去る準備を
ヴィラはまだ陽も昇らぬ内に起き出して、一人森へと足を踏み入れていた。草をかき分け目を凝らし、セドとの約束を果たすためある物を探していたのだが、一向に見つかる兆しが見られない。
(……そんなに都合良く見つかりはしないか……)
そもそもどんな姿をしているか分からない物を見つけようとする事は無謀だろうか、とヴィラはため息をつくが、すぐにまた足を前へ進める。
もし今日一日探して見つからなければ、ヴィラは〝使徒〟との接触を諦める気でいた。そして、見つからなくても明日にはここを去るつもりだった。
去りたい訳ではない。出来る事なら、このままずっとここで暮らしていきたかった。ここで、彼女が老い衰え朽ちるその時まで、ずっと傍に居たかった。その想いは変わらない。けれど、ヴィラは離れることを決めた。
きっかけは、やはりセドの覚悟だったとヴィラは思う。大切な者達を、自分の欲の為に死へと追いやったその業を、彼は命をかけて償っていくだろう。――レベッカを、守り抜くのだろう。それには貴方が邪魔なのだと、あの時のセドの目は言っていた。それを否定することは、ヴィラには出来なかった。なぜなら、それは事実だった。
軍に追われる身のヴィラが傍に居れば、必ずレベッカにも火の粉が降りかかる。それを振り払えない訳ではなかったが、そもそもヴィラが居なくなれば、粉が降りかかってくることもないのだ。レベッカのことを思うのなら離れるべきだと、本当はヴィラもずっと前から分かっていた。分かっていたのに出来なかった。心が、それを拒絶したのだ。……そして昨日、ヴィラは気が付いてしまった。そんなことを思う事自体、可笑しいのだということに――
この体になった時、名前や記憶と共に、感情も消去されたはずだ。自分に与えられた使命に、それは不必要な物であり、また障害になる物だ。あってはならない物が、ヴィラの中に存在している……もし、この体に変化が起きているのならば、それは間違いなくレベッカの影響だろう、とヴィラは思う。彼女を想う時、彼女が関わった時、ヴィラの感情は大きく揺れる。
(これ以上は駄目だ……これ以上は、もう、駄目なんだ……)
これ以上レベッカの傍に居れば、自分は彼女一人の為に冷静な判断が出来なくなってしまうとヴィラは確信していた。もしそうなってしまえば、ヴィラの存在理由がなくなる。それは、決して許されない事だとヴィラは分かっていた。一人の少女の為に蔑ろにしてしまえるほど、ヴィラの背負う業は軽くはない。
(だから、離れないと)
手遅れになる前に――
ヴィラは顔を上に向ける。すでに陽が高くなったようで、生い茂る木ノ葉の間から温かな光が降り注いでいた。その光の中にすら彼女を見出しそうになって、ヴィラは首を横に振る。今はレベッカのことを考えたくなかった。考えたら進めなくなると、分かっているから。
ピン、と髪を軽く引かれるような感覚がヴィラに訪れる。危険なものではなく、どこか懐かしさすら感じる気配。
目を閉じ気配を追えば、地上より高い位置からのようだった。ヴィラは目を開け腰を落とすと、足をバネのように使い垂直に跳躍する。一度の跳躍で高さ十五メートルはあろうかという木の頂上付近に辿り着いたヴィラは、獲物を探す捕食者のような鋭い視線で辺りを見回す。
しばらくそうして探していたが、ソレ(・・)を目視した瞬間、ヴィラは舗装された地面を走るかのような滑らかさで、木々の間を走りだした。風のように疾走するヴィラは景色を置き去りにして、目標に肉薄する。目標も狙われていることを察したのか、木々の間を縫うようにして逃げるが、ヴィラ相手では大した抵抗にならなかった。追走劇はものの数十秒で終了し、ヴィラは走ったことで付いた勢いを上手く殺しつつ、目標を捕まえた。
バタバタと、ヴィラの手の中で必死に抵抗するのは一羽の小鳥だった。「ピーピー」と悲壮感漂う鳴声は憐憫を感じさせるが、ヴィラは動じることなく小鳥の白い羽毛で覆われた腹部を上に向けると、そこを強く押した。
カチ、とあり得ない音がすると、小鳥の必死の抵抗もなくなる。そして、ヴィラの指が離れると同時に腹部が開いた。そこから覗くのは、赤い肉でも内臓でもなく、導線と精密な機械と星のように瞬く生源発結晶だった。
(……僕も腹を裂けば、こんな感じなのだろうな)
これは、〝観察者〟と呼ばれる機械だった。ヴィラの代わりに世界を観察し、その情報を〝ゆりかご〟へと転送する為に作られた、ヴィラの目。ヴィラの〝記録〟を更新する為に存在する物だ。姿はこれと決まっている訳ではなかったが、大きい動物や人と密接に生活する動物などは避けられたようで、鳥だったり鼠だったり虫だったりする事が多い。移りながら観察を行なっているので、場所を特定することは非常に難しい。ヴィラですら近付かなければ気配を察知出来ないほど、自然に紛れているのだ。これほどの短時間で見つかるなど、運が良いとしか言いようがなかった。
(……やはりここから――レベッカから離れる運命なのか)
ヴィラが〝観察者〟を探したのは〝使徒〟と連絡を取るためだ。ヴィラと〝使徒〟との連絡手段は〝ゆりかご〟を通す以外にない。しかし、ヴィラには〝ゆりかご〟と通信する機能がなかった。その技術がなかったわけではない。しかしヴィラと〝ゆりかご〟を無線で繋いでしまえば、〝ゆりかご〟が敵の手に落ちた時に、〝ゆりかご〟を通してヴィラにウイルスを流して意識を乗っ取られる危険性があった。ヴィラだけは、他と切り離しておかなければならなかったのだ。――最も、今の人にそれだけの技術はないだろうが。一方の〝観察者〟は捕えることが難しい存在であるし、〝ゆりかご〟にアクセス出来なければ役割を果たせない為、〝ゆりかご〟と無線で繋がっている。ヴィラはその無線を利用して、〝ゆりかご〟と接触するつもりだった。
ヴィラは小鳥の小さな腹の中に指を突っ込み、一本の黒い接続ケーブルを引っ張り出す。次に自分の項に手をやり、すっと撫でた。すると、その部分が音もなく開き、無機質な銀色の肌が現れる。そこには三つの穴があり、うち一本に引っ張り出した接続ケーブルを躊躇うことなく突き刺した。
ウィン、という機械音が脳内に響き、〝観察者〟と繋がる。〝観察者〟の機能の中から通信を選び、通信先を〝ゆりかご〟に設定、〝使徒〟へのメッセージを入力し、そのまま送信した。
「送信完了」の表示を確認し、ヴィラはため息をつきつつ接続ケーブルをプツンと引き抜いた。綺麗に纏めて腹の中に戻し、蓋を閉じる。起動音が鳴ってすぐ、小鳥は生きているかのように起き上った。
小鳥はヴィラを見つめ、挨拶とばかりに「ピ?」と愛らしく首を傾げてから、手の中を飛び立っていく。森の中へと消えるその姿を目で追いながら、ヴィラはとても大切な物を手放したような喪失感を味わっていた。
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