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唯一の証




 ヴィラは男が立ち去って、レベッカが歌を二回歌い終わってからようやく腰を上げた。間を空けたのは、そうしなければレベッカに酷いことを言ってしまいそうだったからだ。しかし、どれ程の効果があったかは定かではない。


 (何で、あんな男に……)


 声は聞こえなかった。しかしレベッカは笑ったと思えば落ち込み、激しく怒ったと思えば戸惑っていた。そして、今の晴れやかな表情……きっと、あの男に相談したのだ。ヴィラやセドに言えなかった事を、あの男には相談したのだ。そう思うと、ヴィラの腹は黒く染まる。


 (前からの知り合い?いや、最初の雰囲気はそういう感じではなかった。……僕ではダメなのに、あの男は良いんだ?)


 自分はレベッカの特別だと思っていたのに、それが思い込みだと突き付けられたようで、悔しさにヴィラは拳を握る。ヴィラの胸で炎のように燃え盛る感情。この感情の名が嫉妬であると、この時のヴィラは認識できていなかった。






 ガサ、と背後で音がして、(また旅人さん?)と思いつつレベッカは振り返る。しかしそこに居たのは、レベッカが一番綺麗だと思う少年だった。


 「ヴィラ!」


 ヴィラの姿を認めるだけで笑顔になるレベッカだったが、常なら笑顔を返してくれる彼がピクリとも表情を動かさない事に気がつき、出そうとした足を止める。


 「ヴィ、ヴィラ?」


 そこでようやく、レベッカは彼の厚意を無下にして家を飛び出してきたことを思い出した。


 「あ、あの、さっきはごめんね!折角、ヴィラが付いて来てくれようとしたのに、あんな風な態度を取っちゃって……その、ちょっと一人になって考えたかったから、あ、でも、今はもう平気だよ!」

謝罪をしたレベッカだったが、ヴィラの顔が晴れることはなく、むしろ空色の瞳が眇めらた。


 (お、怒ってる?)


 ヴィラがこんな風にレベッカを見たのはこれが初めてで、レベッカはうろたえる。どうしよう、とオロオロするレベッカに、ヴィラはノートを突き付ける。


 [一人じゃなかったよね。誰?]


 それで、レベッカはヴィラが結構前からここに居たことを悟った。


 (もしかして、聞かれた?)

 

 旅人と話した内容――中でも昨日の出来事を。


 羞恥で真っ赤になったレベッカを見て、ヴィラは顔を歪ませる。


 [あの男、誰?]


 「た、旅人だって、言ってた」


 [初めて会ったの?]


 素直に頷けば、ヴィラの目が吊り上がった。


 [怪しい連中がいるって、言ったよね]


 ピリピリとした空気に、レベッカは身を硬くする。そう、確かにヴィラは昨日の夜にそう言っていた。それに、レベッカはヴィラを連れ戻しに来た人達がいると知っていたのに、いつの間にか警戒を解いて旅人と接していた。ヴィラの目には不用心に映ったことだろう。


 (心配掛けちゃった)


 反省しつつ、レベッカは口を開く。


 「ご、ごめんね……で、でも、そんなに悪い人じゃなかったよ。明るくて、親身になって悩み事も聞いてくれたし」


 [悩み事って、何?]


 鋭い返しに、レベッカは怯む。返事に窮するレベッカに、ヴィラはさらに追い打ちをかける。


 [僕は友達だろ?友達にも言えない事?]


 「ヴィラは、友達だよ!でも、その……言い難いことも、ある、よ」


 言えるわけがない、とレベッカは思う。転んで嫌いな男の子にパンツをガン見されたなんて、ヴィラにだけは絶対に言えない。レベッカは知らずスカートを握りしめる。


 ヴィラは唇を噛みしめ、レベッカを恨めしそうに視線で(なじ)った。


 [僕には言えなくて、あの男には言えるの?あいつはレベッカの〝特別〟なの?]


 その言葉に、レベッカは目を見開く。そんな風に思われているなんてこれっぽっちも思っていなかった。


 「ち、違うよ!あ、えと、その、ヴィラに言えないのは、恥ずかしい事だからで、知られたくない、から……旅人さんとは、もう会う機会もないだろうし、そう思ったら言ってもいいかなって思ったの。……言って良かったわ。旅人さんが教えてくれたの。テッドが――あ、朝来た子の事ね。あの子が、私に嫌がらせしているんだけど、どうしてそんな事をしたのか教えてくれたの。……私ね、ヴィラ。私、もうあんなつまらない理由で傷つくのは嫌なの。だから、もう気にしないことにしたわ」


 レベッカは少しでも大きく見えるように胸を張る。少しでも自信に溢れて見えるように精一杯の笑顔を作る。


 「私、強くなるわ。嫌な事を言われても傷つかない位、転んでもすぐに立ち上がれる位、誰が来てもヴィラを守れる位、強くなる」


 「ねぇ、ヴィラ」と続く先を不安そうな目でヴィラが待っているから、レベッカは出会った時のような、優しい微笑みを浮かべる。




「私の〝特別〟は、貴方よ――貴方だけよ」




 最初は、きっと同情だった。そこから庇護欲が芽生え、それが親愛に変わり友情に変わり、家族愛に変わって――今は、正直レベッカにも良く分からない。この胸に溢れる温かで少しくすぐったい想いが何なのか、レベッカには良く分からない。けれど一つだけ確かなことは、レベッカにとってヴィラが掛け替えのない存在であるということだ。彼がレベッカを〝唯一〟と言ってくれたように、レベッカにとっても彼は〝唯一〟だった。


 (あぁ、でも言葉だけでちゃんと伝わっているのかな)


 レベッカは呆けたように見つめてくるヴィラを見て、不安を覚えた。どうすればちゃんと伝わるだろうか、と思案し、レベッカの頭に一つの考えが閃いた。


 「じゃあヴィラ、貴方が私の〝特別〟っていう証拠に、秘密の歌を聞かせてあげる」


 呆けていたヴィラはレベッカの言葉でこっちの世界に戻って来たようで、しきりに瞬いていた。そんなヴィラにレベッカは笑みを一つ送ると、泉に向き直り高らかに歌い出す。


 帝国内では聴くことのない、不思議な旋律。歌われる歌詞も、耳にしたことのない言語。けれどレベッカの透き通るような声に、その曲は良く合っていた。


 歌いながら隣を伺えば、ヴィラの目が驚きに見開かれていた。信じられない物を見るようなその顔をレベッカは疑問に思ったが、そのまま歌い続けた。この曲を歌うのは久し振りで、途中で止めるのが惜しかったのだ。


 最後まで歌いきったレベッカは、ヴィラに感想を聞こうと彼の方を向いて、視界一杯に広がる白い紙に「きゃっ」と小さな悲鳴を上げた。


 [その歌、どこで知ったの?]


 ヴィラにしては珍しく書きなぐったような筆跡に、レベッカは戸惑いつつも答えた。


 「私の死んじゃったお母さんが教えてくれた歌なの。何だったかな……確か、凄く古い民が残した歌、とか……歌詞の意味は忘れちゃったわ」


 硬い表情のヴィラが心配になり、レベッカは彼の空色の瞳を覗きこむ。


 「ヴィラ……その、下手だった?あんまり良くなかった?」


 ヴィラはゆっくりと頭を横に振る。


 [とても上手だった。いい曲だね]


 途端、レベッカの表情が明るくなる。


 「そうでしょう?お母さんからは色々な歌を教わったけど、この歌が一番好き。でも、人前では歌っちゃダメって言われてて、今日、初めて人に聞かせたわ」


 「またヴィラが〝初めて〟ね」と照れたように笑うレベッカに、ヴィラは曖昧な笑みを返す。そして少し思案した後、彼はレベッカに願った。


 [じゃあ、この曲は僕の為にだけ歌って]


 少年の願いに、レベッカは花の咲くような笑顔で頷いた。








読んでいただきありがとうございました。



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