走れ、キキ!
キキは時計台前の会場から突然いなくなった〝審判者〟を探していた。何というか、会ったのだから仲間の元へ連れて行かねばならないような気がしたのだ。ここで彼と別れたら、ササの拳骨が確実に飛んでくる予感がする。
想像して、思わず身を震わせたキキは、絶対連れて行こうと心に決めた。跳躍して街路樹に捕まると、高い位置から小さな影を探した。目立つ行動は慎めと言われたことなど、彼の頭からはとっくの昔に抜けてしまっていた。周囲の視線は痛いほど感じるが、ササの拳骨に比べれば蚊に刺されるようなものだ。
(フード被った奴なんかそう居ないから、見つかりやすいと思うんだが……お!)
キキの目がフードを被った少年の姿を捉えた。
キキは街路樹から手を離し、着地と同時にしなやかな動作で駆け出した。
茶色の横に長い建物に沿って走り、〝審判者〟が消えた角で曲がる。人通りが無くなり喧騒が遠のいた路地で、キキは〝審判者〟の姿を間近に捉えた。
そして、想像を絶する光景を目にする。
〝審判者〟が左腕を上げたと思った瞬間、彼の正面に向かって放たれる衝撃波。
(え、何、敵襲?!)
慌てたキキの耳に、鈴の転がるような声が聞こえてきた。
「ヴィラ!」
思わずキキは足を止めて、建物の間に身を隠す。
(え、何、何がどうなってんの?ヴィラって誰だよ?)
〝審判者〟が再び腕を上げるが、今度は衝撃波は放たれなかった。ただ相手の行動を制しただけのようだ。そして、何と、〝審判者〟が、あの(・・)〝審判者〟が、相手に向かって手を振っているではないか!
この時のキキが受けた衝撃を理解できる者は、きっと同じ〝使徒〟の仲間だけだろう。そしてこの場に〝使徒〟はキキしかいなかった。衝撃を共有できる相手もいなくて、ただキキは呆けることしか出来ない。
(あの、〝審判者〟が、人間に向かって手を振る――?)
〝使徒〟にとって〝審判者〟は神に等しい存在だ。言い伝えられていた〝審判者〟像も、絶対的正義の使者で、感情を持たない冷徹な方、と――
ガラガラと音を立てて崩れて行くイメージに、キキは一人呻いた。この姿を知ってウチの連中は精神を保てるだろうか、という危惧がキキの中で湧きあがる。考えるだけで頭が痛くなってきた。それと同時に相手が誰だったのか気になり、キキは〝審判者〟を追わずに彼が衝撃波を放った路地に向かった。正面には、恐らく衝撃波の餌食になったのであろう少年が倒れていた。中々良い体格をしている。キキから見れば贅肉が付き過ぎていたけれど。その少年のことは放っておき、そっと建物の影から路地を覗いたキキは、驚きのあまり口が全開になる。
(う、うううう歌姫ッ!)
後姿だが、あの衣装は間違いない。
(え、何何何?彼女のファンなの?片思い中?……いや、何かさっきのやり取りは凄く親し気だったぞ……ひょっとして――)
思わず叫びだしそうになって、キキは開ききった自分の口を塞ぐ。
(あいつの女かよっ!)
信じられない事実に、キキの脳は容量オーバー寸前だ。そのままズルズルと地面に尻を付く。
(女なんか作ってていいのか、審判者!誰だよ絶対的正義の使者なんか言った奴!)
口を押さえている為鼻息が荒くなっているキキは、傍から見れば完全な変質者だった。おまけに、キキは湧きあがってくる感情を抑えることが出来ず、元の路地に戻って地面に手を付き、声をあげて笑った。可笑しくて仕方がなかった。
顔も分からない相手の為に死ぬのなんか真っ平だった。どうせ人間を裁くであろう〝審判者〟を守らなければならないことが苦しかった。憎くて憎くて仕方がなかった。でも――
「なんだよ、お前も人間なんじゃん」
嫌いじゃない、とキキは思った。惚れた女を見守って、ちゃんと危機から守っているあいつが、嫌いじゃない。
体を起こし、建物に寄りかかるようにして座ると、キキは空を見上げた。
「なぁカカ、お前、知ってたか?審判者に女が居たってこと」
務めをまっとうして、先に逝ってしまったであろう親友に、キキは語りかける。
答えは勿論なかったが、彼の悪戯っぽい笑顔が脳裏に浮かんだ。
「……だよな。俺も、これはチャンスだと思う」
もし、彼女が本当に〝審判者〟の女なら――彼はきっと彼女の為に断罪を行なわないとキキは思った。それは、絶望していたキキが見出した微かな希望だった。
(よし、とにかくササに報告しよう。いや、先に本人に確認したほうがいいな。恋愛は拗れると面倒だ)
そうと決まれば〝審判者〟を追おう、と腰を上げたキキの耳に、「フェアリーちゃん!」という頭がおかしいとしか思えない単語が飛び込んできた。
嫌な予感がして、キキは歌姫のいる路地に向かう。覗いてみれば、案の定彼女の傍に他の男の姿があった。
(おいおい……三角関係とか、止めてくれよ)
もしそうなら人類の為にあの男を殺すしかない、とキキは男を注視して――心臓が止まりそうになった。その男には見覚えがあった。いや、忘れられない、と言った方が正しいだろう。
(――無敗将軍!)
〝審判者〟強奪の指揮を執った男。奴の所為で里の半分が壊滅し、多くの死者が出た。
ツー、とキキの背中を冷たい汗が伝う。
(最悪だ。何で奴がこんなとこにっ――いや、あいつに限って偶然なんてあるはずが無い。彼女が審判者の女だってバレたんだ……どうする?)
食糧の調達が目的だった為、武器はナイフ一本だけだ。それに、奴が一人でノコノコ行動しているとも考えにくい。
(……ダメだ、勝てる見込みがない。ここで出ても無駄死にするだけだ……くそッ!)
指を咥えて見てる事しか出来ない悔しさに、キキは唇を噛む。やっと見つけた希望だ。このまま向こうの手に落ちるなんて、キキは嫌だった。
(何か、何かないのか?何かこう、使える手は!)
そうこうしている間に、彼女の祖父だという男性までやって来てしまった。
(マジかよ!?空気読めよジジイ!)
このまま何処と知れぬ場所に連れて行かれたら終わりだ、と焦るキキは、ふとあることを思い出した。仲間が、好き勝手に飛び回る自分を監視する為に発信器を付けている事を――
(どこだ、発信器!)
キキは慌てて体中を漁り出した。取り付けられた場所は、当然知らされていない。探している間にも敵は少女を追い詰める。早く早く、と焦るキキの顔に自分の髪が一房落ちてきて(だあああああああ!)と心で絶叫しながら髪留めに手をやって――キキの手が違和感を感じた。
考えるより先にその違和感を引き剥がし、連れ去られる少女の進路と歩幅を計算して路地に投げ捨てると、自分は近くにあった木箱の陰に隠れる。
(踏んでくれよ~~~~!)
と祈るキキの思いが通じたのか、少女はしっかり通信機の上を通り、靴底に発信器が付いたことを確認して、キキは森にいる仲間の元へ走った。
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