041 オフィスワーク・陸
「貴方をNULLと判断したアンティキティラに、少々疑念を抱かざるを得ませんね」
楼門は、驚きを通り越して感嘆の息を漏らし、右手の指を胸の前に添えた。
加賀瀬は呼吸をするたびに血を吐きながらも、フラフラと両手を握り、迎撃の構えをとる。
「不死身の類ですか?」
楼門が、指を横にぐいっとスライドした。
ドンッ!!
「ガッ……!?」
加賀瀬の身体が、見えない巨大なトラックに撥ねられたかのように横一直線に吹き飛んだ。
そのままアトリウムを仕切るガラス製の柵を粉々に突き破り、宙を舞って、下の階層――第四階層部分のフロアへと無様に転がり落ちていく。
ドガァンッ! と下の階の壁に激突し、加賀瀬は再び床に崩れ落ちた。
楼門の立っている第五階層から、加賀瀬が落ちた第四階層の壁際まで、距離は三十メートルを優に超えている。
加賀瀬は全身の骨が軋む痛みに耐えながら、なんとか上体を起こした。自分が今、楼門の能力『事務作業』の範囲外にいることなど知る由もない。
次の一手が来る。空間ごと切り取られるか、また何かをぶつけられるか。加賀瀬の思考回路はただひたすらにあの『予備動作』への対抗策に費やされている。
加賀瀬が血反吐を吐きながらも注意を怠らずにいると、楼門は上の階から悠長な足取りで、第五階層と第四階層を結ぶ巨大なエスカレーターの方へと歩み寄っていた。
「貴方を殺す前に、一つお聞きしたいんですが」
楼門が、吹き抜け越しによく通る声で尋ねてきた。
しかし、加賀瀬は口を開くのもままならなかった。ただただ、次の理不尽な攻撃に対応すべく、薄れゆく意識の中で全神経を集中させていた。
「そこまでズタボロになってまで、あの老医と子供を助ける理由は何ですか?」
楼門が、エスカレーターの手すりに手を添えた。それが謎のハッキングの影響なのか、あるいは先ほどの崩壊の揺れによる被害なのかはわからないが、エスカレーターは完全に停止していた。
「貴方に何のメリットがあるんです? アルカディアに正義の行いを見せつけて、ヒロイズムに酔いしれているわけじゃないでしょう?」
楼門は、停止したエスカレーターの階段を、コツ、コツ、と一歩ずつ優雅に降りることに決めたようだ。
「我々アルカディアの中には、多種多様な超能力者が数多く在籍しています。貴方一人を捻り殺すことなど、組織の力をもってすれば容易いこと」
一段降りるごとに、楼門の冷ややかな声が加賀瀬の鼓膜を打つ。
加賀瀬との距離が、間もなく三十メートル圏内に入ろうとしていた。
「現に私も、その気になれば貴方をいつでも殺せました」
エスカレーターを完全に降りきった楼門が、同じ第四階層のフロアに降り立った。
三十メートル先に立つ加賀瀬を真っ直ぐに見据えつつ、スッと右手を掲げる。
「あえてそれをしなかった理由は、単純です」
楼門は、左手をゆっくりと腰の後ろへと回した。
「私は、貴方の『意志』を知りたい」
楼門の問いに、加賀瀬は血濡れの口を固く閉ざし、ただ野獣のような眼光で彼を睨むばかりだった。
「自身の命を顧みない、その強固な意志の根源を」
楼門が、掲げた右手の中指と人差し指を、銃の撃鉄のようにスッと立てた。
能力発動の構え。
フロアに、張り詰めた静寂が走る。
その死の沈黙を破ったのは、加賀瀬だった。
「……くだらねぇな」
加賀瀬は、額から目尻へと滴り落ちてくる赤い血を、手の甲で乱暴に拭った。
そして、血に染まった顔で、不敵に笑って言った。
「恩返しだよ、タコ。そんなこともわかんねーのか」
孤立無援の異世界で、ただのゴミとして捨てられた自分を拾ってくれた。泥臭いスープを飲ませてくれた。温かい寝床をくれた。
理由など、それだけで十分だった。
加賀瀬がそう吐き捨てると。
楼門は目を見開き、やがて――これまで見せたことのない、純粋な笑顔を見せた。
「貴方のその本質こそ、我々アルカディアに相応しいものなんでしょうね」
笑い収めた楼門の瞳が、絶対零度の殺意に染まる。
そして、立てていた右手の二本の指を、手前に向かってくいっと動かした。
――ヒュン。
三十メートルの空間が省略され、加賀瀬の身体が強制的に楼門の目の前へと転移させられる。
(ここだッ!!)
加賀瀬は、事前に全身へ巡らせていた残りの『天』を、すかさず両足に集中させていた。
転移した瞬間の硬直を逆手に取り、死角に潜り込んで足からの一撃を放つ。楼門の能力発動の隙を突く、完璧なタイミング。
だが。
――バンッッ!!
乾いた、残酷な銃声が、純白の回廊に鳴り響いた。
「――ッ」
加賀瀬の身体が、ビクンと大きく跳ねた。
両足に込めていた『天』が、霧散していく。
視界が、ゆっくりと暗転していく。
加賀瀬の額のド真ん中を、一発の熱い弾丸が、寸分の狂いもなく貫いていた。
ドサッ……。
加賀瀬善嗣は、今度こそ抗う力すら残されておらず、糸の切れた操り人形のように、自らの血だまりの中へと崩れ落ちた。
彼の眼前に立つ楼門。
その左手には、いつの間にか腰から引き抜かれた、硝煙を上げる純白の自動拳銃が握られていた。
能力による殺害ではない。純然たる、そして確実な物理的殺戮。
「…………」
楼門は、無機質な銃口を下へ向け、ひどく冷たい無表情な顔で、血の海に漂いピクリとも動かなくなった加賀瀬を見下ろしていた。




