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デートの準備をしてたら、世界を救うことになった一件。― UMH〈英雄なき世界で僕らは抗う〉―  作者: 天童フリィ
インター・ワールド・ノーウェア / アイアニオス・フロスト編
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第93話『逃避行の熱』


2029年



任務を終えたクロノスとフリムは、帰り道のリゾート地を歩いていた。海沿いの通りは燃えるような夕日に染まっている。



「はぁーーー♡ これでモロス様に抱かれるわぁ♡」



フリムは火照(ほて)った頬を両手で押さえながら、うっとりと恍惚(こうこつ)の表情を浮かべていた。主への(ゆが)んだ狂信と情欲を隠そうともしない彼女のいつもの姿。クロノスはそんなフリムに視線を向けることもなく、淡々と予定を告げる。



「今日はこれで終わりだ。思ったより早く片付いたが、すぐに帰るぞ」



「あ……」



フリムの歩みがピタリと止まる。クロノスが怪訝(けげん)そうに振り返ると、そこには先ほどまでの表情は消え、少し照れたような純粋な少女の顔をしたフリムが立っていた。

フリムが指先で示したのは、ゆっくりと回る巨大な観覧車。



「ねぇ、クロノス。今からあそこに行かない?」



クロノスは深いため息をつき、(あき)れた声で(つぶや)く。



「ガキじゃないんだから、さっさと帰るぞ」



フリムはその場に子供のようにしゃがみ込み、猛然(もうぜん)と抗議し始めた。



「やだやだ! 私だって頑張って早く終わらせたんだもん! 少しくらい融通利(ゆうずうき)かせてよ、ケチノス!!」



クロノスは(あき)れ果てたように頭を()く。



「……ったく。わかった、わかったよ。お前、本当にガキだな」



「やったぁ!! 行こう、クロノス! 絶対に綺麗(きれい)だよ、あれ」



フリムは(はじ)けるような笑顔になると、迷いなくクロノスの手を(つか)んだ。繋いだ手から伝わる温もり。それは任務の中では決して得られない、あまりに柔らかく、尊い温度だった。



観覧車のゴンドラが、ゆっくりと地上を離れていく。高度が上がるにつれ、水平線の向こう側に見えてくるオレンジの夕日は、息を呑むほど美しかった。



(綺麗だ……)



不意に漏れそうになった言葉を、クロノスは飲み込んだ。隣で窓に張り付き喜んでいるフリム。自分たちが手に染めてきた血の臭いも、モロスの(かか)げる大義も、この狭いゴンドラの中までは追ってこない。

フリムの楽しそうな笑い声を聞きながら、クロノスは自分でも気づかないほど(かす)かな温かさを持った笑みをこぼしていた。



「ねぇ、クロノス!! 街があんなに小さく見えるよ!」



綺麗な景色に瞳を輝かせるフリム。クロノスはその景色を見ることなく、ただ隣で無邪気にはしゃぐフリムの横顔をじっと見つめていた。

視線に気づいたフリムが、不思議そうに首を(かし)げる。



「なんで私を見てるの? 景色、すっごく綺麗だよ?」



クロノスは(あわ)てて顔を(そむ)け、反対側の窓に視線を逃がした。熱くなった頬を隠すように。

フリムは小さく笑うと、座席を移動してクロノスの背後からそっと抱きついた。背中に伝わる彼女の感触と、心拍の音。



「ねぇ……もしかして、私に見惚(みと)れてたの?」



悪戯(いたずら)っぽく(ささや)く声に、クロノスの心臓が跳ねた。普段の冷徹な彼なら、すぐに引き離してやめろと言っただろう。けれど、今はその腕をほどくことができなかった。クロノスは、自分の背中に回されたフリムの手に、自らの手を重ねる。



「……なぁ、フリム」



「ん?」



「この後……すぐに帰らずに、お前と一緒にいろんなところに行きたい。少しだけでいいから……」



それはクロノスが初めて口にした、子供のようなわがままだった。モロスの命でもなく、世界の変革でもない、ただ一人の人間としての、小さくも切実な望み。

フリムは目を見開き、一瞬呆気(あっけ)に取られたように硬直(こうちょく)したが、すぐに顔中を喜びでいっぱいにした。



「えっ……!? うん!! 行こう、行こう! クロノスからそんなこと言ってくれるなんて……私、すっごく嬉しい!」



抱きつく腕にさらに力がこもる。クロノスは顔だけをわずかに振り向かせ、彼女の(まぶ)しすぎる笑顔をその瞳に焼き付けた。

ゴンドラが地上に戻るまでのわずかな時間、二人は名もなき熱を確かめ合うように寄り()う。それは地獄の中で互いの体温だけを頼りに生きる者同士の、一晩限りの逃避行(とうひこう)の始まりだった。





謎の嗅覚(きゅうかく)で制服店を突き止めたフリムに連れ回され、クロノスは落ち着かない心地で彼女の試着に付き合わされていた。



「ねぇ、真面目に見てるの!? クロノス!!」



鏡の前で、フリムはセーラー服とブレザーの混ざった制服を試着して膝上のミニスカートと、さらに短いマイクロミニを交互に当て、真剣な眼差しをクロノスに向ける。



「どっちも大して変わらないだろ。何にこだわってるんだ、バカ」



面倒くさそうに吐き捨てるクロノスに、フリムは顔を真っ赤にして詰め寄った。



「なによ! あんたいつも、無意識に私の脚見てるくせに! どっちが好みか言いなさいよ!」



「自意識過剰だ。第一、脚なんか見なくても俺はお前のことなら隅々(すみずみ)まで知ってるし、いちいち聞くな」



さらりと言い放ったクロノスの言葉に、フリムは一瞬言葉を詰まらせたが、負けじと言い返す。



「ふんっ! あんたがあんなに……熱く、必死に求めてくるからでしょ。この、スケベノス!」



売り言葉に買い言葉。二人の子供のような痴話喧嘩(ちわげんか)はエスカレートしていき、ついには店員に追い出される形で店を出禁になってしまった。




数時間後。二人は身なりを整え、都会の夜景を一望できる最高級フレンチの席にいた。テーブルに並ぶ繊細(せんさい)な料理と、クリスタルグラスに反射する街の灯り。

フリムはまだ不服そうに、フォークで料理を突きながらクロノスを(にら)む。



「まださっきのことを根に持ってるのか? 何回も謝っただろう」



「そうじゃなくて……クロノスが、こういう場所に慣れてるのがムカつくっていうか。センスがあるのが、なんか、腹立つ」



クロノスは(あき)れたように肩をすくめ、ワイングラスを置いた。



「慣れてるわけじゃない。ただ、フリムと一緒に来たかったから、調べただけだ。それにお前といるのが楽しいから、自然と落ち着いてるだけだよ」



不意に投げかけられた直球の言葉に、フリムはフォークを止めて目を丸くした。



「なぁ、フリム。今、楽しいか?」



クロノスが真っ直ぐに自分を見つめている。フリムは(ひじ)を机に乗せ両手で顔を包み込み、少しだけ意地悪に答えた。



「楽しくない……」



一瞬、クロノスの手が止まる。



「すっごい幸せで、最高に楽しい。なんか、クロノスに本気でときめいちゃいそう」



照れ隠しを含んだその告白に、クロノスは耐えきれず笑みをこぼした。



「それだけはやめてくれ。調子が狂う」



その後、二人は任務のこと、モロスのこと、そして自分たちの未来のことを語り合い、笑い合った。カトラリーの触れ合う音と、柔らかなピアノの旋律(せんりつ)。それは、地獄のような研究所でモノとして扱われてきたクロノスの人生には存在しなかった、あまりにも(まぶ)しく、温かな人間としての(いとな)みそのものだった。





その夜、二人はモロスの元には帰らなかった。本来、任務は明日までかかる予定だったのだから。



静かなホテルの客室。カーテンを閉め切った暗がりの中、わずかに差し込む月の光が、二人のシルエットを(あわ)く浮き上がらせていた。

フリムがクロノスの首に両手を回す。フリムは上目遣(うわめづか)いでクロノスを見つめ、頬を赤らめていた。



「ねぇ、クロノス……今日もたくさんしようね」



その(ささや)きが引き金となり、クロノスの中で抑えきれない衝動が爆発した。クロノスは奪うようにフリムの唇を(ふさ)ぎ、深いキスを交わす。



「フリム……もういいか?」



フリムは悪戯っぽく、けれど慈しみに満ちた笑顔を浮かべた。



「もうっ……。ドスケベって認めたら、いいよ」



クロノスはゆっくりとフリムの服を脱がす。ふと、今まで見ていたはずのフリムの肌を見て、クロノスは驚く。フリムの肌にあったのは、実験で傷つけられた跡だった。



「フリム、これ……」



クロノスの指先が、フリムの白い肌に刻まれた無機質な傷跡をなぞる。フリムは今まで苦痛がなかったような表情で優しく(つむ)いだ。



「耐え抜いた証だよ。クロノス、早く……」



クロノスはフリムを壊れ物を扱うように抱きしめた。クロノスの腕が、今は微かに震えている。

フリムは戸惑いながらも、その震えを丸ごと受け入れるように背中に手を回す。



「クロノス、大丈夫? 私のこと気にしてくれたの?」



フリムは聖母のような笑みを浮かべ、クロノスの耳元で(ささや)く。



「気にしないで。この傷のおかげで、今があるんだから」



フリムの無垢(むく)な許しが、クロノスの心を激しく揺さぶった。彼は再び彼女を強く抱きしめ、熱い吐息(といき)をその首筋に落とす。



「ありがとう。でも、俺は――」



言いかけた言葉は、フリムの柔らかな唇によって(さえぎ)られた。



「もう、いいよ。何も考えなくていいから」



唇が重なり、二人は白いシーツの海へと沈んでいった。



支え合い、求め合う二人の関係に、名前を付けることはできない。ただ、互いに熱を求めれば、互いがそれに応える。皮膚と皮膚が触れ合い、体温が混じり合うたびに、心さえも深く溶け合っていくような、不思議な関係。



この夜、二人の熱量は全ての(いただき)に達していた。必死に彼女の存在を自分の中に刻み込もうとする中で、クロノスはついに、自分が探し求めていた「熱」の正体に辿(たど)り着く。



(そうか……。俺は、フリムが大切なんだ)



フリムと過ごす何気ない時間、彼女の屈託(くったく)のない笑顔、他愛(たわい)もない会話。買い物の喧嘩も、出禁になった店も、さっき食べたフレンチの味も。そして今、こうして(つな)がっている瞬間に感じる温かさ。



そのすべてが、人間として凍りついていたクロノスの心に熱を灯した。



(世界を憎んでいたはずなのに……。お前がいれば、悪くないって、自分が人間だって感じられる。俺の心を溶かしてくれたのは、お前だったんだな、フリム)



「フリム……ありがとうな」



クロノスは荒い息をしながら、微笑む。その声には、かつての虚無は微塵(みじん)もなかった。

フリムは幸せそうに目を細め、クロノスの背中に爪を立てて微笑んだ。



「私もだよ。ありがとうクロノス……」



熱い(たか)まりが臨界点に達した瞬間、二人の境界線は音を立てて崩れ去った。



身体の奥底から突き上げる衝撃に、二人の魂は分かちがたく一つに結ばれる。



乱れた呼吸を重ね合わせながら、クロノスはフリムを抱きしめたまま、窓の外へ視線を投げた。そこには、かつて憎んでいたはずの美しい夜景が広がっている。けれど今、クロノスにとっての「世界」は、この腕の中で熱く脈打つフリム、ただ一人だけだった。



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