諸葛喬編 第2話 「似た者ばかり」
同じだからどうとかいう訳はなかった。
思いついたから言ってみただけ。
その点は、さっきと変わらない。でも、父さんの反応は全く違っていた。すぐに部屋に戻ってしまったので確認する時間は与えられなかったが、はっきりと見た。照れたようにもとれる、苦笑を。
僕の目を見据えて苦笑ったあたり、あの言葉に込めた本意を感じてくれたのだろう。
『あなたは何処にも異常なところなんてない』、
『あなただって、決して独りぼっちではなかった』。
瞻には自分のようになってほしくないと言いながらも、共通点をみつけると笑う。やっぱり、息子と自分とが少なからず似ていることは、親としては嬉しいのだろうか。僕にはよく分からない気持ちだが。
僕はまた、ピアノを弾き始めた。
誰に聴かせるでもなく、ただ、自分の楽しみだけのために。
「ピアノソナタ第14番嬰ハ短調『月光』第三楽章」、ベートーヴェン作曲。
ショパンが、この曲と自身の「幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66」に非常によく似た小節があるのを気にして公表したがらなかった、と言われている。人間に例えるなら、前者が父さんで、後者が瞻か。
ほんとうに優れたものは、存在を隠したくてもいずれ出てきてしまう。瞻が世に知られてしまうか、それとも偉大すぎる父の影に埋もれてしまうか。瞻次第というところだろう。今のところ、どちらも望んでいないようだけれど。
曲もそろそろ終盤、という頃に、誰かが階段を上がってくる音がした。
母さんだ。
お盆に今晩の夕食をのせ、疲れ切った顔をしてこちらに来る。
その顔も、今から会う人の前ではなんでもないような体を繕うのだろう。
人は優しくなきゃいけない。
でもやっぱり、優しすぎもいけない。
僕は弾くのをやめ、ドアをノックしようとしていた母さんに向き直る。
「鍵あいてるし、起きてますよ。父さん」
少し間をおいて、母さんが振り返る。
驚いた表情もどこか苦しげだ。
「そろそろ、って言うかもうとっくに、父さんには気づかれてると思いますよ?」
「……」
「すいません。口が過ぎました」
「…なにも謝ること」
「さっき、同じようなことを父さんにも言われました」
いちど無造作に置かれた楽譜をなおすフリをし、また母さんのほうを向く。
「母さん。今夜、一緒に飲みませんか?」
「・・・え?」
唐突な誘いに戸惑う表情。予想していた反応だった。
「今夜、瞻が寝た後にでも一緒に飲みませんか。話したいことがあるんです。父さんと、瞻のことで。」
「家族会議なら、みんながそろったときの方がいいんじゃないの?」
「会議なんかじゃありませんよ。母さんとだけ話す意味があるんです。いま、父さんと瞻を会わせちゃいけない」
「面倒なことになるから?」
「そんな感じです。瞻は特に。
父さんと顔合わせたら何言い出すかわからないし、父さんもどう言い返すか…っていうか、いつ逃げようとするかわからないでしょう?どちらかが落ち着くまで、僕たちでどうにかやり過ごしましょう。一番いいのは、先に瞻が父さんのことを理解してから二人を会わせることなんですけど、それはたぶん望めないですね。まあ、ここで僕が一方的に話しても何にもなりませんから。今夜、大丈夫ですか?」
そう問うと、母さんは軽く頷いた。
「ありがとうございます。それじゃあ、決まりですね。ああ、そうそう。明日なんですが、瞻と劉備さんのお見舞いに行くので帰りが遅くなるかもしれません。」
承諾の意を込めた母さんの笑顔は、いつもと同じ、人を優しく包み込むようなものだった。
そのお返しに僕も軽く礼をして、微笑んだ。
翌日。母さんの車を借りて、瞻と僕は劉備さんが入院している病院に行った。先週1週間、劉備さんの容態に大事がないとわかってからの瞻は、やけにはしゃいでいた。父さんへの怒りや母さんに対する気持ちを忘れたわけじゃないだろう。ただ純粋に喜ばしい出来事を喜ぶことで、嫌なことを思い出したくないという心の防衛本能をはたらかせたのかもしれない。瞻は、自分でも気づいていないところでショックなどから己を守っている。行き過ぎてしまえばただの現実逃避になってしまうものだが、瞻はその加減を、生まれながらにしてつかんでいた。自然な自己防衛に走れるのは、ある意味で天才的な才能だ。その証拠に、これが一番迷惑をかけない楽な方法であることに、僕らは誰も辿り着けなかったのだ。と、色々と考えているうちに、劉備さんの病室に着いたようだ。
「劉備さん、こんにちは。瞻です。お兄ちゃんといっしょに、お見舞いに来ました!」
普段と変わらない、いや、むしろ明るい瞻の声。
ついさっきまで父さんへの不満をぶちまけていたというのに、劉備さんの顔を見るなり、この差だ。それだけ劉備さんが慕われているということなのだが、裏を返せば…
深くは言うまい。つまりは、そういうことだ。
僕らのいる方を向いた劉備さんの顔は、苦笑いに染まっていた。瞻の辛辣な文句を受け止める覚悟はとうにできているらしい。
「心配してきたのに、笑わないでくださいよ」
瞻がほおを膨らませて言う。この行為が許されるのはあと何年なのか。
「すまん。とうとう来たな、と思ってな。鬱憤を晴らす気満々だろう?」
「当然です。劉備さん知らないでしょう?!劉備さんが倒れてしまった後に、あの人が何をしでかしたのか!!」
「…知ってるよ。あれだけニュースで大袈裟に取り上げられていたのだからな。いやでも目に入る。あれは酷い。取材というよりも、尋問だったな。」
僕らから見て左、劉備さんの正面にあるテレビは、今はただの灰色の箱になっている。その箱を睨みつける劉備さんは、まさしく父親の顔だった。
「テレビ、見てたんですか」
「そうでもしてないとやることがないんでな。寝るだけではつまらん」
「寝てください!元気でも一応病気してるんですからね?!」
瞻が泣きそうな声で言う。僕はこの言葉に同調した。
「そうですよ、劉備さん。入院中なんだから体はまだ本調子じゃないんです。しっかり療養してください。」
「……確かに、完全に治して会いに行ってやったら孔明は喜ぶだろうがなぁ…。」
珍しくしおらしくなった劉備さんには、見覚えがあった。僕が瞻と同じくらいの年の頃、劉備さんから父さんの話を聞いた時だった。両親が病死して、一家離散。父さんだけはなかなか貰い手が現れず、叔父の友人だった劉備さんが最後の砦として選ばれた、という話。
ほかにもたくさんの話を聞いたが、その時の劉備さんの表情がやけに心に残った。父親の瑾とその弟である父さんの違いに衝撃を受けていたことは言うまでもない。今日は瞻に例の話をするようだ。
さて、その子供にはキツすぎる衝撃、瞻には耐えられるのか?
「ウソなんかついてません!興味ないったら興味ないんですッ!!」
瞻の叫びが病室に響いた。他に患者さんがいないからいいものの。
「そうか?」
そして、劉備さんのとぼけた返答。
「そうですッ!今日はそんなこと聞きに来たんじゃない!!」
瞻が立ち上がって、出ていく素振りを見せた。
止める気は全くない。劉備さんも同じ風に思っているだろう。
知りたくなければ、知らなくていいのだから。…本当は。
それが許されないのは瞻が諸葛孔明の唯一の実子であるとともに、瞻自身に父さんを知りたい気持ちがあるから。素直に言わないのはきっと、普段の父さんに対する行動に罪悪感を持っているからなんだろう。
「瞻がいやだってんなら…僕が聞きますよ。『父さんの話』。」
瞻は少し黙り立ち止まった後、おとなしく戻ってきた。




