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ライトニングブラスト ~クラスごと異世界転移して無能の烙印を押された男が、青白い雷で理不尽な神々を殴り倒すまで~  作者: 赤腹井守
ライトニングブラスト篇

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035 フラッシュバック

 だが。

 その通路の中央に、またしても「それ」は立っていた。


「……チッ、次から次へと」


 加賀瀬は床を蹴るスピードを緩めず、低い声で毒づいた。

 羅光の騒ぎを聞きつけた増援か。だが、そこに立っているのはたった一人だった。

 近づくにつれ、その人物の異常な風体が明確になっていく。


 女だ。

 だが、まるで色素が完全に抜け落ちてしまったかのような、幽鬼を思わせる姿だった。

 足首まで届きそうなほど真っ白な長髪。異様に長い前髪が顔の左半分を完全に隠し、露出している右目だけが、ガラス玉のように冷たく無機質な光を放っている。


 アルカディアの純白の制服と、彼女自身の抜けるような白い肌、そして白髪が相まって、背景の白い壁と同化してしまいそうなほど――彼女は「白」そのものだった。


 先ほどの羅光が「極彩色の騒音」だとしたら、彼女は「絶対的な無音」だ。


 アルカディア本部・戦闘対策室、空流(くるる)

 加賀瀬はスピードを緩めない。羅光の時のように、一気に間合いを詰めて一撃で沈める。

 拳に『地』を集中させ、天のエネルギーを圧縮する。


「そこを退けッ!!」


 加賀瀬は咆哮と共に床を踏み切り、空流の眼球めがけて必殺の右ストレートを叩き込もうとした。

 だが、空流は迫りくる加賀瀬の拳を見ても、眉一つ動かさなかった。

 防御の構えも、回避の素振りすら見せない。

 ただ、隠されていない右目をゆっくりと瞬きさせ、細く白い右腕を、加賀瀬に向かってスッと伸ばしただけだった。


「坊や、お眠り」


 囁くような、それでいて直接脳髄に響くような、甘く冷たい声。

 空流の白い指先が、空中の何かを「弾く」ような仕草を見せた。


 ――プツン。

 テレビの電源が切られたような感覚だった。


「――は?」


 加賀瀬の拳が空流に届くコンマ一秒前。

 視界を埋め尽くしていたアルカディアの純白の回廊が、文字通り「消滅」した。


 光が、一切ない。

 音も、匂いもない。


 加賀瀬は全力で踏み込んでいたはずの勢いごと、虚空へと放り出された。


「なっ、うおぉッ!?」


 足場がない。空振った拳の勢いに巻き込まれ、加賀瀬は体勢を崩して前のめりに転倒した。

 いや、転倒したのかすら分からない。地面にぶつかった感触はあるが、そこが床なのかどうかも定かではない。


 加賀瀬は慌てて立ち上がり、周囲を見回した。

 視力を失ったのかと錯覚するほどの、完全な暗黒。

 だが、自分の手のひらを目の前にかざすと、輪郭ははっきりと見えた。自身の衣服や肌の色は認識できる。羅光の閃光で目を焼かれたのとは違う。


「……なんだここは」


 加賀瀬の呟きは、反響することなく暗闇に吸い込まれた。

 厳密には、全方位が「黒」で塗りつぶされた空間に立っていた。

 上下左右の感覚が狂いそうになる。果てしなく広がる虚無の空間。

 つい一瞬前まで走っていた白い廊下も、空流という白髪の女の姿も、すべてが幻だったかのように消え去っていた。


「空間転移……いや、違う」


 加賀瀬は冷や汗を流しながら、必死に『歩』を行い、空間の天を感じ取ろうとした。

 楼門がトウフを強制的に飛ばしたような、物理的な空間移動の能力か?


 だが、周囲から『天』の気配が全く感じられない。まるで宇宙空間か、完全な真空パックの中に放り込まれたように、外界からのエネルギー供給が遮断されている。


『ここは、私の、貴方の、揺り籠』


 不意に、四方八方の暗闇から、空流の冷たい声が響いた。


「どこだてめぇッ!!」


 加賀瀬は声のした方向――と直感した闇に向かって構えをとった。


『足掻いても無駄。ここは現し世から切り離された、絶対の静寂。貴方はもう、悪夢の底に落ちたのよ』


 闇の中で、見えない鎖が加賀瀬の足首に絡みつくような、ぞっとする悪寒が這い上がってきた。


「善嗣」


 不意に背後から掛けられた声は、懐かしさと同時に、胸が締め付けられるような切ない気持ちが溢れ出るものだった。


 ドクン、と心臓が大きく跳ねた。

 振り返らずともわかる。その声の主は――。


「……じい、ちゃん?」


 加賀瀬は弾かれたように、勢いよく振り返った。

 絶対的な暗黒の空間。その中に、ぽつりと。

 本当に、確かに、祖父が立っていた。

 あの日、不良たちに無残に撲殺される前の、穏やかで優しい笑顔を浮かべた祖父の姿がそこにあった。加賀瀬がいくら手を伸ばしても、二度と触れることができなかった、たった一人の家族。


「じいちゃん……なんで……」


 加賀瀬の声が微かに震えた。

 理性が激しく警鐘を鳴らしている。偽物だ。幻覚だ。あの白髪の女が見せている、悪趣味な幻影に決まっている。祖父は死んだのだ。自分のせいで。自分の無力のせいで。

 頭では完全に理解しているのに、加賀瀬の足は、無意識のうちに祖父の幻影に向かって一歩を踏み出そうとしていた。


「もう、いいんだよ。善嗣」


 祖父が、慈愛に満ちた声で優しく語りかけてくる。


「お前はよく頑張った。つらかっただろう。もう、戦わなくていい。ここで一緒に休もう」


 その言葉は、加賀瀬の心の最も脆い部分を的確に抉り、そしてひどく甘く包み込んできた。

 そうだ。自分はずっと、謝りたかった。守れなかったことを。自分のせいで、痛い思いをさせてしまったことを。

 目の前に伸びた祖父の皺だらけの温かい手。それに触れれば、すべての重圧から解放される気がした。怒りも、復讐も、ナランを救わなければならないという絶望的な強迫観念も、すべて。


『そう。身を委ねなさい』


 虚空から、空流の冷たい囁きが子守歌のように重なる。


『その温かく儚く冷たい悪夢の中で、永遠に眠り続ければいいの』


 加賀瀬の瞳から、反骨の光がゆっくりと失われていく。

 伸ばしかけた彼の手が、静かに微笑む祖父の幻影の手に触れようとした――。


 その、刹那だった。

 ――バリィィィィィィィンッ!!!!


 雷鳴が、響いた。


 甲高い、鼓膜はおろか空間の概念そのものまで引き裂くような轟音が、絶対の静寂を誇っていたはずの暗黒に喚き散らした。


「……ッ!?」


 唐突な轟音と、全身の細胞が粟立つような強烈なプレッシャーに、加賀瀬は弾かれたように身を震わせた。


 伸ばしかけていた手が止まる。目の前で微笑んでいた祖父の幻影に、一瞬だけテレビのノイズのような乱れが走った。


 加賀瀬は、その音がした「後ろ」の方へと、ゆっくりと振り向いた。


 そこには。

 光源など一切ないはずの絶対の暗闇の中で、パチパチと『青白く輝く』何かが佇んでいた。

 それは、人間のようであって、人間ではなかった。

 全身を青白い稲妻だけで構成されたような、境界線が曖昧で、ひどく歪な形をした人のような『何か』。

 顔にあたる部分には目も鼻もなく、ただ、底知れぬ圧倒的な力だけがそこに凝縮され、加賀瀬を見下ろしているような錯覚を覚えさせた。

 先ほどの、世界が割れるような轟音とは打って変わって。

 今はただ、恐ろしいほどの静寂が空間を支配していた。

 だがその静寂は、空流がもたらした「安らぎの死」ではない。その青白く輝く何かが、この空間のすべての理を、ただそこに在るだけで「黙らせてしまった」が故の静寂だった。

 加賀瀬は、その不可解で恐ろしい姿から目が離せなかった。

 恐怖でも、安堵でもない。不思議と、その青白い輝きに深く魅入られていた。

 歪な雷光の化身は、加賀瀬に言葉をかけるでも、襲いかかってくるでもなく、ただじっとそこに佇んでいるだけだった。


 パチッ。

 青い火花が一つ、闇の中で弾けた。


 ――その瞬間。


「……ッ!?」


 気づけば、加賀瀬は再び、病的なまでに真っ白い回廊のド真ん中に佇んでいた。

 絶対的な暗黒から、蛍光灯が照らす無機質な白への急激な視界の変化。そのギャップに、加賀瀬の意識はハッと我に返った。


 足の裏には、確かに硬い床の感触がある。祖父の幻影も、あの歪な雷光も跡形もなく消え去っている。

 そして彼の瞳は、眼の数メートル先で、先ほどと全く同じ姿勢で右手を伸ばしている白髪の女――空流を捉えていた。


 現実の世界では、ほんの数秒しか経過していなかったのかもしれない。

 空流は、加賀瀬が倒れることもなく、真っ直ぐに自分を睨み返していることに気づき、その無表情な顔をわずかに歪ませた。


「……ん?」


 おのずと、空流が首を傾げる。


「私の『刻魂蘇呪(フラッシュバック)』が、効いてない……?」


 空流の能力――『刻魂蘇呪(フラッシュバック)』。


 それは、相対する対象のトラウマに基づく恐怖心や後悔を強制的に増大させる、凶悪な精神操作の一種だ。


 彼女の生み出す暗黒の空間に囚われた対象者は、自らの最も抉られたくない過去の体験を、逃げ場のない幻影として再度味わわされる。そして、過去の絶望に心をへし折られ、ついには精神の完全な崩壊を招いて死に至る。

 加賀瀬が見た「祖父の優しい幻影」も、彼に永遠の安らぎを与えつつ、二度と目覚めることのない後悔の底へと沈めるための猛毒だったはずなのだ。


 だが、その絶対の呪いは、得体の知れない青白い光によって、文字通り「消し飛ばされて」いた。


「なぜ……? どうして、夢から覚めているの?」


 常に無機質で氷のようだった空流の右目に、初めて明らかな動揺の色が浮かんだ。

 自身の作り上げた絶対の檻が、何らかの理由で崩壊した。その信じがたい現実に、彼女は伸ばしていた右手を微かに震わせた。

 その僅かな隙を、加賀瀬が見逃すはずがなかった。


「……人の過去を勝手に覗き見してんじゃねえよ」


 ドォンッ!!

 加賀瀬が床を蹴り飛ばした。怒りで充血した眼と、爆発的な『天』の奔流が、一瞬にして空流との間合いをゼロにする。


「なっ――」


 空流が防御の姿勢をとろうとした時には、既に遅かった。

 加賀瀬は、あの忌まわしい幻影を見せられた怒りのすべてを右の拳に込め、容赦なく空流の細い腹部へと叩き込んだ。


「――一発ッ!!」


 ドゴォォォォォォンッ!!!

 空流の口から空気が絞り出される鈍い音と同時に、魔斬の圧縮された衝撃波が彼女の体を貫通した。


「カ、はッ……!?」


 白髪の幽鬼は、まるで重さを持たない人形のように吹き飛び、背後の純白の壁に凄まじい勢いで激突した。

 ひび割れた壁からパラパラと漆喰が落ちる中、空流は声すら上げることなく、ずるずると床へと崩れ落ち、完全に気を失った。


 加賀瀬は、白目を剥いて倒れた空流を冷たい目で見下ろした。


 まだ息は上がっている。あの青白い光の正体も、空間がなぜ元に戻ったのかも、今は考える暇はない。


「……待ってろよ、ナラン、じいさん」


 加賀瀬は再び前を向き、果てしなく続くアルカディアの純白の回廊を、力強く駆け出した。

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