少年の名前
「おいしい?」
少年がスープを口にした瞬間、レベッカは正面に座る彼に身を乗り出してそう聞いていた。口に含んだ瞬間に味が分かるわけもないのに、少年は少しだけ微笑んで頷く。それが嬉しくて、食事中何度も「おいしい?」とレベッカは聞いた。祖父に窘められるまで、ずっと。しかし少年は面倒臭そうにすることもなく、レベッカの問いに律義に答え続けた。
食事中は、基本的にレベッカが村や森のことについて話していた。食事の準備をする際、祖父から少年が話せないこと、記憶喪失であることを聞いていたので、少年の役に立つことを話そうとしてのことである。
「それでね、村には学校が一つだけあって、そこに皆通うの。この家からだと、歩いて四十分もかかるのよ。あ、えっと、学校っていうのは、子どもが集まって、読み書きとか計算とかを勉強する場所のことね」
少年が何を覚えているか分からないため、レベッカの説明は自然と細かくなる。小さな頭で一生懸命分かりやすいよう考えて話すその姿はひどく愛らしく、またそんなレベッカを見る少年の目は優しい。
「あっ!」とレベッカが声をあげる。
「そうよ、あなたも一緒に学校に行きましょう!ね?」
閃いた!とばかりに目を輝かせるレベッカだったが、その誘いには少年ではなく隣に座る祖父が答えた。
「それは駄目だ、レベッカ」
「どうして?だって、子どもは皆学校に行かなければならないんでしょう?」
学校に行きたくないと泣いた時、そう言ったのはおじいちゃんだと、レベッカは頬を膨らませる。
「レベッカ、記憶を失うということは、何かとても辛い目にあったということだ。だから、彼がまずしなければならないことは、心の休養だ。……学校は、心の休まる場所か?」
「それは……」
レベッカは反論することが出来なかった。レベッカにとって、学校は心の休まる場所ではなかったし、楽しい場所でもなかった。
(……そうよね、私と一緒じゃ、この子も辛い目にあっちゃうわ……)
彼が一緒なら学校もそれほど辛くなくなるかもしれない、と思ったレベッカだったが、ただでさえ辛い思いをしたであろう彼を、これ以上苦しめたくはなかった。
しょんぼりと俯いてしまったレベッカだったが、ふと、あることに気が付いた。
ガタン!と椅子を弾き飛ばし、突如立ち上がるレベッカ。それを少し驚いた顔で見つめる少年と、今度は何をするんだと呆れている祖父。
「名前!名前、決めなきゃ!!」
両の掌を握りしめ、顔を上気させたレベッカはそう叫んだ。その迫力に、少年も彼女の祖父も口を挿めない。
「どうしようかな。どうしようかな。素敵な名前がいいよね。綺麗で、格好良いのが、いいよね。えーと、えーと、うーんと…………はっ!!そうよ!どうしてすぐに出てこなかったのかしら?!世界で一番綺麗で格好良い人の名前をもらえばいいんだわ!!」
ぐるぐると食卓の周りをうろつきながら思案していたレベッカは、自分の席に戻ると彼の空色の瞳を覗きこんで、思いついた名前を紡ぐ。
「ヴィラ」
少年の瞳に力強い光が宿ったように、レベッカには見えた。真っ白だった頬も、血が通い出したようにほんのりと色付き、儚げだった彼の気配が濃くなったようにレベッカには思えた。唇に乗せてしまえば、それが初めから彼の名前であったかのように彼に浸透していき、またレベッカに浸透していく感覚があった。
「ヴィラがいいわ」
「ね?」と首を傾げたレベッカに、少年は今までで一番深い笑みを見せて頷いた。
仲良さげに微笑み合う子ども達を横目に、祖父は何とも言えない感情を噛みしめていた。
『ヴィラ』はレベッカが大好きな本の主人公の名前で、その本のタイトルが『女海賊ヴィラの大冒険』であることに祖父は気付いていた。が、それを口にするほど空気が読めない人ではない。
――ただ、女の名前であることが彼に知られないことを神に祈っていた。




