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第86話『哀しきロボット』


鋼の体を手に入れたニニィは、その足で懐かしい街へと向かった。ラークの家の前にある大きな木の陰に身を(ひそ)め、ニニィは大切な人の帰りを今か今かと待ちわびていた。



「ラー君、まだかな……」



今の自分の姿を見たら、彼はどんなに驚くだろう。怖がられてしまうかもしれないという不安よりも、ようやく約束を果たせるという喜びが、彼女の内部回路を熱く満たしている。


やがて、(かばん)を揺らしながら、少し背の伸びたラークが角を曲がってきた。ニニィはタイミングを見計らい、木から勢いよく飛び出す。



「ばぁ!!!」



「わっ……!? な、なんだよ!」



突然の出来事に、ラークはしりもちをついた。驚きに目を見開く彼に対し、ニニィはかつて病室で見せていた愛らしい笑顔を浮かべる。



「ふふふ! ニニィだよ、ラー君!」



呆然(ぼうぜん)と固まるラークに、ニニィは(あふ)れんばかりの言葉を重ねた。事故の後、自分が幽霊のような存在になってしまったこと。誰にも触れられず、声を届けることもできなかった孤独。そして、ドイツで見つけたこの「器」のこと。これまでの空白を埋めるように、彼女はすべてを赤裸々(せきらら)に語り、満足げに微笑んだ。



「だからね、こうしてまた、ラー君に会いに来れたんだよ!」



輝くような表情でラークを見つめるニニィ。



「……っざけんなよ」



地を()うような低い声に、ニニィの笑顔が凍りつく。



「え……? いま、なんて……?」



「ふざけるな!!」



ラークは立ち上がると、ニニィを激しく(にら)みつける。その瞳には、再会の喜びなど微塵(みじん)もなく、煮え(たぎ)るような怒りと、触れれば壊れてしまいそうなほどの悲痛な意地が混ざり合っていた。



「ばあちゃん……俺への恨みか? あんたのイカれた実験を警察に(うった)えたからか?」



「えっ……違うの、あたしはただ、もう一度ラー君と……」



「俺が、そんなお伽話(とぎばなし)みたいなことを信じるとでも思ったのか!?」



ラークはニニィの体を乱暴に突き飛ばした。金属同士が()れる無機質な音が、静かな住宅街に(むな)しく響く。



「俺が……俺がどれだけニニィを大切に思ってるか、あんたは知っててやってるんだろ! 奇跡が起きてほしいって毎日願ってる俺の気持ちを、そうやって利用して、また俺を科学者にしようとしてるんだろ!!」



ラークにとって、大好きなニニィは「あの日のまま」病室で眠り続けている。目の前の(はがね)(かたまり)が、ニニィ本人であるはずがない。そう思い込むことでしか、彼は自分の心を保てなかった。あまりにも残酷(ざんこく)な現実は、彼の優しささえも鋭い(とげ)に変えてしまっていた。


ニニィは震える声で、必死に言葉を(しぼ)り出す。



「ラー君、信じて……? 嘘じゃないよ、本当に、あたしなの……っ」



だが、ラークは(かたく)なに目を()らし、その言葉を拒絶し続けた。



「嘘をつけ!! あんたが探していたロボットまんまじゃないか!! そんなうまい話に乗らないぞ!!」



ニニィは(すが)り付くようにラークの手を握ろうとする。しかし、彼はその手を思い切り振り払った。



「俺はあんたみたいなクズにはならないって決めたんだ。俺のばあちゃんだからって、いい気になるなよ!」



ラークは怒りに顔を(ゆが)め、そのまま荒々しく家の中へと入った。ニニィは何も言えずに、夕闇の静寂の中に立ち尽くしてしまう。



(なんで……? 体が違うと、あたしだってわかってもらえないの……? それに、ばあちゃんって……何?)



糸が切れたように、ニニィは(ひざ)からその場に崩れ落ちた。



(ニニィだよ、ラー君……)



胸を()め付けるような悲しみが押し寄せる。しかし、どれほど心で慟哭(どうこく)しても、この瞳から涙がこぼれ落ちることはなかった。代わりに聞こえてくるのは、感情の(たかぶ)りに反応して響く機械のノイズのような電子音だけ。



自由に動ける体を手に入れた。声も出せるようになった。けれど、大切な人が自分を自分として認識してくれないのなら、その全てに何の意味があるというのか。温もりも、冷たさも、痛みも。人間として感じるはずのあらゆる感覚が、どこにも届かない。ニニィは「ロボット」という名の、決して壊すことのできない冷酷(れいこく)(おり)の中に、独りきりで閉じ込められてしまった。



(あたしはもう、ただのロボットとして生きていくしかないの? 何を言っても、誰一人として信じてくれないのかな……)



孤独という名の闇が、ニニィの心を侵食(しんしょく)していく。



「もうあたしは、ニニィ・ロイスじゃなくなっちゃたんだ……」



この日を境に、「ニニィ・ロイス」という人間であることを、ニニィは誰に対しても口にすることはなくなる。それは、彼女が「自分」という存在を(あきら)め、ただの機械として、孤独な旅を続けることを決めた瞬間だった。



大切な人に拒絶された傷を抱えたまま、ニニィはあの日、頭の中に響いた不思議な声が告げた「きたるべき日」に備えよという言葉、そして(おさな)い頃に両親へ語った誰かを助けて元気にしたいという(まぶ)しい夢を思い出す。



(これからのあたしは、ロボットのニニィ。困っている人を助けるんだ。もう、あたしには……これしか残っていないんだよね。お父さん、お母さん)





北欧の(けわ)しい山々が吹雪に閉ざされた日、ニニィは吹雪の中を歩いていた。



「うぅぅぅ……寒いよ……」



ニニィは岩陰(いわかげ)でうずくまり、声を枯らして泣いている一人の少女を見つける。



「大丈夫!?」



ニニィは優しい声で近づくと、少女はロボットだと驚いたがすぐに落ち着いた。

少女の体温は急激に奪われ、命の灯火(ともしび)は今にも消えそうだった。ニニィはすぐさま駆け寄り、冷たい鋼の腕で少女を抱き上げようとする。


しかし、動きを止める。今の自分は、温もりを分け与えることすらできない、ただの機械であることを思い出す。しかし、ニニィは諦めなかった。



(この子に死なせちゃダメ!!)



かつて両親と交わした約束を胸に、ニニィは自身の体を過負荷(オーバーヒート)させ、装甲(そうこう)の表面に熱を発生させた。センサーが警告を発し、ボディが悲鳴を上げる。しかし、そのおかげで少女の震えはやがて収まり、彼女はうっすらと目を開いた。



「……あ、ありがとう。銀色の……天使さん」



少女の小さな手が、ニニィの金属の頬にそっと触れる。今まで人を助けても、ロボットであるから感謝されることはほとんどなかった。初めて自分を「もの」ではなく「天使」と呼び、感謝してくれたその一言が、孤独に沈んでいたニニィの心をどれほど救っただろうか。



ニニィは少女を背負い、(ふもと)の村まで一気に駆け抜けた。誰にも正体を明かさぬまま彼女を村人に(たく)し、再びどこかへ消えていく。その背中には、誰かを救うことで得られた確かな温もりが(きざ)まれていた。





2029年 7月



人里離れた村の森に猛獣(もうじゅう)()みつき、人々が困り果てているという(うわさ)をネットで見つけ、ニニィはその地へと足を運んだ。



深い(きり)が立ち込める森の奥。木々の隙間(すきま)から姿を現したのは、(きば)()き、鋭い眼光でこちらを(にら)みつける巨大な白いオオカミだった。しかし、ニニィの緑色の瞳は、純粋な歓喜に輝く。



「えっ……!? あなた、ワンワン!!」



その姿は、かつて病室で両親がプレゼントしてくれた、あのフワフワとした白いぬいぐるみの記憶を鮮明(せんめい)に呼び起こした。ニニィは躊躇(ためら)うことなくその巨大な体に飛び込む。



「うわぁ、もふもふ! すっごく気持ちいい!!」



目の前の鋼鉄(こうてつ)(かたまり)が、あどけない少女のような声を上げて抱きついてきたことに、ワイスは拍子抜けしてしまう。ワイスは目の前の存在を人間ではなく、奇妙で頑丈(がんじょう)なおもちゃだと認識したのか、ニニィを口に(くわ)えてブンブンと振り回し始めた。



「やめてぇぇー! 目が回るー!」



ニニィは悲鳴を上げながらも、その声は弾んでいた。それから間もなく、二人は不思議なほど深い仲となった。巨大な狼から普通の犬のサイズへと姿を変えるワイスを見て、ニニィは確信する。この子も自分と同じ、世界から(こぼ)れ落ちたUMHなのだと。

誰からも理解されず、拒絶されてきた者同士。言葉は通じなくとも、二人の心は一瞬にして通い合った。それは人間としてではなく、「ロボットと犬」という奇妙で純粋な関係、あるいは友情だった。



ワイスは真っ直ぐな瞳を向けるニニィに、かつての(あるじ)であるドリエルの面影(おもかげ)を重ねていたのかもしれない。ワイスは夜の寒さから守るように、ニニィの冷たい体をそのフワフワの毛並みで包み込む。



「ありがとう、ワイス。……あったかいよ」



ニニィは、ワイスの熱を感じることはできなかった。けれど、自分を求めて寄り()ってくれるワイスの優しさは、鋼の(おり)に閉じ込められたニニィの心を、何よりも温かく溶かしていく。



「クゥゥゥゥン」



それからの日々、一人と一匹は放浪者(ほうろうしゃ)のように世界を(めぐ)り、困っている人々を助けてはお礼をもらい、命を(つな)いでいた。


ニニィはロボットの体を使い、情報の海へ深くダイブしては、UMHの正体を突き止めようと試みる。その過程でハッキングに成功し、浮かび上がってきた組織アウローラ。しかし、そこに記された情報はあまりに断片的で、ニニィの心には(ぬぐ)いきれない不信感だけが(つの)っていく。





2030年 3月



「犬とロボットが、人々を救っている」――そんなお伽話(とぎばなし)のような(うわさ)が世界を一人歩きし始めた頃、ニニィとワイスはアマゾンの奥地へと辿(たど)り着く。最近、この辺りで人々が神隠しに()っているという不穏(ふおん)な事件を聞き、ニニィとワイスは森を捜索(そうさく)していた。



「ワッ、ワッ、ワイスのだいぼーけん!」



ニニィの上機嫌の歌にワイスもリズムに乗りながら(しぶ)い声で吠えていた。



「ワォフ!ワォフ!」



しかし、そこで待ち受けていたのは、彼女たちの想像を超える脅威(きょうき)だった。密林の中で、謎の(まゆ)遭遇(そうぐう)したニニィたちは、(あらが)う間もなく不意打ちを喰らう。



「ワイス!!」



ニニィの痛烈な叫びが森に響く。しかし、彼女の必死の抵抗(ていこう)(むな)しく、ワイスは(まゆ)の放つ糸に(から)め取られ、密林の闇へと連れ去られてしまった。ニニィ自身も強靭(きょうじん)粘着糸(ねんちゃくいと)によって大樹に(しば)られる。



「そんな.......ワイスが!! ワイス!!」



絶望が心を支配しようとしたその時、あの透き通った不思議な声が、再び彼女の頭の中に響き渡った。



『アウローラに連絡して。ここが……あなたの、そして世界の運命の分かれ道よ』



「また、あなたなの!? アウローラって、信じていいの?」



ニニィは必死に問いかけたが、声はそれ以上返答することはなかった。もはや選択の余地はない。動かぬ体で彼女ができる唯一のこと――それは、UMHに関する何かを握っていたアウローラへ向けて、救難信号を発信することだけだった。



体内から放たれた電波が、空を越えていく。それは、ニニィがワイスを救いたい一心で送った、小さなSOSだった。

しかし、その信号も全ての始まりのひとつ。ニニィはリリアと出会い、そしてキールは死んだはずの親友との奇跡的な再会を果たすことになる。



すべてが一本の糸のように(つな)がり、過酷(かこく)な運命へと導いていく。不思議な声の意図した計画なのか、あるいは偶然が重なった奇跡なのか。 その真実を知る者は、今のこの世界には誰一人として存在しない。



それは、はるか遠い未来。戦いの果てに、ようやく明かされることになる"遠い日の哀しき物語"。



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