case 3
「いいかげん起こさないと、だろ」
「『疲れてるだろうから寝かせてあげなさいよ』って、カアナさん言ってましたよ」
「それは朝の話だッ」
ヒートアップしていくマウロと、知らない低めの声のやりとりに、ツユは目を覚ました。
「おはよう、は とっくにすぎてるぞ」
じとっとした目つきで不満そうなマウロと、てっぺんを指す時計。
そして、カアナではないARがマウロの隣にいた。
ツユと目が合う。
「おはようございます」と、爽やかな笑顔を向ける青年は、こげ茶色の短髪から犬の耳が生えていた。空色のYシャツに、唐草模様のバンダナを首に巻いて、まくっている袖からのぞく腕にはほどよい筋肉がついている。
「こいつはシバ・タイチだ。ツユが起きないから、きゅーきょ呼んだんだ」
午前中、一向に起きないツユを置いて、カアナとマウロは細かい日用品を買いに行っていた。
持ち手は多い方がいいと招集したのが彼というわけで。
「シバはカアナといっしょでケイがご主人だから、ひましてるんだな!」
しかし、そこは様子を見に来たカアナに否定される。
「アタシもタイチも暇ではないのよ」
「ぬッ?」
「明後日からは普通にFOCUSも開けるし」
中2階への階段が危なげなあのお店は、小さな喫茶店も兼ねていて、カアナと『ケイさん』が切り盛りしているらしい。
「それじゃ、オレはこれで」
「まだ付き合えよ」
「マウロ」
「ぷす」
「義行さんにエスプレッソマシン使わせるわけにはいかないんだから」
「毎回こわすボスが悪い」
「まあまあ」と、マウロをなだめつつ、タイチはお店の掃除+義行のコーヒーのストックを作る、という仕事に戻っていった。
「おはよう、ツユさん。朝――……ではないけど、騒々しくてごめんなさいね」
ツユは首を横に振る。
「ならよかった。よく眠れた?」
「ねすぎだろ」
マウロはしかめっ面のまま。
「ご、ごめんなさい……」
「ツユさん、気にしないで。マウロが拗ねてる理由は貴女じゃないから」
「……?」
「知りたい?」
ツユはマウロを見るが、ぷいっと顔をそらされてしまった。
「“どんなに良い子でもケイのとこ以外はいきません精神”が理解できないだけだから」
「カンリキョク嫌いなくせに、だぞ」
「タイチは義理堅いの」
「その言い方だと、ボクたちがカタクないみたいだ」
「感じ方の問題よ。アタシたちはヒトも一緒。元がイヌの子たちはご主人様ってね」
「じゃあ、ツユはやっぱりヒトなのか」
マウロもそう思っていた節があったようだ。
「ARヒト化計画とかありそうだろ!」
「マンガの読み過ぎ」
「第3のソシキがヒミツリに――」
「ツユさんが鵜呑みにしちゃうかもだから、やめなさい」
マウロの想像は尽きない。
ツユよりも豊かだ。
「ささ、そろそろツユさんをベッドから解放しなきゃ。日が暮れちゃうわ」
――ツユ、お腹はすいたか?
――……あんまり?
――そっちのほうが食べたいもの選びやすくていいじゃない。
――そうだな。ツユ、ごはんはいっしょに買いにいくぞ!
さっそく昨日掲げた目標『好き嫌い』を、食で確かめる。
歩いていける距離にあるコンパクトなスーパーに赴けば、マウロは一目散に店内をうろうろし始めた。
「相変わらず……」と、呆れるカアナは無理に止めようとはしない。かごに腕を通し、皮の手袋じゃないほうでツユの手を取った。
カアナも、とっても温かい。
「そのうち戻ってくるだろうから」
そっと壊れ物を扱うような繊細な所作。
なのに、どこか不思議に思えてくるのは、聞き手のはずの右――――皮の手袋をしたほうでは触れないことにあった。
「食べてみたいものは――……アタシの手かしら?」
かごを持っているのだから必然的にそうなる。と気づいても、ツユの中に生まれた違和感は消えてはくれない。
「……えっ、と」
「ツユさんがなにかに興味を持つことは良いことだと思うわ」
「カアナさんの……そっちの手でも?」
軽く握っていた拳に力が入った。
「――マウロが言ってたでしょ。プロトタイプって歪なのよ、いろいろと」
ヒトによっては気味が悪いもの。
だから、カアナは常に長袖で、二の腕まで覆うロンググローブを身につけているのだ。
所謂コンプレックスというやつだが、興味を持つことは良いことだと言ってしまった手前、カアナは茶化した。
「もっふもふなの。かわいく言うと、だけど」
「……もっふもふ」
その文言にツユはつい手が伸びる。「ほんと、だ……」と、皮の手袋からでも伝わる感触に、自分の感覚を疑った。
しばし、握っては撫でて、を繰り返す。
もしかしたらマウロよりも細い毛質で。でも、もふもふさは負けていないし、顔いっぱいに感じてみたい。
まさに、おっきな猫ちゃん。
今なら答えられる。
好き――――だと思った途端に悶々としてくる。
「……カアナさんのこと、気味が悪いって思うくらいなら……今のままで――」
ツユは独り言のようにぼやいた。
言った本人も聞き取れるか微妙な声量だった。が、ARの聴力は伊達ではなく。打算のない、純粋な感想にカアナは嬉しくないわけがなかった。
そうしている間に、マウロが戻ってくる。
「あら、早いじゃない」
抱えるようにして持ってきたカリカリやかつお節をかごに入れると、ぴたっとツユの隣に立った。
「好きなもの見つけてみろって言ったって、ツユはヤミアガリでハコイリだからな。ここはジョシュのアドバイスがないと困るだろ」
「た、たとえば?」
「このバナナとか どうだ! すりつぶすか細かく切って、ヨーグルトといっしょに食べるとおいしいぞ!」
「栄養満点じゃない」
「だろ!」と、ニカッと笑って、「けっこう おなか いっぱいになると思うから、かるいほうがいいってなったらリンゴだな。こっちは すりおろすだけだけど、くちあたりがよくてイイぞ!」
「これ、は?」
マウロの更なるアドバイスを求めて、ツユはグレープフルーツを指さした。
名前は分かる。
味が、どうもピンとこない。
「めずらしいな」
「めずらしい?」
「白砂病が蔓延してから、輸出入はほとんどないの」
支援という名目で、沖からコンテナが流れてくる。
空輸や船便など、上陸すれば白砂病のこの国に立ち寄る者はいないのだ。
「なかなか酸っぱいみたいよ、これ」
「サトウかければうまくなる、はず!」
「かけて、いいの?」
「こーいうのは おいしければいい、って せんせーが言ってた」
結局、1つに絞れずに3つともかごの中へ。
「お野菜のたっぷりおじやなんてどう?」
「ミルクリゾットはどうだ?」
あれよこれよと献立を考えている2人のあとに、ツユはついていく。
『莉頑律繧ょ◆豌励→……』
『逕倥&謗ァ縺医a鮟……』
生鮮売場から移動すれば、あたり一面難解なパッケージが並ぶ。
ちょっと、吐き気すら覚えた。
『縺イ縺ィ縺上■繧オ……』
最早何か分からない文言は、この際もう無視して構造から察する。
小さなおにぎりを作るプラスチックの型抜きは、なぜ食べ物と一緒に並んでいるのだろう。
そこが気になる。
「おにぎりか!」
「いいわね」
知らないだけで食べられるものかもしれない。という考えはすぐになくなる。
「このサイズならいろんな味作れそうじゃない♪」
「ヒト用のかつおぶし持ってくるなッ」
「梅干しもおねがーい!」
「まかせろ!」
「アタシたちはマヨネーズよっ。行きましょ、ツユさん」
「は、はいっ」
「ツナマヨとエビマヨ、明太マヨも捨てがたいわ。あぁでも明太子はそのまんまがいいのかしら」
「う、うーん?」
「あとからマヨネーズかけるのは、ちょっと違うわよね。和えて入れなきゃ、○○マヨにはならないしぃ――」
なんだか、とても楽しそう。
「カアナ、こんぶも持ってきた!」
「これはお出汁を取る用よ。佃煮のやつじゃなきゃ」
「ぬ。分かった!」
ぱたぱたと、小さな背中が駆けていく。
自分のことのようにわくわくしてくれる彼らに、ツユも1歩。踏みとどまろうとしていた殻を破って、前進する。
「――わたしも、いっしょにつくりたい」
これから知り得ていく思考や感情は、きっと良いものになる、と。




