最後だから
ヴィラはレベッカの部屋にいた。彼女自身は朝早くから出掛けてしまったため居なかったが、それでも部屋の中は彼女の気配に溢れていて、ヴィラは大きく息を吸う。鼻孔をくすぐる花の香りに心まで満たされて、ヴィラは少しだけ満足した。
女性の部屋に無断で入るなど紳士としてあるまじき行為だが、最後だから、と自分に言い訳をしてヴィラはドアを開けた。といっても、別に部屋に入って何がしたかった訳ではない。ただ、少しでもレベッカを感じられる空間に居たかっただけだ。
レベッカの部屋は、年頃の女の子らしさを感じない質素な部屋だった。ベッドのシーツもカーテンも無地の白。勉強机も何の飾りもなく、机の上の本立てに教科書が並べられている事で、ようやくこの机の主が学生だと分かるぐらいである。ぬいぐるみの一つもない部屋は、可愛らしいレベッカと似ても似つかなかった。
(この部屋のように、レベッカの心も殺風景だったのかもしれないな)
これからは少しくらい変わるだろうか、とヴィラは昨日の帰宅後のやり取りを思い出す――
帰宅が遅くなってしまったのでセドは大変心配していたが、レベッカが素早く謝ったことで叱る機会を逃し、そのままセドが用意していた夕食を食べることとなった。セドは食事中、色々なことをレベッカに聞いていた。すごく努力していた事は認める。ただ、それが完全に思いついた順に聞いているようで、脈絡のない質問に困惑するレベッカの姿を思い出して、ヴィラは苦笑する。
(まだまだ時間が必要だろうな)
けれど、一歩は確実に踏みだせたのだ。後は少しずつ慣れていけばいいと、ヴィラは思う。
トントン、とノックの音がして、ヴィラはドアを開ける。そこには神妙な顔をしたセドが立っており、思わずヴィラはため息をついた。
(そんなに僕は信用ならないのか)
孫の部屋に入ったきり出てこない自分に不信感を抱いたのだろうが、自分がレベッカに対して害を成すなどと思われていることに、ヴィラは怒りを通り越し呆れてしまった。
「荷造りは、終わりましたか?」
セドの問いに、ヴィラは頷くことで返事をした。
そもそも、ヴィラに荷物などほとんどない。身一つでも構わないくらいなのだが、買った衣服は持って行っていい、ということなので有難く頂戴することにした。それでも貰った鞄の半分も埋まらなくて、少々不格好な鞄をヴィラは肩に掛けた。そして、一枚の手紙をレベッカの机の上に置く。世話になった礼と、約束を守れなかったことに対する謝罪の手紙だ。何も残さないつもりだったが、そんなことをしたらレベッカが何日も自分を探し回ると思い直して、書いた物だ。
最後にもう一度だけ部屋を見回して、ヴィラは玄関へと向かった。
[世話になった]
そう伝えれば、セドは大きく首を横に振った。
「いいえ。お礼を申し上げたいのは、私の方です。貴方様のお陰で、レベッカの孤独に気付くことが出
来ました」
[レベッカを、必ず守れ]
「はい。この命続く限り、必ず」
一分ほど凄むような目で見てもセドの瞳が怯まないことを確認して、ヴィラは外套のフードを目深に被る。首元の布も鼻を覆う所まで引き上げて、目立つ白髪と顔を隠すと、ヴィラは玄関のドアを開ける。外の眩しい太陽の光に一瞬目を眇めるが、躊躇うことなく光の世界へと足を踏み出した。数歩進んで、ドアの閉まる音を聞いてから家を振りかえる。お世辞にも綺麗と言い難い古い小さな家だった。だが、こんな小さな家の中で、ヴィラは沢山の思い出を得た。
その大半は、彼女に纏わることだったけど。
(「実はね、今日のお祭りで歌姫をやるんだ」)
朝、はにかみながら教えてくれたレベッカの姿が浮かんで、ヴィラの胸がぎゅっと締め付けられた。レベッカを思い出す度にこれでは先が思いやられる、とヴィラは己を嘲笑する。
(レベッカと離れればこの痛みも和らぐのだろうか)
ヴィラは視線を足元へ向ける。太陽は丁度真上に差し掛かろうとしている時で、足元の影は小さく、まるで黒い水たまりのようであった。そのまま何となく、ヴィラは視線をいつもとは逆の方――村の方へ向ける。
(歌姫、か……)
さぞ美しい声で歌うのだろう、とヴィラは森で何度も聞いた彼女の歌声を思い出す。
(……最後に、彼女の歌を聞くくらい許されるだろう)
最後だから、と本日何度目になるかも分からな言い訳をして、ヴィラは村の方角へ足を向けた。森で待っているだろう〝使徒〟の事は、この時のヴィラの頭からはすっかり抜け落ちてしまっていた。
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