043 オフィスワーク・捌
――克死武走。
血流も、細胞も、傷ついた臓器も。肉体のあらゆる部分を、過剰に取り込んだ『天』によって強制的に活性化させている。
それゆえに、細胞の再生速度も尋常ではなかった。
楼門が絶句して見つめる中、加賀瀬の身体は見る見るうちに回復を見せていき、致命傷であったはずの額の風穴も、肉が蠢き、瞬く間に塞がり、消え失せた。
やがて――白目を剥いていた加賀瀬の瞳に、スッと生気が戻る。
焦点が合い、三白眼が再び楼門を捉えた。
自身に何が起きたのか、今の加賀瀬には皆目見当もついていないだろう。自分自身がたった今、一度――否、三度目の死を経験したことさえ、知らない。
ただ、目の前に倒すべき敵がいる。その事実だけが、彼を突き動かしている。
加賀瀬は、唇にこびりついていた血を手の甲で乱暴に拭うと、両足を広げ、深く腰を落として拳を構えた。
「来いッッ!!」
気迫の咆哮。それに呼応するように、楼門も冷ややかな目で左手の白い自動拳銃を構え直した。
もはや言葉による交渉など無意味。純然たる殺し合いだ。
楼門はすかさず銃口を加賀瀬に向け、引き金を引いた。
パンッ! という乾いた発砲音。
迫りくる音速の弾丸に対し、加賀瀬は避けることなく、全身を分厚い『天』で覆い、真正面から受け止める姿勢をみせた。
だが、楼門の攻撃はそれだけでは終わらない。彼は立て続けに二発、三発と弾丸を連射したのち、空いている右手の指をくいっと動かした。
一発目の弾丸が加賀瀬の胸に着弾する寸前。
――ヒュンッ!
加賀瀬の背後の空間から、切り取られた数多のコンクリートの瓦礫たちが、凄まじい速度で出現し、彼の背中へと殺到した。
「……ッ!」
背骨に直撃した強烈な質量。だが、加賀瀬はそれを不意打ちとも捉えなかった。
克死武走による異常な反応速度。背後からの衝撃を利用してわずかに身体の軸をズラすことで、致命傷となるはずだった三発の弾丸を、すべて左肩付近への被弾に留めたのだ。
肉を穿つ痛みが走る。だが、構わず加賀瀬が前へ踏み出そうとした、直後。
彼の身体は、またしても楼門の目の前へとワープさせられた。
先ほどのデジャヴ。
転移した瞬間、楼門はすでに銃を構え、加賀瀬の顔面に銃口を突き立てていた。
死のゼロ距離射撃。楼門は間髪入れずに引き金を引いた。
パンッ!
だが、放たれた弾丸は――ひび割れた純白の床に虚しく直撃し、火花を散らした。
「――!?」
楼門の目の前に、加賀瀬の姿は無かった。
空間操作で転移させた直後の硬直を、自らの脚力で上回り、残像を残して消えたのだ。
気づけば、加賀瀬は超高速で楼門の背後に移動していた。
(速いッ!?)
楼門が驚愕に目を剥き、次の動作に移ろうと指を動かす前に。
ドゴォッ!!
加賀瀬の重い回し蹴りが、楼門の背中に完璧に直撃した。
「が、はァッ……!」
楼門は勢いよく前方へ吹き飛び、床を無様に転がった。
背骨が折れんばかりの激痛。その衝撃で、手から拳銃が滑り落ちる。
楼門は血を吐きながらもすかさず起き上がろうとするが、顔を上げた時には、もうすでに目の前に加賀瀬が迫っていた。
加賀瀬の拳が、楼門の顔面に差し迫る。
――シュッ!
楼門はすんでのところで右手を横に払い、『カット&ペースト』を成した。
加賀瀬の身体が、前方十五メートルほど先の位置へワープさせられる。
「ハァッ……ハァッ……!」
間一髪。だが、楼門の呼吸はかつてないほど乱れ、体力がじわじわと、確実に削られていくのを感じていた。有機物の連続転移は、肉体への負荷が大きすぎる。
加賀瀬は転移直後、姿勢を崩すことなく、すぐさま床を蹴って駆け出した。
距離を離されても、何度でも喰らいつく。
楼門は震える両手を前に出し、大きく手を手前へと引き寄せる動作をとった。
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
アトリウムの崩壊で生じた巨大な壁の残骸たちが、次々と加賀瀬の進行方向へ、床から生えるようにしてペーストされ、分厚いバリケードを形成していく。
だが、今の加賀瀬に障害物など意味を成さない。
「オラァァァッ!!」
加賀瀬はスピードを緩めることなく、立ち塞がるコンクリートの壁を次々と強烈な殴打で粉砕していく。
土煙を上げながら、最後の壁をもぶち抜いた。
しかし、その先に楼門の姿はなかった。
(どこだ!?)
加賀瀬が右足を軸に後方へ振り返ろうとした時――左方から、ゾッとするような殺気を感じた。
「終わりです」
声と共に、楼門の姿があった。
彼は、『カット&ペースト』で自身の手元に引き寄せていた先ほどの白い拳銃を、『コピー&ペースト』で二丁に複製し、両手に構えていたのだ。
二つの銃口が、加賀瀬を正確に捉えている。
パンッ! パンッ! パンッ!
楼門は、一切の感情を排した目で、両手の引き金を何度も引いた。
回避不能の至近距離。放たれた無数の弾丸が、加賀瀬の胸、腹、肩へと次々に命中する。
「ガ、あァッ……!」
血飛沫が舞い、加賀瀬はその場で崩れ落ちるように転げた。
だが、彼は倒れ伏すことなく、血塗れになりながらも、ゆっくりと、執念の炎を燃やして起き上がろうとした。
楼門はすかさず右手の銃を投げ捨て、空いた右手を手前へとフリックした。
――ヒュン。
起き上がりかけた加賀瀬の身体が、再び楼門の眼前へと引き寄せられる。
すぐさま、楼門は左手の銃の銃口を、加賀瀬の額へとピタリと押し当てた。
今度こそ、脳髄を完全に破壊する。
楼門が引き金を引く、その直前。
「――ッ!」
加賀瀬の左手が、蛇のような速度で動き、額に当てられた銃身を瞬時に握りしめた。
メシャァァッ!!
そして、莫大な『天』による握力で、硬質な金属の銃身を、まるで紙屑のようにぐちゃりと握り潰したのだ。
「なっ……!?」
楼門は一瞬呆気にとられた。発砲不能となった銃。
だが、管理者の冷静さは失われていない。彼はすぐさま加賀瀬を遠距離へ飛ばそうと、右手の指を跳ねるように上へ動かした。
――しかし。
加賀瀬は、その場から一歩も動かなかった。転移しない。
「……!?」
楼門が驚愕に目を見開く。
同時に、加賀瀬の身体の奥底から、わずかに『青白い光』がスパークしたのを、楼門の網膜が確かに捉えた。
(……効いてない!?)
楼門の脳内に、かつてない疑念と恐怖が押し寄せる。
あの時――確かに『事務作業』で加賀瀬をカット&ペーストしようと指を動かした。システムは正常に作動したはずだ。なのに、なぜ目の前の男はここにいる?
「オラァッ!!」
加賀瀬は、楼門が硬直したその絶対的な隙を見逃さなかった。
右手で強固な拳を作り、がら空きとなった楼門の腹部へ、渾身の重い一撃をぶち込んだ。
「ゴハァッ!!」
楼門の身体が『く』の字に折れ曲がり、後方へ凄まじい勢いで吹き飛ぶ。
そのまま、崩れたガラス製の柵の手前まで床を転がり、血を吐きながら停止した。
「ハァッ……ハァッ……」
楼門は、激痛に苛まれる腹部を押さえながら、プライドを賭けてゆっくりと立ち上がった。
そして、前を見た瞬間。
「――!?」
楼門は、心の底から慄然とした。
十メートル先に佇む加賀瀬善嗣。
その全身から、パチ、パチチッ……と、空気を焦がすような『青白い稲妻』が、ちりちりと音を立てて駆け巡っていたからだ。
「……なんだ、その力は……?」
楼門の震える問いに、加賀瀬は応えなかった。
ただ、その三白眼に確かな殺意を宿し、青白い光を纏った右手拳を力強く握りしめ、姿勢を低くして、一歩を踏み出した。
ドンッ!!
足元の純白の床が、稲妻の余波で爆発的に粉砕される。
刹那的に――加賀瀬は、落雷のような超高速で、楼門の目の前へと詰め寄った。
反応すら許されない。楼門の視界が、青白い光で完全に埋め尽くされる。
加賀瀬の右拳に、青く、白く輝く、莫大な稲妻が迸る。
「――一発ッッッッッ!!」
加賀瀬の拳が、楼門の腹部に完璧に直撃した。
ズドォォォォォォォォォンッ!!!!!
直後、加賀瀬の拳から放たれた莫大な青白い電気が、楼門の腹部を貫通し、背後へと抜け、そのまま一直線にアトリウムの空間を駆け抜けていった。
空気を焼き切り、視界を真っ白に染め上げる、圧倒的な破壊の閃光。
「――んぐァッ!?」
楼門は白目を剥き、大量の血反吐を撒き散らしながら、閃光と共に直線状に吹き飛んでいった。
彼を支える柵はとうにない。楼門の身体は、そのまま巨大な吹き抜け空間へと放り出され、真っ逆さまに下層へと落下していった。
絶対的管理者であった彼の姿は、崩壊しゆく要塞の闇の中へ、あっけなく消えていった。
静寂が、戻った。
バチッ、バチチッ……。
加賀瀬の右拳から、青白い稲妻がゆっくりと、名残惜しそうに消えていく。
加賀瀬は、その拳を下ろし、深く、静かに深呼吸を行った。
張り詰めていた緊張の糸が切れた。
克死武走による強引な生命維持と、限界を超えたエネルギーの放出。その代償が、一気に彼の肉体へと襲い掛かる。
グラリ、と視界が揺れた。
加賀瀬善嗣は、崩れゆく純白の回廊の上で、誰に看取られることもなく、気絶するようにバタリと床に倒れ伏した。
その凄絶な結末を、遥か上方の第五階層の吹き抜けから見下ろしている影があった。
麗香と、彼女の隣に立つ熊の魔族――トウフだ。
いや、その中身は、先ほどからトウフの肉体を「子機」として操っている『破壊のエンティティ』ファントムである。
厳つい獣の顔面には全く似つかわしくない、純粋で、悪魔のように無邪気な満面の笑みが、その口元にこれでもかと広がっていた。
「あははっ! 麗香、今の見た!?」
ファントムは、お気に入りのおもちゃが最高の動きを見せた時のように、興奮を抑えきれない様子で身を乗り出した。
麗香は、咥えていた煙管をゆっくりと口から離し、静かに、だが確かな戦慄を瞳に宿してこくりと頷いた。
魔斬の究極の具現化などではない。単なる『天』の奔流でもない。楼門という絶対的な管理者のシステムを完全に無視し、ただそこに在るだけでエラーを起こさせ、すべてを消し飛ばしたあの青白い閃光。
これまで数多の戦場を潜り抜けてきた麗香でさえ、理解の及ばない「何か」だった。
「……今のは、なんだい?」
畏怖を込めた麗香の問いに。
ファントムは、眼下で血に染まり倒れ伏す少年をうっとりと見つめながら、恍惚とした声で答えた。
「あれこそ、全てを破壊する力――『天嵐雷破』だよ」




