呼ぶ声
まだ動かすことの出来た戦車に乗って、レベッカはヴィラのいる街を見下ろせる小高い丘の上にいた。いや、そこは、最早街と呼べる状態ではなかった。
至る所から火の手が上がり、黒煙が街を覆い尽くしている。視界が悪く逃げ惑う人々の阿鼻叫喚に、レベッカは耳を塞ぐことなく耐えていた。もう、逃げないと決めたのだ。
「平気か?」
自分を生き返らせてくれた少年に聞かれて、レベッカは安心させるように頷いた。
(ヴィラ、ごめんね……もう、独りにはしないよ)
煙と炎が凄まじくて、ヴィラの姿を見ることはできなかった。でも、どこかにいる彼に、頬を熱に焼かれながらレベッカは心の中で語りかけた。
小石を踏みしめる音がして、レベッカは背後を振り返る。レイモンドがヒビの入った眼鏡を直しながらレベッカに頷いたことで、レベッカは準備が整ったことを知る。差し出されたレイモンドの手を握り、レベッカは移動に使った戦車の上に上った。戦車の両脇には大量のコンポが置かれ、コードを繋いで街中の拡声器にも音が流れるようになっている。
この特設ステージが、レベッカが将軍にした要求。
そしてここからが、レベッカが将軍に払う見返り。
レベッカは深呼吸をする。いつものような、土や木や花や獣の匂いではなかったけれど。それでも確かに、レベッカはヴィラと過ごした泉の匂いを嗅いだ。
(ヴィラ、ヴィラ……貴方の為に、歌うわ。だから、届いて――)
小さな田舎の歌姫の、一世一代のステージが始まる。
闇よりも深い暗黒に、ヴィラは居た。全ての憎しみを、全ての恨みを凝縮して作られた負の感情に、ヴィラは溶けこんでしまおうとしていた。ところが、突然世界から闇が取り払われ、ヴィラは白い空間に置き去りにされる。いや、正確には、白い部屋だ。
知っている、とヴィラは思った。
〝記録〟には残っていなかったけれど、ヴィラはこの白い部屋を知っていると思った。
床も壁も天井も手術台も、全てが硬質で潔癖なこの部屋に、ヴィラは嫌悪感を覚えた。
『そんなに毛嫌いしないでおくれ。一応、君の生まれた場所だ』
手術台の上に突然現れた男に、ヴィラは右腕をかざす。だが、男はそんなヴィラをみて笑った。
『無駄だよ。ここは、精神世界。意識だけの存在だから、そんな物はここでは使えないよ』
『出て行け』
『私だって、本当は一生出て来たくなかったんだけど――君は押してまったから』
何を、とは聞かなくても分かった。そう、押したのだ。人類を滅亡させる兵器――〝断罪者〟のスイッチを。
『……あれが〝審判の刻〟、か?』
『それは後から付けられた名前だから、私が答えるのは違うような気がするけど。まぁ〝断罪者〟のスイッチを入れる時って意味なら合っているよ。〝断罪者〟のスイッチは、君が人類に絶望したときに入るようになっていてね』
『……目覚めるのは?』
『〝ゆりかご〟から出て六時間経ったら目覚めるように設定しておいた』
『待て。人類を審判するに相応しい時に、目覚めるのではなかったのか?』
そう、ヴィラは聞いていたし、皆そういう風に思っていた。ヴィラの問いに、男は笑う。
『じゃあ聞くけど、「相応しい時」っていつだい?』
聞かれてみると、ヴィラにも分からなかった。そもそも、そんな時があるのだろうか。
『分からないだろう?私にも分からないよ、そんな時。だから、人が君を〝ゆりかご〟から出した時にしようと思ったんだ。人類が自らの存亡をかけて、禁忌の箱に触れる時に、ね』
つまり、人は自ら絶滅への扉を開いてしまったということだろう。
『……あんたは誰だ?』
聞けば、長い白髪を揺らし男は優しく微笑んだ。
『君の生みの親――の残留思念。君がスイッチを押すと、強制的に君をここに落とすようにしておいた』
『何の為に』
『聞きたいことが、あるかと思って』
ヴィラは目を細めて男を観察する。底の知れない藍色の目が、楽しそうに踊っていた。
『……なぜ、僕には感情がある?』
あるはずのない物。記憶と共に奪われた物。だが、確かにヴィラの中に存在する物。
こんなものさえなければ、レベッカを特別に想うこともなかった。この、身を裂くような痛みも、空っぽになるような喪失感も、味合わなくて済んだのに。
そんな恨みの籠った視線に、男は噴き出した。苛立ちを顔に出すヴィラに、男は謝罪する。
『いやいや、ごめんね。考えてみれば、当然だよね。記憶ないんだもの。ははは、それはね、君が私に「恋をしてみたかった」と言ったからだよ』
思わぬ言葉に、ヴィラは絶句する。
『君が望んだから、恋に落ちれるように感情を残した。――その様子だと、恋に落ちることは出来たのかな』
男の言葉が右から左へ抜けて行く。この胸の痛みも大きな穴も、全部自分の所為なのか、とヴィラは項垂れた。
(僕はただ、己を恨むことしか出来ないのか……)
本当に、どうして自分など存在したのだろう。自分が存在しなければ、今もレベッカはあの小さな家で穏やかな日常を過ごしていたはずなのに……レベッカの拒絶を思い出し、ヴィラの顔に乾いた笑みが浮かぶ。その様子を見て、男は肩を竦めた。
『全く、何て顔をしているんだい?人生の先輩としてアドバイスさせてもらうなら、女性の前でそんな情けない顔はしてはいけないよ。すぐに見限られちゃうからね』
『……彼女は、もういない。それに……彼女は、僕を許しはしないだろう。……騙して、いたから……』
呻くように言ったヴィラに、男は片眉を上げて見せた。
『本当に?なら、この歌は、誰の為に歌われているんだい?』
『歌?』
問い返すヴィラの言葉に、男は大きくため息をついた。
『全く、どれだけ周りが見えていないんだい、君は。ほら、ちゃんと、耳を澄ましてごらん?聞こえるだろう?君を呼ぶ声が』
ヴィラは、男に言われた通り耳を澄ます。蟻の呼吸音すら逃さない、そんな極限状態まで感度を上げる。
(……――ラ)
(…――ィラ)
(――ヴィラ)
「レベッカ!」
『聞こえたね……それじゃあ、もう大丈夫かな』
バラバラと、ヴィラの正面の壁が崩れ出す。その先は、先程までヴィラが溶け込もうとしていた暗黒の空間だった。
『彼女の声を頼りに行けば、帰れるよ』
『……助けて、くれたのか?』
『子どもを導くのは、大人の仕事だからね』
『……ありがとう』
暗黒に飛び込もうとするヴィラを引きとめて、男は最後のアドバイスをする。
『〝断罪者〟には常に防御装置が作動している。君の衝撃波でも壊すことが出来ないくらいの強固な装置だ。でも、射撃の瞬間だけは、その防御装置が解除される――この情報をどう使うかは、君に任せる。どうか忘れないでくれ。君は、独りじゃないって』
ヴィラはしっかりと頷いて、彼女の元へ帰るために暗黒の海へと身を投げた。
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