夫でしたか?」
隣の席から明るい声をかけてきたのは乙女だ。
向かいの席には、静かにPCの画面を見つめる営業部長の武内、そして酔い止めの薬を水で流し込んでいる、今回の助っ人・開発部の筆美が座っている。
あらかじめ打ち解けておいたおかげで、茎一の誘いにも二つ返事で応じてくれた。
もっとも、三人娘のうち総務の緑だけは、家庭もあって留守番だ。
ご当地グルメの土産を約束して、丸く収めてある。
そして茎一の斜め向かいには、「茎一の元の肉体」が静かに座っていた。
しっかりとスチームの当たったダークグレーのスーツ姿だ。
窓ガラス越しに自分の元の姿を盗み見て、茎一は心の中で苦笑した。
窓の外の景色は、ビル群から次第に深い緑と田園、うねるような山並みへと移っていく。
約三時間強で新青嶺駅に着いた一行は、手配してあった大型のレンタカーで郊外の丘陵地帯へ向かった。
ロードサイドの店舗群を抜け、小高い丘のワインディングロードを登り切った瞬間、フロントガラスの向こうに目的地の全貌が現れた。
『JE北嶺グリーン・データセンター』
広大な敷地にそびえる、幾何学的な巨大棟。
灰色の耐震外壁の周囲には、屋根の広い面を埋める太陽光パネルと、排熱用の巨大な冷却塔が幾重にも並んでいる。
静かな山々と現代建築の最先端が不思議に溶け合うさまは、まさにAI時代の「要塞」だった。
「すごい……これが、JEグループの誇るメガインフラ……」
車を降りた乙女が、ひんやりした北嶺の秋風にスカートの裾を押さえながら、息をのんで見上げた。
筆美は黒縁眼鏡を押し上げ、外壁の巨大な吸気ダクトを見上げて目を輝かせている。
「とんでもない広さですね……。冷え込みの強い北嶺の気候を活かした外気冷却と、自家消費型エネルギーの二重化。これなら、フトダマが要求する超高密度の並列計算にも耐えられますよ」
「技術面の適合性は問題なさそうですね。……行きましょう」
茎一を先頭に、一行は重いセキュリティエントランスをくぐった。
受付で厳重なIDチェックと金属探知を受け、内部へ進む。
ガラス越しに見えるサーバーエリアは、外の静けさとは打って変わって、冷気の満ちた巨大な空間に無数のサーバーラックが整然と並んでいた。
緑と青のインジケーターが目まぐるしい密度で明滅し、冷却ファンの低い唸りが、床を伝って足裏に響く。
「この排熱設計と電源ラインなら、並列学習を二十四時間フル稼働させても、熱暴走のリスクはかなり抑えられそうです」
筆美が興奮気味に囁く。
「現場のスペックは、問題ないですね」
茎一が満足げに呟くと、隣に並んだ茎一姿の鏡子も、口の端に静かな笑みを浮かべて頷いた。
◆◆◆
施設見学を終えた一行は、エレベーターで最上階の応接会議室へ通された。
壁一面の強化ガラスの向こうに、北嶺の豊かな自然と遠い山々が広がっている。
だが室内の空気は、サーバー室の冷却よりもひんやりと張り詰めていた。
革張りのソファの対面に座っていたのは、JEホールディングスの本社取締役であり、このデータセンターを運営するグループ子会社の社長も務める高倉だった。
白髪まじりの髪を隙なく撫でつけ、仕立てのいいダブルのスーツに身を包んだ高倉は、長年インフラ部門を仕切ってきた叩き上げの実業家らしい気配を全身にまとっている。
その両脇には、子会社の少名営業部長ら数名が、鋭い目で控えていた。
「ようこそ、JE北嶺グリーン・データセンターへ。フトダマの皆様」
高倉は低く重みのある声で挨拶した。
「我が社の基幹インフラの性能は、ご覧いただけたかと思います。さて、さっそくですが、事前にご提示いただいたラック数、受電容量、専用光回線の帯域に基づく、当方の見積もりです」
高倉が営業部長に目配せすると、手元のタブレットに見積書が表示され、ガラスのテーブルの上を静かに滑ってきた。
数字をひと目見た瞬間、乙女と武内の息が止まった。
『年間利用料:100億円(税別)』
手加減は、まるでない。
提携の協議中であることを織り込んだ割引後の数字としては破格ではあるが、ベンチャーには、なお強気すぎる。
武内が姿勢を正し、慎重に言葉を選んだ。
「高倉社長、素晴らしい設備を拝見し、感銘を受けております。ですが……この金額は、弊社の想定予算を大きく上回っております。弊社とJEホールディングス様は、いま提携の協議を進めさせていただいている重要なパートナーです。弊社のAI事業の成長は、御社にとっても利益となるはず。なにとぞ、提携特別レートでの再提示をお願いできないでしょうか」
しかし高倉は表情ひとつ変えず、机の上で指を組んだ。
「武内さん、お気持ちは分かります。ですが、こちらも独立した子会社を預かる身です。巨額の設備投資と減価償却、膨大な維持費を抱えております。本体が提携を協議しているとはいえ、『提携先だから安くしてくれ』というだけでは、株主や役員会に、コストに見合うメリットを説明できません」
冷徹で、反論の余地のない正論だった。
提携の看板や情に流される気は微塵もない、という強硬派の役員らしい鉄壁の構えだ。
会議室に、重い沈黙が落ちる。
乙女は不安そうに拳を握り、武内も苦い顔をした。
鏡子は真剣な表情のまま、成り行きを見守っている。
だが——茎一は、まったく動じなかった。
ゆっくりと脚を組み替え、手元の資料を開く。
そして、高倉の鋭い視線を、まっすぐに受け止めた。
「もちろんです、高倉社長。値引きやお情けをお願いしに、北嶺まで伺ったわけではありません」
茎一の声は、澄みながらも、確かな重みをもって響いた。
「本日ご提案したいのは、互いの企業価値を押し上げる、双方に利益のある戦略的な取引です」
高倉の眉が、わずかに持ち上がった。
「こちらの北嶺データセンターは、最新鋭の設備を持ちながら、近年の外資系クラウドの台頭で、稼働率の波にお悩みと拝察します。今、御社に最も必要なのは、二十四時間三百六十五日止まらずに稼働し続ける、象徴的なアンカーテナントのはずです」
「……ほう」
高倉の目が細められる。
「ただ、それだけでは、提示額を大きく動かす根拠には弱い。そこで、高倉社長と御社の役員会に向けて、もうひとつお持ちしました」
茎一は、テラコッタ色の爪先で、手元の資料の表紙をそっと叩いた。
「提携の効果として、我が社が開発中の『フトダマ次期モデル』を、JEグループ内で半年間、独占的に先行使用していただく権利を付与いたします」
「次期モデルの、独占先行使用権……?」
高倉の隣で、少名営業部長が思わず身を乗り出した。
「はい。JEグループは傘下に多くの事業会社を抱える巨大組織です。その全社的な社内業務システムやカスタマーサポート窓口に、我が社の最新AIを先行導入していただきます。これによりグループ全体で、年間最低三十億円規模の業務効率化と人件費削減が見込めるという、定量的な試算をまとめてまいりました」
茎一の合図で、茎一の肉体に入った鏡子が、手入れの行き届いた所作で、数字に寸分の狂いもないシミュレーションデータシートを、高倉の前へ滑らせた。
続けて、同席していた筆美が、黒縁眼鏡を押し上げ、凛とした声で畳みかける。
「技術面を補足します。今回ご提案する次期モデルは、御社が全社で導入されている既存の業務ソフトやデータベースに、API経由でモジュールを追加するインライン構成です。基幹システムの刷新や大規模な改修は不要で、導入のハードルは低く、最短二週間で現場稼働が可能です」
既存システムへの追加だけで、グループ全体の三十億円規模のコスト削減。
しかも、自社データセンターの稼働率は上がり、「日本の最先端AIを支えるインフラ」というブランド価値と株価の上昇まで手に入る。
高倉はデータシートと筆美の説明を食い入るように見つめ、やがて「ふぅーっ」と深く息を吐いた。
「……なるほど。うちのデータセンターを貸し出す以上の効果を、JEグループ全体にもたらすわけか。しかも、この最新AIの稼働実績そのものが、データセンターの何よりの宣伝になる……」
冷徹だった高倉の表情が緩み、口元に、ビジネスマンとしての感心と満足の笑みが浮かんだ。
「見事な提案です、副社長。これだけの実利が示されるなら、役員会も反論できないでしょう。……分かりました。実質的なレンタル料を大きく引き下げた特別パートナー条件として、私が責任をもって、早急にグループ本社の取締役会へ諮り、正式に決定させます」
「ありがとうございます、高倉社長。ご期待に沿う成果をお約束いたします」
茎一が深く一礼すると、応接室を満たしていた緊張が解け、乙女が小さく「やった……!」とガッツポーズを作った。
「では、細かい契約条項や回線セキュリティの確認は、このあと営業や技術など、現場同士で詰めましょう」
高倉の言葉を受け、武内、乙女、そして茎一姿の鏡子が「承知いたしました」と頭を下げ、実務的な協議へ移っていった。
◆◆◆
大仕事を終え、窓際で北嶺の空を眺めていた茎一のもとへ、高倉が歩み寄ってきた。
「石凝副社長、少々よろしいですか」
「ええ、高倉社長。本日は、本当にありがとうございました」
高倉は温かな眼差しで茎一を見つめ、低く穏やかな声で言った。
「実は、石凝会長のご令嬢と伺っていたので、失礼ながら、今日の交渉も、親の威光を背負っただけの形ばかりのものだろうと高をくくっておりました。……驚きましたよ。現場の課題を把握し、双方の利益を最大化する、実に見事な手腕でした。よく勉強もされている。素晴らしいお嬢さんをお持ちだと、今度会長にお会いした際、しっかり伝えておきますよ」
「……あ、ありがとうございます。高倉社長」
茎一は深く頭を下げながら、引きつった顔で、複雑な苦笑いを浮かべるしかなかった。
親の七光りなどではない。
泥臭い営業現場で這い上がってきた、自分自身のスキルで勝ち取った大金星だ。
それでも周囲の目に映るのは、あくまで「会長の立派な娘」なのだ。
その皮肉に苦笑いしながら、ふと視線を向けると、営業同士の打ち合わせ席で、茎一の身体に入った鏡子が、男の顔でニヤリと悪戯っぽく笑いかけていた。
(……あの顔は、次は自分の番だと言っているな)




