038 オフィスワーク・参
アルカディア本部、大ホールのさらに地下深く。
組織の最重要機密として厳重に隠匿された、巨大な金庫のような純白の密室があった。
その部屋の中央には、天明東高校の生徒たちが最初に召喚された際、彼らの能力を強制的に測定・覚醒させた巨大な機械のオブジェ――『アンティキティラ』が、無機質な銀色の光を放ちながら静かに鎮座している。
その巨大な装置を見上げながら、愛嬌のある丸顔の女職員――華矢が、まるで美術館の展示品でも鑑賞するかのように、ふんふんと鼻歌を歌っていた。
「オーパーツ。……その最古たるものは、このアンティキティラだね」
華矢は誰にともなく、軽薄な口調で語り始めた。
「貴方たちアルカディアの大先輩たちの中にさ、生命体を自在に改造できる、ちょっとマッドサイエンティストな能力を持った人がいたんだよね」
大ホールの地下に位置するこの部屋は、管理部が厳重に保管しているアンティキティラの為『だけ』に作られた特注の空間だ。
並行世界から転移者を喚び出す『エボケーションプロトコル』が実行される度に、アンティキティラはこの部屋から幾重にも重ねられたセキュリティを介して大ホールへとせり上がり、満を持して登場し、転移人たちを強制的に覚醒させる役割を担っている。
「貴方たちの当時のボスは、そのマッドサイエンティストが、まさか『混沌の使者』だとは思いもしなかった。……というより、今も知らないのかな? 本人に直接聞いてみないとわかんないけどさ」
普段、この巨大な装置は一室に厳重に隔離され保管されている。
管理職はおろか、各課の主任レベルでさえ入室することは絶対に許されない。この部屋に足を踏み入れることが可能なのは、アルカディア本部の各部長と、トップである『組織長』のみだ。
「奴は、並行世界からやって来た稀有な能力を持った人材を、ただの『道具』として利用することしか頭になかったんだ。その当時、『兇悪』が『世界』に喧嘩を吹っ掛けた時、まだアルカディアが万全な体制じゃなかった故に、奴の非道な企みは難なく通ってしまったわけ」
華矢は歩きながら、アンティキティラの冷たい金属の表面を指先でツーッと撫でた。
完全に密閉されたこの純白の空間に入るには、正規のルートでは部長二名のIDを同時にスキャンすると共に、組織長の了承が得られた稟議書の役割を持つ『ドキュメント』なる専用のタブレット端末を用いる必要がある。
「『瞬間移動』、『無帰調疫』、『完全断剣』、『不可侵領域』、『太陽拳銃』、『血天変転』……当時、アルカディアにとって利用価値が高いと判断された優秀な能力者たちは、こぞって『オーパーツ』と呼ばれる便利な魔道具に変えられちゃった」
華矢はくるりと振り返り、芝居がかった手つきでアンティキティラを指し示した。
「中でも、『神智記録』っていうとんでもない能力を持った少女は、彼らにとって極めて価値の高い存在だったわけ」
この部屋に物理的に入室するには、本部十階フロアにある組織長室の手前にある専用エレベーターから直通で降りてくるほかない。
エレベーターを抜けるとすぐにアンティキティラが保管された一室に繋がっているが、そこで入室手順をコンマ一秒でも間違えたり、滞らせたりすれば、即座にエレベーターが完全閉鎖され、セキュリティプロトコルが発動する仕組みとなっている。それは侵入者を捕らえるためのものではなく、不可避の『死』をもたらす迎撃プログラムだ。
「奴が、その『神智記録』の少女を改造して作り上げたこのアンティキティラは、アルカディア史上最高傑作だった。『虚無』の影響をさほど受けていない並行世界の連中の保有する魔那を強引に引き出し、強制的に能力者へと仕立て上げる。今のアルカディアの繁栄の礎となったと言っても過言ではないわけだ」
アンティキティラが非常に希少価値の高い物体である故に、その部屋の内部そのものに、むやみやたらに防衛兵器を施すわけにもいかない。流れ弾で装置が破損すれば元も子もないからだ。故に、部屋の中に入ってしまえばどうということはない。
あくまでも入室するまでの『過程』が非常に危険で恐ろしく、部長クラス以外がそれを実践することはもはや自殺行為である。
というより、アンティキティラの普段の所在地を知っている者もまた、部長と組織長以外には存在しないはずなのだ。
「でもさー」
華矢は首をコトンと傾げた。
「冷静に考えてみてよ。これって、もともと『人』だよ? グロくない? 最低じゃない?」
華矢は、純白の密室に鎮座するアンティキティラの前で、心底気味が悪いとでも言うようにあっけらかんと言ってのけた。
その華矢の足元。純白の床の上には。
「ガ、はッ……ぅ……」
アルカディアの誇る監察室室長・冥楽が、全身を血に染めて横たわっていた。
黒いコートは見る影もなくズタズタに引き裂かれ、四肢はあらぬ方向へ曲がっている。外からのハッキング騒動に対処すべく動いていた彼が、なぜこの最深部で、誰の目にも触れずにこれほどの惨状を晒しているのか。
冥楽は、まさに虫の息だった。
「いつかさー、道具にされちゃったこの子たちを助けたいなーって思ってたのよ!」
華矢は、足元の冥楽の命が今にも消えかかっていることなど全く意に介さず、ケラケラと笑いながら話し続ける。
「余計なお世話過ぎ? でも、なんかかっこいいじゃん? とりあえず暇なときにでもやってみよーって思ってたけど、なかなか腰が上がんなくってさ」
一方的に楽しげに喋る華矢の狂気に満ちた姿を、冥楽は血の溜まりの中で、閉じかかった瞼を必死に開いて見上げていた。
強大な魔那を持つ彼が、一矢報いることすらできなかった圧倒的な存在。
「…………君は、……誰だ……?」
血を吐きながら、冥楽が掠れた声を絞り出す。
その必死の問いかけに、華矢はきょとんと目を丸くした。
「え? それ、今聞く?」
華矢は呆れたように肩をすくめると、無慈悲な笑顔を冥楽に向けた。
「今、どうでもいいじゃん。そんなこと!」
冥楽の濁りゆく瞳が、華矢の顔をじっと見つめる。その小動物のような愛らしい丸顔は、彼の知る教育課のどんくさい職員のものであるはずなのに、中に入っている「魂」の次元が全く違っていた。
「君は……華矢ちゃんじゃ……ない、よね……」
冥楽は、わずかに残された最後の気力を振り絞り、精一杯問いかけた。
だが、華矢はその問いかけを完全に無視した。
彼女は冥楽から視線を外し、懐から一枚の小さなシールを取り出した。ぐるぐるとした『うずまき』を模した、毒々しいほどに鮮やかな『桃色』のシールだ。
華矢はそれを、アンティキティラの漆黒のボディに、ぺたりと無造作に貼り付けた。
「よーし、これでおっけ、と」
軽い足取りで一歩下がると、華矢は胸ポケットから手のひらサイズの薄型携帯端末を取り出し、それを耳元に当てた。
「もしもーし、聞こえるヒパちゃん?」
しかし、端末からの応答はない。
「もしもーし! 聞こえますかー? ヒパティアちゃーん?」
『……うるせぇ! 今忙しいんだよっ!』
ややあって、端末のスピーカーから耳をつんざくような少女の怒声が響いた。
「なんだ、聞こえてるじゃん」
のんきに話す華矢とは対照的に、電話越しの相手――ヒパティアの声は、怒気を含み、極度の焦燥感に駆られているのがすぐに伝わってきた。
「ねね、収納シールの進捗率はどんな感じ? 確認できる、今?」
『今しがた百パーになったところだよ!』
怒声の裏で、カタカタカタカタッ! とマシンガンのような猛烈なタイピングを行う音が絶え間なく響いてくる。
「ってことは、これで準備完了か」
『もういい!? マジでこっちやばいんだよね!』
キーボードを叩く音がさらに激しさを増す。
「どったの? 天災ハッカー様がそんなに焦ってるなんてめずらし」
『アルカディアの糞野郎が、逆探知かましてきやがったんだよ!』
「逆探知?」
『まじでこの白鰻とかいう糞野郎、しつこすぎる! エージェンティック十万体で、キルチェインを一秒間に三〇〇〇回も馬鹿みたいにやってのけてる!』
通信越しに伝わってくるのは、一般人の理解を遥かに超えた次元のサイバー戦の余波だった。アルカディアの防衛システム、あるいはその中枢にいる「白鰻」と呼ばれる存在が、ヒパティアの仕掛けたハッキングに対して、文字通り天文学的な速度で迎撃と逆探知を繰り返しているのだ。
「…………つまり、やばいってこと?」
華矢が首をかしげて尋ねると、ヒパティアは電話越しに思いきり舌打ちをした。
『別にやばくはないんだけど! うざいんだよねっ!』
「…………よくわかんないけど、とりあえず頑張って」
華矢は苦笑いを浮かべながら通話を切ると、端末を胸ポケットにしまい直した。
「さて」
華矢はおもむろに、純白の部屋の天井を見渡した。ただそれを見ているのではなく、どこかその更に奥――階上の様子や、離れた場所にいる誰かを見通しているような素振りだった。
その後、今度は床を同様に見下ろしながら、何かを見つけるとニヤリと笑みを浮かべた。
華矢が口を開こうとした、その時。
血の海の中で虫の息となっていた冥楽が、か細い声で言った。
「何をす、る……つもりだい……?」
冥楽の必死の問いかけに、華矢はしゃがみ込み、彼の顔を覗き込んで答えた。
「歴史の転換点に、なるか、ならないか。それを見届けるだけだよ」
その意味深な言葉に、冥楽は自嘲気味に口角だけを微かに緩めた。
「…………何者なんだ……君は……」
華矢は立ち上がり、「うーん」と首を傾げた。
「想像にお任せしまーす」
茶化すように答える華矢に対し、冥楽は期待する答えではなかった故か、それとも限界を迎えたのか、そのままゆっくりと目を閉じた。
華矢は、静かになった彼を見る素振りも見せずに、空間のある一点を凝視し続けた。
直後だった。
――ズズズンッ……!!
鼓膜を劈くような低い轟音と共に、室内が激しい揺れに襲われた。
何重もの防御機構と分厚い装甲に守られた、この鉄壁の保管室でさえ立っていられないほどの揺れだ。アルカディア本部の外壁や上層階は、今頃もっと恐ろしい何かに見舞われているに違いない。
だが華矢は、その異常な震動の中でバランスを崩すこともなく、何かに気づいたように、さらに深く、妖艶な笑みを浮かべた。
「痺れ切らしちゃったのかな?」
同時刻――天空に浮遊するアルカディア本部の周辺。
白雲を切り裂き、純白の要塞の周囲を縦横無尽に駆ける『巨躯』があった。
空を泳ぐその姿は、黒く刺々しい硬質な鱗に覆われ、鋭い角と禍々しいフォルムを持った巨大なドラゴンだった。
体長はおよそ五十メートル。しかし、その巨大な身体には空を飛ぶための「翼」が存在しない。莫大な魔那の力そのもので重力を捻じ伏せ、大気を蹴るようにして天空を這い回っているのだ。
この世界――コズミックアクシスプライムにおいて、わずか十三匹しか存在しないとされる規格外生物。エンティティの次に畏れられる、災厄と破壊の象徴たる『魔那の怪獣』。
その一匹である翼の無き黒き龍――名を『ニーズヘッグ』という。
要塞の周囲を旋回するニーズヘッグの巨大な顎から、漏れ出すように黒煙があふれ出ていた。
そして、空中でピタリと制動をかけた巨龍が、アルカディア本部の中央棟へ向けて、その禍々しい大口をカッと開いた。
ゴォォォォォォッ……!!
極限まで圧縮された魔那が、恐ろしい熱量に変換される。
放たれたのは、漆黒と灼熱の橙色がドロドロに混ざり合った、太陽のような巨大な火球だった。
ズドォォォォォォォォンッ!!!
放たれた火球は、いかなる防衛システムをも容易く貫通し、純白の要塞の分厚い外壁に無慈悲に直撃した。
天空の要塞アルカディア本部に、絶対的な崩壊のカウントダウンが刻まれた瞬間だった。
時を同じくして、第五階層の巨大な吹き抜け区画。
突如として、要塞全体を揺るがすような大音響と激しい震動が回廊を襲った。
麗香の『翻弄頭』によって意識を刈り取られ、死体のように転がっていたアルカディアの武装職員たちの身体が、揺れに合わせて無様に床を跳ねる。
天井からはパラパラと白い破片が降り注ぎ、強固なはずの純白の壁にピキピキと亀裂が走った。
その惨状のド真ん中で、麗香は揺れる床にしっかりと足を踏ん張り、微塵も動じることなく悠然と紫煙を吹かせていた。
「……なんだい、外が騒がしいね」
麗香が目を細めて吹き抜けの遥か上層を見上げた、その時。
その後ろで周囲を警戒していたはずのトウフが、突如としてビクッと身体を震わせ、急にピンと背筋を伸ばした。
そして、先ほどの激しい揺れなど全く意に介さない、場違いなほど軽い声で口を開いた。
「麗香!」
普段の彼なら「師匠」と呼ぶはずだ。トウフらしからぬ馴れ馴れしい呼び捨てに、麗香は思わず振り返った。
「シール貼り、お疲れー!」
トウフは満面の笑みを浮かべ、無邪気にハイタッチを求めて両手を差し出してきた。
麗香は目を細め、静かに首を傾げた。
「…………」
麗香はハイタッチに応じる代わりに、無言でトウフの両頬をぺちん、ぺちんと平手で叩いた。
「いった! ちょっ、なにすんのさー!?」
涙目で痛がるトウフを冷たい目で見下ろし、麗香は静かに尋ねる。
「……ファントムか?」
「そだよー」
巨体の魔族の口から飛び出したのは、紛れもなくあの軽薄な神の言葉だった。
「トウフに何した?」
「ちょっと子機の代わりになってもらってるだけだから! 安心して!」
「子機?」
「とりあえず、アンティキティラは私が見つけたよーっていう報告と、すべてのオーパーツをマーキングできたよっていう報告をしに来たよん!」
トウフは、太い腕を使って陽気にピースサインを作ってみせた。
「そうかい」
麗香は興味なさそうに煙管を咥え直し、深く煙を吸い込んだ。
「この揺れもお前の仕業かい?」
「まあ、ちょっと計画より早いんだけどね……。あの子、よく我慢した方かな」
「ところで、いいのかいファントム」
「ん?」
トウフが首をかしげる。
麗香は視線を外し、吹き抜けの柵越しに、遥か下の階層へと視線を向けた。
「お前さんのお気に入りが、ピンチっぽいよ」
「おや」
トウフは一歩前に出て、麗香と並んで巨大な吹き抜けの下を覗き込んだ。
麗香は冷たく、突き放すように言った。
「アイツを助けろとは頼まれてないからね」
麗香は横目でトウフへ視線を向ける。
トウフ、否、ファントムは――熊の顔でありながら、全く感情の読めない冷徹な雰囲気を漂わせ、顔色一つ変えずに答えた。
「歴史の転換点になるか、ならないか。それだけのこと」
二人の視線の先。吹き抜けの遥か下、第四階層にあたる位置。
そこには、満身創痍で地面に倒れる加賀瀬善嗣と、その彼の前に冷酷に見下ろすように立つ――楼門の姿があった。




