034 プリズムレーザー
巨大な吹き抜けを囲む、第五階層の純白の回廊。
加賀瀬善嗣は、革靴の底を滑らせるようにしてコーナーを曲がり、ひたすらに走り続けていた。
頭上のスピーカーからは、先ほどから耳障りなアラート音と共に、館内放送が繰り返し流されている。
『あ、あっ――マイクテスト。管理部の楼門です。皆さん、どうか慌てずに、落ち着いてください――』
その穏やかさを装った声の主が誰なのか、加賀瀬には嫌でもわかった。
「……チッ」
加賀瀬は走りながら舌打ちをした。
侵入者を周知する館内放送だ。二名というワードが引っかかる。自分のことではないのか? わずかな疑念が彼の脳内を一瞬埋め尽くしたが、今は深堀せずにこの混乱を利用するのが最善策だろう。
向かうべき正確な場所はわからない。だが、華矢が示した通り、この回廊の奥に目的地があるはずだ。加賀瀬は無数に並ぶ部屋のプレートを動体視力で追いながら、矢のように駆け抜けていく。
『第五資料室』『第五会議室』『機材庫』――目ぼしい部屋は見つからない。
(どこだ、くそッ!)
焦燥感が胸を焼く。ナランの命を繋ぐ装置が、このハッキング騒動で影響を受けていないとも限らない。一刻も早く見つけ出さなければ。
加賀瀬がさらにスピードを上げ、長い直線の廊下へと飛び出した、その時だった。
「――おっと。ネズミ一匹、発見っと」
前方の通路の中央。
行き止まりを作るように、一人の男が両手を広げて立ち塞がっていた。
加賀瀬は急ブレーキをかけ、床を削りながら数メートル手前で立ち止まった。
「……退け。邪魔すんならぶっ飛ばすぞ」
加賀瀬は低い声で唸り、殺気を放つ。
だが、その男は怯むどころか、小馬鹿にしたような笑い声を上げた。
「ヒャハッ! 随分と威勢がいいじゃねえか。無能力者の『NULL』の分際でよォ!」
男の風体は、アルカディアの「純白で無機質」な世界観から完全に浮いていた。
顔中には無数のピアスが光り、頭髪は原色をぶちまけたようなド派手な『虹色』に染め上げられ、オールバックに撫でつけられている。そして、純白の制服のフロントをだらしなくはだけさせ、その下には血のように赤いシャツをこれ見よがしに着込んでいた。
チンピラ。あるいは狂人。
だが、その胸元には、愛覇や砲鳴と同じ、権力の中枢である『管理部管理課』の徽章が鈍く光っていた。
アルカディア本部・管理課の一人、羅光だ。
「楼門部長の放送聞いて駆けつけてみりゃ……とんだボーナスゲームが転がり込んできやがったぜ」
羅光は首をコキコキと鳴らし、顔中のピアスをチャラチャラと揺らしながら下卑た笑みを浮かべる。
「お前を捕まえりゃ、昇進間違いなしだ。大人しくお縄を頂戴しろよ、欠陥品」
「……付き合ってる暇はねえッ!」
加賀瀬は迷わなかった。
一息で天を吸い込み、全身へ巡らせる。
爆発的な脚力で床を蹴り、一瞬にして羅光の懐へと飛び込んだ。
「オラァッ!!」
狙うは顔面。加賀瀬の右ストレートが、羅光の鼻っ柱を粉砕せんと迫る。
だが。
「――おせぇよ、ノロマ」
羅光の姿が、一瞬にして――ブレた。
加賀瀬の拳は空を切り、残像だけを打ち抜いた。
(なっ……!?)
「こっちだぜ!」
声は、加賀瀬の真横から聞こえた。
視線を向けるより早く、強烈な閃光が網膜を焼いた。
「がッ……!?」
羅光の指先から、レーザーポインターを何千倍にも圧縮したような『七色の光線』が放たれたのだ。
加賀瀬は咄嗟に左腕に『地』を展開して盾にしたが、その光線は物理的な衝撃だけでなく、焼けるような高熱を伴っていた。
ジュウゥゥッ!
「ぐぅッ……!」
学ランの袖が焦げ、皮膚が焼ける熱さに、加賀瀬はたまらず後方へ跳び退いた。
着地と同時に腕を見る。魔斬の防御を透過するほどの熱量ではないが、それでも確実にダメージを与えてくる鋭利な攻撃だ。
「ヒャハハハ! なんだなんだ、NULLのくせに妙なことしやがって! だが、俺の『虹彩光線』からは逃げられねえぜ!」
羅光は両手を銃の形に構え、その指先に七色の光を収束させた。
「俺の光は、熱も、速度も、俺の気分次第で自由自在だ。蜂の巣にしてやるよ!」
ピシュッ! ピピシュッ!!
羅光の指先から、マシンガンのごとく七色の光弾が連射される。
加賀瀬は廊下の壁を蹴り、ジグザグに跳躍しながらそれを躱した。光弾が純白の壁や床に着弾するたび、小さな爆発と高熱が上がり、焦げ跡が穿たれていく。
(……厄介な能力持ちやがって!)
加賀瀬は舌打ちをしながら、思考をフル回転させた。
直線的なレーザーなら、避けるのは難しくない。だが、羅光の動きそのものが異常に速い。自身の肉体に光の魔那を纏わせ、光速に近い反射神経を引き出しているのだろう。
まともに打ち合えば、手数と速度で押し切られる。
「どうしたどうした! 逃げ回るだけかよネズミちゃん!」
羅光の嘲笑が廊下に響く。
「いいぜ、なら――『目隠し』してやるよ!」
羅光が両手を大きく広げた。
瞬間、彼の全身から、太陽を直接直視したかのような、暴力的で強烈な『七色の閃光』が放たれた。
「――ッ!!」
加賀瀬は咄嗟に目を閉じたが、瞼の裏まで真っ白に焼き尽くされるような強烈な光だった。視界が完全に奪われる。ホワイトアウト。
「ヒャハハ! 見えねえだろ! これで終わりだァ!」
視力を失った加賀瀬の死角――真上から、羅光が必殺の光線を構えて飛びかかってくる。
だが。
加賀瀬の口角が、ニヤリと吊り上がった。
(……見えねえなら、感じるだけだ)
あの廃工場で、気配を消した辺見を叩きのめした時の感覚。
加賀瀬は視覚を捨て、全神経を『天の流れ』へと集中させた。
空間に満ちるエネルギー。そこに、急激な熱量と質量を持った「異物」が、上空から降ってくる軌道が、手に取るように分かった。
「もらったァッ!!」
羅光が勝利を確信し、光線を放とうとした、その刹那。
加賀瀬は目を閉じたまま、右拳に莫大な天を圧縮し――上空へ向かって、完璧なタイミングで迎撃のアッパーを放った。
「なっ――!?」
見えているはずのない迎撃。
羅光が驚愕に目を見開いた時には、すでに加賀瀬の『一発』が、彼の鳩尾に深く、深くめり込んでいた。
ドゴォォォォォォンッ!!
「ガ、ハァァァァァッ!?」
魔斬の圧縮された衝撃波が、羅光の体内を貫通し、背中側へと爆発的に突き抜けた。
七色の光が消し飛び、羅光の身体はくの字に折れ曲がったまま、廊下の天井へと叩きつけられ、そのまま無様に床へと落下した。
「……ッ、が、あ……」
白目を剥き、口から泡を吹いて痙攣する羅光。
彼が誇っていた派手な光は、完全に沈黙した。
「……くそ、見えづれぇ」
加賀瀬はジンジンと痛む目をこすりながら、ゆっくりと視力を回復させた。
倒れた羅光を一瞥し、呼吸を整える。
足止めを食らったが、まだ戦える。
加賀瀬は再び床を蹴り、ナランとドーモスが囚われているであろう、回廊のさらに奥へと向かって疾走を再開した。
息が上がり始めている。だが、足を止めるわけにはいかない。
(……絶対に見つけ出す)
ドーモスとナランが囚われている場所は定かではない。
ただひたすらにその場所を求めて、加賀瀬は交差する廊下を抜け、さらに深く、第五階層の最奥部へと向かう長い直線の通路へと飛び込んだ。




