031 黒雷・壱
愛覇に後の「処理」を任せた楼門は、面談室を後にし、そのまま上層階にある管理課司令室へと足を運んでいた。
薄暗い室内には、壁一面を埋め尽くすほどの無数のモニターが並び、アルカディア本部内や下界の様々な映像データ、そして青白いパラメーターを絶え間なく映し出している。
その巨大なモニター群の端。楼門は腕を組みながら、面談室の監視カメラが捉えている加賀瀬と愛覇の様子を、値踏みするような目つきでじっと眺めていた。
「……楼門部長」
不意に、彼の背後から氷のような声が掛けられた。
「おや、絢風さん。どうされたんですか?」
楼門は振り返り、いつもの人好きのする笑顔を見せた。
「加賀瀬善嗣を捕らえたと聞いたので」
顔の半分を痛々しい包帯で覆った絢風は、モニターの中の加賀瀬を射殺さんばかりの瞳で睨みつけていた。包帯の下で、ギリリと奥歯を噛み締める音が聞こえてきそうだ。
「残念ですが、この件で貴方に仕事を振る予定はありませんよ」
「……承知してます」
絢風が思いのほか素直に引き下がったことに、楼門は微かに目を丸くした。
「おや?」
「いろいろと噂は耳にしてますよ。奴が、とんでもない存在と関わっている可能性があると」
その言葉に、楼門は内心で舌打ちをした。
加賀瀬善嗣の情報が、いつしか組織内に広まりつつあった。勿論、楼門がひた隠しにしていたわけではないが、大々的に公にした覚えもない。彼の背後に『破壊と創造のエンティティ』が潜んでいる可能性が高いことを、ごく一部の幹部会議の場で発言しただけだ。
(一体どこの所属長がペラペラと喋っているのでしょうね……冥楽さんあたりでしょうか)
楼門は前髪をかき上げ、ため息交じりに呟いた。
「しかしまぁ、ファントムが関わっているとなると、私の疑問も解消されます」
「例の、『心臓を撃ち抜いたにも関わらず生きていた』というやつですか?」
「そうです」
絢風は忌々しげに自身の指先を見つめた。
「どれほど強大な魔那を持った人間でさえ、心臓を物理的に破壊されれば死にます。まして、NULLなら言わずもがな。絶対に蘇生などあり得ない」
「破壊と創造の神に選ばれし人間なら、死んでもなお生き返ることなど容易ということでしょうかね……」
自分自身で言いながらも、楼門の胸中には拭いきれない疑念が渦巻いていた。いくらエンティティの加護があろうと、あそこまで綺麗に「無」を偽装し、物理的な死を回避できるものだろうか。
そんな楼門に対し、絢風は鼻で笑った。
「エンティティというのは、何でもありなんですかね」
「彼らの情報はあまりに少ないですからね。一般人にさえほとんど知られていない、むしろオカルト的な存在として、一部のマニア達の間で勝手に神格化されている御伽噺程度の存在です。……まあ、我々アルカディアが徹底的な情報統制を行っているが故ですが」
「部長」
モニターを眺めていた絢風が、顎で画面を指し示した。
楼門も視線を戻す。そこには、愛覇が加賀瀬の腕を掴み、自身の顔を寄せて『愛死照留』の強制支配を仕掛けている最中の映像が映し出されていた。
「なるほど。あの女の能力は確か、精神支配の類でしたね」
「ええ、その通りです。彼女の力を使って、加賀瀬善嗣の自我を書き換え、こちら側の『手駒』につけます」
「その力は、恒久的に精神支配が可能で?」
「いえ、調べた限りでは最長で四八時間でした」
「ならば、一時的な支配でしかないのでは? 解ければまた反逆される」
「一時的に精神を操れるだけで、十分なんですよ」
楼門は、チェス盤の駒を動かすような手つきで空を撫でた。
「なぜです?」
「ご存じでしょう? アルカディアの中には、多種多様の精神支配能力を持った職員が大勢います。中には、相手の身体を完全に乗っ取る能力や、脳のシナプスを直接弄って『記憶の改竄』を施す能力も」
ですが、と楼門は顎に手を当てた。
「そのどれもが、能力の発動条件があまりに複雑なのです。対象を眠らせる必要があったり、強固な抵抗意志があると弾かれたり。……ですが、相藤さん――いえ、今は愛覇さんでしたね。彼女の『愛死照留』は、その発動条件がびっくりするぐらいシンプルで、強制力が高い。故に、加賀瀬善嗣を手中に収めるスタートダッシュを、彼女にお任せしたのですよ」
「なるほど」
絢風は得心したように頷いた。
「つまり、あの女の力で一時的に精神を空っぽにし、無抵抗の加賀瀬善嗣に、別の職員を使ってじわじわと洗脳教育を施すわけですね」
「まあ、洗脳というより、プラン通りにいけば、彼は最終的に『アルカディアの忠実な兵士』として記憶の改竄をされる手筈です。これなら、背後にファントムが居ようと――」
楼門がそう言い切った、直後だった。
モニターの映像には、愛覇が加賀瀬に対して、強引に唇を重ねる様子が映し出されていた。
「……何をしてるんだ、アイツらは」
神聖な司令室に似つかわしくない痴態に、絢風が不快そうに眉間に皺を寄せる。
一方の楼門は、「支配を深めるための物理的接触」と解釈し、その映像を興味深そうに眺めていた。
だが。
モニターの中で、加賀瀬が愛覇の胸をドンッと突き放すのを見るや否や。
絢風は「ん?」と首を傾げ、楼門はピタリと表情を強張らせた。
「……通用してないんだ」
独り言のように呟いた楼門の横顔に、絢風が鋭い視線を向ける。
「彼女の、あの絶対的なはずの『愛死照留』が……加賀瀬善嗣に、全く効いていないんです」
楼門の額に、微かな冷や汗が滲む。
想定外。またしても、あの少年はアルカディアの「理」をいとも容易く踏み越えたのだ。
楼門がすぐさま対処の指示を出そうと、懐の端末に手を伸ばした。
――その時だった。
『……ミャオォ〜ン』
突如として。
司令室を埋め尽くす数十枚のモニター群が、一斉に切り替わった。
アルカディアの高度な監視映像も、システムパラメーターも全て消失し、代わりに映し出されたのは――子供がクレヨンで描いたような、ふざけたタッチの『猫の落書き』だった。
『ミャオォン。ミャア、ミャア』
間の抜けた猫の鳴き声が、司令室のスピーカーから繰り返し響き始める。
やがて、モニターの画面は真っ黒に染まり、そこに白く小さな文字列が、滝のような速度で大量に表示され始めた。
「何事ですか!?」
楼門は、自身の完璧な仮面をかなぐり捨て、らしくなく声を荒げてオペレーターたちへ状況確認を促した。
「なんですか、これ……!?」
絢風もまた、ただならぬ異常事態に目を見張る。
直後、全てのモニターの映像が完全にブラックアウトすると同時に、司令室全体を微かに灯していた照明が、一斉に最大光量の輝きで照り始めた。網膜を焼くような眩しさに、職員たちが悲鳴を上げる。
「誰か状況を報告してください!」
楼門は慌てて、自身のデスク上のコンピューターを叩く職員たちの方へ駆け寄った。
「ろ、楼門部長! 何者かにシステムがハッキングされているようです!」
「ハッキング!?」
あり得ない。アルカディア本部のメインフレームは、並行世界のあらゆる技術を結集した独立ネットワークだ。外部からの侵入など物理的に不可能。
「司令室だけでなく、本部全体のシステムが何者かに攻撃されています!」
「外部からじゃありません! 内部からの攻撃です!」
「おかしい! なんだこれは!?」
「共食いじゃないか! なぜ内部のシステム同士がリソースを食い合っているんです!?」
「ファイアウォールが、正常なトラフィックをと誤認して自爆攻撃を仕掛けています!!」
キーボードを叩く職員たちの、絶望的な阿鼻叫喚が飛び交う。
パッ。
その騒ぎの中、全てのモニター画面が再び明かりを灯した。
みなが一斉に顔を上げる。そこに映し出されていたのは、復旧したシステム画面ではなかった。
『にゃ〜ん』
一匹の、愛くるしい三毛猫が、日向ぼっこをしながら毛繕いをしている映像。
猫の癒し動画とでも言うべきか。猫の日常とでも題すべき、あまりにも場違いで、平和的すぎる映像が、数十枚のモニターで一斉にループ再生されていた。
神聖なる世界の守護者の頭脳が、名もなき三毛猫に完全制圧されたのだ。
このシュールすぎる光景は、もはや悪意を通り越した「圧倒的な技術力の誇示」であり、アルカディア全体に対する強烈な嘲笑だった。
「……一体、何が起こってるんですかッ!?」
楼門が激しい怒声をあげた。
その時、ドアの近くにいた職員の一人が、青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「ろ、楼門部長、一大事です! 出入り口が、完全に封鎖されています!」
「なに?」
楼門は司令室の唯一の出入り口である、重厚なスライドドアの方へ目を向けた。職員の何人かが力ずくで開けようとしているが、エラーを知らせる赤いランプが点灯したまま、扉は一向に開く気配が無かった。
閉じ込められた。
この要塞の心臓部ごと、ふざけたハッカーによって「隔離」されたのだ。
「……早急に対処を」
楼門は低い声でそう命じると、忌々しげに唇を強く噛み締めた。
脳裏に浮かぶのは、あの面談室に放置された加賀瀬善嗣の姿と、このバカげたハッキングを仕組んだであろう、見えざる敵の影。
歯車が、狂い始めている。彼ら管理者が築き上げた強固なシステムが、音を立てて崩れ去ろうとしていた。




